一時期、生駒駅徒歩北側10分ぐらいのところに住んでいた事あるけど、確かに便利は便利かも?のどかでもある。
近鉄百貨店生駒店がある間はちょっとしたもの買うだけならそこで済むし、選択肢広げたいなら大阪に出て買い物すりゃいいし。
家賃相場もそんなに高くはない印象。平らな土地が少ないのと、地元の産業が何かあるわけじゃないって所で人の集まりが悪いのかな。そう考えるとリモートには向いてるかも。
それにしてもフルリモート羨ましい。
いうて美形か?
使い古されたコピペだけど、釣られる人は多そうだな
昔バイトで入ってたことあるけど、割と真顔かきつい表情が多いと思う
ダンスとか寸劇みたいなのは掛け合いの音声に合わせて間違わないように覚えて動かなきゃいけないから真剣だった
背丈小さい着ぐるみだと、空気椅子みたいな姿勢じゃないと入れなくて、足の関節に固定具みたいなのつけなきゃでガチきつくて修羅の表情
スーパーの一階出入り口のはしっことか駅やバスセンターのすみっことかにこまこました部品や客から預かった靴の詰め込まれた棚が天井まで続いてる小さい小さいスペースの店があるじゃん、多分日本全国どこにでもあるだろうあそこで人生初めて靴を直してもらった
それまでなぜ機会がなかったかというと直すほどのいい靴を履いたことがなかったからなんだけど
まあちょっと高い靴買ったり早世した叔父(足の小さい、バブル期が全盛期の几帳面かつスノッブな人だったので現在30代の私も履けるすばらしい本革靴やデッキシューズをいくつか遺してくれた)の形見の靴もらって履いたりすることはあるけれどそれも特に直すようなことはしてこなかった
マジで高い靴はすげー丈夫全然壊れない!だから全然機会がなかったんだよね手入れは面倒だけど 1万円以下の靴なら修理代出すより新品を買う方が長期的に考えると結局安いのではと思ったり
これまでは事実そうだったのだと思うけど今年の4月に買った合成皮革のビットローファー8900円税別、高いとはいえない靴だけどデザインが最高のやつだったんだ
私がずっとほしくて履きたいと思ってた形そのものの靴でこういうのってめったに出会えない
購入する段からビット(甲の金属飾り)と靴本体をつなぐ皮の部分がなんか弱々しくて不安だなとは思いつつも店舗も倉庫の在庫ももうその一足しかないってことでそこは目をつぶって買って色んな服に合わせて履きまくった
好きな形の靴手に入って嬉しくてちょっと調子にのって人より多く歩いたりしたかもしれない、5月のある日ビットをつなぐ細い弱い革の親指側の部分がぶちっと音を立てて切れた!出先だぞやめてくれ
小指側の首の皮一枚で宙ぶらりんになった金属部分を本体と足の甲との間に押し込んでよたよた家に帰ってうそだろ買ってまだ1か月だぞって泣いたけどあまりにその靴の形が気に入りすぎており、このまま捨てたりしたくないので頑張って一回自分で縫って直した
わりと綺麗に仕上がったので自賛しつつまたルンルンで履いていたけど6月入ってまた切れた!出先だぞやめてれくれ②
そんでもう仕方ないからプロに頼ろうと近所の靴修理の店に行くことにした
通勤退勤途中の駅の入り口にあるから兄の顔(親の顔よりは見てない)より見てる店で、それでもその店を一回たりとも利用したことない事実に不思議な気持ちになりつつめちゃくちゃ緊張して訪ねていった
お店の男性は淡々と靴を見て対応してくれて受取り日のメモを書いてくれて、革を取り寄せるのに少し時間がかかるそうで10日後に引き取りということになった 皮あて代金は一カ所で1400円ほど
思っていたよりも安いしこれならいいかと思って頼むことにしたけどあの手のお店先払いじゃないのね
電話番号等もまったく聞かれず名前も苗字しか書かずてこんな簡単な感じでいいんだと驚いたのだった、すごい新鮮な体験 あと靴は壊れてないほうも持っていく(事前に調べた)
一応ネットで下調べしてお店の評判とか見たりしたけど書かれてる以上でも以下でもない感じの対応で淡々と不愛想の間くらい、つまり何事もなくごくふつうであり、そこで緊張の糸がやっと解けてホッとしたのだった
で、10日経ったきのう靴どうなったかなーとどきどきしながら引き取りに行ってきたんだけど、持ち込み時受け付けてくれた人とさらにもう一人違う店員さんがいて、その人にメモを渡した
奥にいた持ち込み時に引き受けてくれた人がメモを見てすぐに私の靴を棚から取り出してくれて目の前に出してくれたけどもう一目みただけでめっっっちゃくちゃきれいに直ってる触ってもきれいに直ってる
なんならもとの仕立てよりずっときれいな縫製で直してくれててすげーーーってなった丈夫で全然壊れなさそう!
