はてなキーワード: 歴史とは
アメリカの大学で親パレスチナ勢力によるデモが活発になってニュースになっているね。忙しい君のために解説するよ!
イスラエルという国はイギリスが作ったんだ。ヨーロッパで迫害されていたユダヤ人のために国を作ってあげたんだね。
ユダヤ人というのは迫害の歴史があって被害者プレイができるんだね。「反ユダヤ的である」と言えば何でも論理が通じるということに気付いてからめちゃくちゃなことをし始めたんだよ。
パレスチナというもともとの住人を隔離し迫害してきたイスラエル人に反抗して出てきたのがハマスというテロ組織だよ!
ハマスがコンサートでテロ行為を行ってからというものハマスを避難する論調が一般的だったけどさすがにイスラエルが色々と悪いことをやっているということが知られていったよ。
メディアは基本的にユダヤ人に牛耳られているため親パレスチナ的な発言を「反ユダヤ的である」として遮断してきたよ。
ここに目をつけたのがアジア通貨危機の生みの親、ジョージ・ソロスだよ!ジョージ・ソロスはBlack Lives Matter運動の背後におりまたEUの移民受け入れ強行の背後にもいるよ。
ソロスは基本的に世の中を混乱させることでアービトラージを生み出し稼ぐということを得意技にしているよ!
https://naoki.fanbox.cc/posts/6894312
それに最低限の技術がAIで代用できるもであれば、障害などで最低限の技術が手に入らなかった人や
ただ根性がなくて手に入らなかった人でも創作ができ、あらたなオリジナルが生まれる可能性がでてくる
大工だって今は手作業で鉋がけしない。そんな労力がいらないからさまざまな建造物が建てられる
プログラマも機械語やアセンブラは知らないのに高級言語のおかげで便利なアプリを量産できる
陶芸家も電気窯があるから薪を焚べる労力をかけず創作に専念できる
それに車だって自動運転が当たり前になれば運転能力という最低限の技術が必要なくなるだろうが
手作業のよさも残るはずだ
hang up が「電話を切る」という意味なのは違和感がある。電話を切るなら受話器は置く (down) から。
実をいうと壁掛け電話時代の名残であり、スマートフォン時代には受話器すら思い浮かばないので忘れられる違和感である。
外国人排斥が中国、日本、インドの「経済的苦境」を引き起こす:米国大統領バイデン氏 - Times of India
インドは排外主義的ではなく、最も歓迎的な国の一つ:S・ジャイシャンカール外務大臣 - エコノミック・タイムズ
S・ジャイシャンカールは、ジョー・バイデンによるインド経済に関する「外国人嫌い」発言に反論し、市民権改正法を擁護し、偏向メディアを批判し、モディ首相のリーダーシップを称賛した。また、多様な社会に対するインドの開放性と、公正なグローバル・シナリオの重要性を強調した。
S・ジャイシャンカール外相は、ジョー・バイデン米大統領がインドを「外国人嫌い」と表現し、経済的に問題を抱えていると言われる国々とグループ化していることを否定した。
「まず第一に、我々の経済は停滞していない。「インドは常に......インドは非常にユニークな国だ......世界の歴史上、非常にオープンな社会だったと言える。
ジャイシャンカールはまた、ナレンドラ・モディ政権がこのような歓迎を促進する法律を制定したことを挙げた。「CAA(市民権改正法)があるのは、困っている人々に門戸を開くためだ。
大臣はさらに、CAAに批判的な人々を叱責した。「CAAのせいで、100万人のイスラム教徒がこの国の市民権を失うことになると公言した人たちがいます。「なぜ彼らは責任を問われないのか?誰も市民権を失っていないからだ。
彼は、"非常にイデオロギー的 "な西側メディアの一部が、グローバルな物語を形成することを望んでおり、それゆえにインドを標的にしていると述べた。
「それは、自分たちが世界の物語をコントロールすべきであると常に信じている層である。
「彼らは多くの場合、政治的情熱を公言している。「彼らはインドの他の政党を公然と支持している。彼らは具体的な問題に首を突っ込み、立場を取ってきた。もし彼らがコメントや判断を下すのであれば、それがどこから来たものなのかを認識して受け止めたい。つまり、客観的な判断ではないのです。彼らは、今起きていることに利害関係があると公然と宣言している人たちだ。何が起きているのかに自分たちの役割があると信じているのだ。
