はてなキーワード: 無差別攻撃とは
http://eraitencho.blogspot.com/2018/08/15.html
まだ疑惑だそうなのでここでは被疑者側には触れません。上の記事を読めば良いし、今後いくらでも情報が入るでしょうしね。
ここでは現在進行形で起こっている被害者の周囲にいる人たちの行動を見てみますよ。
ttps://twitter.com/eraitencho/status/1031112454913191936
ttps://twitter.com/eraitencho/status/1031131358167351297
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ttps://twitter.com/eraitencho/status/1031205307211382786
ttps://twitter.com/eraitencho/status/1031186545493954560
ttps://camp-fire.jp/projects/67893/activities/60602
ttps://twitter.com/eraitencho/status/1031535773525266434
ttps://camp-fire.jp/projects/67893/activities/60669
ttps://twitter.com/syakkin_dama/status/1031134505124343808
ttps://note.mu/mao_fishman/n/n5c8fd6d4f4c0
「弟子」を自称するほど親交の深かった人物が強姦疑惑をかけられたら、取るべき行動は
被疑者周辺で本件にコメントしない人間をうさんくさいとして拡散していると発言
ttps://twitter.com/naishima/status/1031157819158843393
ttps://twitter.com/EratenMu/status/1031221187580293120
ttps://twitter.com/EratenMu/status/1031227399516508160
感想はこれだけです。
確かにその通りだけど、官僚も政治家も戦争を体験していない世代が多くて、具体的な考察のしようがないのではないかと思う。だいたい大衆受けしそうなことは言っても、具体的な実現プランなんか持ってないのが政治家という人種。
とりあえず歴史学者にでも第二次世界大戦の敗因とか日本はどうするべきだったかを考察してもらうしかないのではないかと思う。
私の素人考えでは、真珠湾攻撃とかやって勝ち目のない相手に戦争を仕掛けたところがまず間違ってるし、食糧や武器の手配がまともに出来なくなった時点でその国や地域からは退却すべきだったと思う。
だいたい日本全国に空襲で焼夷弾の雨が降った時点で降伏すべきではなかったのか。軍需工場のある地帯や基地をピンポイントで狙うならともかく、一般市民を無差別攻撃して焼き殺すのがもう戦い方としておかしいだろう。
戦争中のに敵国にモラルを求めても無駄かも知れないけど、ただでさえ日本軍がアメリカに反撃する力を失っているのに、武器一つ持たない(竹槍とかは役に立たなすぎるので武器と見なさない)一般市民を殺すというのはアメリカ軍にとっても手間と焼夷弾のムダではないのか。ましてや原爆なんて壮大な人体実験以外の何物でもない。
私は自衛隊の存在を否定しないけど、どちらかといえば災害のときにとても役に立つ人々という認識で、軍隊としてはアメリカに良いように役に立たない武器を買わされている微妙な存在だと思う。どちらかというと災害時に必要とされるものに予算をつけた方が良いんじゃないか。それだと軍隊とは言えないかも知れないけど。
あと、戦争が起きたときの対策はどこの国を仮想敵国と考えるかで全然違うと思う。北朝鮮だとすれば、彼らが攻撃してくる間どうやって国民をどうやって避難させるかが課題で、戦いが長引けば向こうが勝手に消耗して攻撃手段を失って自滅するように思うんだけどどうだろう?
日本より強い軍事力を持つ国は、直接日本を攻撃するというよりも、アジア圏の国と戦うときに日本を基地として利用し、自分の国が直接攻撃されないよう、盾として日本を利用するのではないかと思う。
素人考えなのに長々と書いてしまって失礼。この国の偉い人たちは歴史に学びつつ、具体的な「二度と戦争をしない方法」を考えてほしい。
北が核ミサイル持つってことは、まさに我々が人質になるってことやで
1人殺して、もう1人殺すけどいいのかー!ってできるわけよ
そして我々が殺される1人目になる可能性は大いにあるんやで
増田は、無差別攻撃を仕掛けるヒットマンと無差別攻撃を仕掛ける爆弾魔、って表現しているけどさ
実情は、コンサート行ってる時に会場を軍隊並みのテロリスト集団に占拠される恐ろしさと道端歩いてて通り魔に刺される恐ろしさってそんな変わらないんだよなー、って言ってるようなもんなんよ、それって
軍隊並みテロリスト集団があなたの最寄駅に基地構えました、ふーん、通り魔に刺されるのと変わらねえなーって思う?
