はてなキーワード: 天皇とは
そういう意味もあるし、天皇自身もそれを理解してか、強制するべきものではない、と発言したこともあるけどな。
ただ、今はもう、天皇崇拝の意味は無いし、ただただ"国歌"として、国を代表する歌にすぎない。
日の丸も同じ。
それらを否定するのであれば、日本そのものを否定するのと変わらない。
日本が嫌いで、日本自体なくなれば良い、というのであればそれは構わないけど、
ビートたけしは明大時代は工学部だったし、左翼活動やって逮捕中退なのは有名な話。
けどこれだけじゃな。
たとえば宮崎駿も有名な左翼。トトロが狭山事件を元に作ったかはともかく政治的なメッセージが色んな作品に見え隠れしてる。ぽんぽこは当時のニュータウン乱発への批判だし。
ドラえもんの藤子不二雄も左翼だったな。映画版では環境汚染をアニメ作品で真っ向から批判してたし、動物愛護も求めてた。
三島由紀夫のように心の通った右翼もいれば、石原慎太郎のように過去の矛盾を隠して右翼であるかのように装って見せたり、ただ親米派であればいいという似非右翼も多いし、そういう連中は官僚だったり文系大出身の政治家ってのはよくある話だし。
学習院大やアメリカの大学に進学してから政治家になった人の殆どが右傾化してるっていうのは、教育の賜物なんでしょうに。
実情として、教育方針が自虐史観の強い日本国の戦後教育とは異なって天皇も通うような士族の学校である学習院と自虐史観とかのしがらみのない勝てば官軍教育のアメリカの大学に行けば右傾化するのは自然の成り行きだし、戦後教育を享受した人間が左傾化するのもまた自然の事だと思う。
そういう意味では作家ほど右翼になりがちだし、理工系を専攻したりアニメや芸術に傾倒するような人ほど左翼になりがちなのはごく自然のことだよ。
そう考えれば、“右翼は文系、左翼は理系”という説もあながち嘘とは言い切れないんじゃないかしら。
無論、文系にも左翼はいるし、理系にも右翼はいると思うけど、問題は大多数が上の通りかどうかの話で、実際そうなんじゃないかって話なのだけど。
昨今の日韓の対立について、左翼達は橋下などの慰安婦発言だけが原因のように騒ぎ立ててるが、この対立が始まった最初の原因は、前の韓国大統領の竹島上陸と、天皇への謝罪要求発言である。
条文ごとに別記事だと見にくいし、かといって今回のようにコピペするのも面倒なので、10条以降は書いたものに追記していくことにしよう。
改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。
ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。
今日はとりあえず前文を。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義。
学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。
あと気になったのは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って部分。
「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍の原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍の原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。
今日は1条。
「象徴」であるということをどう捉えるべきなのか。「象徴に過ぎない」という消極的な意味に尽きるのか、なんらかの積極的な意味を読みこむことが可能なのか。
そもそも「象徴であ」るってどういうことなのだろう。
今日は2条。
「国会の議決した」ってことなら「法律」でいいんじゃないの、と思ってしまうのだがなぜわざわざ「皇室典範」としたのだろう。
「皇室典範」は成立要件や効果等の面において他の法律とは何か違いがあるということなのだろうか。←解決。教えてくれた人ありがとう。
今日は3条。
ひとまずは(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解しておく。
今日は4条。
