はてなキーワード: 破綻とは
死ぬのってなんで怖いのかなって思ってたんだけど、なんとなく、その後に永遠が待っているかもしれないって感じるのが怖いのかなって思うようになった。
終わりが怖いのではなくて、永遠の終わりが怖いのではないかということ。
つまり、怖いのは永遠であって終わりではないのではなかろうか。
そう考えたときに、宇宙だって始まったのだから終わりがあるはずで、例えばエントロピーが無限に増大してしまって宇宙が単一の何かになってしまえばそこで時間は止まるはずで、あぁ、宇宙も終わるんだったら自分にとっても永遠の終わりはないんだなって思うと、死ぬのが怖くなくなったように感じた。
論理的な話をしたいのではなくて、死を考えるときに心の隅に湧いてくる恐怖心が、こう考えると何故か和らいだよという報告。
自分でも論理は破綻しているように思うし、実際のところそれでどうして恐怖が和らいだのかもわかっていない。
行政事件訴訟法は、 行政処分の取り消しと、都道府県知事の裁決決定の取り消しなどに関する法律であり、 前者は行政庁の処分(Vermaltungsact)の取り消しと裁決の取り消し
は、客観的併合によって追加的併合される。 この場合、 同法律は民事訴訟法のほとんどの規定を準用することによって構成されているが、民事訴訟法は、事件の簡易迅速な解決
というなまなましい目的と、法律の設定という一見矛盾するものの間に関係を見出さんとする専門的な知見が必要であり、そのためにいかなる概念を措定しなければならないかが問題になる
さらにそれを技術的にやって論理的に相互の規定が破綻しないように調整して条文案を官僚が考えてから、 国会に提出する
よって、 令和5年行510号、 本年行146号にあたり、 行政事件訴訟法の立法過程と立法技術がいかなる内容であるかを検討し、 行政事件訴訟法7条、民事訴訟法333条
本件では、 自立更生免除が、生活保護法63条の規定とどのような技術的助言は、 厚生労働省課長通知によってなされているもので、
会計検査院実地検査のために、地区担当員の、ぽち脇が確認したところ、令和元年12月25日に、精神障害加算を12万円余計に支払っていたので、63条の類推適用により
令和2年2月10日に正式に処分をしたがその後に取り消した。 自立更生免除は、 昭和35年厚生労働課長通知により設定されたもので、 受給者の支弁中で、極めて限定的な範囲内
で生活に有益な支弁がある場合は、免除を認める。 2017年生活保護運用事例集、運用マニュアルであって、 令和4年に、地区担当員の、小股が面倒くさそうに引いていて横に、
続きです。
しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった
「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験が作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった
しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロは自由だからだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコも子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガやエロ同人はエロいのだ
そして俺は漫画家になりたいのではない。エロの二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし、精緻な設定も重厚なストーリーも人生経験もエロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは、読子やまほろさんをんほおさせること。それだけだからだ
とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサンの勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして
マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ(部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ
だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガの形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う
そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ
いきなりコミケはハードルが高すぎるし、何よりもサークルの当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガやエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロ絵しか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる
そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)
そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在だから、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして
初めてのエロ同人が完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ
そこから俺はイベントごとにコンスタントに新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店やメッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫をショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった
一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年の危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入をエロ同人から得ていたからだ。就職も卒業もする意味も理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった
親からは就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家もフリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ
さて、無事に大学も卒業して「職業、エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメやゲームを見ては妄想と股間を膨らませて、いかにこのキャラをアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えでダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は
だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガの技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初のデビューの作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ。小学生の描くバカみたいなマンガをプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人「作家」としては何も進歩も進化もしてないのではないか。そう思った
学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなものは不要だと考えた。エロ同人に必要なのは、一にも二にも画力とエロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間の真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった
しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生の妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか。小手先でエロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか
俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家でありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質も要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラにアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品を理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした
今から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない
だから俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックスを体験すれば、それが何らかの形でマンガにフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった
だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックもインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しかし女の子とイチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ
話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルのイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある
でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望をありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ
俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実の若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実の女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ
とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかしエロ同人的な世界観を内面化している自分が、常識的なセックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれた
話を戻すと、いざ実際に現実の女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった
だがこの感覚をマンガにフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手が多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロに昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした
ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持、ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数も在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった
後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事な同人イベントや敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀」なのだと俺は思う
そして迷走してはいたものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性がサークルスペースに現れた
まだ続きます。。。
社会的な進歩(本当に進んでいるのかはわからないけど)って生物学的にいびつだからな。
人類が生まれて20万年くらい前で文明を構築して社会的に生きてるのなんてここ数千年でしかないことを考えると人間が最適化した環境と今の社会が全然違うなんて当たり前のこと。
社会というシステムを進歩(と信じている何か)に向かって邁進するのはいいけどシステムを稼働させて恩恵を受ける側の人間というハードウェアはそれに対応できてないんだから早晩破綻するのは目に見えてんだけどなあ。
### あらすじ
田中大輔(27歳)は、田舎の農家で育ちました。彼の夢は都会で成功すること。ある日、家族の反対を押し切って上京します。しかし、都会の厳しさに直面し、アルバイトを転々とします。
大輔はアルバイト先のカフェで知り合った、明るく前向きな女性・鈴木美咲(25歳)に恋をします。美咲との恋愛は彼の人生に光をもたらしますが、美咲は突然海外留学のために去ります。大輔は心に深い傷を負いますが、前に進もうと決意します。
大輔は新たな仕事として、IT企業に就職します。最初は順調に思えたものの、上司や同僚との人間関係に悩み、成果を出すことができずに退職を余儀なくされます。失業の中で再び自分の価値を見つけようと模索します。
同じような境遇の友人・山田健太(29歳)と出会い、二人で小さなビジネスを始めます。最初はうまくいくかと思われましたが、健太の裏切りによりビジネスは失敗。大輔は再び一人になりますが、自分自身を見つめ直す機会を得ます。
田舎の家族と久しぶりに再会します。家族の温かさに触れることで、再び立ち上がる決意を固めます。家族との絆が彼の支えとなり、再び都会での生活に挑戦する力を得ます。
