はてなキーワード: 生命力とは
ラストシーンが期待通りのものじゃなかったっていうのが大きいね。期待外れと言うか、それまでの文脈にそぐわないラストというか
しかしそれでも俺は『あの花』に対してある種の好意を抱いてもいる
というのも、『あの花』という作品がある特定の人々を傷つけるようなシロモノであるからだ。
「傷つける」ということは一体どういうことなのか? ということはこの場では一旦後述に回すとして、まず、『ある特定の人々』が一体何を指すのか、について言及することにする。
『ある特定の人々』。それは誰か?
スタッフだ
特に、中心的なスタッフであればあるほど、あの作品によって多かれ少なかれダメージを受けているに違いないと私は思っている
何故なら、あの作品がいわゆる商業用ジュブナイル作品であるのが一つ。そして、もう一つはあの作品が失敗作だからだ
あの作品は商品であると同時に、ある種の内的な息遣いというか、核となる生命力のようなものを欠いた作品だからだ
あの作品において核となる生命力が欠如していることは、そもそもの作品のコンセプトを省みれば一目瞭然である。
というのも、あの作品のコンセプトが如何なるものかと言えば、
“何か特別な力を持っていない虚しい人間でも(まあ霊視のことはさておき)、人生を肯定するに足る思い出なり価値なりを享受できる”
ということに尽きるのである。
つまり、『あの花』はその基底となるコンセプトから言っても、中心的な何かを欠いた、ある種の虚しさを湛えた作品であるといって差障り無いのだ。
ただ、ドラマツルギーとは往々にしてそういうものだ。それ単体ではさしたる価値を持たない物事の羅列が、ある種の偶然によって価値を持つようになるのは、ドラマツルギーの特徴だ。
私は別に、そのようなドラマツルギー全般のことを空虚なシロモノだと言って否定しているわけではない。
しかし、あのスタッフたちは、特にその中核的なスタッフたちは、あの作品によって生み出されたドラマに、どれほどの価値を感じているだろうか?
『あの花』とは、その程度の作品だ。
しかし、私はそれ故に、その不甲斐ない出来の故に、『あの花』にある種の魅力が芽生えるのを感じるのだ。
それは、あの作品が製作者たちのジュブナイルを、多少なりに切り売りした形で生み出された作品だからである。
そして、そのように思い出を切り売りしてまで作った作品に、あの程度のドラマ性しか付与できなかったということが、恐らくは中核的なスタッフの心をえぐり、ダメージを与えているからである。
ジュブナイル――つまりは彼らの思い出そのもの――というものを、はした金の為に切り売りして、そして結局あの程度のドラマしか作れなかったという事実は、恐らくスタッフの中の数人の、ナイーブで温かく息づいていた部分を傷つけたことだろう。
そしてそのような失敗作としてのダイナミズムを持っているからこそ、私は『あの花』に対して好意を抱いているのである。
スタッフの方々、貴方達の後悔はすぐに貴方達本人によってさえ忘れられてしまうだろうが、しかしそのひとときの味わいが甘美であることには、間違いあるまい。
自分の爺ちゃんが死ぬ。
今入院中だけど、この1週間以内でしょうという医師のことばがあったらしい。
ちょっと前から具合がよくなくて、それでも苦しまないで死を迎えられそうだからしあわせだと思うようにしている。
97歳というのは、大正3年生まれ。
関東大震災を経験し、太平洋戦争を経験し、それらを乗り越えて戦後の日本を生きてきた世代である。
…唯一の後悔は、爺ちゃんとこの震災の後、自分はどうやって生きていったらいいのかを話すことが出来ないことだ。
90歳を超えて生きている人たちっていうのは凄く元気な人が多いという印象だった。
生命力がない人たちは、90歳を超えることは難しいと経験で感じたのだ。
そして大体の人が言うことばは、「明日死んでも、ぜんぜん惜しくない」ということばなのだ。
自分は今回の震災で、震度5強くらいを経験したんだが、それでも自分にとっては初めて経験するものすごい揺れだった。
そして強く思ったことは「まだ死にたくない」という、生への執着だった。
介護の現場で、死を身近に感じていた人間でも、自分に置き換えて考えたことなんてなかったのだ。
思えば、ここまで生きてきて、「死」というものを身近に感じるほどの、困難を与えられたことなんてなかった。
自分が感じてきた困難というのは、たとえば進学や就職であったり、経済的な事情であったりというものはあったが、
食事が守られて、水もあって、自分の寝床はあるというような、「死」とは遠くかけ離れた困難であった。
今、それらが脅かされるような国難を目の前にして、自分はどう対処していったらいいのか分からない。
そして、貧困や戦争を経験してきた世代が、世の中からいなくなってきていることを、すごく心細く思う。
爺ちゃんと、そんな話が出来ていたら、自分も何か、強くなれたかもしれないと思う。
そんな爺ちゃんが、もうすぐ死ぬ。
しかし、この文明の世に、「動物としての生命力」もないもんだろ。
間違いなく、生命力がありすぎる奴は社会のお荷物だ。(法的に)
自己保存本能とでも言うのか、貪欲に他人を出し抜いてでもって奴は居るが、大抵悪く言われる。
つまりは「人として最低限身に付けなければいけない動物性」のようなものがあるわけだ。
なんとなく嫌悪を感じる理由として挙げられてるものなんだから、その程度のものだと思う。
けれど多くの人は、自分が言語化できない「その程度のもの」を「否定できない原初的なもの」として根拠に利用する。
おかしいことこの上ない。
テンションが異常に高いのが偽者。
テンションが普通、もしくは鬱状態かというくらい低いのが本物。
テンション高い奴はリアルガキ&キモオタであることがほとんど。
男の娘とかにハマっていて、元は現実逃避しすぎて頭がおかしくなった疑似ロリコン。ショタコンはいわば「変人アイコン」の一つで、ショタコンですと言うだけでオタクの間では「一目置かれる」と勝手に思い込んでるアイタタタな人達。
テンションの高さの原因は仲間がいっぱいいるという妄想と、現実を拒絶する独特の台詞が先人たちに整備されたことによる「自信の高さ」の二つが考えられる。つまり、現実から逃避した世界があんまり居心地がいいからもはや発信先が現実だろうが非現実だろうが構わずゲロを吐いてる状態。
こういう人達は、二次元(理想郷)を犯されるような事態には断固とした対応をし、キモオタであるにも関わらず署名活動とか抗議デモとかかなりアクティブ。もちろんその自信は、自らが属する非現実世界の規模やリアリティにのみこまれていることからきている。
*
一方本物のショタコンは、基本的に秘密主義でテンションは一般人と同じように見せかけているか、もしくは極度に低い鬱状態。
