はてなキーワード: 萌えキャラとは
それがここ数年、何かに熱を上げることがなくなった。ハマるものがなくなり目的を失った気がした。
じゃあTwitterに絵をあげて交流する事を目的にしようとアカウントを取ったのがはじまりだった。
しかし何かにハマっていれば同志を探せばいいが、何もないとフォローする人がいなくて他人と繋がるきっかけがない。そこで何度か目にはしていた「〇〇さんと繋がりたい」タグを使うことにした。
誰かと繋がりたいと思ってる同志を探そうと思った。
絵を数枚描いて「〇〇好きさんと繋がりたい」タグつけて投稿した。
この〇〇は流行りのジャンルで、そこまでハマってはいないがそこそこ楽しめているものだった。
反応があった人ほぼ全員を脳死でフォローした。(全員じゃない理由は後述する)
とりあえず繋がってみよう、の精神だった。
なかには中高生の人もいて、部活だテストだと騒いでる様子を見るのはなんだか懐かしい気持ちになった。
普通にTwitterしていたら中高生のアカウントをフォローすることがまずないからだ。
そんな感じで、初期は今までフォローした事ないタイプのツイートを見るのを楽しんでいた。
が、最初だけだった。
「待ってくれてるみなさんのために頑張ります!」
と呼びかけるようなツイートが多かった。
そのうちやたら自撮りをあげるようになった。
お前は有名人か。
しかも絵は下手だった。
何にそんなに自信があったのか。
繋がった当初は〇〇の話ばかりだったが、ある日から鬱ツイートばかりするようになった。
とにかく鬱陶しかった。
なんでそれツイートした?
この人はどうやら自分と同じ時期からTwitterを始めたらしく、タグ経由である人と仲良くなったみたいだった。
そしてその人(仮にAさん)の話題やもらったリプをRTしまくるようになった。
「Aさんほんとやばいww」
「Aさんは最初〜だと思ってたけど〜」
本人に言ったれよ
Aさん知らねえよ
二人でやれ以外の感想が見つかんねえよ
自分の絵を褒めてくれる人がいた。
話しかけられたくないのかと思い、ありがたくスクショだけ撮っておいた。
リプするのはめんどくさいのはとても分かる。でもそこでエアリプするのは全くわからない。
フォロワーが多くて絵も可愛い人から繋がりたいタグに反応がきた。内心嬉しかったが、その人からフォローが返ってくることは無かった。
タグに反応してくれた人はみんなフォローしていたが、この人だけは返さなかった。
というか返す勇気がなかった。
「ほえ〜」「はわわ」「うにゃ?」と昔の懐かしい萌えキャラっぽいツイートで、その時点で「うわキツ」と思っていた。
しかも「おやつだにゃ☆」と深夜にアップしていた写真がハンバーガー二つにバカでかいコーラだった。
隠してくれ。せめて隠してくれ。
みんな絵が下手だった。中高生は仕方ないにしても、え?あなたは小学生ではない?という社会人も多かった。
「好きな絵を描きたいから、絵はあえて仕事にしなかったんです」とどこ向けなのか分からない予防線張っている人もいた。
何度も何度もRTして、それでも反応0の人もいた。
上記のツイートと下手な絵が流れてくるTLを見て、ここは地獄だなと思った。
今までは絵が上手い人か仲がいい人しかフォローしていなかったから、知らない世界だった。
アカウントを消した。
〇〇関連で話ができた人もいたし、いい人そうな人もいた。
エアリプの人も褒めてくれた。
でもそれを上回る疲労の蓄積が大きかった。
このTLを見ていたら病むと思った。
そこから好きな人だけフォローするアカウントを作り直して今に至る。
フォローしている人は絵が上手い人ばかりで、自分なんかではフォローは返ってこない。フォロワーはROM専か下手な人しかいないので誰も返していない。
自分には繋がることが向いていなかったのだと思う。
萌えキャラの定義が狭量すぎるし(そもそも萌えキャラという定義は可能なのかという話は置いておくとして)、唇でも何でも必要ならいくらでも湧き出てくるのがフィクションの嘘であり利点なんだが
ここで言い争ってる連中、全くアニメに造詣が深くなさそう
元増田の言う
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
これな
いやー、君こそずれまくってて笑えるんだけど。
まずさ、
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
ここの部分を見て感情表現なんて一言も書かれてないですよ。元増田の主張は基本的にオタクがその他のサブカルチャーを容認してこなかった、と延々と繰り返してるだけ。元増田の趣旨を読み取れず、ズレまくってんのはあんただ。
ほかも極めて馬鹿なので突っ込んおいてやるか
どこがやねん。アクタージュですら涙袋という表現上エグい部分をあえて描いて表情を作ろうとしている。
変顔と言われても萌キャラの顔をゲス顔にして過剰演出することだってある。
言われないと気づかないのかもしれないが、改めて考えてみるとおかしいよね?
