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はてなキーワード: 短歌とは

2018-01-14

はてな短歌

はてなーよ清い話はやめにしてわれのつらさに手を当ててくれ

詠み人知らず

2018-01-10

anond:20180110003540

はてなハイク、初めの頃はspamなかったんです。運営さん対策してくれないかなぁ。

スマホアプリで、ちどり短歌会ってのがあって、なんかよさげなのでDLしてみた。

2017-12-17

anond:20171217211007

ググってもこの増田しかヒットしない

オリジナル短歌

ならばなぜこんなところに???

2017-12-10

ストロングゼロかいう便利ワード

悪酔いの出来る安酒の代名詞になりつつある

文字から俳句短歌にも使えて便利だね

ガンガン飲んで使っていきましょう

2017-11-19

増田風流部】秋の夜長に短歌詠む

見渡せば

花も紅葉

なかりけり

コカイン吸って

鼻水混じり

2017-10-22

貧窮問答歌一首 并短歌 山上憶良頓首謹上

風雑 雨布流欲乃 雨雑 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩

乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比弖 之叵夫可比 鼻毘之毘之

尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己

呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 

伎曾倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻

子等波 乞弖泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流 天地者

比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰

安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等

々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃

其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保

乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方

尓 囲居而 憂吟 可麻度柔播 火気布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能

須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提

短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻弖 来

立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道

世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆

風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげ掻き撫でて 我れをおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを 我れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ凍ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る 天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ 人皆か 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 我れも作るを 綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると いへる がごとく しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道

世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

2017-09-29

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.こんなこと言いたくないのですが……

では、言わなくて結構

Q.……こんなこと言いたいのですが

出来たらいいな。

Q.デマってどうやって判断すればいいんですか。

私は超能力者じゃないので、100%正しく判断できる術は持たない。

そしてメディアリテラシー必要ものはそういうものではない。

なので重要なのはデマがどういう構造をしているかだ。

長々と語っても興味がないので、端的に答えよう。

事実」 ⇒ 「憶測」 ⇒ 「断定」だ。

例えば私がカラアゲを食うという「事実」。

そして『レモンをかけたのだろう』という「憶測」。

そこから『あの人は酸っぱいものが好きなんだ』という「断定」。

こういった構造情報は静観すべし。

君が情報に踊らされて楽しいと感じる人種ならば話は別だが。

まり不可知論者こそ最強。

Q.つまりあなたFAQは信じるに値しないと?

君は短歌評価するとき七五調であることを批判するのかね。

……いや、この例えは違うな。

コーヒーを苦酸っぱいと言うようなものか。

……いや、違うか。

なぜブックマークするかと問われて、栞だから後でまた読み返すためと答えるようなものか。

……これも違うな。

カラアゲライムをかけるのは、一緒についてきたのがレモンじゃなかったからと言うようなものか。

……私はカラアゲ食わないしな。

2017-09-27

新聞短歌投稿する人って

新聞短歌投稿する人って、その新聞を購読してるの?定期購読毎日コンビニで買う??

