はてなキーワード: 勘違いとは
大学の学部選んだ時に漠然とあった好奇心はもう全部使い切っているのに、未だに分からないことだらけで目眩がしてくる。
会社のやってることもなんだか他所と色々違うみたいだから転職してリセットした所で良くなるとは思えん。
ただただ金と時間を交換しているだけなのに、どんどん責任は重くなっていく。
テレビゲームのボムみたいな感じで「とにかく助けてください!」でどうにか出来る年齢じゃなくなってきた。
というか自分がそれをやられる側だ。
頼んできた側の勘違いで実際には簡単なことだった時、物凄いホッとする。
いざ自分がやられる川になったら、俺の時間を奪いやがってなんて気持ちが湧き上がるんじゃないかと思っていたけどそんなことはない。
もうとにかく一番怖いのはチーム全体で死にものぐるいで戦わないといけない怪物の発見報告がやってくることなんだ。
昔は後ろの方でビクビクしながら最前線のサポートだけしてればよかったのが、自分が突っ込んでてよく分からんまま口に手を突っ込んで一か八かでトドメをさせないかとアレコレやらされる。
もう嫌だ。
趣味も完全に上手く行ってない。
もう全然楽しくねえ。
膝悪くしてからはスポーツは怖いだけで全然楽しめなくなって、足に負担賭けないようにビクビクしながら筋トレだけやってる。
ゲームも全体的に飽きてきて、大作のとにかく先が見えない感じはもうかったるいし、かといってインディーズのアイディア勝負もちょっと齧った所で昔やった何かと比べてすぐに飽きてしまう。
昔は存在価値の分からなかった「何だか良く分からないものに触ってあっという間に終わってしまうゲーム」の価値が分かるようになってきた。
とにかくアイディアだけサクっと味わえたらもうそれでいいんだって状態なんだ。
映画やドラマも展開は一通り見飽きてるせいで集中力が落ちて話が追えない。
ていうか自分が自分の思ったよりも頭が悪いらしくて難しい話をちゃんと分かろうと思ったら画面に齧りつかなきゃいけないってことを直視できない。
画面の中のテレビショーをちゃんと理解するために必死に画面に食い入ってそれだけやるって人生の使い方がなんだか凄く惨めでやりたくない。
映画館に行って集中して見てたはずでも話が分かってないことが多い。
見終わってから他人の感想を読んで自分が全然話を勘違いしてたことに気づいたりする。
なんだか惨めだ。
私生活も荒れてきて、たまに掃除や睡眠をしっかりやろうと思いつくことがあるけど、そのブームがいつの間にか去って気づくと汚い部屋で夜更かししていることが年の半分ぐらい。
体は膝以外もボロボロで、歯医者で歯石取ってもらってるのにいつも口の中がネバネバしてるような感じとか、ふとしたときに嗅いだ服の匂いの加齢臭みたいなのとか、そういうのもう全部辛くなってきた。
バイキングじゃ全然食べられないのに何でもない日にたくさん食べまくってしまい次の日は夜まで何も食べられずに過ごしたりするような、体のコントロールの効かなさがいろんな所に起きてる。
結婚式や葬式以外でしか合わない従兄弟が今何やってるのか時折気になって、そういやアイツらはこっちよりも大分器用に生きてた気がするなと嫌になる。
人間関係の健全なあり方みたいなのを身に着けられずに来たからとにかく人間と関わりたくない。
いい感じに見下しあえたら友達になれて、一方的にこっちが見下してたら関わりたくない相手、逆に相手から強烈に見下されていると感じたらそのときも逃げていく。
人間が他人と自分を比べるっていうのは当たり前なんだけど、そこにおいて尊重しあうっていうことが道徳的な正しさの上にしか存在してないような感覚がある。
もうなんか人生全部が辛い。
末期がんの患者がモルヒネがいい感じに効いてる時の穏やかな気持ちの中で「じゃあ自分の人生にどういう結論をつけていくか、頭の中だけでも整理してから終わらせたいなあ」と考えているような状態の中をもうずっとずっといつまでも生きてきた気がする。
そこから突然、なにかが変わって人生が好転しだす可能性を信じてた。
世の中じゃこういうのを「人生が始まってることに気づいてない」みたいに言うらしいな。
