アイドルマスターシンデレラガールズが好きで、色々見聞きするのも好きだ。
色々な情報を入れていると、どうしても自分と合わない界隈があるなと気付くことがあった。
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小さい場所なら見ずに過ごしていけそうだったが 自分の場合、それが関○美界隈だったものだったので なかなか防ぎきれず大変だ。
そもそも彼女のPはかなり熱心な方が多く、またその熱心さが他のPにも尊敬されている…ような感じがあり 彼女のPを何人もミュートにしても全然違うところから彼女の話が飛んでくる事もあった。 時には担当外の人をも動かす行動力等には確かに「凄い」と今も思ってはいるのだがそれ以上に現状は「彼女の話題を聞くのもつらい」と思っている。
きっかけは些細だった。 第6回総選挙期間前か総選挙期間中にこんなようなつぶやきを見かけた。 「Cuの声が増えなかったのはCu担当として悔しい。 だから、Cuの中でも声つきに一番近い彼女に票をいれてくれませんか?」 正直「は?」と思った。 前半は分かる、個人的モヤモヤは後半だ。まるで「他のCuには全く可能性がないから切り捨てろ」と言わんばかり。 「Cu全員頑張ろう、それとウチの担当もCuでいい順位だったから一緒に応援してくれ」 とかならまだこんなに「は?」とは思わなかったのかもしれない。 その一言がきっかけとなり 「もしかしてこの界隈、自分より順位の低いCuアイドルをそっと見下す界隈なのか?」という 証拠のない疑念が彼女を見る度に浮かぶようになってしまったのだ。 追い打ちはこれまた些細で 彼女を取り囲む界隈が少し苦手になりつつあった時、「実質関○美」という言葉を何かにつけて見るようになった。 気持ちは分かる。現実のモデルさんが似た髪型だったりするとそう関連付けたくもなるかもしれない。 次第に「実質~」は範囲を拡大していき あるときこんな言葉を目にした。 「○橋○子は31歳だから実質~」 二回目の「は?」だった。 31歳→彼女は31位→実質 という流れなのだが どうしてもただのネタとしては受け入れられなかった。 現実の誰かだったりならば「もし彼女が現実にいたら?」という例えにもなると思う。 しかし先述の言葉は同じ作品に登場する別なキャラを彼女の代替の様に扱っているように見えてしまった。 ○橋さんは○橋さんだ。彼女の代わりに登場したのではない。 ○橋さんの存在を消すようなこの発言に「もしかしてこの界隈、Cuだけじゃなくて自分より順位が低いアイドル全員をやんわり見下す界隈なのか?」と 証拠のない疑惑が更に強くなってしまい、そのままどんどん苦手に拍車がかかってしまったのだった。
最近では「彼女のカード絵に一緒に写ってるこの子もついでに声つけばいいのに」のような発言を何処かで見かけて また勝手に苦手度を増してしまった。 もちろん彼女自体はとても素敵なアイドルだと思うし、苦手だからと拒絶してばかりもいけないのは分かるものの もうしばらくはあの界隈から遠く離れていたいと考えている。
たかが一人、あの界隈が苦手になった所で何の痛手でもないだろうし。
よくわかってるじゃないか、料理人は舌が駄目になるのから不味いものを味わったりしない。
この感覚自体、理解出来ないという人が多そうだ。と言うか、そうであって欲しい。僕という人間は世界中に一人しかいないと理屈では分かっているが、僕に対する僕自身の評価が「その他大勢」だったのだ。世界の主人公は僕以外の誰かで、僕はそうではない有象無象の一部だった。
キモオタでコミュ障で、学生時代は教室の隅でキノコを生やしながら本を読んでいた。イジメの標的にされなかったのは、比較的育ちのいい子ばかりの私立学校ゆえイジメ自体が少なかったからで、公立に通っていれば悲惨な学生時代になっていたと思う。