増田なら思いそうだなー
熊と遊んでも食われないときは食われない、瓦が当たって死ぬときは死ぬ、前田慶次みたいなもんかー?
あと、北が撃って来ないのは、撃ったら終わりだから撃てないんじゃないで
感情論の問題ならそうかもねぇ。核保有したキチガイ国家が隣と言われたらいい気はしないわ。
ただ、核保有してようがなかろうが結局遠距離型の大量破壊兵器は何かしら持ってるわけで。威力の差は比較にならんのかもしれない。が、結局社会的な脅威としては増すのだろうけど、個人的な脅威としては変わらないからピンと来ないのよね。無差別攻撃を仕掛けるヒットマンがいるのと、無差別攻撃を仕掛ける爆弾魔がいるのと、脅威感覚にそんなに違いがないんだよなー(その辺の感覚は、増田の言うとおり異質かもな。)
あと、銀行強盗とはちょっと違うかなー、銀行強盗は撃つかもしれんが、北は撃たない。銀行強盗は得体が知れんが、北はよくわからないなりにある程度得体が知れてる。
シャツのボタンを胸の下まで開けて、谷間を露出し巨乳を寄せ上げて、胸や頬を紅潮させてうるんだ目で見上げている萌え絵は駅に貼るなと批判された
オタクは何故露出の高い水着はOKで胸の谷間しか露出してないポスターはNGなのか理解できなかった
だからフェミが思い付きで叩いたものだけが批判を受け、フェミが見逃したものは大丈夫な不条理な無差別攻撃を受けていると勘違いをし反発した
既にエロ業界では基準の隙を狙って、小学生ですらエロ目的のビデオに多数出演させられているくらいやりたい放題されているし
水着は駅にはってOKとしたら、ギリギリを狙ってマイクロビキニで、乳首が浮かび上がり、目を潤ませ眉をひそめ頬を紅潮させて、体をくねくねさせて股にバナナを挟んでいる幼女の萌え絵を出してくるくらい一般常識範囲内で駅にはっていい物を理解しない常識のない相手だと感じる
結局これは、男はじじいになると価値がなくなるが、女は年を取っても社会にとって存在価値があると思しき生物学的事実に、恐れおののいている人たちが、必死にあげている悲鳴なんだろうな、と。
(寿命の長さ男女格差問題、そもそも生物にとってメスが本体であり、オスは生殖の道具として発明されたものにすぎない問題、蟻などもそうだが社会性が高くなると、メスは生殖以外に存在価値を持つようになる(閉経というシステムが備えられている)が、オスにはそれがない上、精子はそのシステム上経年劣化してしまう、等々)
そうでないと聞いてもらえないから。まず聞いてもらうことが大事だから。
でもそれゆえ女性に対する無差別攻撃の様な形になってしまい、結果問題の内容に耳を傾けてもらえなくなり、悲鳴の内容が解消される日は来ない。
おぼれる者が、どこが水面かわからず、水底へ向かって泳いでしまうこの手の問題は、局所最適による失敗の一種なのかな、と思う。
人間は上手く出来ていない。
せめてエルトゥールル号の件と100年後の恩返しの件を日本人ももっと知ろうぜ
俺も知らんかったから偉そうなことは言えん。
http://shuchi.php.co.jp/article/1325
そして両国の友情を考える際、日本人が決して忘れてはならない事件が、昭和60年 (1985)に起きています。イラン・イラク戦争下のテヘランからの日本人救出です。 イラン・イラク戦争は昭和55年(1980)に始まりましたが、昭和60年3月、イラクによる イランの都市空爆を契機に両国の都市攻撃が激化。イランの首都テヘランにもイラク空軍機が 襲来するなど、情勢は一気に緊迫化します。さらにイラクのフセイン大統領は、3月17日に 「48時間以降、イラン上空の航空機を、民間機であろうと無差別攻撃する」と宣言しました。 各国は大慌てで、自国民救出のための救援機を送ります。しかし日本の救援機は来ません。 