どうせビールのCMの次にスマホゲーのCM打つんだから、スマホゲーに興じるオタクが独りだけど味わい深く楽しんで飲んでるCMとかつくってくれればいいのにとか思う。
実際飲み会で飲むビールは味なんかしないけど、独りで部屋で自分のペースでちびちび味わうビールの旨さったらないよね。
オタク系でも当然CMにでてくるのはタレントですから、ブクマにもあったスーパーアイドルのニノとかパンサーの通風管とか遊戯王風間とか制服西田とかHDのビジュアルに耐えるオタクって普通にいるじゃん。個人的にはマモ一人でも行けると思うし。
下の記事を覗いて気づいたんだけど、ヤクザの入れ墨以上に気持ち悪いと感じた。
映ってる人には悪いが、個人的に蓮画像に類するグロ画像だと思うので、見るときはご注意ください。
http://blog.kaerucloud.com/entry/tattoo-wedding
なんでそう感じるのだろうと思ったら、カジュアルに自傷行為を誇示しているように見えるからだと気付いた。
体に意図的に刃を入れて傷を作り、その傷を着色する行為って文化的な下地がなければ、
全身をリストカットして意図的に傷を悪化させて傷跡を見せびらかすようなサイコな行為だよ。
そういう文化圏があることは尊重すべきだろうし、今は凄く安全になってるんだろうけど、
それを見た者が本能的にギョッとさせられるのは仕方ないと思う。
自分の中では気持ち悪いと感じる理由として納得感あるんだけど不当な考えだろうか?
反差別主義者を名乗る者ならギョッとするのを理性で抑えて対話しなければならないんだろうけど、
か弱い普通の人々はそこまで興味も正義感も無いし、そういうことを意識することすらないよね。
ハンセン病患者差別とか各種の人種差別とか、仕方ない理由による見た目で
不当な扱いを受けないように政府が啓蒙しなければならないのは当然だとおもうんだけど、
自由意思で他人をギョッとさせる表現をしている者がそれなりの扱いを受けるのは、正直まあ納得感ある。
入れ墨許容文化圏の人が軽い気持ちで入れ墨入れて、日本旅行に来て嫌な思いをするのは可哀想だと思う。
だからと言って気持ち悪いと感じているところに文化の押し付けされるのは納得いかない。
相互理解のために外国の文化はそういうものだと周知するのは良いことだけどね。
でもやっぱりギョッとするのでできればあまり見たくないと思う。そのうち見慣れて気にならなくなるんだろうか?
上の画像付き記事の反応に対して他の人がツッコミ入れてたみたいなので少し。
タトゥーに対する偏見や差別だけでギャアギャアいってる人達に思うこと
http://gem205.hatenablog.com/entry/2016/03/27/051820
「【タトゥーが嫌いな人へ】これを見て何を思いますか?」なんて記事を上げたら率直過ぎるコメントも来るでしょうよ。
普通はグロ画像見せられたと思ったら、黙ってブラウザバックする。わざわざコメント残してくれるとかやさしいとすら言える。
そういう一言コメントをピックアップして、たくさんの言葉で囲んで批判するのはあんまりフェアじゃない。
それに本人ともっと深く話し合おうとせずに一方的に他人を精神分析して攻撃するのは、問題の解決にはなにもつながらないでしょう。
まあ、ネット上でグロ画像見せられたと思った人を捕まえて、理由を聞き出すのはとても困難なので仕方ない面もあるんでしょうけども。
今日高校の時のメンヘラに再会したら松腐女子になってて、すこし話したんだけど
24話に対するショックが半端なかったみたいで
終始落ち込みっぱなし。
「ずっと夢見させてよ…」とか「こんなとこで現実見せないでよ……」とか
私も腐女子だけど、松に関しては
彼女の反応にも正直「ただのギャグアニメに何マジになっての?」としか思えない。
紫の子ってのがよくできていて
でもよくよく考えなくても
対象が松じゃなければ似たようなこと自分もやってるんだなってのに思い至り
つらい
歌い方がキャラじゃなくなってる人も多いが元曲もなのかどうかは分からない。
個人的に日高愛が好きだから戸松遥の登場は嬉しかったが、戸松の歌やセリフも愛ちゃん感が弱まっていた。忘れてても仕方ないか。