鬱状態の原因は、ショタコン(ていうか少年愛)が「世間からは決して理解されない」から「現実では一般人として生きていかなければならない」というプレッシャーと未来への絶望などによる。
偽者のように本物のガキであることは少なく、むしろ「年齢は高いが心は少年のまま」というアンバランスな状態が多い。なので当然精神に変調をきたしやすく、精神科に通っている人も少なくない。
ロリコン(本物)のように世間一般に「キモイ」と完全に認識されある意味地に足がついているような状態とは違い、ショタコンはほとんど異次元、存在すらするのかしないのかというレベルの認識が一般人にあるため、ショタコン達は彼らとコミュニケーションをとるために並々ならぬ努力をしている。その無理がたたって鬱になることが多い。
*
偽者のショタコンが増えるにつれ、彼らのおかげでショタコンが認知されるからいいじゃないかという声が上がりだした。しかしそれは大きな間違い。
そもそも偽者達はショタコンではなく、ショタコンや男の娘というアイコンをありがたがっているだけ。ショタコンに対する理解なんてものはさらさらない。
だから、強く言いだせない本物達からは自然と避けられているし、偽者のほうも本物のコミュニティに入るようなことは絶対にしない。
ニコニコ動画などには本物のショタコンが投稿した動画がごくまれに混ざっていて、それをうっかり視聴してしまった偽者達の反応をみたことがあるが実に興味深い。
「やべぇよお前ら・・」「犯罪者・・」というように、いわゆる「洒落にならない空気」を感じている。彼らのような(一般人)からすれば、宇宙人と遭遇したような感覚なのだろう。
結局偽者達のレベルとはこの程度なのである。だから本物のショタコンからは嫌われる。勝手なイメージを世間に広めゴキブリのような生命力を持った気色悪いだけの存在。それが偽者のショタコンなのだから。
仕事が忙しすぎていえかえったらねてるだけの毎日だったから
1000万貯まったらやめようって事だけ考えてこの5年間なんとか生き延びてきた。
でもいざもうすぐ貯まるというときになって今すごい憂鬱だ。
仕事やめても、何もしたいことがない。
趣味があるわけでもないし、体も弱りきっててスポーツする気力もない。
これでも昔はバスケットボールとかがんばってたんだけど
今から考えたらうそみたいだ。
過労のせいか前触れもなくふっと意識が飛ぶ変なくせがついたせいで免許取れない。
会社辞めてしまったら一緒に旅をする友達すらいない。
うちの両親もうすぐ定年退職だから、さっさと家を出て
落ち着いた生活をして安心させてあげたいけど、
家をでて何をしたらいいのかわからない。
もうすぐ長年のたった一つの望みがかないそうなのにその後の望みがない。
3年目くらいのとき、私をかわいがっていてくれた先輩がいなくなった後、
体はまったくおかしくないのに金縛りにあったように会社にいけなくなったときがあった。
会社に行くためには行く理由が必要だったんだってそのとき初めて知った。
だから今後自分が生きていくためには生きていく理由が必要なんだと思う。
でも何も思いつかない。ずっと考えないようにしてたから考えられない。
でも会社はずっとやめようと思っててもうその考えもとめられない。
2000万貯まるまでは続けようとか考えられない。
あとだいたい2週間。
もうほとんど引継ぎも終わってすることがなくボーっとすごしてる。
仕事なんてつらいだけで全然すきじゃなかったけど、
その仕事から解放されて楽になることを考えている今の方がつらい。
とりあえず仕事してれば生きている言い訳ができていたけどそれもない。
ただ生きているってことにすごい罪悪感を覚える。
どうしてぼくはこんなに生命力が弱いんだろう。
今誰かに死ねって望まれたなら、意外とさくっといけるような気すらする。
死んだほうがましって言われても図太く生きれるような人がうらやましい。
ぼくはこれから何か自分が生きていてもいいんだと思える何かに出会えるのかな。
私が昔働いていた小さな医院の話です、院長が気に入ったホステスを愛人にし自分の病院で働かせる事にしたのが始まりでした。
彼女は年は35の既婚者、顔は悪い部類で胸もA程度のスペックなのですが、胸元が派手に開いた上にレースでスケスケな服を着、金の臭いのする患者には徹底的に媚び、金持ち患者に大人気になりました。
彼女の夫がどういう人なのか知りませんが、自慢好きの彼女が話題にしないと言う事は、たいしたスペックではないのでしょう。
本当か嘘かは解りませんが有名大学をつまらないから中退したと言うのが彼女の自慢で、本当なのかなと思う程に頭の回転が良く仕事もでき、医院で院長夫人がやっている仕事も自分が仕切るようになり、院長夫人からも絶大な信頼を得て、他のスタッフには病気で休むだけでヒステリーを起こすような夫人が、彼女が月数回生理が重いから今日は休ませていただきます―と休む時だけは、まぁ大丈夫?ゆっくり休んでね。ととても優しいなど、医院の中であっという間に権力を握りました。
彼女は自分の好かれたい人には徹底的に好かれましたが、スタッフいびりが酷く人を豚のように扱い、どんどんスタッフを辞めさせていきました。
院長は入り婿で病院も夫人の親に建ててもらっており、院長夫人はとてもプライドが高く、かつて女好きの院長が愛人を作った時は徹底的に暴れたのですが、院長が毎日彼女を車で送ってそのままセックスをしていても、彼女にいびられやめて行く人達が院長夫人に彼女の問題を訴え浮気を伝えても、スタッフがろくでもないと信じ彼女を疑いもしませんでした。
しばらくして若い爽やかな医者が来ました。
その人はあっという間に愛人に食われ、すぐに愛人に夢中になってしまいました。
愛人は離婚しその医者と再婚、そこで彼女の乗り換えに気が付き怒った院長がすぐにやめさせましたが、愛人は夫に新しい医院を建てさせ、院長夫人に収まりました。
若い医者は本性に気付いている様子もなく、そのまま引っ越して行った2人のその後は知りませんが、何があっても彼女が不幸になる事はありえないだろうと思えるような生命力に満ち溢れた恐い女でした。
Twitterに書くよりはこちらに。
この数年でなくなってたのにでた。gkbr。
なんで何も食べてないこの部屋で出るんだよ。本当ふざけんなよ。
キッチンからの風が全部この部屋通って外に出る(ダクトがあるけどほぼ働いていない)から匂いがついてるみたい。
更にうち5階なんだけど、すぐ横の地上がゴミ捨て場。同じ建物に入ってる飲食店の店舗が毎日のようにゴミを発生させるけど
回収は週2回。毎日消毒してるらしいけど、殺虫もしてくれ。
数年前いきなりよく部屋で見るようになったから恐怖と不思議だったんだけど、
ある日気づいたら冷房の通風孔の留め具が穴あいてるの。
どうやら外観工事の時に業者がうっかり開けて行った模様。見た目では気づかないけど、gkbr一匹通るのには十分すぎる広さ。
お前。ふざけんな。
一応丁寧にふさいだけど、どっから入ってきたこの1!!!
