はてなキーワード: 小学校とは
誰でも自由に使えるようにしとくだけじゃん
小学校に道具入れあったやろ 体育の時間の グローブとかラケットとかバットとかボールとか
そこに置いておくだけじゃん 何が大変なの
現場職です。言わせてください。マジックで●●小学校って書いて体育倉庫とかに入れておけばいいとか、扱いは他の運動用具と一緒でいいという意見があったのですが、寄付されたものを最初からそんな風に扱う訳にはいかないのです。
運用がある程度落ち着いた状態でなら他の運動用具と同じ扱いということでいいかもしれませんが、今回は著名な方からの寄付ということで、学校の保護者だけでなく世間的にも耳目を集めています。
初動を誤ってうっかりした対応をすると炎上や厄介なクレームを入れられる可能性もあります。子どもも保護者も何百人も集まる学校では様々な背景で様々な考えを持つ人で成り立っていて、必ずしも話のわかる方ばかりではありません。
ですので寄付されてから運用が落ち着くまでのごたごたが今回は想像に易く、小学校はおそらく全国的にも普段から人手不足で切羽詰まっている状況ですのでこんな話も出てくるのです。
今時、「自分が大変だから子供たちが喜ぶことでもやめてくれ」なんていうマインドの人間が小学校の先生やってるとは思えないから、さすがにこれは嘘かな。
小学校の先生なんて、グローブ以前に大変なことが山積みで、今時聖人でもなければならない職業。
このグローブが喜べないような人間が小学校の先生をやっているとはとても思えない。そんな人間に務まる職業じゃないだろう。小学校の先生なんて。
ただでさえ激務の中、さらに増えなくていい仕事が増えるとしか感じられない。
元々が圧倒的な人手不足で毎日、大きな事故が起きないことを祈りながらぎりぎりのところで運営を回しているような現場なのに、新たに生まれる厄介ごとの種にしか見えない。
たぶん、教育環境に余裕が満ち足りていたら今回の寄付もありがたかったのかもしれないですが、世間の保護者に訴えたい。本当に小学校教育の中に全く余裕がない。欠員がでたら埋まらないでそのまま無理やり回してるような現場ですよ。
どうやって使う予定ですかみたいなマスコミからの電話もかかってくるし。
1年とか2年で管理職が入れ替わり、数年おきに先生も入れ替わるような現場では、寄付で実用にあまり向かないものは当たらずさわらずな扱いを受け、ちょっと落ち着いたらそっとどこかに置いておかれるような感じなのだけど、そういう扱いになるのかなぁ。
確かに距離を感じる表現だが、身内だからといって下げない、羽生さんの敬意の表れだと思います。
ウチとソトで分けて、外に向かうときはウチを下げることで相対的に相手側を上げる、という文化が日本にはある。
でも普段敬語で「山本さん」と呼んでる上司を顧客に向かっては「弊社山本が」などと言う慣習に違和感を持つ人も現代では多いんじゃないかな。心の中でさえ呼び方は「山本さん」で本当に尊敬してる人なのに、どうして下げなければならないのだろう、と。
近頃では小学校の生徒を呼ぶときでも、さん付けする教師が多いのだとか。誰かを比較して落とすことで誰かを上げるやり方は古い日本になっていくのかもしれない。
frothmouth “私は小学校で「来たときよりも美しく!」と習ってきたので、後者はどこで何を学んてきたのか…と呆れてしまいます。”
これ確かに謎だよな
小さい頃はまだ闇市が主流でね、物心ついた時には姉と一緒に焼いた豚の鼻なんかを食べたりしていた。
生まれは田舎で、たぬきがとことこ歩く姿をよく見かけたりしながら小学校へと登校したもんだ。
人里離れた村だったけど学校は立派な木造で、生徒の数もそれなりに居たんだよ。
当時はまあ大した娯楽もなかったのだし、子供の数が多いのが普通だったんだ。
中学、高校と実家暮らしで、大学入学と共に上京することに決めた。
懐かしいなぁ。あのとき母さんと姉ちゃんが駅まで迎えに来てさ、汽笛が鳴ってゆっくり動き出すと二人とも映画みたいに走ってさ、泣きながら「がんばれ!」って声をかけてくれた。
俺もおんおん泣いて「頑張るから!」と姿の見えなくなった二人にも聞こえるように必死に叫んだ。
だから死ぬ気で勉強をして、大学の頃はあまり遊ばなかったなぁ。
少しでもいい会社に入りたい。それで、ちゃんと仕送りして、恩返しがしたい。
そんな思いでいっぱいだった。
努力の甲斐もあって名の通った一流企業に就職してからすぐバブルになった。