大輔は最後の挑戦として、かつての夢だった農業関連のスタートアップを立ち上げます。多くの苦労を乗り越え、ようやく事業が軌道に乗り始めますが、突如として天災に見舞われ、事業は破綻。すべてを失った大輔は、再び田舎に帰り、静かに生きることを選びます。
### 主要な登場人物
この物語は、現代社会での苦難や挫折、そして人間の温かさを描き出し、視聴者に共感と感動を呼び起こします。大輔の人生は決して報われることはありませんが、彼の挑戦と努力は見る人に希望と勇気を与えます。
まあよくある話だ。
結婚直前は会う度愚痴と見せかけたノロケ話をし、幸福そうだなと眺めていた。
コロナ禍に加え当方が仕事で忙しくなったのと、Aが新婚生活が始まったためやや疎遠になった時期があった。独身と既婚者とはそんなもんだろう〜と軽くみていた。
意外とそれでも妊娠やら出産の報告は逐一来るものだからそれもまたすごいなあ~位に思って返事をしていた。
先日、お互いの都合も合った為久し振りに対面で話をする機会があった。久し振り過ぎて話がイマイチ弾まず、人に彼氏は?と聞いてくるので取り敢えずこんな人と付き合っていると話をしたところAが固まってしまった。Aだって素敵な旦那さんだからいいじゃあないか。何かめんどくさいな、そんな気持ちになりながら帰路についた。既婚独身論争は様々な箇所で勃発しているが、特に容易く友情は破綻するなと実感した。
荒稼ぎできるのは最高でも30代前半までで、それ以降は頂きによる稼ぎは右肩下がりになっていくだろうから、貯蓄なり投資なりしとかないと生活が破綻しそう。
この記事の女性は家賃40万円のマンションに住んでいるという。どうやって加齢による収入減から逃げ切るつもりなんだろう。無職で散財してる時点でまともな収入のある相手と結婚するのも無理では。
結婚したくなったら就職して、ターゲット属性の男性と出会って培ってきたテクニックで結婚まで持ち込むんだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b017007124d642a58656e4784e5d6d6378c7240c
見かけは美少女なOL(21)が1日に5000キロ近いカロリーを接取する漫画。
食べるという最も原始的な本能を極限まで刺激することで脳を壊して快楽を得るという最も原始的なドラッグ漫画とも言える。
夜24時にコロッケを買い食いする異常生活圏OLが結婚式のビンゴで当てたいい炊飯器を使いこなすために飯もオカズもパスタも全部炊飯器で作ろうとする漫画。
飯を食えば当然のようにトリップし、更には扉絵からラストページに至るまで作中至る所に突っ込みどころと狂気が染み付いたLSD的なドラッグ漫画とも言える。
売れっ子ミステリー作家のお爺ちゃんが生まれついての不器用により諦めた料理人人生を実力はあるのに経営戦略に失敗した店に通うことで昇華する漫画。
主人公はただの人格破綻者だが、ヒロインたちはそんな主人公の作品に出てくるキャラへの推し活として犯罪を繰り返すという愛という麻薬に染まったドラッグ漫画とも言える。
自分を野原ひろしだと思い込む異常者とも言われるほどに野原ひろし感のない野原ひろしが主人公の料理漫画。
作中の会話に意味不明なクイズが仕込まれたり、時間の流れが完全にバグっていたり、ストーキングされていると思い込んでいるキャラが出てきたり、多様な狂気が癖になるカクテルパーティー系ドラッグ漫画とも言える。
昭和の九州では飲酒運転はセーフという法整備の穴を突いた合法ドラッグ漫画とも言える。
表紙を見るだけで分かるほどにアヘっているドラッグ漫画とも言える。
はっきり言って生活に余裕はない、極論祖母が亡くなると年金収入が減るので破綻さえありうると思っている。
うちはクリスマスと誕生日以外にプレゼントをあげないから、と説明しているが
「これぐらいいいじゃない」といった感じで、トミカやトーマスのおもちゃがしれっと増えている。
義実家では、妻が滞在中の外食や買い物は基本的に妻が払っている。
それは服とか靴とか、そういう日用品まで基本的にはすべて払っているらしい。
「うちはお金がないから」というが、その支出はうちの家計なんだが?という気持ちがぬぐえない。
爪に火を点すような、食うものに困るような生活をしているのであればわからないではないのだが、
祖母は別として両親は「あればあるだけ使ってしまう」タイプのように思える。
そのお金は趣味だったり、酒だったり、化粧品だったり、そして子供へのおもちゃや食事に消えている。
(高いイチゴとかを山ほど買って帰りに持ち帰らせたりする)
買ってあげたい、喜ばせたい、という気持ちはありがたいが、事前に相談もなく、
かつそれを買ってお金がないと言って妻からお金を送っているのは何か違うと思う。
うちの実家は太くはないが、田舎の戸建てでローンは完済しているし、
両親共に慎ましい人なので資金面で老後の生活に困ることはない。
何なら多少の遺産は残してくれようとしているらしい(使い切ってくれと言っているが)。
そうなると、妻に「実家に資金援助するのはどうなのか」と注意したくても
「自分がこれまで育ててもらって、今自分が稼いでいるんだからいいじゃないか」
「お前だってそれなりに稼いでいてうちにも貯えがあるのに自分の稼ぎから少し送るのもダメなのか」
と言われそうで、なかなかハッキリと言えない。やんわりと注意するだけだ。
明確に「金をくれ」と言い出したら縁を切るでいいと思うのだが、
現状「一緒にいるときの買い物や外食を出す」「何か大きなものをもらったときに何割かを返す」
くらいなので、ずるずるとそれが続いてしまっている。
すまん、私そもそも元増田が主張する「たわわはポルノではない」っていう主張の根拠が、わからなかったので、もう少しわかりやすい形で意見して欲しかったの。
私の認識としては「たわわ」はポルノとまでは行かなくても男性向け性的商品、ソフトポルノに近いという認識をされていて、その事が諸々の批判を浴びたという理解なので「たわわはポルノではない」という意見が正なら批判は自動的に負になる。この辺りの意見をまず確認したいなあと思った。私の意見を批判する具体的な根拠を示してほしい。他のブクマでは引用不足でも根拠を述べて批判してる。これだと私もどこが間違いで反省できるし。
「要約すると悔しかったら活動家になってみろ(笑)で合ってます?
活動家になったところで女さんの男に対して何を言ってもいいみたいな口と性根の悪い連中はなんも変わりませんよ」
この意見に関しては私としては「活動家のように具体的な行動はした方がいいよ」と答えます。他の投稿でも書いたけど女性は昔は、性暴力受けたら被害者にも関わらず「傷物」って結婚しにくいなど社会的にも重篤なハンデ背負ってたけど、そうゆう性暴力にNOいう女性団体のおかけで、実名顔出しで性犯罪告発できる現代にはなってる。主張することで利は得てるんよね。世の中ネットにいる人ばかりでなく、色んな企業や団体や人がいて、そういうネット以外の人に自分の意見知らしめるためにもある程度のコストは払ったほうがいいと思う人なのよ。
「現実の誹謗中傷を禁止する法律やネットのマナーとして既に定着してこういうのやめましょうねっていうの一番ガン無視してる属性が女でありフェミニストなんだよ」
本当に実際こうゆう人無くしたいなら、相手を法律に則って訴えるしか減らす手段ないのよ。効果見えなくてもネットのマナー訴え続けるしかないと思うのよ。無礼なこと言った相手は変わらなくても、他の社会の人には理解されて性暴力反対訴えた女性団体みたいに、世の中自分の属性の有利に変えれる可能性は0ではない。