かっちゃんたんだよなこの家。
ああ。もう。
死骸拾わんと。
って打ってたら目の前のPCの向こう側ヤツが出てきた!ヨロヨロヨロってお前!それでも陰に隠れようとするのかだからコンセントの下に隠れるんじゃねえ2!!v
部屋の対角線の反対側でヤったんだけど。何この生命力。5m歩きすぎ。あほか。
とりあえずそこで静かになったからティッシュでくるんでやりました。
不法侵入罪の処刑完了。
もう泣きそう。軽くホラー。
なにこれ
アンサイクロペディアで面白おかしく昨日読んでたから?
部屋に干してあった服、全部選択しなおさないと。。。
衣替えで大量に服。出してたんだよね。そのうえで殺虫剤まきまくってた。
寝れるかな。
アリクイってよ、1日に三万匹アリ食うんだってwww
3日で九万匹www
アリいなくなっちゃうよ!
フラミンゴって、なんで片足か知ってる?
冷えるんだってよwwww
でも、水ん中入ってるんだぜ? だったら出りゃいいじゃんww
カタツムリの進む速度の1/3だってwwww 遅いよwww
得意技だろよwwそのスピードなら地上でろ地上でろ!
羊は前歯が下あごにしか生えてないんだって。
その代わり上あごの歯茎が歯より固いんだってwwww
生えればいいのにww歯が生えればいいのにww
−120℃でも死なないんだぜ。−120℃だぜ。
すげぇ生命力だよな。
ただよ、−120℃になるとカタツムリのエサが無いんだってwwwwwwwwwwww
「草木が生えないから結果死にますね」だってwwwwwwww
タコいんだろタコ。8本足の奴。あれって刺身にすると美味いよな?
でもよ、ああ見えて意外と繊細なんだってあいつら。見えないよな?
どんくらい繊細かって言うとな、気の合わないタコと一緒に水槽に入れると気が狂って自分の足食べるんだってw
繊細すぎるだろwww他人との関わり合い完全否定だよwww
8本もあるから1本くらい味見したっていいよねとかやかましいわw
でもな、そう考えるとタコっていっつも1匹で生活してるよな。
一人が好きなのかなー、って思って1匹だけ水槽に入れて飼った人が居たんだって。
タコもこれで安心だねー、とか思うだろ?
隠れるところがないからまた気が狂うんだってさw
どうしようもねーよwwwひきこもりもここまで来たらあっぱれだよwwwwwww
じゃ馬。馬は何種類か知ってる?3兆wwwwwwwwwwwwwwwwww
ゴリラってよ、あれ通称ってこと知ってんだろ。
まんまじゃねえか。まんまじゃねえかおい。
ゴリラ・ゴリラ・ゴリラだってwwwwwwwwwちょwwおまwwwww
ゴキブリってよ、頭あんだろ。
頭ポキって折っちゃったらあいつらどうなるか知ってる?知ってる?
九日間は生きるだってwwwww
すげぇなおい。すげぇ生命力だなおい。
九日後に死んじゃうだってコメンテーターが言ってた。何で死んじゃうか知ってる?
餓死だってwwwwwwwww
おめぇ生命力関係ねーじゃないか。もう脳ミソいらねぇんだよ。
口と体だけあったらあいつら生きていけんだよw
ダチョウいんだろ。
あいつらマジ足速いの。空飛ばない代わりに。凄いよ。ペンギン並に凄いよ。
ただよ、両目で120gあんのに、脳が40gしかないんだってwwwwwwwwwwwww
ただの馬鹿だよあいつらwwwww
増やせ増やせwwwwwww足はもう十分だから脳増やせwww
うなぎが黒いのは何故だか知ってる?
あれ日焼けwww
何が蒲焼だよ。存分に黒いぜ。
ヌルヌルしてるのに日焼けかよwww
オシドリっていんだろ。オシドリ。「オシドリ夫婦」って良く言うよな。
だからオシドリのメスとオスって実際仲良いと思うだろ?
でもよ、「毎年違う相手と交尾する」だってwwwwwwwwwwwww
浮気しすぎww人間よりオシドリの方が浮気してんじゃねーかwwww
鳥も同じ相手じゃ飽きんだよww「ヤリドリ夫婦ですね」だってやかましいわ!
すげぇんだよアリ地獄。あいつら土に穴掘ってよ、すり鉢状の何か作るんだよ。
そこにアリが迷い込んできてそれを下から狙って食うんだよ。
頭良いだろ。その罠作ったんだよ。どれぐらいアリが捕まるか知ってる?
月に一匹程度だってwww
作戦変えろ!飢えちゃうよww気づかれねえんだよアリにwwwwww
あのさ、トゲトゲって名前のチンケな虫ケラがいるんだけどさwww
トゲのないトゲトゲの『トゲナシトゲトゲ』ってヤツもいるんだよwwwwww
でさ、トゲナシトゲトゲにトゲのある新種が見つかったわけwwwwwww
名前は『トゲアリトゲナシトゲトゲ』wwwwww
うぜえwwwww
あいつらって三半規管が無いんだって。
で、どうやって平衡感覚とってるか知ってる?
耳の穴に砂を入れるんだってwwwwwwうるさいだろwww
しかも脱皮する度入れるってwwwww面倒な奴wwww
生きてくのに必要だったら持って生まれて来いよwwwwwwwww
あ〜なんか耳ん中ザリザリするってやかましいわ!!
トラいるだろ、トラ。
あいつら発情期になるとどれぐらい交尾するか知ってる?
2日で100回wwwwwwwwwwwww
絶倫だよ絶倫www暇さえあればセックスwwww
「トラでさえセックスしまくりなのにおまいらときたら」だってやかましいわ!