自衛隊の海外派遣不可の原則のために自衛隊機を送ることができず、日本航空は労組の反対も あって「航行安全の保証がない限り臨時便は出せない」という方針を打ち出したのです。現地 の日本人は八方手を尽くしますが、他国の航空会社はどこも自国民優先で、乗れる飛行機はほ とんどありません。 いよいよ刻限が迫り、現地邦人の誰もが絶望の淵に沈んだ時、手を差し伸べてくれたのがト ルコでした。トルコ航空機が危険をおして215名の日本人を救出してくれたのです。しかも、 当時、テヘランには600名を超えるトルコ人がいたにもかかわらず、日本人を優先して助けて くれました。 「なぜ、トルコが?」。日本人は皆、不思議に思いました。直接のきっかけは、1つは駐イ ラン・トルコ大使のイスメット・ビルセル氏が、駐イラン日本大使の野村豊氏の懇願を受け、 本国に救援機派遣を要請してくれたこと。もう1つは当時、イスタンブールに駐在していた伊 藤忠商事の森永堯氏が、知己であったトルコのオザル首相に直接、救援を依頼したことでした。 しかし、それらがあったとはいえ、自国民より日本人を優先して救出するほどの決断を、な ぜトルコは下してくれたのでしょうか。その背景には、この救出劇から95年も前に起きた、あ る事件で結ばれた強い絆がありました。トルコの人々は、それを忘れずに日本人を助けに来て くれたのです。その事件こそ、エルトゥールル号遭難事件です。 明治23年(1890)9月16日夜半、台風の荒れ狂う和歌山県串本沖で、オスマン帝国(オス マン・トルコ)の軍艦エルトゥールル号が遭難。600名余の乗組員のうち、司令官オスマン・ パシャはじめ500名以上が死亡または行方不明という大惨事になります。 彼らは、明治20年(1886)に日本の小松宮彰仁親王がトルコのイスタンブールを訪問した ことへの答礼使節でした。東京で明治天皇に拝謁し、オスマン帝国の最高勲章を奉呈した帰路 に悲劇に見舞われたのです。 これに対し、事故現場の串本・紀伊大島の人々は、遭難者の救助に全力であたり、危険を冒 しながら69名を救出しました。当初トルコ人を収容した樫野地区は60戸はどの小さな集落で、 しかも裕福な暮らしではありませんでしたから、トルコ人の介抱は決して容易なことではあり ませんでした。しかし、なけなしの食料や衣類を惜しげもなく提供し、普段は正月にしか食べ ない白米を炊き出して食べさせ、さらに時を知らせる鶏もつぶして振る舞ったのです。 明治天皇も知らせを受けるや、政府を挙げての救援を命じ、トルコ人の生存者たちは手厚い 看護を受けた後、日本海軍の軍艦で翌年1月2日にイスタンブールに帰還しました。また、こ の事件が報道されると、日本全国でトルコへの義捐金を募る動きが澎湃として沸き起こり、現 在の貨幣価値で1億円ともいわれる金額がトルコへ届けられたのです。 この日本人の真撃な気持ちはトルコに伝わり、トルコで親日感情が大きく高まりました。こ れが後の、イラン・イラク戦争への対応などの一連の動きにつながっていくことになったので す。
個人的には各種外国人学校および私立の高等学校に対する無償化措置もおかしいと思ってるから北朝鮮の学校もいれなくたっていいんじゃね。とも思ってる。
あと洗脳教育って何?http://anond.hatelabo.jp/20101129121756も答えてくれてるけど、日本の学校だと考え方に自由はあるでしょ。
ある程度の考え方(キリスト教とか仏教とか倫理的なもの)は子供の教育効果を増強するためにあってもいいと思うけど、北朝鮮の学校教育って「将軍様が何をやっても偉いんです!」とか、教室には毛沢東よろしく金親子飾ってるっていう感じの稚拙というか強迫的教育課程が義務づけられている様にしか報道されてないし、中にいる人はそれ以外の思想を口に出来るの自由あるの?金日成馬鹿にしたらおこられるんじゃないの?別に仏教系の学校やキリスト教の学校で親鸞やヨハネを馬鹿にしたって怒られないし、ぶっちゃけ仏教徒でもキリスト教徒でなくてもOKだし。まあそれらを象徴するものに落書きしたり破損させたらそれはどこだって怒られるだろうけど。