ミリオンライブの楽曲は作曲陣がラブ×イブと被っているせいか、メロディアスな楽曲が多い印象を受けたし、良いかもしれないと思った。
(ラブ×イブ、初期の楽曲の質は高かった。アニメ化でキャラも曲も多様性も卓越性も消えて段々と死んでいった。)
対して765やシンデレラガールズの楽曲は楽曲として軽さがあって、音楽としての個人的な評価は低くなってしまう。
M@STER PIECEあたりはその典型で、劇場版の主題歌で必殺の楽曲のつもりなのだろうということは分かるし多くのPも絶賛しているようだが、
その点ラ初期の楽曲は好みだったのだが主にアニメ2期以降楽曲の方向性がアイマスに近付いていって唯一の長所も死んでしまった。
2期や劇場版の劇中歌は総じてなんとなく良い曲っぽいだけで刺さるものがない。こちらもライバーの多くが絶賛していたが以下略。
アイマスもラも途中まで好きだったのに失望させられる出来事があって距離を置くことになってしまったのだが、(アイマスは今も嫌いではないがラはほぼ嫌い)
アイマスは好きだった頃も特に楽曲の質については評価してなかった。
恐らく作品性の問題もあるのだが、アイ×ツ、プリ×ラ、ラブ×イブ(アニメ)、W×Gはアイドルが主人公ということもあってファンもアイドル目線。
あとアイドルが作詞作曲や自己プロデュースを自ら行ったり、楽曲の内容と作中ストーリーの間の関連性が強かったりする。
そのために、キャラクターソングとしてもアイドルソングとしてもただの挿入歌ではない味が出ている。
アイマスは原作であり核となる作品であるゲームで基本的にプロデューサーがプレイヤーで主人公という目線だったり、最初から用意されている楽曲を選んで歌わせる形式なため楽曲とアイドルとのマッチングの意味合いは捏造的な想像しかしにくい。
アイドル自身が主人公でそれぞれが主体的に動かざるを得ない状態の4作品と比べると、アイマスはアイドルがP含む大人の操り人形のように与えられた機会で与えられた楽曲を歌うという感が強いので楽曲やライブシーンが作品やキャラから乖離した挿入歌っぽくなる。
一方、アイドルマスターDSはアイマス作品の中では異例のアイドル達が主人公の作品で、オリジナル楽曲とアイドル自身のストーリーとの関連性も強いのだが、楽曲自体は軽さがある。
しかし、ゲームをプレイすると作品のストーリーと相乗効果で心に染み入るものがあった。
その他、アイマスライブはどうも作品ライブというより声優ライブとしての色が濃いしファンもキャストを声優として見ている点も大きい。
声優に興味や愛着がないとライブへの感動が半減どころではない。
その点でいえばラやWなどはキャラクターと同様にフォーメーションを用いたダンスパフォーマンスを行うためによく分からない人が見ても凄さや良さを察するものがあるが、ラはその影響で故障者が出たりしているのでダンスを専門としない人がやるにはハードすぎる部分もあるのかもしれない。
声優の身の丈に合った範囲で理想のイベントを行うとしたらアイドル作品ではないがサクラ大戦の歌謡ショウが究極的な理想だ。
映像でしか見たことがないが何故ほかの作品はあれをやれない、もといやろうともしないんだろうか。
豪華声優陣が声優としてではなく最初から最後までキャラクターとして演じ通し、観客もキャストをキャラとしてのみ扱い持て囃す。キャラクター作品イベントとして完全に完成されたイベントだと思う。
昨今はアイドル作品が増えているが、どちらかといえばアイドル声優がアイドルを演じるアニメ作品が増えている。
ライブイベントもキャラクターを片手間として演じつつ主にはアイドル声優としての私(たち)をチヤホヤしてほしいというスタイルで、売り方もそうなっている。
そんな状態だから、一度声優ライブの人気がついてくると作品の出来が悪くてもバレないし影響もあまり出ない。声優ライブやっとけば売れるから…。
橋下徹氏がいろいろ順風満帆大阪改革もうまくやりきって国政に討って出ていたら、きっとあんな感じだったんだろうなあ、と、トランプ氏の勢いを見て思う。
っていうか変革を求めて過激なリーダーにお任せしてどうなったのか日本はもっときちんと情報発信していったほうがいいんじゃないでしょうか。
俺には明日を生きる理由はない。こんな事を書くのは週末だからか?