カンガルーっているだろ。
ある探検家が現地人に聞いたら、
現地人が「カンガルー。」って答えたからなんだってよ。
でも実はよ、「カンガルー」って「分かりません」って意味なんだってwwwww
名前が「分かりません」だってwwwww
お前カンガルーの身になってみろよwwwwwいつまでたっても未確認だよこれwww
アスキーアートかよwwwwwwシラネーヨwwwwwやかましわ
ナマケモノいるだろ?
あいつら木の葉や果実を食べるのも怠けるからすんごい小食なのな。でさ
食べたものを消化するのに1ヶ月かかるんだってwww
もう生命維持活動すら怠けるのかよwwww
でもそんなナマケモノも1ヶ月に一回だけ地上に降りて来るんだよ
なぜかって「用を足すためです」だってwww
そこを怠けろよwwww木の上からでいいじゃんwwwww
「木の上で用を足したら負けかなと思ってる」ってやかましいわ!
あいつら基本的に高速じゃん。なんか異様に脚長いし、そりゃ速かろう。
そんなあいつらでも敵に襲われる事があるんだってよ。野生の動物は恐ろしいよな。
もう駄目だ、追いつかれる、絶体絶命!
そんな時あいつらどうするか知ってる?知ってる?
自ら地面に顔を突っ込んで視界をなくすんだってwwwwwwwwwwwwwwwww
これで敵は見えなくなるっておいwwwwそれただの現実逃避だろwwwwww
根本的な解決になってないだろwwwwwww
「(∩゚д゚)アーアーきこえなーい(∩゚д゚)もう何もきこえなーい」
なんか俺達みたいだねってやかましいわ!
数年越しのレスですが、本人です。
現在は、聖教新聞を読んだり、ネットで池田名誉会長の詩を読んだりしています。格調高く、人を鼓舞し暖かくする言葉は、素直に耳を傾けるといいと思います。
ただし、宗教にはこだわらないので、キリスト教イスラム教その他宗教でないものにも、素直に耳を傾けていることが、高校までと決定的に違うことかと思います。
1.学歴は?専攻は?面白かった?
転職を繰り返し、つい最近退職しました。小売店で、仕入れや陳列などを任されていました。月収20万。仕事の内容は面白かったです。
ただ、人間関係や社のブラックな考え方についていけず辞めました。
これからはもっと自分に合う仕事をやりたいとこんな時代にも関わらずの決断です。
格調高いものが好きです。
ファッションも好きです。
休みは、自宅で映画みたり家計簿つけたり、だらだらすごしたり。
美術館やバラ園散策、半日本屋やCDショップに入り浸ることも。
4.本は読む?映画とか?どんなの?
本は人生の肥やしだと思っています。
月に3~4冊程度、拾い読みで7~8冊。
100年スパン、数世紀スパンを読みつがれる名著に触れたいですが、
実際はそういう本はこれから増やす段階です。
ヘッセ、宮本輝、7つの習慣、ダ・ヴィンチ・コード、BLコミックなどいろいろ。
5.交際範囲は?恋人は?友達は?何系とかある?
大学までの友人、つまり宗教がらみの交友関係は日常生活ではまったくありません。
今となっては大事な友人たちですが、宗教活動をやっていない、また仕事や人間的成長の面で後ろめたく思う気持ちがあります。
日常でつきあいのある関係は、地元で知り合った友達1人とその彼女、恋人・セフレが入れかわり立ちかわり(笑)で1~2人、
1回カラオケに行った元同僚、買い物つきあいのある実の姉とその子どもたちくらいです。
知り合いとしては、芸術家肌の普段スーツ着ないでどうやって食べてるのっていう人と近しくなる傾向があります。
品性のある人、根のやさしい人と付き合うことにしています。
6.増田にとっての世界はどう見えてるの?自然科学的なもの?超自然的な真理の法則があると思う?そういうのはどうでもよくて、地表百メートルの人間の生活圏内の人間関係が全てとか?どこに重きを置いているのかある?
自然科学的なことは、世間一般なみにそのとおりだ思います。超自然的な真理の法則はあると思います。科学で証明できないことはこの世にたくさんあり、そのうちいずれ科学が進歩すれば証明される類のこともあれば、主にその人の精神のために信じたほうがよりよいだろうこともあるという見方です。後者は、例えば「神を信じ感謝する」そのことによって明日を生きていけると本人が思えば、そうすればいいというだけのことだと思います。だから、誰かに少なくとも強くは押し付けることがありません。本人の主観と信念の問題です。神がいて、あるいは仏の不思議が働き、運命や宿命を腑に落ちるようにとらえることのできる物語が、本人の中で社会生活と折り合いがついていれば、それは大いにありだと思います。
7.これからなにをどうしたいの?