唇は萌えキャラと萌えキャラじゃないキャラを見分けるポイントの一つだ。
萌えキャラじゃないキャラは完全な唇ではないにしろ「下唇の位置を特定させる影」のようなものがある。
西洋では口が重視され、東洋では目が重視されるとはよく言われることだ。
そのことを踏まえた上で萌えキャラを見れば唇がないことの異質感にはすぐ気づくはずだ。
何が言いたいの?
お前の主張はキャラに感情がないだのあるだのうんたらでしょ(そして指摘自体が的外れ)。
なんで口だけが感情なの? なぜそんなに深堀りしてない状態で萌えキャラを論じられるの?
お粗末だよあんまりにも。個人的な意見だけど表情筋で最も豊かな部分は眉間と目尻です。
口で判断するところから出羽守そのものというか。まあこれは印象だけど。
この程度も看破できないのなら口挟むのはやめといたほうがいいよ。
ズレたことを言っているのは貴君では?
トピ主の言う「人間的に動かす」とは「感情表現」のことを指しているのでは?
動的なアニメの話をしているのに静的なフィギュアを持ち出すのも意味不明(イミフ)だよね。
「動かす」話題で動かないフィギュアを持ち出すのは、おかしい。
さて萌えキャラはディフォルメされた絵柄によって微細な感情表現を行うことができない。
一般人は素直に萌えキャラに感情表現の制約があることを利点ではなく欠点とみなすのだろう。
だが価値観の違いによってか萌えオタはこれをむしろ利点と認識しているのかもしれない。
「明示的に示される表情」は何を考えているのかわからない「思わせぶり」なリアル女より優れている、と考えているのかもしれない。
若い絵師を見ると、こうした萌えキャラの性能上の欠点に見切りをつけて、そうでない表現を模索しているようではある。
おそらく萌えキャラは微細な感情表現がオミットされているため「エモさ」を重視する最近の若者は直感的にダサいと感じているのだろう。
言われないと気づかないのかもしれないが、改めて考えてみるとおかしいよね?
唇は萌えキャラと萌えキャラじゃないキャラを見分けるポイントの一つだ。
萌えキャラじゃないキャラは完全な唇ではないにしろ「下唇の位置を特定させる影」のようなものがある。
西洋では口が重視され、東洋では目が重視されるとはよく言われることだ。
そのことを踏まえた上で萌えキャラを見れば唇がないことの異質感にはすぐ気づくはずだ。
もっとも萌えキャラは眼球が無闇矢鱈と拡大されているので「目の表現」をもオミットされているわけだが。
唇のない萌えキャラがそうした表現を行うには必然的に絵柄を変えぬばならない。
「絵を描いたことがないやつ」などと攻撃をするくらいだから画力にはよっぽど自信を持っているようだが?
