はてなキーワード: ミッキーとは
リアコじゃなくても何故アイドルが結婚したらモヤっとするのか?自分なりの結論が出たので、書きとめておく。
これは私のオタクスタンスに基づく考えなので、すべての人がこれにあてはまるわけではないと思うが、「なんで素直に結婚を祝うことができないの?自分が推しと結婚できるわけでもないのにw」というお決まりのフレーズに対する答えの一つとなれば。
まず、私が信じている「オタクと演者の関係性」について述べたいと思う。
アイドル含む演者すなわちステージに立つ人間にとってのいちばんプリミティブな欲求は「見られたい」「愛されたい」だと思う。そして、それを満たしてあげる(敢えてこういう言い方をしますが)ことができるのは、ファンだ。
パフォーマンスを通して「見られたい」「愛されたい」というメッセージを放出する演者に対し、ファンはそれを受け取って、推しを見つめる視線や拍手や歓声という形で応える。時よっては熱い想いを送るファンに演者がファンサという形でさらに想いを返してくれることもある。こういう幸せな愛情の交換が現場では成り立っていると思っている。
アイドルがアイドルでいる限り、オタクは「身の丈に合った相手を好きにならなきゃいけない」とか「重すぎたら嫌われるかも」といった現実の人間関係における制約をすっ飛ばして無限の愛情を向けることができ、アイドルはオタクから注がれる膨大な愛情を受け止めてくれる。
愛情を受け止めてくれる(無視や拒絶をしない)こともまた愛なので、「受け止めてくれた」と感じられることによって、オタクはアイドルからの愛を受け取っている。(これはファンサや直接的な「ありがとう」の言葉に限らず、「愛してもよい存在」としてそこにいてくれること自体がアイドルからファンへの愛だと思う。)
これはオタクをすること以外では得られない関係性だし、おそらく演者にとっても同じく、ファンとの間でしか成立しない関係性だろう。私は、それが自分にとって最も尊い「愛」の形だと信じている。
(実際には推しに干されることもあれば、えげつない集金やクソみたいな運営に振り回されることもあり、綺麗事だけではない部分もあるが、この幻想を信じられるからこそ綺麗でない部分も飲み込むことができる。と私は思っている)
先ほどから「信じている」という言葉を何度も書いているが、この関係性は概念であり一種のロールプレイであり、言ってしまえば「幻想」である。
アイドルとオタクの間にこのような関係性が存在することをオタクが信じ、アイドルが信じさせて続けてくれることでこの「幻想」は成立している。
しかし、演者の結婚は、これが唯一絶対の「愛」の形ではなく、さまざまな「愛」の形の一つであり、相対的なものでしかないことを嫌が応にも突き付けてくる。
私の愛する貴方はステージの上でしか生きられない人間なのだと、ステージ上と客席で想いを交わし合うことで史上の愛を感じている人間なのだと信じたいが、実際にはそうではなかった。
それが明確にわかってしまうと、途端に自分の信じていたものが陳腐に見えてしまう。
芸能人の熱愛や結婚が発覚したときによく「ディズニーランドのミッキーが着ぐるみを脱いだ」という例え方をされるが、ミッキーが着ぐるみを脱ぐことはミッキーだけ問題ではなく、ディズニーランドという「場」への崩壊であると思っている。
(少なくとも私にとっては)推しの結婚は自分がオタクをすることの決定的な終わりではなく、パフォーマンスが好きな限り推しの出演作を観に行き続けるだろう。楽しむこともできるだろう。
でも、「ステージ上と客席で想いを交わし合うことが、私にとっても推しにとっても史上で唯一絶対の愛の形」という幸せな共犯関係のような幻想は失われ、二度と戻ってはこない。
結婚によって推しのすべてが損なわれるわけではないが、私がとても大切にしていて、推しとも共有できていたと信じていた一部分はポッカリ穴が空いたように失われてしまう。
ズン!ズン!ズン!ズン!
ジャンボリ!ジャンボリ!ジャンボリ!ジャンボリ!ジャンボリー!
あのさ、
ニュースになっていた、
中条きよし議員のカサブランカ浪漫宣伝しちゃっていたことを釈明するのに「うそ」でした!って言ったらまた宣伝になるのかしら?
あとこれ前にも言ってると思うけど、
のど自慢の時にゲストで中条きよしさんが出てたときに最後ゲストの歌コーナーで歌を歌ったあと
小田切千アナウンサーが「中条きよしさんで『うそ』でした~」って言ってて
ウソだったんかーい!ってなんかちょっと面白くなっちゃってたことがあったのをいつも思い出すわ。
もはや宣伝としては秀逸だったのでは?って思うし、
いや「うそ」でしたー!って言って欲しいけど。
と言うわけで、
快調よ!
結構忙しいのよね。
そう言ったお仕事とは関係ない部分のプライベートなところがこれは充実しているのかどうだか分からないけど、
元も子もない子をかるには虎穴に入らずんば虎児を得ずって言うぐらい
元も子もない子はどこの子?
お尻を出した子一等賞のあれ?
よく分からないけど、
これをおつまみにしたり、
ソッコウ海鮮丼もできんのよ!