2017-09-14

anond:20170901203346

何故自分文章を見て「男性だ」とよく決め付けられるのかずっと不思議だったけど

余計な描写を省いてるからなんだね

書いても良いけど面倒臭いから書きたくない。そうすると「女性文章冗長的だ」という偏見を持つ人には女性から除外されてしまう。

まあ、短歌和歌で有名になった女性歌人の例を見たら良いと思う。自分の知見が狭いだけって事に気付くから

2017-09-04

https://anond.hatelabo.jp/20170904063505

古典おもしろいけどね

歴史的に昔の人の考えを知ることはおもしろいし

古典を知っていることで和歌短歌単語意味掛詞理解でき趣味にもできるし

いきなり歌舞伎を見ても言っている言葉意味がだいたいわかる

素養があるからこそ理解できるという話

さらには古典分かってないと漢文読めないしな

漢文読めて何の役に立つんだって人がいるが

4文字熟語の、漢文の返り点のように単語を読む順番が入れ替わることが理解できてはじめて正しく意味理解したり

英語以外の言語習得のとっかかりとして

漢文古文意味がある

2017-08-11

コンビニ短歌

たくさんの 廃棄を出せよと 本部様 再契約を ちらつかせる夏の夜かな

                         字余り

2017-07-12

ドラ短歌

ドラ短歌

流行っていると

聞いたか

言葉を並べて

みようと思う

以下短歌

月を見て

大きな猿に

変わったら

最初あなた

踏みつぶすから

結局さ

気って一体なんのよ

戦闘力とは

同じものなの?

シェンロンに

なにをお願い

しようかと

考えている

うちが花かも

絶海で

亀仙人

住んでいる

例の小島

津波に弱そう

アラレちゃん

特別ゲストじゃあるけれど

気になっちゃうね

誰より強いか

マンガしか

読んでないか

悪いけど

GTとかは

よくわからない

あの世

獣人がいた

はずだけど

最後の方では

どこに行ったの

2017-06-09

短歌 すき家の朝

酒越しに

狂おしき世を

眺めつつ

すき家に茹だる

生に飽く朝

http://anond.hatelabo.jp/20170609140419

橙の

血筋くるま

一人酒

陽気な音にも

ただ、死を思えり

朝の酒

昼の寝酒と

夜の虚無

朝が来るのを

待ち侘びる日々

牛丼

はやいのうまい

やっすいの

キン肉マン

無職だったか

銭の華

踏み砕いての地獄道

牛皿頼みに

ビール舐めつつ

2017-04-11

短歌に感動してカルタ部入るやつってよく考えたらおかしくない?

 歌に感動したのなら歌を詠めよ。

 なんで格闘技やるんだよ。

 チェス試合に心打たれた少年チェスボクシングの道に進むようなもんだぞ。

2017-04-02

詩が嫌われるのは国語問題になってるから

割とマジでこれだと思う

そもそも恋愛なり自然なり皮肉なり、たいていのことは頑張れば五七五七七までで表せる

それに慣れているので無駄に長い詩は増田の長文のごとくうざい

その上に国語問題解釈なんて要求されるから印象が最悪になる

わけのわからないことを言われて、正しい意味を考えろなんて押しつけもいいとこだ

おかげでガキんちょは詩人自分嫌がらせするためだけに詩を書いてるんじゃないかと思っちゃう

逆に俳句川柳がそこまで嫌われないのは作者が文化史の暗記対象になるぐらいで、

作品のものにはヘイトが向かないからだと思う

ここまで書いて思い出したが古文短歌ちょっとやばい

あの手の問題がもうちょっと増えたらたぶん短歌も嫌われてる

なぜ日本では詩が流行らないのか

俳句にせよ短歌にせよ好きな句があるのは良いんだよ。でもなぜか日本人は詩には関心が薄い。詩?ああ教科書で読んだのが最後かな、なんてザラ。

俳句短歌都々逸の心地よい韻律が身に染みついているからだろうか。詩は比喩が難しいとか思われてるんだろうか。

好きな詩はある?と尋ねたらJPOPの歌詞をとうとうと述べる。いや、それでも良いんだよ。でもな、たまには詩集を手にとってみても良いと思うんだ。

2017-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20170322001722

まずね、小説映画だとしたら、詩歌写真なの。

旅行写真でも卒業写真でもなんでもいいけど、自分にとっては大事な一瞬をとらえた写真って、知らない人が見たら「なにこれ?」ってなるでしょ。でも撮った本人はその一枚でもあのときのことを思い出せるから、わぁーいいなあってなる。そんなふうに物語のものではなく物語痕跡から全体像をを想像して味わうのが詩歌の楽しみ方のひとつから、詩は本来、書いた本人にしかからないのが普通なんだよ。

