はてなキーワード: 夏休みの宿題とは
小学校のある学年のとき、その時の担任が突然「かくし芸大会やろーぜ」と言い出した。
心のなかで「やらねーよ死ねなの」と呟いていた私は、きっと周りも同じ気持ちだと信じていた。
準備期間は1ヶ月、チームを組むもの、技を磨くもの、何かブツブツと暗記しているもの、練習と称して隠すはずの芸を披露してまわるもの、その面々を見るうちに私は自分の孤立を知った。
同じようにかくし芸大会に反旗を翻した者たちと共に夏休みの宿題を提出せずに乗り切った連中の真似事をするはずが、クラスでただ一人の無芸無能と晒される未来が確定していった。
そして私は仮病を使い、逃げ切る道を選んだ。
本当に辛かった。
死ねなの。
今でも、仕事で辛いことがあった日の夜に限ってその夢を見る。
ただ勉強をして問題を起こさなければ生き延びられると信じていた社会が、個性・特技・一芸・差別化といったものを求める残酷なラットレースの場所であると知った最初の記憶。
とても辛い。
タイトルちぎれてるっぽくて変えたけど、
『「無理して学校行かなくてもいいんやで」と言うと「軽く言うけどよ!!俺の将来どうなるんだよ!!!!」と返ってくる場合があるが、本来ならその状況以前に対策すべきだったんだよ。なので休息フェイズに入るしかない。』
ですね。
ツイッターとかに書けばいいんだけどなんかツイッターで意見言うとなんか超怒られる場合あるからここで。
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夏休み明けが一番子供の自殺数が多いらしいということで、夏休み終了時期になるとツイッターで
「つらいなら無理して学校行かなくてもいいんだよ」「図書館等に避難していいんだよ」
といった発言が多く見られるようになりました。
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それに対して
「そう言うけど将来とか考えると簡単にいかねーんだよ!!他人ごとだと思いやがって!!」
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まぁわかんなくはないけど、
骨折してるし部活休めよと言ったら「練習休んだらプロになれねーだろ!!」っつって骨折した腕で投球練習してるようなもんなんだよな。
無理したところでより悪化するし、プロになるどころかその後の人生全体に悪影響及ぼすだけだし。
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思いつめちゃうと、
「夏休みの宿題をやってなくて自殺」「成績が伸び悩んで将来を不安視して自殺」してしまった子に対して他人事じゃなく思うかもだけど、
それは例えるなら、
「おゆうぎ会で主役を取れなくて幼稚園児が自殺」くらいの…なんというか… そんなんで死ぬなよ…みたいな感じなんだよな。
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お前はそうなる前に少しでも休息をとるべきだったけれど、そうは出来ずに頑張り過ぎてしまったね。
つーか学校って「学校行くのかったりーなー」とか思いつつもまぁまぁよろしくやっていくところであって、
「学校行きたくない…でもここで躓いたら将来が終わっちゃう…。もうやだ!!!!やだよおおおお!!!!」
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「学校行かなくてもいい」という言葉に、特に関心を示さなかったり、大変な子もいるんだろうなと思ったり、まぁ実際サボってるしwwwみたく思うのが健全(?)で、
「不登校になったら将来終わるに決まってんだから行くしかないんだよ!!」みたいなマジギレ&マジレスをしてしまったらそれは赤信号なんだよな。
あとはお前が自分自身の状況を認められるかどうかというだけで。
