なぜ悲惨な方に悲惨な方に勝手に想像するんだ?(FFTはしょうがないかもしれんが)
行間を読む前に本文をちゃんと読めよ
「例えば俺たちがこうやって話している場面に音楽をつけるなら?」
「うーん……平坦で、のんびり、ゆったりとした感じだろうか」
「これ、当たりが出る確率ってどれくらいなんです?」
「8%だね」
「低っ!?」
「消費税と同じだ」
「……そう考えると高い気がしてきた」
「ブックマークって栞だよね」
「そうだな」
「じゃあ、それを用いてコメントするのは、栞に書いているってことで合ってる?」
「まあ、大体は」
「じゃあホッテントリというのは、一つの本に文字の書かれた栞が大量に挟んである状態ってことだ」
「異を唱えるつもりはないが、実物で再現するんじゃないぞ」
千葉麗子さんの著書『くたばれパヨク』サイン会が脅迫で中止に 有田芳生議員「常識的な判断が行われた」
http://getnews.jp/archives/1587346
ろくでなし子氏、イベント直前中止に「納得いかない」 アムネスティ日本は何故キャンセルしたのか
http://www.j-cast.com/2016/09/28279234.html?p=all
口汚い愚痴
これについてつぶやいている奴がほとんど腐、しかも半分以上が成人が、
こんなのあったね、恥ずかしいね、みたいなニュアンスで呟くのが心の底から憎い。
ただただ寒い。ただただ憎い。
しかも10年前に流行したスタイル、現在は占いツクール等で見られるスタイル。
主観だけど、2000~2010年ごろのサイト文化の時代、管理人との対談とか、キャラクター描写の特異さは腐と夢にあったと記憶している。
年がばれるぞ婆
だれかが懸命に書き上げたものをあげつらって仲間内で笑って何が気持ちいいんだよ。
何を得するんだよ
繊細ヤ●ザするつもりはないけどさぁ 噛みつかれたとき絶対に被害者面すんなよ
夢を恥ずかしいもの扱いしないでよ。
独創的でスタイリッシュな世界観を、誰にも媚びない、誰も見たことのないゲーム表現で見事に描き切った、孤高たる初代の凛とした空気感も、すっかり業界の手垢にまみれてしまった
自分はゲームをしない経営者たちが、これまた自分ではゲームを遊ばないコンサルタントに売れてるゲームのトレンド要素をリストアップさせて、「オープンワールド、チェック、スキルポイント機能、チェック、オンライン機能、チェック」と会議で裁決とりながら、淡々と仕事としてつくりました
そんな印象を受けた
なんというか、作品に対する愛がない
1998年当時、皆が大手企業を中心に就職活動するなか、東京勤務と大企業にだけは就職したくないと、中小企業狙いで就職活動していた反抗期の自分。
今では、ネット界隈で「新卒は教育が充実している大企業か、即戦力が鍛えられるベンチャーか」という論争が盛んだが、当時はネットでの就職情報さえなかった時代だ。当時の俺は、即戦力をつけたいという思いから100人くらいの会社に入社した。仕事は徹夜続きでブラック企業だったが、成長実感が感じられ、働き甲斐も大きかった。
その後、数社のベンチャー企業を転々とした。プロジェクトや会社に与える自分の影響が強いことに働き甲斐を得られる反面、このタフな働き方をずっとは続けてはいけないこともわかった。社長とビジョンを信じ、給与が出ない生活にも耐性がなかった。
働き始めて17年後、いくつかのご縁と幸運が重なり、今は、大企業の東京本社で勤めている。
だが、組織システムが硬直化し動きが遅い上、現場は遠く、自分の仕事なのかどうかも実感できない日々が続く。
社内調整が重視されるため、若いころに培った伸び盛りある現場仕事のノウハウが活かせるような職場でもない。
大学生のころ、絶対に行きたくないと思っていた大企業の東京本社で勤めている。
現実逃避で友人のベンチャー企業を手伝っていると、いつのまにか自分が大企業病に罹っていたことを知る。
やはり、給与がいつ出るかわからない環境に身を置けるほど、若くもなくなってしまった。