いままで萌えキャラに唇がないことの欠点について考えたことはないのだろうか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tomoyakumagai/status/1334468217301921792]
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]
ブコメのブクマでもしようかと思ったけど、100 文字に収まりそうもないからこっちに書いとく。
「おたく」と同じように侮蔑語としての起源を持ち、後に積極的な意味に転じた言葉に
「クイア (Queer)」がある。
「クイア」と「オタク」の違いは、「クイア」が侮蔑語であったその言葉に、
「オタク」は、90 年代末~2000年代初頭に、当事者の意思・意識とは関係なく、
経産省やその界隈、メディアの都合でメジャーの舞台に引き上げられ、なんとなく、
(「おたく vs. オタク」論争みたいのが流行らなくなったのをもって定着とする)
したがって、侮蔑語としての古い用法の「ホモ」や「クイア」と、
ゲイ・プライドの文脈で使われるそれとは明確に区別されるのに対して、
侮蔑語としての「オタク」と、メディアコンテンツのカテゴリーとしての「オタク」の用法は、
なし崩し的にゴッチャになっている。
というか、役所やメディアが勝手にでっち上げたメジャーの舞台に乗せられてるという自覚がない
今どきの「自称オタク」はそんなことには興味なくて、自分の「趣味」が世間に認められて当然
という意識でいる一方、それと同時に、古い用法の「おたく」を引き摺っている現状に漠然とした
不満を募らせている (らしい)。というのは…
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]
というブコメから「保毛尾田保毛男は、あんなに批判されるようになったのに、
オタクはまだ差別されてるじゃん。ズルい-!」というニュアンスが読み取れるからです。
それがズルい、不公正だと思うなら、「クイア」と同じように、当事者であるあなた達が、
明確な意思を持って、侮蔑語の「おたく」を積極的な意味をもつ「オタク」に読み替えて、
それを世間に認めさせたらいいじゃないの?
萌えキャラや、乳袋や、スカートの股間の謎の影がそんなに大事なら、
…というだけの話だから、うまくやれば 100 文字で書けたかも知れない…
知らない人のために説明すると、「おたく/オタク」は第 1、第 2、第 3 世代という区分をされる
ことがあって (あったというか…)、ざっくりそれぞれ70 年代、80年代、90 年代に思春期を過ごした
第 2 世代が他の世代と違うのは、彼・彼女らが小学校高学年の頃に中森明夫によって
「おたく」という侮蔑語が発明され、エヴァのシンジ君の歳の頃にあった宮崎勤の事件によって
「おたく」という言葉が世間にひろく知られるようになり、お笑い番組で宅八郎がネタとしてイジられたり、
オウム真理教が布教アニメ作ったり、秋葉原に PC ショップ作ったりするのを横目で見ながら
十代後半を過ごし、とにかく「おたく」への風当たりが強かったということ。
いまでは信じられないかもしれないが、当時は手塚治虫、宮崎駿クラスの巨匠でも
「アニメ・漫画なんて下らない。なぜならアニメ・漫画だからだ」という評価をされる風潮がまだあった。
(流石にそこまで露骨な言い方はしないにせよ)
そんな状況だから、当時の「おたく」は (自虐パロディー的な文脈以外では基本的に自称しないけど)
(1) 「おたく」から卒業して、世間的に認められやすい映画・文学などの周辺領域に流れる
(2) 日陰で (オタクコミュニティー内の閉じた世界の中で) こっそりとオタク趣味を楽しむ
(3) 自分たちが大事だと思うこと、価値があると思うものを守るために世間と戦う
の三択を迫られる。というか 1~3 の間で揺れ動くのが普通だったような気がする。
そんな苦い記憶があるから、2000 年代以降の状況しか知らない今どきの「自称オタク」が
自分たちの「趣味」が世間に受け入れられて当然みたいな態度でいるとイラッとするわけだが…
みたいに、第 2 世代の風当たりを強めた要因の一つである「宅八郎」をもって、
昨今の「オタク」を批判するようなこと書かれると、なんともむず痒いような