幸福に生きていきたい。
死ぬときに、心から愛し信頼する人がいて、心から愛され信頼してくれる人がいるような人生にしたい。
お金も仕事も老いも病もすべてのことの大前提に、ただ人生を楽しく力強く生きていく生命力をつけたい。
人の一生をものさしにすると、その間に起こることをすべてひっくるめて、心を強く美しくすることがいちばん重要だと思うんです。
そのために信仰が僕にとっては必要だと、年を重ねるほどに確認します。
最近知ったとあるはてなーさんの、書くものが素敵だなあと思い、さかのぼって読んでいたその方のポストやその他から、いくつか思うところがあった。
あまり他人には話していないことなので、anonymousで書く。
わたしには両親と弟がいる。
母はわたしが生まれた直後から精神分裂症を患っていた。(あえて精神分裂症と書く。このころはそう呼びつけていたので)
小学校低学年までは、母との生活は(今にして思えば)まったく筋が通らないことばかりで、いつも、なぜここで怒られるのだろう?とか、なぜ今日はあんなにものすごく褒められたのだろう、とか、謎ばかりだった。
生育環境が特殊だったせいも幾分かはあるのだろうが、わたしはとにかく人と違ったことをしたがる子どもだった。それが物事を杓子定規に進めたがる母の気にいらなかったらしく、なにか思いついて喜び勇んでぶちあげると、必ずひどくしかられた。10歳くらいまでは、ひきずりまわされて力のかぎり叩かれたこともよくあった。もちろん、アザが残ったり傷ができたり骨が折れたりする程ではない。ひどい折檻程度だった。
わたしがラッキーだったのは、平均的女児よりも身体の成長が速く、小学校高学年の時には母とほぼ同じ体格になっていたことだ。身体的暴力は、この時点でほとんど無くなった。家には、父が母の病気を理解するために買った精神病関連の書籍があり、木村敏や小此木啓吾やユング、フロイトなどを読みはじめたのもこの頃からだった。
さらについていたのは、父がいたことだ。父は、自分の仕事を本当に愛していて、いつでもわたしのそばにいて全面的に護るというようなことはなかったが、常識的な会話ができる人間がこの世にちゃんと居るということを示してくれていた。そして人と違ったことをしたがるわたしの話しを聞いてくれて援助してくれ、ときには叱ってたしなめ、穏かに見守ってくれていた。
そして、これもついていたからだと思うが、普通の生活を営む程度の収入がある家庭だったので、家事全般がほとんどできない母ではあったが食べ物には困らなかったし、そうとう不衛生だったが病気にかかるほどではなかった。
食い意地が張っている子どもでもあったので、まともなウマいものが食べたくて、本を見ながら料理も自分である程度やるようになっていた。
とにかく、生命力が強かったのだと、今にして思う。
ここにいては生きていくのは非常に困難だと、小学校高学年で思ったわたしは、とにかく遠くへ離れるべく寮のある学校を受験しまくったのだが、高校卒業までは家から通うこと、という父の方針で、18歳まで実家で暮すことになる。
ところで、弟は、わたしほど離脱しようとする力が無かった。
母は弟をとても大切にしていた。大切にされすぎて、彼は何かを失なってしまったのかもしれない。
わたしが自分のことで精一杯の間、だんだん彼は社会(小学校や中学校だが)との折り合いをつけられずに時を過ごし、中三で精神分裂症を発症した。
家は、この時から、構成人員の半分が常人、半分が精神分裂症患者、となった。
家に帰れば戦場であり(後年、映画「死の棘」を見た時、実に的を射ている表現が多くて驚いた)、学校では思春期らしい悩みと葛藤を抱えて足掻き、それなりに忙しい日々を過した後、大学に入り、一人暮しをはじめる。
その後は、主に自分自身との戦いだったが、ほんとうにいろいろあった。
ただ、わたしには帰る家がない。お金はいくらかは融通してもらえるかもしれないが、自分で自分のメシを獲ってこなければ、生きていけない。そう思って、とにかく稼ぐことだけは途絶えないよう必死になっていた。
母が統合失調症(この頃、病の呼び名が変わる)なのは述べたが、叔父も同じ病であり、母の実家はとある新興宗教に全資産を入れあげていたという、ココロの弱い血筋であった。
血筋という言い方をするとオカルトめいて解決不能な雰囲気が漂うが、単に神経系と内分泌系の一部が弱い体質が遺伝しているだけなのだと、今では思える。
わたし自身について言えば、体質が遺伝しているので、危機的状況に陥るといまだにマイナートランキライザーが手放せない。症状が投薬で緩和されることを学習して以来、困ったらかかりつけの医師を訪れて、状況を説明して投薬してもらうことにしている。
こんな風になんとか曲りながらも人生と折り合いをつけていたのだが、わたしはずっと母が許せなかった。母には、「母」であって欲しかった。ドラマに出てきそうな、心優しく、あるいは通俗的で、あるいは自己中心的だが、少くとも夜中にカーペットを切り刻み出したりしないような。
母が「こうして欲しい」「こうでなくてはダメだ」と言うことは絶対だと思っていたので、それがひどく間違っていたり、わたしを苦しめるようなことであった時に、わたしはどうしていいかわからなくなっていた。そして、そんなことを言う母を、許せない、という思いを募らせ続けていたのだ。
電話をすれば必ず口論になり、長い間顔を合わせることはなかった。
時は経つ。
数年前に、一人の男性と出会い、わたしたちは結婚することになった。
結婚の予定を報告をする時に、相手のご両親に、わたしの母と弟の話をしたのだが、そこで相手のお父さんが言ってくださった一言がある。
「病気なのだから、しかたないね」
そう言われて、初めて気がついた。
母は病気なのだ。病気なのだから、間違ったことを言ったり行なったりするのは仕方がないことなのだ。
そして、わたしは曲りなりにも自分でエサを獲ってきて寝場所を確保できるくらいには育ち、一応社会と渡りあって生きている。
わたしの望むような「母」ではないかもしれないが、彼女なりにわたしのことを思っていることも、やっとそのとき腑におちた。
では、間違ったことを言われた時には、「それは間違いだよ」と、きちんと話してあげれば良いのだ。それが、人間同士というものなのだ、きっと。
そうして、わたしは今、母に向って、「そんなこと言うもんじゃないよ」と、きちんと話ができる。
会うと、ひとつひとつわたしの装いや様子についてヒステリックになる彼女に対して、説明もできるし、「ひとに何かを言う時ははそういう風に言うと失礼なんだよ」と、言ってあげられる。
驚くべきことに、そう言うと母は、「そうかねえ」と、聞いてくれるようになった。どうせまたしばらくしたら、同じことを彼女は言うのだが、それでもその時は返事をしてくれる。
弟のことは、まったく何も解決していないが、彼は彼で生きていくのに困らないよう、両親が整えてくれている。
前からそうだったが、最近はより一層、わたしは自分自身の生育歴を振りかえる時、アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」を思い出す。
小さいころはわからなかったけど、家族が数名病気にかかっているというだけで、別にどうということはないのだ。
ここまで至るのに、ずいぶんいろんな人に助けてもらった、底抜けに楽天家の夫や夫のご両親もそうだ。
苦しいかもしれないけど、一人じゃない。
そしていつか必ず、なんとかなる。
あなたにそれを伝えたい。
伝わらなくてもいい。
でももし、自分のことを独りだと思ってしまっているなら、近くまで行くから、ガードレールに座りながらアニメやマンガやブンガクやロックの話をして、一緒にこの夜を生きのびよう。
ねーよwwww でアリクイの話なんだけど
アリクイってよ、1日に三万匹アリ食うんだってwww3日で九万匹wwwアリいなくなっちゃうよ!
フラミンゴって、なんで片足か知ってる?冷えるんだってよwwww
でも、水ん中入ってるんだぜ? だったら出りゃいいじゃんww
モグラのトンネル掘るスピードはカタツムリの進む速度の1/3だってwwww 遅いよwww
得技だろよwwそのスピードなら地上でろ地上でろ!