本や漫画の好きな、いわゆるオタク友達ならいたのだが、彼らとも時々隔たりを感じていた。「普通の高校生が異世界に召喚されちゃう、みたいな話あるじゃん。もし自分がそうなったらどうする?」なんて話をしていると、僕は野垂れ死にする自分しか想像出来なかった。ファンタジーの世界に行ったらこの属性の魔法が使えそう、とか、さすがに王族に見初められる自信はねーわ、とか、そういうバカ話をする友達が眩しく見えた。彼らは自分が主人公である世界を想像出来るのだと知って、羨ましかった。
仮に最初からファンタジーRPGの世界に生まれ落ちたなら、僕には名もなきNPCがお似合いだろう。世界を救う旅をする主人公に話し掛けられて、「夕食の材料を買いに来たんだ」とかのどうでもいい話をする人。ゲーム攻略の手掛かりを提供することも、プレイヤーの心に残ることもない、そういう存在。
頭も顔もよろしくない僕が、器用に生きるのは無理だった。せめて真面目に勉強して、それなりの大学に行き、手堅い職に就こうと思った。そして当初思い描いていたレールと比べれば、多少の紆余曲折はあったものの、最終的には建築系の企業に入社し図面を書く仕事に辿り着く。
この仕事は僕に合っていた。PCに張り付いてCADの操作をするのは得意だった。雑談が苦手でも、最低限の挨拶と情報交換さえハキハキとしていれば「自分の作業に没頭できる人」としてプラスの評価を受けられるのもありがたかった。休み時間にも図面を書いて練習したり、参考書を読んで勉強していれば、そっとしておいてもらえた。人間関係の苦悩も、当面は食いっぱぐれの心配もなく、収入は安定していた。
顧客の「こういうものを建てたい」という注文や、上司の「法に触れないように調整しておいて」といった指示を、PC画面上に反映させていく毎日。僕は自分の意思を持たない、人の言葉をPCに受け渡すだけの変換機みたいなものだった。仕事自体は好きでも嫌いでもなく、ただ毎日が過ぎていく。それでいいと思っていたし、僕にはそれがお似合いだと思った。
そこそこ経験も積んで三十歳になったある日、僕は小さな建築現場事務所に配属されることになった。
現場事務所にも色々あるが、僕が回された先は労働衛生基準法に照らせば真っ黒な、およそ人の働ける環境ではないという最悪の部類である。間取りの関係上、空調の効きが悪く、夏は暑く冬は寒い。窓はないため無風であり、日光は差さず、機械音だけがうるさい。
環境改善の要望は無視され続け、僕のメンタルは一年でイカレた。それでも一年間は問題なく務めたのだから、この人事は正解だったと言うべきだろう。最初からいた現場長以外の、僕の後任として入った人たちは、ほとんどが数日でダウンするか逃げ出してしまったらしい。退職間際、現場長一人で仕事を回しているので大変そうだ、と人づてに聞いた。
そんなことを言われても、発熱、眩暈、圧迫感、何の刺激もない時に突然涙が出る。労働どころか外出もままならなくなった僕は、仕事を辞めざるを得なかった。休職も出来ると言われたが、回復後に同じ環境に戻される可能性を考えると気分が悪くなったので、丁重にお断りした。
変換機として生きて行くことは、もう出来なくなった。
かような経緯から、今の僕は三十路過ぎのニートである。なんと切ない響きだろうか。結婚どころか恋人もいない上、肉体と精神も損なってしまった。あとは失うものと言えば貯金残高と寿命だけ、というこの状況にあって、僕は一つの気付きを得た。
職と健康を失ったことで、親には心配を掛け、友人からは「無茶しやがって……」とオタクらしいコメントを頂戴し、必然的に世話を焼いてもらう機会が増えた。それはとてもありがたく心強いことなのだが、申し訳ないことに、施される親切が僕の欲求とずれていることがある。たとえば今はさっぱりしたものが食べたい気分なのに、友人が手土産としてベイクドチーズケーキをくれる、というような。