いつの間にか始まっていた人生がいつの間にか終わっているただそれだけなんだってことを納得しておけばいいっぽいのは分かってる。
生まれた家とか時代とかDNAとか子供時代の過ごし方とか就職先の選び方とか人間関係とかそういうのにたらればを持ち出すのは無意味だってことも分かってる。
少なくとも生まれてきた瞬間に決まるものについてタラレバを考えるのは無駄だ。
「魂の実在を信じているのか?異世界転生するライトノベルみたいに?」って話だ。
科学を進行しているので魂や輪廻転生は信じてませんって考えてるくせに、どこかで「もしかしたらこうだったかも知れない自分」を空想しているのが本当に無駄なんだ。
「生まれ変わったら今度はこういう風に生きよう」みたいなこと館上げるのは、タイムマシンで意識だけを過去に飛ばせる実験がどこかで成功したのを聞いてからにすればいい。
今の時代に生まれた自分たちの意識において、過去に飛ぶとかやりなおすとかは無関係なことなんだ。
空想の中でそれをやって、空想の中で満足するだけならまだしも、そうやって作戦を練ることで人生が好転する可能性を信じているならそれは科学を進行している人間として実に奇妙な状態になる。
なんたらの賭けの亜種として、もしもそんなことが起きる可能性があったならちょっとぐらいは準備しておくのもアリかもって範囲ならまあいんだろうが。
でもなんか自分含めて皆があーだこーだ考えすぎている気がしてならん。
今の自分じゃなかった可能性の今の自分を考慮して何の意味があるんだろう。
「もしも3月31日生まれじゃなくて4月2日生まれだったら学年一位だって取れたかも知れない」みたいに考える時、そもそもその2日違いの生まれの間に意識は全く別物へと変容していて、今の自分とは別の魂で動く別の人間だったはずなのに。
肉体より先に魂がこの世界にあると信じるならそれでもいいが、それならもういっそ割り切って「ハズレを引いたなりになんとかやっていくループ」として今の人生を生きればいいのに。
前世の記憶が引き継げたりしないルールっぽいのは明白じゃないか。
異世界に行った時に備えて現代知識の勉強をするために現代社会を生きるのは完全に無駄だ。
魂の実在を過剰に信じてたらればに執着して生きるってのはそういう生き方だ。
って頭で分かっているのにそういうのに縋ろうとしている自分に毎日出会う。
どうしようもなくなった人生に逆転のワンチャンスを与えてくれるなにかを信じて。
こうやって自分を説得しまくってもまだまだ魂の実在を信じて脳がタラレバを考える。
だってもうこんなどうしようもない人生を今から立て直そうとするのはしんどすぎるから。
本当にしんどいんだ。
役職付きの上司が一見明るくて優しいんだけど仕事のトラブルには関わらず逃げるし面倒事は避けるし、あともうちょっとで終わるからがんばれがんばれ♥じゃお先に失礼みたいな人なんだけど結婚してるんだよね。
家でも嫁を騙し子供を騙してるんだろうな。家族に心底同情するわ。男運無かったね。
研究者の書いた政治史は、基本的に政権に対して批判寄りのスタンスで書いているものが大部分。社会保障周りだと若干御用学者的なものがあるが、それでも批判的なコメントを散りばめることは必須。
自分も研究をかじらなければ、消費増税が大問題であるかのように勘違いし続けていたと思う。ちなみに消費増税を大問題扱いしている例外的な学者としてはリフレ派経済学者がいるけど、政治や社会保障についての記述がほんとうに酷くて、基本的に真面目に読めるレベルものがない。
たまに聞くけど、そんなことって本当にあるんだろうか。体験者がいたら教えて欲しい。
相手が自分に話しかけてきたり、何か特別なことをなんにもしなくても、
(あの人は私のことが好きに違いない!)って盛り上がっちゃって、
「そんなことはありません」って言われても、「またまた照れちゃって~」ってなっちゃうやつ。
その逆ならワイはデフォルトなんだが。女の子とせっくすしてるとき、
(なんでこの子はワイのちんこなんか挿れられてるんだろうなー。まあワイが気持ちいいからなんでもいいけど)
って毎回毎回心のなかで思ってる。いちどそんなことを相手の女の子に話したら、
「私は増田さんのことが好きだから、好きな増田さんのだからですよ。分かりませんか?