羊は前歯が下あごにしか生えてないんだって。
その代わり上あごの歯茎が歯より固いんだってwwww
生えればいいのにww歯が生えればいいのにww
-120℃でも死なないんだぜ。-120℃だぜ。
普通-120度だったら動物全滅するだろ。ただカタツムリだけは氷河期になっても生き残るんだよ。
すげぇ生命力だよな。
ただよ、-120℃になるとカタツムリのエサが無いんだってwwwwwwwwwwww
「草木が生えないから結果死にますね」だってwwwwwwww
じゃ馬。馬は何種類か知ってる?3兆wwwwwwwwwwwwwwwwww
ゴリラってよ、あれ通称ってこと知ってんだろ。
まんまじゃねえか。まんまじゃねえかおい。
そんなことやこんなことで今話題のウィキペディア。投稿者が減るのはウィキペディアのためにもそんなに悪いことじゃないんじゃないか、とも思ったんだがどうやらそんなに減っているわけでもないのかな。投稿者の減少が何故いいことかっていうと、良くも悪くもノイズが減るんじゃないかと期待するからだ。内容の信頼性とか記事の質は相変わらずだろうけれど、同じ話題に関わる人間の数が減ればおかしな記事はおかしな記事なりに純度を上げて「おかしさ」のS/N比が上がるとすれば、それはいいことだと思うわけ。ザーザー言ってて何を言っているのかよく分からない放送よりはアホな芸人が喋りまくっている番組の方がまだマシなところがあるようにね。テレビを見たがる子供に砂嵐を見せるか民放の馬鹿騒ぎを見せるかというのは究極の選択っぽい気がするけど、幽霊の見えそうな砂嵐よりは民放を見せて「また馬鹿なテレビを見てるのかい」って言った方がまともな子供に育ちそうなものだ。で、それは放送大学を見る幼児に向かって「難しい番組だねえ」と言っているのとあまり変わらない。どっちがいいかは最終的には価値観の問題かな。
だから「おかしさ」って書いたけど、何か特別な要素の純度が上がった状態とでも思ってほしい。で、たぶん、絶対的な投稿者数が減った後に相対的な比率で増えてくるのは、職業的な専門に対するストイックさとか、オタク的な過剰さとかを備えた「熱心な」人達だ。ハタから(つまり「世間樣」から見れば)見ると良くも悪くも常軌を逸して、つまりに真摯に追求している、あるいは配慮を欠いている、つまり常識を変革すべく頑張っている、そういう人達だ。まあ自分の学界の片隅に籍を置かせてもらってるけど、そういう人達のもつ情熱とか執拗さとか真剣さとかは、まさしく人生を賭けた壮絶なものだと感じる。
ちょっと話は逸れるけど、ウィキペディアはなぜ専門家に優しくないのか、という疑問を持っている人は結構いる。専門分野で執筆に参加したけれど、結局「専門家じゃない人たち」に気圧されて撤退してきた本当の専門家を、個人的にも何人か知っている。こうした不幸がどうして起こるかっていうと、おそらく上に書いたような「熱心な人達」と専門家が正面から鉢合わせしてしまった場合、専門家の人達は「おっと、インターネットなんかでシロウト相手に喧嘩している場合じゃないや。今月中に論文仕上げないといけないしな」てな具合に本来の戦線に戻っちゃうからなんだな。研究者はそっちの方で人生を賭けているんだから当たり前のことだ。まあ仕方がないね。
で、宗教の話をしよう。結論からいうと、ウィキペディアにおける生命力という意味では宗教的な情熱を持って行動している人々も市井の「熱心な人達」と張り合ってるんじゃないかと思った、ってことだ。人には物事の「宗教性」に比較的敏感な人たちと、そうでもない人たちがいる。ご存知のようにな日本は圧倒的に「無宗教」な社会だけれども、注意深く暮していれば宗教的な空気というのは比較的よく遭遇するものになっているように思う。まあ創価学会とか明らかなものは置いておくとしても、クリスチャンの多い朝鮮半島からの留学生などが増えているといった事情もあるんじゃないかと思う。例えば東京の都心のカフェで小一時間耳をすませていると、その地元のクリスチャンのコミュニティが会合の場所にしていることが分かったりする。いきなり聖書を読み始めれば分かりやすいけど(そういうことも結構ある)、そうでなくともメンバーが出会ったときの挨拶の言葉だとか、そのグループの顔付きだとかをしばらく見ていると「ああ、なるほど、そういうグループだったのか」って思うわけだ。これはたぶん信者さん自身がもつ「仲間意識」と同じようなものだろう。別に隠しているわけじゃないだろうけど、フリーメーソンの変な握手みたいな、ある種の言語化されない巧まざる符丁が作りあげられている。
それで、定期的にウィキペディアを眺めていると、上に書いたようなのと同じ体験をするんだ。つまり明らかに宗教的な関心で活動している投稿者というのを見付けることができる。僕の個人的な関心のせいもあるかも知れないけれど、クリスチャン、もっといえば福音派の方が以前から熱心な投稿を続けているのに気付くのはそう難しいことじゃない。だってほとんど毎日新しい記事を書いてるからね。その編集履歴を眺めていると、気がつくことは三つ。一つ目は、自分のモチベーション、あるいはバックグラウンドを表明した上で編集活動を行っていること。二つ目は用語法に非常に敏感なこと。三つ目は(たぶん自覚しているはずだけど)自分の視点というものを相対化できている人もそうでない人も、よくも悪くも書きたいことしか書かないということ。二つ目と三つ目の点が悪しき融合を遂げてしまうと百科事典のはずなのに「キリスト教事典」みたいなちょっと文脈が他とズレた項目ができてしまう。内容的には正しいだろうから、まあ必ずしも悪いことではない。というか、文句をいう筋合いは全然ないからどうでもいいけど。
書いておきたいのは、そういった方々が福音派なのは偶然じゃないということ。福音派って何かしら、という人もいるかと思うが、ざっくり言えばプロテスタントの中で一番熱心に「聖書が絶対だわよ」って考えている人たちのことを日本語では福音派と呼んでるみたいだ。で、中学校くらいの知識を総動員して説明すると、プロテスタントってのはもともとのカトリックの人たちが「教会ってステキ。おフダをどんどん買えば天国に連れていってくれるんだから」とかちょっとアレな感じになっていると思って、「そんなアホな。聖書を読む方がよっぽど御利益があるに決まってる。金もかからんし」という感じで喧嘩別れした人たちの末裔のことだね。そんなわけだから貧しいながらもマジメにコツコツ働く人たちに圧倒的な人気を博したみたい。で、福音派ってのはその中でも「聖書が大事だね」っていうところで突っ走っている人のことだと思ってればいい。たぶん。「これ全部本当のことが書いてあるんだぜ」「だよね」「最後の審判くるよね」「ヤバいよね」「でも千年王国チョー楽しみ」みたいな。信じられないかも知れないけど、これ全部本当の話、ってやつ。念のため書いとくと福音派って中にも聖書の話と現実の歴史の対応には諸説ある。というか複雑すぎてよく分からん。