当たり前だ。僕の親しい人たちは、僕自身ではないのだから。彼らは彼らなりに、良かれと思うことをしてくれるのであって、僕の漠然とした欲求を察してくれるエスパーではない。友人は僕が「チーズケーキが好きだ」と言っていたことを覚えてくれてはいても、僕が今なんとなく食べたいものまでは分からない。
ましてや職場において、僕が本当は日の当たる綺麗なオフィスで働きたがっているだなんて、誰が想像出来ただろう。ぼっちが平気で本さえあればゴキゲンのコイツなら、環境が多少劣悪な現場でも耐えられるだろう、と判断されたのに違いなかった。
僕の欲求を察して満たしてくれるヒーローなんて、どこにもいないのだ。
ならば僕自身が、僕の欲求を聞いてくれるヒーローにならねばなるまい。主人公の座に戻らなければ。次はどんな働き方をしたいのか、どういう生活をしたいのか、趣味だって好きなだけ増やせばいい。一つずつ確かめて実現させて行く必要がある。
今までは周囲に流されながら、手の届くものだけを掴んでいたけれど、本当は自分で水を掻いて行きたい場所に行けばいいし、欲しいものに手を伸ばしたっていいのだ。
そういう風に考えて顔を上げると、空が今までよりも広く見えた。ごちゃごちゃと続く街並みを眺めるだけで、心が躍った。
世間には「誰もが主人公」というメッセージが溢れている。その言葉は自分には当てはまらないと、僕はずっと思っていた。
だが今なら、「誰もが主人公」という言葉を受け入れられる。主人公とは、舞台の上で華々しく歓声やスポットライトを浴びる人を指す言葉ではないと気が付いた。演劇よりもゲームをイメージした方が分かりやすいだろう。僕は多くの人にとっての「その他大勢」だが、物語の中で果たす役割が何であれ、僕は常にその人物を通して世界を感じ取り、考え、行動する。使用するキャラクターはカスタマイズは出来ても変更は出来ず、人に操作を代わってもらうことも出来ない。生まれた時から死ぬ時まで、ずっと主人公であり続ける。
だから、僕は主人公だ。非力でいいとこなしで、ステータス異常「うつ」まで付いてる始末だけれど、装備やスキルを工夫しながら目的地に向かうことを許された主人公なのだ。設定された座標を往復するだけのNPCじゃない。
今の僕は三十一歳。自分がやりたいことを見極め、がむしゃらに夢を追い始めるには微妙な年齢である。夢を叶えようとしても、たとえば警察官になるには既に受験資格を失っているし、俳優を目指そうにもこの年齢の未経験者を入れてくれる劇団を探すのは難しい。
僕の場合は更に厄介なことに、そもそも自分のやりたいことが分からない。趣味と言えば読書とゲームとジョギングくらいで、人に誇れるものは何もない。小学四年生くらいまでは作家になりたいと思っていたが、三十一歳になった僕が小学生の自分を参考にするというのも情けない話である。
しかし、うん、作家か。今も昔も、本が好きなのは確かだ。文章が書ける限り何歳からでも目指せる、年齢制限のない夢があるというのは悪くない。故に諦めを付けるのが難しいという、泥沼のような側面には注意を払う必要がありそうだが。
他にもきっと、意識するより先に諦めてしまった「好き」や「やりたい」が山ほどあるのだろう。中には既に、年齢制限に引っ掛かってしまって叶わないものもあるだろう。それでも今の僕は、それらを探しに行きたいと思う。仕事でも、趣味でもいいから、傍観者をやめて、僕自身の物語に介入したいと思う。
それにしても、まさか三十路を超えた後にやりたいこと探しをする羽目になるとは。作家になりたいです!と公言するのは匿名記事ですら気恥ずかしいのに、年齢がそれに拍車を掛ける。若い人は是非、若い内にこの恥をかき捨てておいて欲しい。
僕の物語がハッピーエンドである保証はない。夢を一つも叶えられないまま死ぬのかも知れない。そうだとしても、ジタバタもがいた後の方がきっと安らかに死ねると信じ、決意を固めるべくこの記事を書いた。デスクワークしかしなかった日よりも、気力を振り絞ってジョギングに出た日の方がよく眠れるのと同じように。
三十一歳、無職、独身、恋人なし、病身。見事な詰みの現状から、この先何が得られるのか、少しワクワクしている。
