はてなキーワード: 流入とは
ここ1、2年ぐらいで、ググッと下がった。
「ワイは~~~やで」などという、ネイティブからしたらあり得ないレベルのわざとらしく気持ち悪い関西弁を使う
悪質アフィまとめを未だに愛読している様な、嫌儲やらなんJなどの5chの中でも一段とキモい弱者連中(ガイジ)の人間が
ちなみに自分はバリバリの関西圏出身だがまずこういった文章では方言は使わない。
文章で見る口語体の方言は、ハッキリと違和感があり、キモいからである。
ましてやネイティブでも無さそうな関東周辺の底辺ネットユーザーが使う「なんJ語」などという汚方言は尚更気色悪い。
気持ち悪いガイジ造語使ってギャーギャー騒いでいるだけならば別に(非常にキモい)だけで、多少のユーザー離れは起こすだけ。
しかし嫌儲だのから流入してきた人間は根本的に民度が低い・倫理観が無い為、そこらのネトウヨも真っ青な差別的書き込み・民度低すぎる荒らし文を平気で投下する。
存在するだけで身の毛がよだつ増田が増えた結果、中間層のユーザー離れを起こし、にも関わらず一向に対応しない運営に呆れ果てた古参ユーザーも去る始末。
5chみたいな蟲毒の坩堝みたいな掃き溜めも、存在するだけで周囲を脅かす害虫ならぬ害人共を人目の触れぬ所に隔離しておくという意味では必要悪だったのだろう。
”ニート”という言葉はインターネットが無かったらここまで広まらなかっただろう。
かつて2ちゃんねるで盛り上がっていた『天下一無職会』は自虐文化の最たるもの。
自虐文化が中心にあるのは歪んでいるが、それで一定の平和が保たれていた。
かつてのインターネットはいかに人よりも劣っているかでマウントを取る世界だった。
→これによりいかに相手より優れているかを競う、外と同じ世界になった。
→上に書いた自虐の文化も所詮一定の余裕があった上での自虐だった。
昔も不登校の引きこもり学生や無職のおっさんだって居た筈だが、ネットの中心は”将来ニートになりそうな暇な大学生”だった。
彼らが自分たちの微笑ましい不幸を面白おかしく誇張して主張していた。
「今はこんなんだけど本当にどうしようもない無職ニートにはならないよね。」という余裕があった。
3、いかに他者より優れているかでマウントを取る世界になったこと。
ここまで書いてきたように今は当時と本当に真逆の世界になっていて
むしろ円安なのに言うほど輸出が伸びてない、それは現地生産してるからだ、って論調ばっかじゃん?
増田が自分で言ってるように、「貿易依存度が低いな円安誘導で輸出は大して伸びない」し、輸入も増えないから為替は実質GDPに大して影響を及ぼさない
なんでEVの話になるの?
日本で売れてないのは補助金もないしインフラも未整備だし、なによりトヨタが乗り気ではないからだよ
EVブームは主に欧州の政治問題だから不景気の話は関係ないよね
内需国なんだから、GDPが上がらないのは会社が給料を上げないからと、生産年齢人口が減ってるからと、資源がないからだよ
給料を上げないのも諸説あるけど、政府や日銀がコントロールできる問題なのかは不明だよ
これはさっき言った他国の保護貿易と、円安が一時的だと思われてるのと、東日本大震災後に投資が海外に向いている(国内成長を諦めている)のがあるよ
内需国が人口増加なしにGDPを上げるのは非常に難しいよ、ドイツは人口微増だよ、ドイツはEUからの人口流入があるから日本と比較できないよ、東京みたいなもん
もし新たな輸出品目が増えても、これまでと同様のことが起きるのは分かるよね?