福音派はアメリカで多くて、ブッシュ共和党の支持母体になってることは有名だね。政治に熱心で極端になると共産主義は悪魔の手先、イラク先制攻撃万歳、進化論教えるなら学校やめるし、中絶するなら病院焼いちゃうよ? (実際、焼いてるし、医者を殺してる)みたいな人が多いみたい。中絶反対、てのはカトリックの方が厳しいのかと思いきや、実は福音派の人たちもけっこう過激な人たちが多い。ヨーロッパの国がほとんど中絶を合法化しているのに比べて、アメリカで未だに喧喧諤諤の議論をしているのはそれが原因のひとつかな。福音派が政治とか社会問題に積極的に関わりたがるのは全然不思議なことじゃない。つまり福音派であることと積極的なコミットメントには密接な関係がある。というのは、福音派の人たちは自分たちの考えを広めることをかなり大事に考えているからだ。つまり布教(福音派だと伝道っていうのかな)がかなり大事。まあ宗教は何でもそうだけど福音派は特にそこが目立っていて、ちょっとゴリゴリした感じになっているんだね。みんな、生まれ変わって新しい自分にボーン・アゲインしようぜ ! トゥギャザーだぜ ! みたいな。まあ、回心するのが大事だから回心させてあげよう、ていう感じかなのかな。とりあえず頑張れ、としか言えないけど、個人的には家を焼かれちゃたまらんし、できちゃったら産むしかない、ってのは穴があったら入れるしかない、てのと同じくらい野蛮だぜ、って思う。理性ってのは原理的に自然を抑圧するものなわけで。
最近のアメリカの福音派の政治的な人たち(キリスト教右派と呼んでる)は民主党のオバマが政権取ったし、アフガンもベトナムっぽくなりつつあるし、ゲイの結婚もちょこちょこ合法化されてるし、ちょっとヤバいんじゃない? とか考えてるみたいだけど、とりあえずどうでもいいや。うん。ウィキペディアの話だった。政治的・宗教的荒しが日本の数ケタ上の密度で起こっている英語版なんておぞましくて覗く気もしないけれど、書きたかったのは、日本語版ウィキペディアでも熱心な福音派の人たちが(たぶん二人くらいで)頑張ってます、ってこと。ウィキペディアの編集者の中で二人くらい、っていうのが意外と日本における福音派の「熱心な人」の比率としていい線をいってるのではないかと思ったが、調べてないので分からない。まあヘドが出るほど嫌いな人もいるだろうけど、オタクだと思えば貴重な存在かも知れない。で、オタクが絶滅しないように、そういう彼ら(彼女ら)もきっとしぶとく生き残っていくだろうな、と思ったんだ。ある日突然「ウィキペディアは悪魔の手先だから見ちゃダメ」ってことになるかも知れないけどね(英語圏には実際そういう趣旨でできた何とかペディアもあるし)。
お二人で激論交わしてるところ、横から失礼しますが
普通に生きていただいて大いに結構、でもそのあとはどうするの? 自分がよければそれでいいの?
小さいうちに残されることがほぼ確定の子供たちはどうするの?
あのTBSでやってた筋ジスの人には健康そうなちゃんと働いてる旦那さんがいるから、筋ジスの人が死んじゃったあとは普通にその旦那さんが仕事しながら子育てするんじゃないの?普通に父子家庭として保育園に預けたり学童に通わせたりしながら。金銭的にもその旦那さんはちゃんと仕事があるんだから大丈夫じゃない?
ALSの人のフィリピンの養子は大変だと思うけど。そもそも独身で仕事もしてなくてしかもかなり重い病気の人が養子を迎えるってとても子供の福祉に適ってるとは思えない・・・。なんでその状況で養子縁組が認められちゃうんだろう。子供はペットじゃないんだからさ。
あと、二人の増田の中では、なんだか筋ジスの人の子供を育てるのに公的なお金が使われるってことが議論の前提になってるっぽいけど、上にも書いたけど筋ジスの人にはちゃんと働いてる旦那がいるんだから、子育てのお金は旦那の給料で基本賄ってそうだと思ったんだけど、違うの?なんか、筋ジスの人のところは基本的に夫婦で子供作って夫婦で子育てしてくっぽいし、いいんじゃない?旦那の方に子育てと妻の介護とあと仕事とでめちゃ負担かかりそうだけど、でもあの夫婦がそれでいいって言うんならさぁ。
ただ、TBSの「これには感動しますね!」的な作りは変な感じだったね。筋ジスなら遺伝するかもしれないし、感動話とは思えん。むしろ、筋ジスでこれからどんどん動けなくなっていくっていうあの女性自身が希望を持って生きていくためにはどうしてもどうしても子供という未来を見たかったっていうすごく必死な希望への渇望に感じられたよ、私には。(それはエゴイスティックかもしれないけど、絶望の淵に落とされたときって生命力ある人間は誰しもエゴイスティックになるものじゃないか?そこでエゴイスティックにならない人はきっと絶望の淵で死んじゃうんじゃないかと思うよ。たぶんあの夫婦はこうやってネットで「勝手だ」とか「我侭だ」とか「子供がかわいそうだ」とか叩かれるのも覚悟の上で、そういうの承知の上で、それでも子供を持たないと希望を持てない程に希望がなかったんじゃないかなぁ、とか思う。周りに叩かれてでも子供を持たないと生きていけなかったんじゃないかなぁ。私の妄想だけど。)
これやったんだ。
記憶が逆流すると、何十もの万力で脳を締め上げられるあの独特の感覚に陥る。
数年かかった勉強が仕上がり間近で、あとはそれをたった一つのアウトプットにまとめるだけだった。
それを作るのに、これだけの時間がかかった。
30枚のノートが1冊3日で消費されていく日々。
それを淡々とひたすらに続ける。
一切のショートカットを拒否するとこれだけかかると、難関の試験を受けながら痛感する。はじめは痛みしか感じなかった難解な文章も、気づくとライトノベルを読むような感覚で、読めるようになっている。
鍛えたのだなあと、そう思う。