追記:
コメント・トラバともありがたく拝読している。僕は個別に返信出来るほどマメではないので、かいつまんで書く。
とりあえず、今の僕は既に心療内科のお世話になっていること、療養二ヵ月目でそれなりに落ち着いていることをお伝えしておきたい。
この記事では「主人公」という、誰にでも通じるであろう言葉を用いたけれど、意味としてはゲーム用語の「プレイヤーキャラ」の方が適切だと思う。僕の自意識が主人公のそれになっても、他の人から見れば立派なモブのままだ。
ブクマコメで指摘されている、「これといってやりたい事が無さそうに見える」は、本当にその通りだ。自分のやりたいことを考えてみた時、小学生の頃の夢しか思い出せないくらいには何もない。
最初から主人公としての自意識がある人には分かってもらえないかも知れないのだが、「お前は主人公じゃない」「どうせ何も出来ない」と自分に言い聞かせ続けていると、やりたいという気持ち自体が起こらなくなる。出来もしないことについて考えるのは、不毛で無駄なことだから。出来る人を羨むのはしんどいから。心を守るために、「別に自分はやりたいとも思わないし」と思い込むようになってしまう。
ずっとそんな風に生きてきた僕は、まずやりたいことを探すところから始めなければならない。言われてみれば、似たような筋書きの作品はいくつも思い当たるのに、僕は今まで何を読んでいたのだろう。本で読むのと、体で理解するのは別のことだということか。
実は僕の状況は、詰みというほど悪くはない。失ったものは大きいが、得たものもまた大きかった。この記事に書いた自意識の変化が一つと、もう一つは人に恵まれていると実感出来たことだ。
別地方勤務の同期が突然旅行で近くまで来てくれたり(うつ患者に観光案内させるとか鬼か)、元上司が飲みに連れ出してくれたり(薬の関係で僕は飲めないのに)、オタク友達はここぞとばかりにDVDを押し付けてくる(全部観ているとただのヒキコモリになってしまうからやめて欲しい)。
盛大に人生をスッ転んだ結果、それでも助け起こそうとしてくれる数少ない人、僕が大切にすべき人たちをハッキリと見分けられるようになった。今のところ僕のやりたいことリストの最上位は、「この人たちに恩返しがしたい」だ。自分の欲求とのバランスを取りながら、頑張ってみたいと思う。
お前全文読んでないよな?w
フルタイムで働いてるのに旦那が仕事やめたら保育園追い出されるくらいしか収入ないんだぞ?
ワイワイできないどころの騒ぎじゃない貧困だよ
おまえのリソースがしょぼいだけだよ
リソースって何?ツィッターの鯖の何キロバイトかの容量と通信容量?
もちろん、ガチで投稿競ってる場所とか、厳しい意見を求める場でそんな不抜けたやつとか、金かかってる所で不抜けたことしてる奴はガチで雷落とすべきだと思うけど、
ただお絵かき楽しすみたいな所ではそれは求められてないんよ。
「ただ、聞かれて、雷落とされて反発される奴はマジで死ぬべき」
あと、商売で危ないことをしててそれを止めようとしたら恨んでネチネチ悪い噂流すクズとかな。
不思議でたまらんのだけど教師だって小学校通ってたんだから絶対その辺の異常性に気付いてたはずだよな
気づいててなんで教師になんてなろうと思ったんだろう?
やっぱ頭がお花畑なやつが集まるんだろうか
そういう奴が日本を駄目にしてるんだよな…
聞いといて怒る人の脳内では、どうでしょうか?って聞いた時点で「全然お上手ですよ〜!羨ましいです〜〜」って言われる事がすでに確定していて、予想すらしていなかった厳しいコメントがつくとパニックを起こして怒りがこみ上げてくるんだと思うよ
なんにせよタチの悪い連中だね
あたしはあんまり運動神経がなかったので、体育はホントに嫌でした。
先生は、クラスの中で問題を作らないように必死なのか、口だけで、一人一人と向き合おうとはしていないと思います。
頼れる先生がいないのが現状。