インバウンドで喜んでるのが許せないらしいけど、インバウンドで5兆円も動いてるよ、今やマジで貴重な財源だよ
日本だけじゃないけど、ビッグテックに年間数兆円レベルで吸われてる状態だから、インバウンドで取り返すしかないと言われてるよ
政府は上手くもやれてないけど下手でもないよ
政府のトリクルダウン前提の割り方はもう通用しないから次の手が必要だとは俺も思ってるよ、そこはやる気ないのか経団連にコントロールされてるのか知らんけど
とにかく経済は生き物のようであり、政府が完全に掌握できるようなものではないよ、アメリカ以外ほとんどが苦戦してると言っていいよ
わかった?
ブルスカじゃないよ。ブルスコだよ。
日本人の例ではあるが最初に移動が進んだのはアニオタというよりはプログラマー周辺だった。流石あいつらはTwitterも一番乗りだったのを思い出す。
そのあとライターをしていたり、その取り巻きだったりが増えた。
クラブハウスよりは少し若いんだろうかくらいの年齢層が目立っていた。
でも全く活性化できておらずブログ化。またはアカウントとるだけの人たちがほとんど。
活用できてない感じ。
Xが表、Blueskyが愚痴垢みたいな爺さん婆さんも目立っていた。
で、Blueskyが招待を増やしたときにそれ以外の人にも広がっていきオタク流入が比較的最近始まった。
オタクが来たので色々と流れが生まれ、プログラマーの作ったフィードも活用されるようになった。
インプゾンビは居ないがアフィリエイトアカウントも来た。しかしエロ絵よりも即座に一括ブロミュする方法が広まりアフィは生きながらにして死んだ。
規模感ミニのTwitterみたいな構成にはなっていると見るが、年齢制限もあるからだろう。
エロ絵に関しては実は他の海外サービスと比較するとゆるい方なのだがTwitterではおそろしい潔癖なブルースカイみたいに広まっているようだ。
まあBlueskyの機能を理解せずいきなりエロ絵を投稿することはテロ行為にも等しいのでそんなことをする人はXにいるべきだ…しかし
SNSで言うと先日TikTokのCEOが米上院議員に公開処刑されてたしXも厳しくなるだろう。
そもそも論としてTwitter制作チームのものなんだからBlueskyもそれなりに規制ガバガバなところはあるのだ。
拡散内容だが、Xに疲れた人たちが多く、あまり過激なことは広がらずダジャレとかが拡散されたりする。
件の問題でドラマ化裏事情などXで言えない過激なことを言ってやろうとした人も見たが、結構滑っていた。
大きな要素としてはトレンドが無いことにある。
トレンドがあるとその話題を話すことで多くの人に見てもらえ、アルゴリズムによって選ばれたトップのコメントが出てくるのが今のXだ。なので同じやつばっか拡散される。
しかしそれがない。なので拡散すべき内容はフォロワーか自分が決める。フィード機能を使って一定は把握できる。
このあたりが今後変更されるかは謎ではある。
結果的に招待制当日に登録者数が100万人増えたが(外国人が日本人ばっかじゃねぇかと突っ込んだり、創業者がナガノをRPしてた)まだそんな状態だ。
闇鍋ごった返しのグチャグチャSNSはXだけなんだよと言う声もあるだろうが、まあフォロー次第ではBlueskyに再現できるだろう。
一月前に調べたやつを再掲。参考程度に。
1995年~2022年で各都道府県毎にどの程度女性の人口が増減したか順位付けを行った。
約30年で各都道府県でどの程度人口が変化したか。女性注視Ver
また合わせて男女の増加率の差も見てみた。
・特長的だったのはこの30年で男性と比べて女性が大幅に増えた都道府県があること。(男女差4%以上)
・一方で男性側の方が大幅に増えた都道府県はない。差があっても2%以内。
このことから30年で特定の都道府県への女性の流入が進んだことが考えられる。
具体的には東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、奈良にここ30年で女性が流入。表にて強調表示。
表中の各数字について