新入社員でも給料はうなぎ上りで、毎晩先輩や同僚と夜の街に繰り出しったけ。
すべてが眩かった。
大学時代、特に想い出がなかったせいもあって、そうした思いは顕著だった。
その後、バブルは本物の泡のようにあっけなく弾けた。
翌日、出社すると他の皆が思いのほか落ち込んでもいなかったのが印象的で、仕事終わりにはいつものように飲みに言った。
でも、少しだけ口数が少なかった気がする。沈黙は雄弁だった。
その後PCが一般家庭にも流通するようになり、俺は95を買った。
家に来た初めてのパソコンがそれで、今では考えられないくらいモニターは分厚かった。キーボードも深い。
時代の流れというのは時に緩やかで、時に激しい。
それは俺の幼少時代と社会人時代を対比させているようであり、技術の進歩は目まぐるしかった。
30手前の頃、PS2が発売され、それでも俺はドリームキャストを買った。
先見の明があるから、と当時はそう語ったが、今にして思えば単に傾いていたかったのだろう。
それでも初めてKanonをプレイしたときの衝撃は今でも覚えているし、だからDCを選んだことに悔いはない。
30も半ばになると今度はVRと来たもんだ。
時代の変化は早いものだなと感心し、ファーストペンギンのつもりで飛び込んだ。
実際PS4のVRは凄かったし、最初は本当にサメに食われるんじゃないかって冷や汗を搔いたほどだ。
あの時の背中の冷たさは今でもはっきり憶えている。でも、VRは思ったより流行らなかったな…。
たまに「なんか面白いのないかな」ってtwitterでおすすめを探す。
なんだけどさ、「面白い本です!〇〇の経験がある私にはとても響きました!私は昔から☓☓で〜」みたいな、本をダシにして自分語りをするような感想が多い。内容はジャンルくらいしか分からない。
あれ何なんだろうな、隙あ自ってやつかな?
※長男(2歳8ヶ月)の発達障害(軽度知的障害:自閉症)を踏まえて
【今後するべきこと】
・年長始めまで、療育に注力
・ニガテを将来的にリストアップしておく
下記ライフプランを実行するか、会社の転勤に随伴し通常の学校に通学させるか決断する。
(入学後も中学高校等のタイミングで、下記に以降する可能性アリ)
・小学校普通学級に上がれない発達具合であれば、妻と子供達は東京へ引越してもらい、自分は単身赴任する。場合によっては関東甲信越エリアの地域総合職へ変更。(妻の実家近くで)
・以降は、特別支援学級や特別支援学校へ通学し、長男や子供の生活拠点を妻実家近隣にする。
・転勤に伴う家族の随伴は、障害がある長男には負担が大きい。転勤先で受入可能な学校も限定される事情、随伴には困難が予想されると思われる。
・会社側には育休明け時点で療育手帳含めて申告。年長となる年の10月までには、自分達の方針を固める必要あり。幼稚園の内は同伴での転勤も(したくはないが)可能性ありと思われる。
【デメリット】
私は中卒なのでいわゆる底辺なんだけど、住んでいるのが城西地区だからか、バイト先にいる大学生がバラエティに富んでる。
日大、明大は地元にあるので比較的多め。日大と比較して明大生らの性格と素行の悪さは異常。
東大は優しい人が多い印象。
あと、私の家が貧困母子家庭で底辺だっただけで、親戚は真面目で堅実な人たちが多い(小学校の校長、幼稚園園長、国立大卒医師、某有名音響機器メーカーのエンジニアなど)。
なので「底辺の周りにはMARCH出身者 "程度" ですら1%しかいない」という主張の根拠 is 何、と思った(ただのお気持ち?)。
付き合い始めの頃に昔の恋人の話をしたときあまり気分が良くなさそうな感じだったから、それ以降過去の恋愛話は避けているんだけど、子供の頃の恋愛とも呼べないレベルの思い出話でも不機嫌になるっぽくて、 なんなんだこいつと思ってしまっている。
「小学1年生の頃、ひどい寝癖を好きな男の子に見られたくなくて、夏休みラジオ体操の皆勤賞を逃してうまい棒を貰えなかった」とかいうホッコリ思い出話。
これが面白い話かどうかはともかく、こんな話をしたくらいであからさまに不機嫌な態度とられたらこっちがイライラする。
中高生の恋愛の思い出とかならともかく、小学校1年生の頃の話まで嫌がられるの本当にやりにくい。
あとイケメン俳優とかに「かっこいい!」って言うのも不機嫌になる。
嫉妬?なのか?と思ったけど、ふつうにめちゃくちゃセックスレス(夫から)だし、夫婦仲は良いけど愛されてるような実感はここ数年ない。