あれ調子に乗って美味しくなると思って長時間漬け汁に漬け込んでいたら
塩辛くて食べられないご飯が進むにもほどがあるわっ!ってぐらい
ご飯すすむ的には良いんだけど、
いささか塩辛い加減がいるので、
もうあの漬け汁につけておく時間は
10分ぐらいでいいのよ!
まあお好みかも知れない時間かもだけど、
これがまた絶妙な漬かり具合で
しばらく冷蔵庫で寝かせておくと漬けたてを食べるよりマイルドになって
より海鮮丼の丼の具材の一員として活躍してくれるとても美味しい味に仕上がるの。
冷蔵庫にでもしばらく入れておいて馴染みあせたら
美味しいわー。
美味しいお刺身の柵が売っている気合いの入っている鮮魚店を見つけることが出来たので
今まで言ってなかったマーケットだけに
灯台下暗しを地で行く感じで
でもセールで美味しいお刺身の柵がゲッツ出来ることを発見してしまったので
漬けには困ることがない海鮮丼には満足よ。
お刺身半分漬け半分にして楽しめばまたお魚天国を歌い出す気持ちを抑えきれない衝動を
だれもこれ説明がないと海鮮丼が美味しいときに歌った歌だとは思わないわよね。
あれは一切りで一気に切らないと
刃を往復させてしまうと
あれだから刺身包丁は一気に切れるように長い理由がそこにあるのよ!
ゾウさんも好きだけどキリンさんも好きだけど
でも大は小を兼ねるって言うけど、
お刺身包丁が欲しい気持ちを我慢して洋包丁でもまかなえるので、
うふふ。
与えられた手札で戦うのが朝のサンドイッチ道よね。
味はしっかり美味しいのでまあよしとするわ。
レモン1玉買ってきて輪切りアンド搾り果汁を炭酸レモンウォーラーに投入で
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
なんでヘイトが本人の方ばっかりに行くんだろ?
ミッキーはファンの前で被り物取らない理論は被り物脱がそうとしてくるやつがいないから成り立ってるだけやん
実際やばい人がうおお!!!ってディズニーで暴れてミッキーの頭取ってこれが正体だ〜!ってやったとして中の人の顔がネットに流れても叩かれるのはやばい人やん?中の人のプロ意識が〜とか言う人おらんとちゃう?インターネットならおるような気もするけど
さんまさんのやつはつまりファン大事にせえってことで彼氏は作らないかファンの為に完璧に隠しとけ的なアレでしょ
じゃあなお暴いたやつが悪くない?報道されてない時の節々から男いるな…って気がつかれてたとしてそんなん微塵も思ってなかったファンもいるわけやん?
なんでなんだろ
元だけどそもそも深夜に上がって即消えたトラバ先読んでる訳ないのに口挟んでんじゃねぇよ
偉そうにしてるが増田にいる時点でお察し、ただの意識高い系が小娘に説教垂れて気持ちよくなりたいだけだろ
私は運営でもないし「もしトラバ先の『推し』だったらそう思う」ってだけの話。そこで業界の発展〜とか出てくる方が商売視点でしか見てなくないか?
地下でしかやったことないって当たり前だろ、まさか地上波に出られるアイドルと地下アイドルを地続きの業界だとでも思ってる?接触できる程度の地下アイドルをエンターテイナーとか言ってる時点で笑えるわ、あそこら辺の業界は綺麗めにコーティングされたただの水商売だよ。水ほど体制しっかりしてないし学生のバイト以上のプロ意識持ってるわけない、そもそも大したビジネスでもないのに業界の発展なんてあるはずない、運営すら目先の金回収することしか考えてないよ
私が言いたかったのはあくまでファンのスタンスの問題、キャバクラと一緒で夢を見る場所だから遊び方間違ってるよってだけ
ディズニーのゲストがミッキーを楽しませたいとか言ってたらちゃんちゃらおかしな話だろ?OLCほどの大企業だったら成長のためにミッキーを楽しませたがる客をもてなすことも必要だろうけど自転車操業で一時金稼げればOKなところではそんなの意味ないし客にも自覚させた方がいいと思ったから言っただけ
ジャンボリミッキーとベイマックスハッピーライドの楽しげな歌詞と楽しげな踊りで人々を魅了させる様子が怖かった。
構造の、
楽しげな曲を流し、真似しやすい楽しげな踊りを先導者がして見せる
↓
楽しそう、と思った聴衆が曲にのって体を動かし真似をする
↓
熱狂的な人(アトラクション回りで完璧な振り付けをし一般客に手を振る一般客)とライト層の人に分かれるが、そのような人々が人を呼びダンス母数が増えていく
という仕組みが怖い。
そもそもキャストの人と手を振る文化も・・・とも個人的に思うが、手振りやダンスは一体感によって生まれる中毒性があるのだと思う。
一体感の快感にハマりすぎてる本人は楽しいと思うのだろうけど周りで見ている分では怖い。
大人も子供に戻れる場所だから良いのだという考えを知り、ジャンボリミッキーを踊る大人は、同調する快感や肉体をリズムに合わせて踊らせる快感などの本能を解放して全力で快に浸りたいという欲望の発露なのだと思った。全然子供に戻りたくないし本能を解放して生きる事が怖いから怖いのだ。