一番右の男女差:+であるほど女性の方が多く流入、若しくは男性が多く流出
02 沖縄県 13% (14%) 0%
06 滋賀県 7% (6%) 0%
09 兵庫県 0% (-4%) 3%
13 広島県 -6% (-6%) 0%
14 岡山県 -6% (-6%) 0%
15 茨城県 -6% (-7%) 0%
18 静岡県 -7% (-7%) 0%
19 群馬県 -8% (-8%) 0%
22 熊本県 -9% (-8%) 0%
34 新潟県 -14% (-14%) 0%
36 愛媛県 -14% (-14%) 0%
41 長崎県 -18% (-18%) 0%
42 福島県 -18% (-16%) -2%
47 秋田県 -23% (-24%) 1% (秋田は30年で人口の1/4がいなくなった)
03 東海 -2% (-2%) 0%
04 近畿 -2% (-6%) 4%
05 九州 -7% (-7%) 0%
06 北関東 -8% (-8%) 0%
男女合算したのはこちらに書いている
https://anond.hatelabo.jp/20240109203715
上位8都府県以外は人口減
従来は縄文人と弥生人の混血によって現代日本人が構成されていったと思われていたが、古代ゲノム研究によって現代日本人は縄文時代人DNA10% + 弥生時代人DNA15% + 古墳時代人80%で構成されていることが判明した
そして縄文人のDNAを最も色濃く引いているのは現代のアイヌ人
これらのDNA情報に加えて発掘された考古学の情報によって日本人の誕生が明らかになっている
1.東南アジアを期限とする集団が3万8千年前ごろに日本へ到着(ベトナムのホアビン文化人骨のゲノムと極めて近い)
2.3000年前 朝鮮半島の無文土器文化の集団が第一波として日本列島へ水稲耕作を携え列島へ流入、弥生時代の始まり
3.1800年前 朝鮮半島から第二波の移住、古墳時代の始まり
先住していた縄文人は同化され縮小、関東以北では「蝦夷」として残存する
東北地方以南では日本語族集団に同化されたため、縄文系の言語は北海道のアイヌでのみかなり日本語に影響を受けた形で残存
このうち弥生時代と古墳時代に列島へ流入した集団は偏堡(Pianpu)文化の紀元前2700年頃の遼西地区東部もしくはマンチュリア南部の遼河流域に起源があることもゲノムによって分かっている。
紀元前1500年頃に朝鮮半島北部~中央部のゴングウィリ(Gonggwiri)式土器を介して朝鮮半島南部の無文(Mumun)文化を形成し、
この頃に磨製石器を伴う稲作など灌漑農耕が山東半島から遼東半島経由で朝鮮半島南部へと広がり、
紀元前9世紀に九州北部へと広がり弥生文化の形成に至って、日本列島在来の「縄文語」系統を(北海道を除いてほぼ)やがて駆逐した、と研究は示している。
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
都内へ転職・引っ越ししようとしていて駐車場安いところに住もうと思っているんだが、家と違って駐車場は安い駐車場がどこにあるかというのは調べられないんだな。
職場は資格職でどこでもいい状況から住まいもある程度融通利く見通しがある結果、車を安く維持できるところを探してそこを候補地にして家探しをしようと思っているんだが賃料を主条件の一つとして検索する機能がどのWEBサイトにもないことに呆れて笑ってしまった。
かろうじて一社だけ地域をかなり絞り込めば賃料金額で絞り込みをかけられるがそれでも全地域しらみつぶしに見ないといけない都合上めちゃくちゃ不便。
だが駐車場検索機能未発達の原因を考えてみると都民の車離れによるものという印象を受けたし、逆にこれのせいで車離れが加速するとも思った。
逆に家探しはネット検索だけで痒いところまで手が届きそうな程便利になっているのはそれだけかなりの数の需要、地方からの流入があることを見て取れる。
駐車場を探す機能がまともに整備されていなくても先祖代々都心部に土地持ちだったり貯金なんて腐るほどある金持ちだったら気にせず持てるんだろうが、一般人では新たに車も持てんわ。