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「クラスメイトとかが普通に登校してるのになんで俺だけ…」みたいなみじめさや、
「『普通の人生』のレールから外れてしまった!!」みたいな絶望感もあるだろうけど、
【精神ギリギリだけどずっと頑張り続けて新卒で希望職種に就くも半年で精神崩壊してn年間ひきこもり&フルタイムで働けなくなって30代なのに年収150万いかない】
という未来を避けてほしいのが俺の願いなんだよな。
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A.将来のために学校を休めなくても、それで死んだら本末転倒だし、身体と精神ぶっ壊すと超だるいから休もう。
A.休めという助言に対し「じゃあ俺の将来の保障でもしてくれんのかよ!!」みたいな思考・発言そのものが心療内科案件(ソースは俺自身)
A.実際に将来うんぬんを考えると、多くの人の今後の人生に超大きく関わるのは「大学新卒カード」なので、
不登校だろうが、浪人・留年・就職浪人をしようとも、将来やりたいことがあるならそこまでに帳尻合わせるように今休め。
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とは言っても折角休んでも、「大学入る年齢までに治さなきゃいけないんだ」「新卒カード逃したら本当に人生終わりなんだ」
みたく考えちゃうのは良くないから、新卒カードが無くてもどうにかなる将来の夢・目標も候補として考えられればいいですね。
自分の夢や目標が無いなら、他の誰かの夢や目標の手助けが出来れば…… まぁそこまでいったら治ってるようなもんなのかな。
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休息時に自分の将来、夢や目標を考えてみて、破滅的なものしか浮かんでこないときはまだ休息が必要なサインなので覚えておいてほしい。
夏休みでもないのに8月31日って意識しちゃう。夏休みの宿題って何のためにあるんだろうなあと毎年適度に手抜きしていた。夏休みの宿題の存在意義は今でもよく分からん。
嫌いな人が自分の好きな漫画や、その漫画のキャラを好き〜〜って言ってて、漫画やキャラは悪くないのに嫌いになっちゃいそうで嫌だ。まだ推していたいから早く嫌いな人と離れたい。
上手い生き方を覚えないうちにこんな歳まで生きちゃったなと思う。
ここ数日こじれた嫉妬したり、メンタル弱ったりしててどうにも調子悪い。加えて、台風のせいで低気圧と土砂降りの雨。不調が重なるのしんどいなあ。大きく辛い出来事がなくても、毎日些細に体調やメンタルが弱ったり、顔に出来た吹出物を気にしたりとかそういうことを毎日しないといけないと思うと、一気に人生が面倒くさくなる。一定でいたい。
ふとしたとき、アッ自分って何にもねえ〜〜〜〜〜〜と思って死にたくなる。経験値もなければスキルもない。そういう時ほど何かを持ってる人に嫉妬してしまうから、余計そんな自分が嫌になる。
本なんて読まない子供だったから、原稿用紙3枚ノルマだったりの読書感想文は地獄だった。
小学生の頃はゲーム大好きっ子だったし、中学時代は部活部活って感じで本なんてまるで読もうと思わなかった。
本を読むのが楽しいと思うようになったのは高校生くらいだった。受験が終わって時間ができて、家に置いてあった京極夏彦さんの本を興味本位で読んだのがきっかけだった。父や姉が読書好きだったおかげである。
現代の夏休みの宿題にも読書感想文はあるのだろうか。教養とか読む習慣を身に付けさせたいのだろうけど、本に興味がない小学生にとっちゃ地獄の期間だ。宿題も選べるようになればいいのに。
結局のところきっかけが大事だと思う。一つのきっかけで始められる人がいれば、きっかけがなくて興味が湧かない人だっている。
読書感想文を今書けって言われたら書けるかな?