その上で北朝鮮の連中は21世紀になった今でも「俺等の無差別攻撃正しいんだぜなんてたって被害者軍関係者☆だぜ」 っていうのを言い出すんだぜ。北朝鮮方式の教育を受けて、その中で思想を鍛錬して、ブラッシュアップを重ねて、国の難関をくぐり抜けて政府代表者になった人が全世界に向けてそういう事を言い出しちゃう。「反人間的な対応」をする教育=北朝鮮独自の民族教育だと思われているわけ。日本にある朝鮮学校の皆様は自分の所では民族学校だけど、そういう教育はしてないと立証しない限りアウトじゃね?
韓国学校はそういう変な思想(金日成将軍様万歳!的)教育は無さそうなので、民族教育ならそっちでもいいじゃないかと思う。ダメなの?
日本はこういう所に入ったら転校したりって逃げられるんだよ。
朝鮮学校もやたら金親子万歳的な所と、出来るだけその土地の社会と調和をはかりましょうという所と分かれてて教育方針違うなって思ったら逃げれるの??そんなこと無いんじゃないの?寧ろ興味あるな。
機械化した軍隊で市民が住む街を責め立てている国にかわいそうもへったくれもないもんだが。かつて「エイリアン2」を見た女子大生が「エイリアン・マザーがかわいそう」って言ったらしいわ。
ちょっとばかし昔の、ほんのひとときの中東和平時代のイスラエルを知っているので、少し落ち着いたら何か書こうと思っていたのだが、勧善懲悪ブログが目にはいって泣けてきたわ。イスラエル=パレスチナ問題の難しいところは、中東和平時代、イスラエルの穏健派が国内世論を説き伏せて宥和政策をとったにもかかわらず、暴力が無くならなかったってことにある。穏健派は国内に対する面目丸つぶれ。そのうち、穏健派が頼っていたラビンが、こともあろうにイスラエル人に暗殺されてしまった。ラビンは戦争の英雄でイスラエル人から尊敬されていたから「ラビンが言うなら、譲歩するか」と言っていた対パレスチナ強行派を抑えられなくなった。イスラエルの穏健派としては、なんとしてもパレスチナ側の英雄アラファトにパレスチナを軟着陸させてもらいたかったが、アラファトはパレスチナを穏健化出来ないまま黄泉路に発ってしまった。
ところで、他国から終わらない暴力が国民にふるわれ続けたらどうする。
長く続く相互暴力ってのは、話し合いで終わらせるのが難しい。どちらも「俺の親父は奴らに殺された」「私の子供はあいつらに殺された」なんて国民を山ほど抱えている。どちらも、相手から理不尽な暴力を受けていると思っている。終わらせるなら、双方が歯を食いしばって怒りを飲み込むしかない。両方を満足させるなんて出来ない。両方を泣き寝入りさせることができるだけだ。
結局、中東和平は水に流れた。両国トップの思惑ははずれて、パレスチナ側の憎悪を抑えることが出来なかった。それでパレスチナを責められるかというと、俺はそんなに潔白な人間じゃねーよ。たいていの小競り合いは些細なことがきっかけだったろうし。ただ言えるのは、パレスチナは無垢で無力な被害者なんかじゃなく、暴力をふるう当事者の立場を降りなかったってこと。
http://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090108/1231411955
物事を簡単に断じることのできる頭の悪い奴にとって、戦争なんて簡単なことだ。そいつが嫌いな方が悪い。パレスチナがロケット弾攻撃を加えたのが引き金になったとしても、「そんなのカンケーネー」で終わり。こいつのブログ読んでると、パレスチナは聖人君子の集まりみたいだな。イスラエルに撃ち込まれたロケット弾ってのは、あれは空から勝手に降ってきた天変地異かなにかなのか?
