2017-02-21

板挟みのまま生きていくことにした

創価学会二世です。

先に言っておくと、擁護でも批判でもありません。ずっと昔から考えてきたことが、まとまりそうな気がしたので書いています

両親は創価大学出会って結婚した。二人とも朝晩の勤行を欠かさず、会合にも積極的に参加している。聖教新聞大白蓮華を取っていて、隅から隅まで読む。

私は正式に抜けたわけではないが、勤行はしない。会合の案内のラインが来ればそれなりに対応するが、行くことはない。公明党には入れるときもあれば入れないときもある。仏壇に手をあわせることが年に2、3回はあるが、自分からすることはない。しかし、御本尊を破れと言われたらかなりためらうだろう。お地蔵様を壊せないのと同じだ。

勤行をしない私、会合に行かない私に、両親はとくになにも言わない。選挙の時だけお願いねと言われる。ありがたい、と思っている。

小学生くらいまでは会合にもそれなりに出ていたし、朝晩に三唱くらいはしていた。中学生のころ、御書説教臭さがいやになったり、ネット書き込みを見たりして、だんだん会合に足を向けなくなった。反抗期を利用して三便もしなくなった。今では、抜けた理由を聞かれたら、「方針が合わないので」「公明党意見が違うので」と言うだろう。

そういう私だ。

頭がパーンとか、そういうたぐいの書き込みを見ると腹がたつ。強引で失礼な勧誘に合ったと聞いたら、申し訳なくて胸がふさぐ。友人が何気なく言い放った「私宗教ぜんぶ嫌いだから!」という言葉に傷つく。両親のことを愛している。学会がなければ私は生まれなかったと思う。新年勤行会のばんざい三唱はクソ食らえだ。「知ってる?誰それさん創価だって」と言われて苦笑いする。同じ創価二世友達とため息をつく。池田先生がなにをしてくれたって言うんだよ。会合に参加しているのはいい人たちばっかりだ。いったいいつまで、こういう板挟みに苦しまなければならないのだろう。

東日本大震災とき、その夜、「宮城沖で数百と推定される遺体発見」というニュースを見て、怖くて眠れなくなった。どうしたらいいのかわからなかった。津波映像がなんども頭をよぎった。数百人、数え切れない量の人が海で死んだ。その一人一人に人生があった、その恐ろしさに震えた。その人たちを悼みたい、その人たちが死んだことを悲しみたいと思った時、布団の中で丸まって「南無妙法蓮華経」と何度も唱えた。それしか悼む方法がなかった。そしてそういう自分にショックを受けた。私は死者を悼む方法をこれしか知らないのだ。信仰心はなくても、方法けが自分の中に残っている。

いいとこどりをするんだ、と決めた。信仰心はなくてもいい。都合のいいところだけ使えばいい。オリジナルの祈りの言葉オリジナルの生きることへの姿勢が見つかるまで、意味なんてなくても唱えていい。熱心な信者だった祖母を、これ以外の方法で弔うことができただろうか。両親が死ぬ時、友人葬以外でやりたくない。でも、公明党投票しなくったっていい。義理なんて感じなくていい。両親を愛していい。でも信仰拒否していい。勤行はしない。

わたしはもうすぐ大学卒業して、親元を出る。大丈夫だと思う。

同じようにしている人に大丈夫だよって言ってもらいたくて書いた。早く大丈夫になって、同じようにしたいと思ってる人たちに、大丈夫だよって言いたい。

でも大丈夫じゃないかもしれない。10年後くらいに信者に戻ってるかもしれない。いやだな。大丈夫だって言ってください。

あとこれだけ言いたかったんですけど、池田大作短歌下手すぎじゃないですか?誰も何も言わないの?

それだけです。

  • ミニ仏壇みたいなの持ってくんだっけ

  • これすき 自分のなかに複数の価値観があることはいいことだとおもう 習慣とか文化として染み付いてることとは賢く折り合いつけたほうがいいのもそう。

  • これすき 自分のなかに複数の価値観があることはいいことだとおもう 習慣とか文化として染み付いてることとは賢く折り合いつけたほうがいいのもそう。

  • http://anond.hatelabo.jp/20170221195311 増田とおんなじような感じで生きてる。まあ、関連団体の方に就職しちゃったんで全く無関係というわけには行かないから手を抜きながらたまに顔出したり...

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