から詩はあなたにも書けるし、けれどもその詩は他の誰かには全く理解してもらえないかもしれない。あなたにとっては切実な場面でも、「なにこれ?」ってなっちゃう。

だったら他人他人詩歌をどう評価できるんだっていうと、みんなまず物語以外の部分をかみしめてるみたい。言葉って意味だけじゃなくて音や文字もあって、たとえば漢字がいっぱい並んでたら理屈抜きで「うわ、めんどくさ!」ってなったりするし、ミラバケッソとかヒノノニトンとか意味関係なく音として気持ちよくて頭に残っちゃうことって結構あると思うの(卑怯CM多いでしょ)。写真でも、単純にきれいなものが写ってたら誰がいつどこで撮ったか以前に「わーきれい!」ってなるでしょ、文字だってうつくしい言葉がきれいに並んでたらそう思えるかもしれない。写真だとモチーフが左右対称に並んで写ってたらそれだけで気持ちいいように、定型句でも575の音数に合ってたらそれだけで気持ちいいとか。この辺が、作品それ自体の内側へと入り込んでいく楽しみ方の例。

逆に作品の外側に目を向けると楽しいこともある。写真なら、たとえば撮った人や撮った場所に注目してみるとか。普通写真でも、自分の知ってる人、好きな人が撮った写真だって聞いたらそれだけで「どんな気持ちで撮ったんだろう」って想像したくなってこない? あとさ、ライオン大口あけてる写真とかだと「この人どうやって撮ったんだよ、撮った直後に殺されたりしてないだろうな」とか想像して怖くなったりもしそうでしょ? 他にも、京都タワーを手で支えてるような構図だったりしたら「ピサの斜塔かよww 京都タワーじゃかっこつかないでしょうがwww」なんて元ネタと比べて楽しむとか、それ自体では補えない情報量が実はそこかしこに見つかったりするものなの。

そうやって自分必要情報量を探していく、補っていくっていう探偵じみたプロセス詩歌の楽しみだと思うし、これって実は小説でも他の芸術分野でもおんなじだよね。さらに言うと、いろんな作品詩歌小説に限らず)を見ていくと、自分を泣かせる笑わせるために必要情報量ってじつはそれほど多くない、このツボさえ抑えてれば自分は大体泣けるっていうポイント抽出できたりする。物語全体じゃなくって特定の要素があれば人間勝手想像できちゃうし、人からもらうより自分で作った方が味付けも変えられておいしいのは料理と一緒。でもそうやってツボを探していくと、面白いことに、その自分だけのツボって実は他の人も泣かせてしまったりする。自分のためだけに作ったものが何故か他の誰かまで撃ち抜いてしまったりする。

究極的に個人的ものは、実は最大限に普遍的でもあるんだ。その普遍性だけを切り取って残そうとする挑戦が、詩歌を作る苦しみであり楽しみなのだと、わたしは思う。


あとは渡邊十絲子の『今を生きるための現代詩』って新書がすげーオススメなので一読されたし。自分詩歌詳しくないけど、わからないなりに楽しくなるよ!

すてきな紹介記事→ http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20130531/1369926781

2017-03-22 20:42 追記(返信など)

でも現代純文学はそういうツボに反感持ってるよね

自分文章読み返したら「ツボ」の例を泣ける笑えるに限定しすぎたのが失敗だった。「泣ける」が分かりやすい例だっただけで“面白い”のツボって千差万別からね。

でも自分なりのツボはすべての書き手が持ってるだろうし、それを分かってくれる人も必ずいるんだよ、なぜか。・・・いや、よき受け手出会えるかどうか、そもそも作り手がそのツボを自分表現で押さえることができるかどうかは別として。

青木淳悟でも木下古栗でも岡田利規小笠原鳥類橘上でも誰でもいいんだけど、たとえ共感を得やすいツボに反感を持ってたとしても、その人には別のツボがあるし、人間表現である限り普遍性を完全に排することもできない・・・とわたしは思う。

だってすべての表現コミュニケーションから。読者としての自分自身とすらコミュニケーションしない表現なんて、ヘンリー・ダーガーでも無理なんじゃない?