自分は3条についてひとまず「(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解」したわけだが、4条を見ると「国政に関する権能を有しない」と定めることで既に天皇のフリーハンドの決定は不可能とされ、天皇の政治的実権は奪われているように思える。
だとすれば、「国事に関する行為」についても「内閣の助言と承認」を要求したのはなぜなのだろうか。「内閣の助言と承認」はいかなる意義を有するのか。そもそも「国事に関する行為」とはいったい何なのか。
今日は5条。
皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
前条2項が準用されていないのは、摂政が国事に関する行為をさらに委任することはできないということだろうか。
今日は6条。
これらは「国事に関する行為」なのだろうか。4条に照らせばそう考えるのが自然な気がするが、司法や行政のトップを任命する行為は明らかに政治性を帯びており「国政に関する」行為であるという気もする。
前者だとすれば、国事に関する行為と国政に関する行為との区別の仕方がまったく分からない。
後者だとすれば、本条は4条の例外としてなしうる国政に関する行為を定めたものと理解することになるのだろうか。だとすると、3条が「内閣の助言と承認」を要求しているのは国事に関する行為のみなので、国政に関する行為というより濫用の危険の高いものがフリーハンドで行われることになりかねず大変問題ではないかと思うのだが。
今日は7条。
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
十 儀式を行ふこと。
ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。
「儀式を行ふ」などは国事に関する行為のイメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。
今日は8条。
財政上も統制を加えるということなんだろう。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
さすがにこれは有名なのでどのあたりがポイントなのか聞いたことある。
1項は「国際紛争を解決する手段としては」という文言が何を意味するか(放棄するのは侵略戦争のみか、自衛戦争もか)という点。
というより、メンヘラを似非メンヘラと叩くメンヘラが多いんだ。
なぜ彼らが似非メンヘラというレッテルを貼りたがるかといえば、自分こそが被害者だ!と叫びたいから。
もっといえば自分以外の全ての人間に対して、俺こそが、私こそが被害者、と言いたい。その願望のあらわれだな。
で、実はこのメンヘラ(似非メンヘラ!と叫びたい人達含む)、ネット右翼の因子ではないかと思う。
なぜか。
ネット右翼とは自分達はマイノリティで被害者で虐げられていると思っている人間。
レッテル貼りが好きなのは自分以外の全てを加害者としたい気持ちがあるから。これって、メンヘラの↑で書いた精神構造とそっくり。
そしてメンヘラもネット右翼も、弱者を求める。弱者とは、たとえば「文化的に劣った」韓国や「パクることしか出来ない」中国のこと。彼らがこの二つの国をやたらと叩きたがるのは、特定アジアより俺たちのほうが偉いんだ!と言いたいから。日本や天皇をマンセーするのは、それが自分と同一視されているから。日本に誇りを持ちたいという気持ちは本来の意味のものではなくむしろ、自分に自信を持ちたいと言う願望のあらわれ。
メンヘラがなぜ被害者の地位、それも最底辺被害者であることを望むのかといえば、「最も底の人間という特別扱い」と「特別扱いされたことにより特権的な地位になり誰を叩いても良い」という歪んだ気持ちがあるからだ。
これは矛盾しているが、精神的な考えとすればそうとも言えなくはない。つまり、底辺というのは物理的には下に誰もいないはずなのに社会的には特別扱いされて社会構造の上位に位置することが出来るという非常に不思議な場所なんだということ。
だから、メンヘラがひとたび「韓国や中国、ゆとりやスイーツなどの劣った人間」を袋叩きにする快感に目覚めれば、すぐにでもネット右翼に変わってしまう。ネット右翼とは、精神的に病んでいるにも関わらず他人を元気いっぱいに叩きのめすことであたかも健常者のようにふるまっている特異な集団のことなんじゃないか?
