今朝(8月5日の朝7:30ぐらい)、職場に向かって傘を差しながら歩いていると、台風が突っ込んでくるのに学校に向かわされているらしい子どもたちとすれ違った。
その子達は夏休みの宿題の話をしていて、つまり夏休みなんだけど、彼らは登校日だったらしい。
あんなダサイものをわざわざ背負う理由は登校するため以外にありえないから。
宿題がもう終わったらしい子供が「結局いつかはやるんだからサッサとやればいい」と口にしていて、すごく当たり前なんだけど出来ないんだよなあ、なんて思いながら彼らとは道が別れた。
今仕事が終わって、家に帰ってきて、こんなに毎日帰るのが遅かったらそのうち過労で死ぬのかなあ、なんて考えていたら彼らのことを思い出した。
そういえば、夏休みの宿題はなぜか最終日に終わらせていたなあ、と。
あの頃から自分が成長できていたとは思えないので、きっとこの人生も最後まで宿題が残って、結局老化した自分はそれを終わらせられないまま死ぬんだろうな、って。
死ぬ前にやりたいことは子供の頃たくさんあって、その大部分はテレビゲームだったんだけど、別にゲームなんてやったことなくても10年もすればどうでもよくなっていくと気づいて今はだいぶやりたいことも減った。
いつかはゲームを作りたかったけど、他の素人が作ったつまらないゲームを沢山遊ぶうちに、自分がソレらとは違うものを作れるとは思えなくなったら、結局世の中にすでにあるものを作るだけならどうもでよくなった。
プログラマーになって世の中を便利にしたい気持ちも、自分の能力じゃどこかの歯車にも食い込めないって気づいたし、歯車として食い込みたいのか世の中の役に立ちたいのか曖昧になっていく内に気持ち悪くなって進路希望を変えた。
今残っている夢は漫画を書くことなんだけど、絵の練習をするのが面倒臭すぎて目標に届かないから小説を書くことにした。
見て分かる通り、文章力を鍛えることすら何もやってない。
きっと満足行くライン、自分の才能に見切りをつけた自分を許せる所までたどり着くのに5年ぐらいかかるだろう。
途中で何十回も三日坊主になるだろうから、それすら死ぬまでにたどり着けるか分からない。
死ぬ前にちゃんと「やっぱり才能が無かったんだ。よかった仕方なかったんだ」ってせめて安心してから死にたいので、少しだけ頑張ろうと思う。
本当は7時間半でいいんだけど、寝付きが凄い悪くて30分はかかるから8時間寝よう。