やっぱり感想文は苦手だ。
今朝(8月5日の朝7:30ぐらい)、職場に向かって傘を差しながら歩いていると、台風が突っ込んでくるのに学校に向かわされているらしい子どもたちとすれ違った。
その子達は夏休みの宿題の話をしていて、つまり夏休みなんだけど、彼らは登校日だったらしい。
あんなダサイものをわざわざ背負う理由は登校するため以外にありえないから。
宿題がもう終わったらしい子供が「結局いつかはやるんだからサッサとやればいい」と口にしていて、すごく当たり前なんだけど出来ないんだよなあ、なんて思いながら彼らとは道が別れた。
今仕事が終わって、家に帰ってきて、こんなに毎日帰るのが遅かったらそのうち過労で死ぬのかなあ、なんて考えていたら彼らのことを思い出した。
そういえば、夏休みの宿題はなぜか最終日に終わらせていたなあ、と。
あの頃から自分が成長できていたとは思えないので、きっとこの人生も最後まで宿題が残って、結局老化した自分はそれを終わらせられないまま死ぬんだろうな、って。
死ぬ前にやりたいことは子供の頃たくさんあって、その大部分はテレビゲームだったんだけど、別にゲームなんてやったことなくても10年もすればどうでもよくなっていくと気づいて今はだいぶやりたいことも減った。
いつかはゲームを作りたかったけど、他の素人が作ったつまらないゲームを沢山遊ぶうちに、自分がソレらとは違うものを作れるとは思えなくなったら、結局世の中にすでにあるものを作るだけならどうもでよくなった。
プログラマーになって世の中を便利にしたい気持ちも、自分の能力じゃどこかの歯車にも食い込めないって気づいたし、歯車として食い込みたいのか世の中の役に立ちたいのか曖昧になっていく内に気持ち悪くなって進路希望を変えた。
今残っている夢は漫画を書くことなんだけど、絵の練習をするのが面倒臭すぎて目標に届かないから小説を書くことにした。
見て分かる通り、文章力を鍛えることすら何もやってない。
きっと満足行くライン、自分の才能に見切りをつけた自分を許せる所までたどり着くのに5年ぐらいかかるだろう。
途中で何十回も三日坊主になるだろうから、それすら死ぬまでにたどり着けるか分からない。
死ぬ前にちゃんと「やっぱり才能が無かったんだ。よかった仕方なかったんだ」ってせめて安心してから死にたいので、少しだけ頑張ろうと思う。
本当は7時間半でいいんだけど、寝付きが凄い悪くて30分はかかるから8時間寝よう。
なんでだろうか、
「やろう!」と決めたことを
実行できない自分がいる。
もっと言うと、
「やろう!」と決めているその瞬間に
「でもできないんだろうなーやる気なくなるんだろうな」って予感してたりして、
それは当たる。
なので、ちょっと、
「①やれる心理」と
「②やれない心理」の
法則について考えてみた。
演繹的に考えるよ。
たぶんやれなそう。
これを題材にします。
まず
①やれる心理
・作業部屋が片付いていて、すぐ取り掛かれる
②やれない心理
・部屋が散らかっていて、片づけなきゃと思う
・昨日買ったゲームが目の前にある(やりたくなる…)
…まぁそうだよね、ってくらいの箇条書きにしかならなかった。
リベンジ。
①やれる心理
・催促のお手紙が届く。早く払え!~日までに
→「やる面倒」と「やらない面倒」を天秤にかけ、やる面倒の方が傷が浅そうならやる。
でもこれだと、
やりながら「なんでこんなせなあかんねん…」って
内心ずっと思ってる。
これは非常にコスパが悪い取り組み方。
でもこれがないと動けない時はある。ある。
でもこれ書いててちょっと思ったのは、
この「天秤」は人によって色々なものを持ってるよなぁってこと。
・面倒か面倒でないか
色々。
人によって、大切にしてる天秤も、
天秤の優先度も違う。
…
これを「価値観」というんだろうな。
おかんの「天秤」だと
…そんな天秤を、
少しやる気の操作ができそうな気がした。
まぁ…
地道に、気長に、コントロールして、
そして、、、
こんなポエムを書きながら30分、
1時間、
そして1日…と、
日は過ぎていくのではないかな、と
予感しつつ、
筆をおきます。(たぶんやれない)
②やれない心理
→向き合いたくない。考えたくない。めんどくさい様子が想像できてしまう。
(誰か続き書いて、私に、いい解決策ください)
あらゆる統計がそう教えてくれる。ニュースでもそのような話題ばかりだ。
しかし、実感がない。
そう頭では理解しているが、身体は動かない。その状況に似ている。
きっと実感するのはこの数年という話ではない。三十年、五十年後のことだ。
恐らくまだ生きている。
働くことをやめる時のために、金を持っておけと言われるようになった。