ハマスの政治的指導者のひとりであるニザール・ラヤンは、7人の子どもを含む家族もろともイスラエル軍に殺された。政治家が暗殺されても政治は傷つかないというのは素敵なアイディアだ。このアイディアを採用すれば、ジャーナリストが殺されても言論の自由は不滅です。
本当に、頭の悪い奴はうらやましい。こんな歪曲、おれだったら恥ずかしくて赤面モノだ。ハマスの政治の柱の一つは戦闘だろうが、同志が死ねば殉教者になり、かつ国外からの支持を取り付けられる。政治の中でも憎悪と戦闘をあおる種類は特殊なんだよ。ジャーナリストを対外武装対決を叫ぶ政治組織の比喩に使うって、どんな神経だ?
記事を読んでいくと、「イスラムと非イスラムといった文明間対立」というフレーズが出てきてびっくり。文明(国際法を守ろうとする近代文明)と非文明(国際法をスルーする未開)との戦いだと思ってたよ。
えーっと、パレスチナをこれほど高潔に持ち上げる奴が居るとは、思いも付かなかった。ハマスに殺されたイスラエル人の命はスルーなんだな。てか、こいつも本当はバカでも偏ってるわけでもないんだろうけど。単にイスラエル人の方がたくさん死んだらハマス憎しになるんだろうな。
イスラエル軍にとっては救急車も攻撃対象だ。「ハマスの活動家が寄れば"テロ施設"とみなされる」のではなく、無差別攻撃を正当化するためにハマスの存在を言い訳にしているだけなのである。
意味のない言葉遊びだなぁ、おい。ハマスって、軍事施設に絞った攻撃をしていたか?ハマスのはよい無差別攻撃でイスラエルのは悪い無差別攻撃か?
「和平」はニュースピーク。オスロ合意というのは、イスラエルの入植地建設を承認し、ファタハに金権力を独占させて「占領軍への協力者」(エドワード・サイード)にするためのもので、実態は「一片のチーズのように、穴だらけでほとんど中身のないもの」(イツハク・ラビン)だった。
ここから続くAll or nothing論法もすさまじいな。「完全譲歩しなかったイスラエルが悪人。パレスチナ/ハマスの言うことは全部聞け。段階的譲歩も許さない。結果として起きるすべての災厄はイスラエルに責任がある」。どこのスポークスマンなんだお前は。
そろそろ寝るわ。最初に書いたが、長い時間継続している紛争の当事者に完全な正義も完全な悪もいない。イスラエルに居るおれの友達は、西岸地域の近くに家を買ったが、ようやく歩くようになった娘を抱いて国境付近を眺めながら「彼らには、もっと自治を与えるべきだと思うんだ」と言っていた。ハマスだって教義に乗っ取り市民の救済や児童の教育を行っている。パレスチナに無辜の市民が居ることを以てパレスチナを被害者と呼ぶならば、イスラエルに無辜の市民が居ることも見ろ。
なんにせよ早く戦闘が終わることを祈っている。この紛争は当事者だけじゃ絶対に終わらせられない。仲介者が必要だ。サルコジにその手腕があるかどうかはわからないが、この際、彼が粘り強く双方と交渉を続け、双方に銃を置かせることに成功することを祈るばかりだ。