もういっそ他の3つのつなぎ部分もまだ壊れてないけど先んじて革を交換してほしいレベルできれいになっており思わずそれが口をついて出そうになるほどきれいだった!買ったときの50%以上の値段になるからさすがに実際に頼みはしないけれどやってしまいそうだった
メモを受け取ってくれた人に代金を手渡していると、持ち込んだ折に受け付けてくれたほうのかつてはやや不愛想かとも思えたその店員さんがこちらへ来てどうでした?って聞くから、私はすごくきれいです!ありがとうございます!って頭の中にある感想まったくそのまんまをばかみたいに口から出して伝えた
そしたらその人は破顔一笑光り輝くような笑顔になって、なんとか再現してみました!ってその新しくなった皮部分を指してものすごくうれしそうな顔で言うから初回の淡々とした表情とのギャップも相まってなんかもうこっちの方が嬉しくなってしまって嬉しくなってしまってありがとうありがとうありがとうございますって何回も言って美しくなった靴を袋に入れてルンルンしながら帰ってきたのだった
帰宅して玄関で靴出して所定の位置に置いて上がり框に座ってまた眺めて仕上がりのきれいさ、縫い目の均一さ、ぴったり本体に寄り添った新しい合成皮革のハリのある感触、それを丁寧に作業してくれただろう人の手さばきまで靴から見えるみたいで今日になって玄関で見てもまだずっと嬉しいのだった大事に履こう絶対大事に履こう
依頼する方の立場からは本来は見られないような気がする仕事の結果に対する純度100の素直な喜びを不意に見せてもらったようでそのきらめきがめちゃくちゃ目に焼きついてしまった感じがする
靴直しに行って本当によかったー
ロシアのZ-スネークピット全体が今、その劇的な暴言に手をひねっているのが大好きだ
「祖国は危機に瀕し、ロシアの血が流され、内戦が進行している。」「圧倒的な襲撃の中、英雄的に前線を守り続けている正規軍に対する背後からの刺し傷である。」
「苦難と困難の陰惨な時にこそ、名誉ある男たちは誠実さを示し、最も邪悪な敵と神聖な防衛戦を繰り広げている共通の母なるロシアを救う必要がある」
「モスクワで今何が起ころうとも、親愛なる兄弟たちよ、手にしているものは何でも使って、ホラーたちを殺し続けろ。ロシアより大切なものは何もないのだから」。
哀れなエゴと愚かな似非歴史的陰謀論に取りつかれた妄想癖の独裁者が、アドルフ・ヒトラー以来のヨーロッパ最大の侵略戦争を引き起こしたのだ。
自分たちは世界を支配するためにここにいるのだから、欲しいものは何でも手に入れる権利があり、ノーと言って反撃する者は誰もいないと考えたからだ。
その結果、約16カ月前、ヨーロッパの大国に対する電撃作戦の試みとしては最もお粗末で、最も無能で、最も自信過剰なものであったにもかかわらず、あなた方は驚くべき屈辱的な敗北を喫した。
ルハンスク州のどこかで失われたまた別の養豚場を占領して「ナチスとNATOに対する大勝利」を主張し、「解放された」と宣言するためだけに都市を地上から掃討するという、最も不合理な方法を続けたのだ。
何カ月もの間、あなた方は無意味な10日間の「特別軍事作戦」を戦っていた。そのような利益を得る余裕など、どの軍事大国や国家にもないやり方だ。
決して負けを認めないために、あなたは21世紀にとって最も想像を絶することを行い、常態化させた。
残虐行為と集団墓地、肉挽き器による攻撃で死に追いやられた大量の自殺志願者、去勢、斬首、切断、民間人でいっぱいの大都市の平定、核の脅威、真冬のヨーロッパ諸国から暖房と電気を奪う爆撃作戦、チョルノブイリ以来最悪の人災である生態系災害、ヨーロッパ最大の原子力発電所の前例のない占領と軍事化。
あなたは、長年にわたる宣伝の虚勢と洗脳の根底にあったものを完全に明らかにするような、信じられないような失敗を続けた。
ドンバス一帯を、見渡す限りの廃墟と死体の散乱する過疎の砂漠と化した。
2014年にあなた方を信頼し歓迎するほど世間知らずで愚かだったドンバスの無数の強制動員された男たちを、あなた方は無分別に虐殺した。
プーチンを王座に座らせること以外に目標も計画もない愚かな戦争のために、あなたたちは怪物--巨大な傭兵軍団、今やあなたたちに対して顎を向けるのに十分な強さと大胆さを備えた肉挽きマシーン--を育てた。