今を生きるための現代詩kindleにあったので買ってみました

わーいやったー! ありがとうございます、せっかくなのでその先の本もいちおう置いときますね!

入り口としては『今を~』がすばらしいけれど、もしそれで現代詩自体に興味がわいたら新書館から刊行されてる『現代詩の鑑賞101』がとってもいいです。やさしい解説つきで101篇も読めばだれか一人くらいは推し詩人も見つかりそうでしょう? つまんないのはどんどん飛ばそう。

歴史の流れが知りたければ野村喜和夫の『現代詩マニュアル』がなかなか手っ取り早いけど、ごめんなさい、なんかスノッブくさくて個人的にはちょっと・・・。

もっと深く勉強したい人は現代詩手帖特集版『戦後60年“詩と批評”総展望』などをどうぞ。谷川俊太郎が「やっぱ売れ専をバカにしないで売れる詩をちゃんと作んなきゃダメだろ、ジャック・プレヴェール見習えよおまえら」とか言っててわろた。

ちなみにわたしの推しは入沢康夫渋沢孝輔です。入沢翁、ツイッターはじめててびっくりした。俳句短歌の話は、ごめんなさいぜんぜん分かりません。だれかオススメおしえて。

「一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと」

って石川啄木短歌のどこがクズなのかピンとこないのは自分クズからなのかな

まあそんな気分になる事もあるよねくらいに感じる

詩や短歌俳句の良さが分からない

短歌俳句に比べれば詩は分かるような気もするのだけれど

やっぱりわかった気になるのはよくないと思う

ダウンタウン浜田が夜の7時からやってる番組俳句のコーナーが人気らしくたまに見たりしている

そこで出てくる俳句の良さが分からない

短すぎて分からない

伝わらない

先生添削しているのだが良くなっているのかもよく分からない

どうやら見ていると俳句というのは短い言葉キーにして

色々なもの自分想像して楽しまなければいけないらしい

短い言葉から連想して自分の頭のなかでその情景を作り出すようだ

短歌文字数で言えば俳句よりも長いので情報量は多いのだろうけど

やっぱりわからない

からないものはわからない

基本的には俳句と同じようなものなのだろう

想像深読みして楽しむのだろう

詩はその二つに比べるなら文字数が増えることが多いので

読んだ人間はさまざまな情報から想像できるのだろう

詩もきっと自分の中で想像したり言葉リズム言葉遊びを楽しんだりするのだろう

自分は詩を読んでみてもやっぱりよく分からない

自分想像することが嫌いなのかと言えばそんなこともないと思う

マンガ小説アニメやその他色々な創作物を見て

自分だったらあの場面はこうするとか

こうした方がもっと面白くなるとか

新しい登場人物を考えたりとか

こういうバックグラウンドがあったりとか

泣けるようなエピソードを考えて実際自分でも泣いたりしている

ここで一つ思いついたのが

情報量の差だ

俳句短歌や詩などは少ない情報から想像することを楽しむらしいが

自分は大量の情報を得てから想像するのが好きなのだ

まり方向性の違いだろうか

2017-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20170321061256

偶然短歌bot。わりとまじめに。

《変わりゆく 日々が綴られ、現実の生々しさと隠された過去 》(「さくらむすび」より)

人物が あなたが出した質問に 答えることは 期待出来ない》(「情報化時代」より)

念仏で 救済される喜びに 衣服もはだけ 激しく踊り》(「盆踊り」より)