お金ももらわないのに好きでもない人とこんなことしないですよ。二人っきりになるのも嫌ですよ」と、
上半身を起こして、おっぱい丸出しで強めに言われた。説教かな。怒ったのかな。
その後ベッドに四つん這いになってお尻を上げて、「こんな恥ずかし格好できるのも、
なんかコメントもらって気づいたけど、たぶんファンを大事にできる人は、自分のことを超大事にできているのかもなあ。自分に「弱者男性」とラベル貼っている人を好きになるのはなかなか難しいかもしれない。好意を示したら「俺が嫌いな俺を好くバカな奴」と下に見てくるか、みんなに示している好意なのに勘違いされるか、になりそうで。
「未だにこんな増田で勘違いしてColabo叩きしてるブコメを記録しておこう」って増田を書いて、即はてなID特定された上にセルクマバレてボコボコに反論されて挙げ句垢消し逃亡したkeytrackerくんだと思ってる
https://megalodon.jp/2023-1022-1747-15/https://anond.hatelabo.jp:443/20231022104241
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自分は郊外(国分寺国立あたり)に住んでいるのだが、銀座や渋谷、新宿の友人に「ここのお店美味しいよ~」と連れてこられて、満足して帰った試しがない。
なんならニューヨークなど行った時も、満足して帰った試しがない。
なぜならコスパが悪いからだ。例えて言うなら、ワイヤレスイヤホンを買った時の感想に近い。同じ価格帯なら有線の方が高品質なように、
「同じ価格を払えば郊外ならもっと美味しく食べられたのになあ」と思ってしまうのだ。
たとえば串焼き屋。恵比寿あたりが人気だが、国分寺の串とらに比べると「中途半端感」が際立ってしまう。
ちょっとおしゃれな場所ともなると、冷え冷えの串が出てきた瞬間冷める。
渋谷や銀座の人気店に行くとどうだろうか。若者向けの、濃い味付けで古い野菜と肉の香りを誤魔化している不味さ。
結論、美味しい店を探したいなら都心じゃなくて郊外の方が質が高い店と巡り合える。
日本食だとやはり近藤や野田岩に劣るが、しかし店の質としては郊外の方が満足度が高いのだ。
銀座や渋谷、恵比寿や麻布で舌つづみを打っているのは、上京したてて腐った肉や野菜を都会の味だと勘違いしている田舎者だけだ。
「配信者として誰かと個人的にそういう距離感で会話することはできない」
「いわゆるガチ恋はお断りします、個人的なDMは受け付けません」
って書いたらいいよ。
そういう勘違いガチ恋男は結局のところ心底あなたでなければならないわけではなく、
いなくなれば他の女のとこで同じ事やるだけだからね。
若いというだけで全ての人が将来高スキル人材になれるわけじゃないからな。普通難度の知的作業を普通にこなせる程度の知能じゃ機械に取って代わられる時代なら特にそう。
介護産業は、直接は輸出・外貨獲得には繋がらないが、低スキル人材がこれを提供することで高スキル人材の介護離職を防げる、経済性の非常に高い分野だ。
よく勘違いされてるが、団塊や団塊ジュニアが死滅した後も、高齢化率は悪化の一途を辿る。高齢化率は出生率と平均寿命で決まり、出生率は団塊ジュニア時代よりも悪化しているからだ。厚労省の試算では、いま30%に過ぎない高齢化率は40年後は38%に増える。
人口減少に伴い市場規模は縮小しても、介護産業がGDPに占める割合は増加を続ける。
ちょっと違う話ですまないんだが、
一つはボケた婆さんが、カートに寄りかかってると楽だから自宅まで押して帰っちゃう奴。