難解な試験の受験勉強は脳の筋肉トレーニングのようで、重量挙げのバーベルをペン回しのように指で回している自分がいることに気付く。
とても可愛い年下の子で、頭を鍛えることだけに熱心だったぼくの思考になぜかその子は付いてこれる。聡明というのが正しいのかもしれない。メールでやりとりして、その理解力のすごさにびっくりした。
負けず嫌いで、いろいろといたずらをしてくる。
ヒット&アウェイが得意で、側にいたかと思うとまたどこかへ行ってしまう。
彼女の周りのごたごたを片付けながら、すこし力を見せると、怯えたような様子を見せる。
そうか。
すべてを読み切れるだけの力がある人間に出会うのは初めてなのか。
デスノートのように殺伐とした知能戦ばかりが世の中に出回ると、怯えるのは無理もない。世界中で行われている本物の知性のぶつかり合いは、今は世界をよくしていく切磋琢磨のために、膨大に注ぎ込まれている。
ちょっと前まではデスノートのような世界だったけど、もう世界は決定的に変わってしまっていて、協調的競争の時代になってしまった。
だから、そんなに怖がることはないのに。
彼女とのやりとりは小気味のよいパス交換のようで、ひとりでボールを蹴ることが多かったサッカー小僧に仲間ができたよう。
この前、テクニックを披露して見せたら、すぐにそれを真似しようとする。
いくらなんでも、これはかなり長い時間を掛けて培ったものだから難しいと思う、ということでも果敢に挑戦してみてしまう。使っているところが違うんだけどなあと思うのだけど、すぐにでもコツを掴んでものにしてしまいそうに思えてくる。
できないできないと嘆いていたことも、あっという間にものにしてしまう。
もう抜かれてしまったことも、たぶんたくさんある。
おちおちしていられないなと思った途端にサッカーが楽しくなってくる。
ずっとひとりでボールを蹴っていたのだなと、いまさらのように気付く。
ずっと、ずっとひとりで。
そこに彼女が舞い降りて、あっという間に呪いを解き放ってしまう。
どうやったの?
と聞くとたぶんこう返す。
ひたすら淡々と修行僧のようにしていたことが、これが時間とお金を生み出すのだと思えるようになってくると妙に楽しい。
遊ぶ金欲しさになんて言葉が世の中にはあるけれど、ぼくは遊ぶ時間とお金ほしさに節約する、勉強する、やるべきことを片付けていく。
それを使ってなにしよう?
なんならいいと言ってくれるだろう?
そう考えると、心が華やいでくる。
楽しくなってくる。
この前、いきたいところをリストアップしていたら、あまりにも楽しくなってはしゃいでしまった。そういえば、遊んでいなかったのか。ずっと仕事で、ずっと勉強で。ぜんぜん遊んでいなかったんだ、とそう思い出す。
彼女もぜんぜん遊んでなかったという。
じゃあ、二人で遊びに行けばいい。
あんまり不健全でなければ、どんな遊びだっていい。
あちこちを遊んで回りたい。
そのために、頑張らなければ。
効率化をして、せっせと時間を作る準備をする。
着実な勉強をして、充分な実力を養っておく。
やるべきことはたくさんあって、それを身につけるたびに、今でも強固な仕事環境が、充分に強固になっていくのだと信じる。昔、別の分野にいたときは、勉強しても勉強してもまったく環境がよくならないのにため息をついていたのを思い出す。
それを使ってなにしよう?
すこし悩んで、選んだのは後者。
そろそろ恋人に昇格させてもらえないだろうか?
まあ、恋人みたいな友達でも、当面は問題はないのだけど。
お前はかなり俺だ。
要は感情を発露させることを世界から承認されてないという感覚を持ってるんだよな。
そして世の中の人はけっこう感情の発露が得意で、すごくうらやましい。
俺もこれで苦闘中だけど、かなり難しいなあと思う。
一つは「無力感」に原因があるとも思ってる。自分は世界に流されるだけだという。だから怒りが湧いてこない。
一方、感情豊かな人は、例え流されていてもそうは思っていない。自分が人生の主導権を握ってると思っている。
この感覚を得るにはどうするか、それが俺の挑戦していること。
一つのカギは「恐怖感」にあると思う。臆病すぎることが世間に流されてる感の原因の一つではないか。
これを解消するために、色々工夫してトレーニングしてる(絶叫マシン克服とか)。
動物って、恐怖の量が適度だと、興奮して闘いモードか逃げるモードに入るんだけど、恐怖の量が一定を越えると突然おとなしくなってされるがままになってしまう。
肉食動物に食われるとき、食われる動物は驚くほどおとなしくなる。
http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090623-01.html
そこで何が起きたか。生徒の約半数は、事前にレクチャーしたとおりに、自分でスプレーカバーを外し脱出に成功した。しかし残りの半数近くの生徒は、ひっくり返っても止まったままで動かない。「どうしたんだろう?」と思い、水中眼鏡で海のなかを見ると、パドル(水を漕ぐ道具)を手にもったままじっとしている。つまり、ひっくり返ったその形のまま、止まっているのだ。通常予想される、「脱出しなきゃ」とか「どうしよう」とか、そういった動揺すらもない。何の動きもそこには見えない。おそらく彼らの頭のなかは思考停止状態で、真っ白になっているのだろう。完全にフリーズしているのだ。
↑ここで野口は、生命の危機でおとなしくなってしまった子を「生命力がない」と言っているが、端的に言えば臆病すぎて恐怖の量が基準値を超えたということだろう。肉食動物に食われる瞬間と同じになっている。
そしてそのあとの理屈バカに限って生命力がないという見方は慧眼だと思う。
おそらく理屈とは、人間が恐怖から逃れるために編み出した新しい武器なのだ。つまり理屈っぽい人間ほど臆病だ。
これは人類スケールではよい影響をもたらしたろう。そしてたくさんの恐怖を克服してきた。
ところが個人レベルでは必ずしもそうではないのだ。
俺は理屈バカだ。そして極度の臆病者だ。俺の理屈は人類に何も貢献しない。
だったら、だったら俺は自分の人生だけを考えて、過剰な理屈を放棄するべきなんだ。
俺はもうそうやって生きることに決めた。
ただ、理屈を放棄することがどんなに難しいか。
ブルース・リーの言う「Don't think! Feel!」。
目指すはそこなんだと気がついた。