リスクばかりを気にするようになった。
パソコンが立ち上がらないってまさかの電源ケーブルが抜けてて、
そんな原因意外とこっちもすぐに見つからなかったりして笑う、けど
情弱はそんな感じよ。
友達としても、
実力差があり、なんかどうしても差があって、
だから、アーケードの二人同時プレイ可能なSTGで結構やり込んでいるプレイってのを見たことない。
まあ、これは極論として、
STGでよっぽど盛り上がる復人数のってないよな~とか。
これに限らす、多人数で協力するアーケードゲームって言うのは
ほぼないよなー。
「老害」だの「時代に追いついていない」だのいうコメントを返してるやつらが不憫でならない。
俺がみる限り、そこそこ歳をとってる人であの映画にポジティブな意見を言う人はほとんどおらず、いたとしてもそれは若者の目を気にしたポジショントークかもしくは馬鹿のどちらかだ。
そりゃそうだ、あの映画を誉めてしまうとろくに文化教養が無いことがばれてしまうからだ。それすら分かっていない馬鹿しか誉めないだろう。
どうして年配者があの映画を腐すかというと、あの映画はストーリーテラーとして最も重要な脚本や演出が驚くほど低レベルでめちゃくちゃでデタラメでヘタクソで、“稚拙”だからだ。
現代のストーリーテリングは当たり前だが人類史と同じくらいの長い時間をかけて、数々の天才の気の遠くなるような切磋琢磨を経て磨き上げ熟成された“技術”の上に成り立っている。
もちろん下を見ればきりがないが、商業映画においても美しい完璧なストーリーテリングの作品などざらにある。
あの映画はそこら変の技術的な巧みさが全くないし、どうにかしようとした痕跡も見当たらない。だから映画界の中で草野球の試合のように見えてしまい、ベテランほど納得のいかない未熟な作品になっているため、賢明な識者はあの映画にできる限りコメントしない。それでも売れてしまったものに手を出すと火傷するのを知っているからだ。(そういう意味ではあの宇多丸評は、その勇気もさることながら物凄い“技術”が詰まっていた。本当に頭が良い人でないとああいう批評はまずできない)
念のため言うが、“辻褄があっている”ということと、“男女の身体が入れ替わる” ということは同時に成り立つ。“男女の身体が入れ替わるわけがない”などという話ではない。“男女の身体が入れ替わる”という土台の上に可能な限り辻褄のあっているストーリーテリングを構築することは可能だ。
その部分の技術が、あの映画は圧倒的に稚拙だ。大人が恥ずかしくなるくらいに稚拙。だから多くの歴史的な作品を見た経験の多い年長者はあの映画を腐す。
技術が足りてないということは、むしろあの映画こそが歴史の潮流に乗れず時代遅れの未熟な脚本演出のカタマリになっているということであり、あの映画を腐す老人が時代に追いつけないのではなく、あの映画のあの程度の技術で喜んでいるで若者こそ、時代に追いついていないのだ。今はもう2017年だ。その時代に見合ったストーリーテリングの技術をあの映画は持ち合わせていない。言うなればhtmlだけで構築し、そこに綺麗な画像を貼っているだけのWEBサイトのようなものだ。
上手い演出というのは例えば、画面に携帯電話を出すなら、なぜ今そこで電話をかけてみないのかの説明をほんの僅かでもワンカットでも挟む。相手の携帯(この映画の場合は自分の携帯)がベットの下に転がって鳴っているのに誰も気づかなそうなワンカットとか、電話帳に無い番号の着信拒否を設定しているとか、理由はなんでもいい。それができないなら、いっそ携帯電話をは一切登場しない作品にしたっていい。「なんで今かけてみないの?」という疑問を放置したりしない。その理由がまったくアホらしくても、説明が全くないのと少しでもある事との間には雲泥の差がある。説明が全くないと制作者側がそこまで意識できていない可能性が否定できず、つまり稚拙な印象を観客に与えてしまう。そこまで気にして作るのがプロの仕事であるのは世の数々の商業作品、海外の映画などを観てもそれが制作者に共通の認識である事は明らかである。