美味いモノを食べ暖かい格好をし、よく眠る。生きる秘訣なんてちっぽけだ。
みんながベッドにつくこの時間を、誰が欲しがる?
人生は細かいテレビドラマみたいなものだ。誰もが主人公になりたがり、脇役を押しつける。
自殺なんてしない。する理由がない。ただ与えれられた時間を積極的に消費するんだ。
アンタは次のシーンをどう演じたいんだ?
指摘にあるように、大資本が企画したような町興しだとホントに一過性で終わるイメージする。
アップデートが尻すぼみになるんだよな。一発屋というか。経済的側面が強すぎるからかな?
ある程度資金回収できたらあとは知らんというか。まぁ当たり前っちゃ当たり前だけど。
自分が稀有な成功例だと思っている大洗の件では、大洗に行く人とその地元の人との間にお互いに尊敬し合うような意識、環境になっていると強度が高いガルパンおじさんに聞いたよ。
丁度福島で事故があって、そんな中足を運んでくれる観光客がちょっとでも喜んでもらえれば、っていう商工会議所の意識があったのと
アニメ趣味に理解者が少ないと感じてるような弱気おじさんが思わぬもてなしを受けて、気持よく滞在できる(お金を使える)っていう関係。
じゃあそれをモデルに他でもやろう、ってなるかと思うけど金で地元の人の頬を叩いて意識変えろって言われても、とうてい尊敬なんて感情は発生しないよな。そもそも予算もないし。
物語を作る人が必要、って指摘は恐らく俺もそう思う。絶望して衰退を待つ状況から、無からほんのちいさな小さな有を作り始める事が必要なんだろうな。
秋元さんの仕掛けじゃなく、地元の高校生のさんぽblog、居酒屋大将の今日のオススメtweet。竹田城跡スゲエぞみたいな書き込みのような(これは悪い例かもしれないけど)、そんなちっぽけな有が。
ただ、物語の作り手の影響力はホントに小さな種火程度の影響力しか無いので、ほっぽらかしてても直ぐ日常に消えるから、輝きだしそうな種火が消えないよう地域の人が絶望も否定もせず根気よく見守らないといけないと思う。
その種火を取り囲む地域の輪に段々と地元でない人も参加していく・・・っていうのがガルパンおじさんと話してて考えた地方へ人が来るようになるルートかなと。
まぁNHKとかはわりと地方を舞台にしたドラマを作るので、話題の期間だけ盛り上げればいいではなく、むしろそれを契機に地域の良さを知ってもらおうぐらいの絶望に負けない見守り感が必要ではないかと。
すげーありきたりなまとめで終わった。すまん。元増田が言いたかったのはNHKだけじゃなくもっと取り上げられるような物語ルートがあればいいなあって話だけど、個人発信の小さな物語ルートもあるぞと。
正直、細かいレベルのドキュメント渡されてもきっちり引き継げるとは思わないよ
どちらかというと、こういうことが要求されているシステムなんだ、っていうのがわかったほうがいいよ
ドキュメントがこうだから絶対こうなんです!とか言われる現場ほど窮屈なものはないね
そういうのはドキュメントがあれば誰でもできるっていうんなら小学生でも雇えばいいんじゃね
全くないのも困るけど
なにがどう変なのかって 身振り手振りで教えるの?
コード見てわかるなら初めからへんなもんつくらないでほしいんだけど
前のひとがやってた仕事 やってほしいんだけど って雰囲気を口頭で説明されたり商品そのもの手渡されたりするのと
引継書わたされるの
だと だれにでもできるのはどっちだろうかと考えないか