やはり国として余裕がないらしい。
間違っていることを、正しい人間が絶対的な攻撃で服従させることも増えてきた。
やはり余裕がない。
きっと戦後の貧しさとは全く違うだろう。もっとドライで、救いがない。
僕らは駅前のホームレスを無視したりすることで、厳しい世界を育ててきた。
貧しくなる国で生きる上で、自分の豊かさを確保しておく以外にできることはないのか。
1度逃げる癖をつけてしまった私は、もう二度と頑張れない。
表面上は上手くこなせているように見えるかもしれないし、傍から見たら努力しているなと思われるように偽装することはできるかもしれない。
でももう頑張れない。
今日みたいに雨が降る夜は、毎回思い出すことがある。
私がまだ学校を辞める前、中学生の頃に家出をしたことがあった。
あるだけのお小遣いと食べ物を集めてリュックに詰めて、電車で4時間かけて東京に向かった。1人での遠出は初めてだった。
当時はスマートフォンなんてものはないので、持っている電子機器なんてのはガラケーとゲーム機、ウォークマンだけ。
池袋駅前のマクドナルドで朝まで過ごすことにした私は、目を閉じてウォークマンで好きな音楽を聞いていた。
とてもワクワクしていた。自分の生活圏を出たことによる興奮、いつもなら外に出ない時間にファストフード店にいる興奮。
周りを見渡した時ホームレスっぽい人や少し怪しげな女の人なんかがいたりしたが、それらも自分を興奮させる材料以外の何物でもなかった。あぁ、私は今いけないことをしている。
そんな興奮も長くは続かなかった。
5時頃になるとマクドナルドの店員が閉店すると言う。それに従い店の外に出た。
それからはひたすらに地獄だった。私は一般的なお店が10時から開店であることすら知らなかった。だからそれまでの間、どこかで時間を潰していなければならなかった。
何時間もそんなことを続けていれば、思春期のハートなんてものは簡単に砕ける。私は泣き出していた。
帰ったら怒られるのは分かっている。どうして怒られるために帰らなくてはならないんだと、私は思っていた。
でも結局私は帰ってしまった。
私はなにもかも嫌になって東京に逃げた。
二十歳を過ぎた今の私は、未だに何事にも頑張れないまま逃げ続けている。
小学校の頃のテストは100点がデフォルトだった。学校の教科書は、新学期に受け取って数日で全部読んでしまい、独学ですべて頭に入った。夏休みの宿題はふつう夏休みの1週間くらい前に発表されるが、夏休みに入る前にたいていすべて終わらせていた。
なぜこんな簡単なことを他の人たちはわからないのだろう?と不思議だった。すべてが簡単すぎた。そして、そんなことを学ぶために一日学校に縛り付けられているのが苦痛でしかなかった。
でも、そんな簡単な授業さえ理解できずに、テストで60点・70点しか取れないクラスメートたちがたくさんいたのだった。
IQは100が平均だ。この世の半分の人たちはIQが100に満たない。電車に乗ってもどこに行っても、大雑把に半分くらいの人たちはそんな人たちなのだ。世の中のさまざまな制度や教訓などはそういう人たち向けに作られている。
私は社会にたいして大小さまざまな不満を持っているけど、結局、自分のような人間はどこまで行っても少数派だし、私があれこれ考えたところで、そのやり方はほとんどの人たちには適用できないのだ。
自分、スマホゲー(以下、時間で体力が回復するゲーム全般をこの語で表す)向いてないなと思う。
やりたいゲームがコロコロ変わるし、やめたゲームをある日突然また始めたりする。体力制だと一気にプレイできないのももどかしい。根本的に向いてないんだと思う。
だが、そんな私も細々と続けているスマホゲーがある。推しもたくさんいる。ガチャも結構回した(主観)。プレイしたりしなかったり、時には1週間単位で放置することもあるが、だらだらと体力を溢れさせながら遊んでいる。
同じゲームを遊んでいる友人にそのプレイスタイルを話すと、凄くもったいない!と言いたげな顔をされる。彼女はそのスマホゲーに完全に生活を縛られていて、6時間おきに必ず体力を消費している(その上で石も割って体力回復している。凄い)。
思えば彼女は毎日コツコツ宿題をこなしていた。私は逆に、最終日一気に片付け……きれる訳もなく、夏休みが終わってから取り組むタイプだった。
他の友達を見ても大体そうだ。真面目にやっていた子はスマホゲーも真面目にやるし、一気に片付ける子は体力を溢れさせる(もしくは体力制のゲーム自体やらない)。
ツイッターを見ればスマホゲーをコツコツ真面目に遊んでいる人ばかり目につく。そんなにみんな真面目くんだったのだろうか、日本人(クソデカ主語)。