または、数年前の彗星落下を忘れているもしくは知らないのは海外留学していたとか(それでも無茶すぎる脚本だが)、もっと被害が小さいけど大事な人が被害者になるようなものだったり、語り口などいくらでもある。
そこら変がグダグダだから、ミュージックビデオ的でイメージビデオ的だと言われる。
気の毒なのは、世の中にはもっと感動的でかつ美しいストーリーテリングに成功している作品など星の数ほどあるのに、あの映画の主な観客たちはそれを知らないことが明白であることだ。素晴らしい作品を知っていたら「は?」となって当然なのにそうなっていないのは、単に知らないからなのだろう。逆に若い人でも映画などが大好きで多く消化してる人はあの映画を見て「あ?」となっていた。当たり前だ。
いや、そんな事を求めていない、ただ映像が綺麗です薄っぺらい恋愛のようなものを観て感動したいから素晴らしい作品だと言うのならば、まあそれも良いだろうがストーリーテラーとしてレベルが低すぎる事に変わりはないし、その評価が変わることはないのだから、低評価を下している人の感性が劣っているというのは間違いだ。セカチューと同じでなんだかよくわからない状況で恋人が死んで悲しいので満足するのは勝手だが、それでも作品の評価は1ミリも上がらない。
ただ一方で、見方を変えると、あの映画に圧倒的な技術を持った脚本家が1人加わっただけで大化けする可能性があることも事実である。
例えば分かりやすいところで虚淵玄辺りとタッグを組んだら、おれもヒャッハー言う可能性は否定できない。
脚本と演出がどうにかなった時に、本当の大きな評価を手にするんだと思う。
一応、期待はしてる。 mn3
>「アニメどころか映画史上の最高傑作」「誰が観ても生涯最高傑作確定」「映画というジャンルはこの映画を生み出すために存在した、つまりもう存在意義を果たし役目を終了した」みたいに狂ったようにやたらテンション高い
西洋の文化が入ってきた時に恋愛至上主義にかぶれた男達が、見合い結婚なんて売春と変わらんと訳のわからん批判をしてイメージダウンさせたからだよ
見合い世代は見合いを嫌って恋愛に夢を見ているし、バブル辺りまでは恋愛や結婚できない人を嘲笑う文化が根強かったので皆頑張った
好きになった漫画があって、随分前にアニメ化もしていたと知ってそういえばやってたなーと軽い気持ちでアニメを見てみたらもう凄まじい勢いで原作改変されていて大変ショックを受けたことがある。
キャラのちょっとした言動が違うどころか根本的な性格設定から全部なんかズレてて、キャラによっては登場機会大幅減どころか存在抹消もザラで、オリジナル設定は出るわオリジナルキャラは出るわでどうしてこうなったのオンパレード。
それでいて一つの作品としては微妙にいい感じに纏まってるという。今でも「原作とは別物だけどアニメ単品として見るなら良かった」的な評価がちらちら出るタイプの作品というか。
ファンの間ではアニメは黒歴史がほぼ総意な空気になっているが、若干マイナー系の作品なのでファン界隈の外に出るとアニメの方が話題になりやすいのも地味に追い打ちをかけられている気分になる。
「一昔前の原作もののアニメって改変当たり前だったよね~」とは言うが、実際積み上げられた屍の一つのファンになってしまうと中々きついものがあるなと思い知った。
最近の原作ものも「作り手のこだわりが行き過ぎて結果ファンの大多数にとっては微妙な改変に」とか「シナリオベタ移植でオチも何もなく来ない二期を待つぶつ切りEND」とか色々問題はあるが、
キャラや設定の外側は同じな癖に中身は全くの別物に改変なパターンがめっきり減った(ように見える)ことは良かったよなあと、そのことだけは素直に思っている。
あと例え改変されていたとしても原作ファンの「これ改変だから!」という声がすぐ上げられるようになった、見られるようになった環境は本音を言えば結構羨ましい。