そうすれば、メンヘラを叩くネット右翼の気持ちもわかる。俺たちこそが真の被害者、俺たちは他人を叩くことでかろうじて自我を保っているだけの精神病患者なんだ、そういう風に彼らを訴えているのかもしれないな。
憲法を読んで思ったところを書きとめる試みの8日目。
今日は7条。
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
十 儀式を行ふこと。
ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。
「儀式を行ふ」などは国事に関する行為のイメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。
憲法を読んで思ったところを書きとめる試みの7日目。
今日は6条。
これらは「国事に関する行為」なのだろうか。4条に照らせばそう考えるのが自然な気がするが、司法や行政のトップを任命する行為は明らかに政治性を帯びており「国政に関する」行為であるという気もする。
前者だとすれば、国事に関する行為と国政に関する行為との区別の仕方がまったく分からない。
後者だとすれば、本条は4条の例外としてなしうる国政に関する行為を定めたものと理解することになるのだろうか。だとすると、3条が「内閣の助言と承認」を要求しているのは国事に関する行為のみなので、国政に関する行為というより濫用の危険の高いものがフリーハンドで行われることになりかねず大変問題ではないかと思うのだが。
憲法を読んで思ったところを書きとめる試みの5日目。
今日は4条。
自分は3条についてひとまず「(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解」したわけだが、4条を見ると「国政に関する権能を有しない」と定めることで既に天皇のフリーハンドの決定は不可能とされ、天皇の政治的実権は奪われているように思える。
だとすれば、「国事に関する行為」についても「内閣の助言と承認」を要求したのはなぜなのだろうか。「内閣の助言と承認」はいかなる意義を有するのか。そもそも「国事に関する行為」とはいったい何なのか。
人から呼ばれたので、倫理法人会っていうところのセミナーに行ってみました。
内容は数人のゲストトーカーが壇上でしゃべるという至ってシンプルなもの。
倫理法人会って名前はボチボチ聞くのでなんだろう?と思ってたんですが、結論から言うとなんてことはない、宗教もどきの右翼系のソフトな組織でした。
教団の末端支部の支部長クラスが司会進行をしたり時間調整のスピーチをするわけですが、とにかくヘタです。
言ってることに内容がない、3人代表者の挨拶を連続で聞かされたけど話の内容がほぼ同じ、持ち時間の意識がない。
内容といっても「今日は素晴らしい集まりだ」「今日のトーカーはすごい先生だ」「皆さんありがとう」ていどに要約できる、関心も感動もしないものばかりで、はっきり行って眠い。
一応眠気対策に空きっ腹で拝聴+直前にアイスコーヒーという対策をしたのですが、それでも足りないほどにうす~い感じでした。
2.開催時間も閉会時間もずれてるのに、ゴメンの一言も無いのね・・・
おそらく、初来場だったと思われる若い人数名が、本来の閉会予定時間を20分ほど過ぎた時点で途中退席。
壇上にはトリを務めるトーカーが熱弁の真っ最中で
運用側の人間の顔を見ると「ええ~!?マジで?非常識な若者だ!」みたいな視線をほぼ全員で向けるわけです。
個別に人間性が低い方も居るのかと思いましたが、集団であの表情をされるとドン引きですね。
とうとう閉幕のその瞬間まで時間が押しても当たり前に付き合え的な雰囲気はキープ。
そういう組織なんですよね、きっと。
閉会後の食事会のお誘いもありました。お金を持ってる方々っぽい雰囲気だったのですが、危険な匂いもあって辞退。判断は正しかったはず。
3.全体的な構成
最初に超有名ゲストのトークです。ビッグゲストを最初に持ってきての前座トーク。
この時点で宗教臭がぷぅんと臭ってきますが、最初はそうも思わなかったんです。
中継ぎのどうでもいい人のトーク。
おそらく時間調整なんでしょうが、そもそもパンフに書いてある時間を押してるのは明らかで。
話の内容も「私以外の人は素晴らしい」という一点のみを何度も微妙にしか違わない言葉で繰り返すのみ。
せめて内容のある話にして欲しかったなぁ。
トリは天皇礼賛。
天皇バンザイ、陛下スバラシイ!の話は誰がやっても一定のパターンがあります。
「かわいそうな苦境に立った日本人のために同情して祈り続けるお優しい陛下」
つまり、かわいそうな庶民が居ないと成り立たないんです。
誰かが不幸じゃないと成立しない話は
でも、トリの人はおそらく教団内でも上級幹部。
日本人の文化や精神性の成り立ちをしり、誇りを持って行きよう。
海外の文化といくつかのジャンルを対比するなど、知的興味もそそられまくりで
確かにその通りで、自分の不勉強を反省するいいきっかけになりました。
まぁ、そんなこんなで倫理法人会。
機関紙とかよんで感想文欠かされる会社とかあるんじゃないかな?
■学んだこと
・表面的ないい部分だけチェリーピッカーとして活用し