哀れなナチスのクズどもよ、自ら作り出したクソの山に溺れるがいい。
お前たちは終わりだ。
自業自得だ。
そして、歴史はこれを史上最も非常識で愚かな戦争として記憶するだろう。
―イリア・ポノマレンコ
立川も八王子も駅前は多少栄えてるけど、ちょっと歩けばウチの近くと似たような景色になる。ハリボテみたい。海もなければ多摩川も遠いし、デカい公園もない。昭和記念公園は金を取られる。
いくらかマシな駅前でも、遊ぶには金がかる場所ばっかりだ。高校生の頃、雑費込み5000円の小遣いじゃ大した事はできない。電車に乗って遠くに行く機会も中々ない。
昔一回嫌気が差して新宿まで出ようと決めた。大学入るまで電車通学したこと無かったから、知ってる「都会」が新宿くらいしかなかった。金がもったいないから行きは歩き。
国立から線路沿いに歩いて、三鷹辺りまでは似たようなつまんねー町並みが続いた。無機質なコンクリの高架と、その足元の人が入ってんだか入ってねーんだか分からんピカピカの商業施設。それを囲む家。時々森林。つまらん。
でもそこらを通り過ぎると個性が見えてくるようになる。まず駅前の雰囲気が画一的でない。でけえ掘っ立て小屋みたいな駅舎とツルツルのアスファルトの閑散としたロータリーみたいなワンパターンじゃない。駅の形がおもしれえ。
乱立する店も金はねえから利用はできないが、それでもプラプラ歩き回りながら眺めてるだけで楽しい。
マックや松屋、ビッカメやルミネを眺めていても何も楽しくねえけど、ここは違う。見慣れない街への新鮮さもあるだろうけど、それ以上の何かがある気がした。街に色があった。
中野で断念しちゃったけど、今でもアテもなくフラフラ歩き回るのがすきなおれの原体験だ。
大学も多摩だった。おれはもう一生をここで過ごすのかもしれないと思った。このままでは魂が多摩色に濁ってしまう気がして、わざわざ都心のバイト先を選んだ。初めて目白という地名を知った。往復1000円弱がタダになるのはデカい。
無駄に一人暮らしして、最寄りが中央線から京王になってなんか新鮮だった。多摩内を南西に移る虚無の引っ越しだった。
中1までは本気で日本の電車とは中央線が北海道から九州まで繋がってるもんだと思ってた。乗り換えという行為の意味が謎だった。
新宿での乗り換えで一旦駅を出て、覚えたてのタバコで一服するのが恒例だった。西口の喫煙所でモード学園のビルを眺めながら一息ついてると主人公にでもなった気がした。
目白ではバイトの休憩中に学習院へ侵入して一服するのが好きだった。キャンパスがおれのとこと違ってザ・大学って感じがした。附属の生徒が構内を歩き回っていた。おれの母校も小中高一貫校で、小学生が学食でチョロチョロしてるのが嫌だったのを思い出した。
マックスキャロットに行こう行こうと思っていて終ぞ行かずじまいになってしまった。今度行かないとな。
一回金なさすぎて目白から帰れなくなった。みどりの窓口がある池袋まで歩いて、Suicaを払い戻して現金を手にし事なきを得たのも思い出深い。
この頃から都心の雰囲気に少し慣れ始めた。同時期から服装に気を遣い始めたのもこれと無関係じゃなかったかもしれない。
元々フラフラ歩き回るのが好きだし、そのステージが多摩から遥かに豪華になったのが嬉しくてたまらなかった。都心はすげえ。立川より立派な街並みが隣の駅まで歩いてもずっと続いてる。バイト代もあるからかっこ良くて履き心地の良い靴も買えるようになった。
バイト帰りに、当時流行りだしたサウナへ寄って一泊するのも好きだった。親の同意書も要らず外で泊まれるようになったのが嬉しかった。まあ以前も自分の字で書いて出してたけど。朝から一風呂浴びて、さっぱりした身体で上野や錦糸町をふらつくのも新鮮な体験だった。
バルト9では深夜も映画が観られる事を知った。ゲーセンもファミレスも夜は閉まってしまう時代で、こんな場所があるのかと思った。夜を映画館で過ごすなんて、マンガや映画に出てくる不良少年みたいな体験で興奮した。
終電で適当な駅に降りて、夜通し歩き回るのも好きだった。夜中の鵠沼海岸でボーッと波の音を聞いたり、誰もいない江ノ島を歩き回った事もあった。