《ある道を右に曲がれば東大で、まっすぐ行けば公園なのね》(「マッスル北村」より )

http://anond.hatelabo.jp/20170321152202

小倉百人一首を集めた藤原定家も、あの時代インターネットがあったら、

好きな短歌とか俳句とかあれば教えてくれ

ネットで呼びかけていたのだろうなあと思うと感慨深い。

好きな短歌とか俳句とかあれば教えてくれ

おすすめ歌集や句集も教えてもらえるとうれしい。

2017-02-21

板挟みのまま生きていくことにした

創価学会二世です。

先に言っておくと、擁護でも批判でもありません。ずっと昔から考えてきたことが、まとまりそうな気がしたので書いています

両親は創価大学出会って結婚した。二人とも朝晩の勤行を欠かさず、会合にも積極的に参加している。聖教新聞大白蓮華を取っていて、隅から隅まで読む。

私は正式に抜けたわけではないが、勤行はしない。会合の案内のラインが来ればそれなりに対応するが、行くことはない。公明党には入れるときもあれば入れないときもある。仏壇に手をあわせることが年に2、3回はあるが、自分からすることはない。しかし、御本尊を破れと言われたらかなりためらうだろう。お地蔵様を壊せないのと同じだ。

勤行をしない私、会合に行かない私に、両親はとくになにも言わない。選挙の時だけお願いねと言われる。ありがたい、と思っている。

小学生くらいまでは会合にもそれなりに出ていたし、朝晩に三唱くらいはしていた。中学生のころ、御書説教臭さがいやになったり、ネット書き込みを見たりして、だんだん会合に足を向けなくなった。反抗期を利用して三便もしなくなった。今では、抜けた理由を聞かれたら、「方針が合わないので」「公明党意見が違うので」と言うだろう。

そういう私だ。

頭がパーンとか、そういうたぐいの書き込みを見ると腹がたつ。強引で失礼な勧誘に合ったと聞いたら、申し訳なくて胸がふさぐ。友人が何気なく言い放った「私宗教ぜんぶ嫌いだから!」という言葉に傷つく。両親のことを愛している。学会がなければ私は生まれなかったと思う。新年勤行会のばんざい三唱はクソ食らえだ。「知ってる?誰それさん創価だって」と言われて苦笑いする。同じ創価二世友達とため息をつく。池田先生がなにをしてくれたって言うんだよ。会合に参加しているのはいい人たちばっかりだ。いったいいつまで、こういう板挟みに苦しまなければならないのだろう。

東日本大震災とき、その夜、「宮城沖で数百と推定される遺体発見」というニュースを見て、怖くて眠れなくなった。どうしたらいいのかわからなかった。津波映像がなんども頭をよぎった。数百人、数え切れない量の人が海で死んだ。その一人一人に人生があった、その恐ろしさに震えた。その人たちを悼みたい、その人たちが死んだことを悲しみたいと思った時、布団の中で丸まって「南無妙法蓮華経」と何度も唱えた。それしか悼む方法がなかった。そしてそういう自分にショックを受けた。私は死者を悼む方法をこれしか知らないのだ。信仰心はなくても、方法けが自分の中に残っている。

いいとこどりをするんだ、と決めた。信仰心はなくてもいい。都合のいいところだけ使えばいい。オリジナルの祈りの言葉オリジナルの生きることへの姿勢が見つかるまで、意味なんてなくても唱えていい。熱心な信者だった祖母を、これ以外の方法で弔うことができただろうか。両親が死ぬ時、友人葬以外でやりたくない。でも、公明党投票しなくったっていい。義理なんて感じなくていい。両親を愛していい。でも信仰拒否していい。勤行はしない。

わたしはもうすぐ大学卒業して、親元を出る。大丈夫だと思う。

同じようにしている人に大丈夫だよって言ってもらいたくて書いた。早く大丈夫になって、同じようにしたいと思ってる人たちに、大丈夫だよって言いたい。

でも大丈夫じゃないかもしれない。10年後くらいに信者に戻ってるかもしれない。いやだな。大丈夫だって言ってください。

あとこれだけ言いたかったんですけど、池田大作短歌下手すぎじゃないですか?誰も何も言わないの?

それだけです。

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