このような流れから、報道の自由に関するインドのランキングの低さは、政治的な打撃であると大臣は述べた。ガザでの戦争に対するアメリカの大学での抗議行動を "示唆に富んでいる "と称し、"インドで運動が起こるたびに、大衆にどう対処すべきかについて多くの講義を受けた "と述べた。「今日のテレビの映像を見てほしい。つまり、大げさに言えば、彼らが何を説き、何を実践し、何を意図し、何を客観視しているのか、あるいはしていないのか。それが現実だと思います。だから、これは公的機関やシンクタンクの報告書だと言うかもしれない。別の手段による政治だ。だから、私はそれを認識し、それを告発する」。
パキスタンでの標的殺害をインドのせいにする報道について、彼はこう述べた。統計的に、テロリストが大勢いるところでは、何かが起こる。今、彼らはテロリストの産業というものを作り上げている。
大臣は、ナレンドラ・モディ首相を一生に一度の指導者だと評した。2015年から2018年まで外務次官を務め、2019年に外務大臣に就任したジャイシャンカール氏は、その信念から外交官を経て政界に転身したのだと語った。
・6話までみた
・1話の引き強い
アッ…
藤子・F・不二雄ミュージアムでやってる
好きなもの展に行く前にこれ観たらかなり面白く感じられるだろうなって
無名の新人の作品として視聴したときにどういう感想を持つかわからんのです
・IQ不足のせいかもしれないけどルールがかなりガバガバなんじゃないかな…って
・音楽がいい
・OPかっこいい
・ぼん君は他人の悲鳴を聞いたらとりあえず駆けつけようとすぐ動いてくれる
主人公なので好感を持てる
・
・追加で7話と最終回みた
「まし」ってことは自民党も悪いっていうこと自体は認めてて、どこかで逆転する余地があるって含みがある言い方だけど、韓国カルトの統一教会でも耐えてたのに円安直撃でついに泣き入れちゃった感じ?w
民主党政権が悪夢だったのかどうかは置いといて、最近立憲の勢いが増してきてるよね
勢いが増したというか、自民に入れてたやつらが棄権に回った結果立憲が勝った、みたいな感じかな
「ぼくちんは自民党消極的指示ですぅ~」とか言いながら休みの日にわざわざ自分の足で投票所に行って自分の手で自民候補者の名前書いて入れてる時点で消極的じゃないだろって思ってたけどさ
消極的指示なら棄権しつつネットでは自民を擁護するのが筋だと思ってたんだけど
投票率が低下した分立憲が勝ったって聞いて、あっやっと今まで脳死で自民に入れてたバカも気づいたんだって思ったよね。やっと成長することができたんだね
バカもバカとして歴史に残ることは避けたかったのかな?もう遅いんだけど、常識的に考えて日本を滅ぼしたい統一教会とべったりの安部自民を支持してたなんて当時の日本人バカだと思われるよね?あっ俺は安部自民には投票してないしずっと批判してたんでw
そもそも民主党政権が悪夢だった→だからもう二度と政権交代は起こすべきではない ←これ論理の飛躍だよね?
一回やってダメだったら二度目はないってロジックなら、なんで安部に二回もさせたの?って話だし
今もう民主党ないし立憲の党首泉健太だからwつーかれいわにも維新にも関係ないよね
こんな簡単なこともわからないバカばっかりだから日本って落ちぶれたんですよね。自民の裏金からの円安放置に耐えかねてやっと正しい「消極的指示(笑)」の仕方に収まった様子だけど
ああ、やっとなんだ(笑)
・オッペンハイマーの時も思ったけど第二次世界大戦の時の流れ+共産党とかのくだりもわかってないと十二分についてけないやつやこれ
・黒背景で男2人が深刻そうな顔して意味深なタイトルが付いてるミニシアター系映画ポスターならとりあえず観に行くチョロい己よ
・観る前予想→渋おじさんとイケメン青年が対立組織か仲間の工作員(スパイ)でどっちかがあの美女と薄暗Sexy描写控えめ湿度高めのLOVE展開とかで情報抜き取り取られ組織に渡す渡さない組織への忠誠心〜戦時中の歴史に翻弄される秘密組織での薄暗利益損得男男クソデカ感情ノワールもの
・観た後→よくわかんなかった…渋おじさんとイケメン青年そんなに絡まんかったし クソデカ感情の台風の目は美女オンリーやった… なんかスパイ諜報活動というより会食会食会食独占欲暴力会食会食 戦争おわり イケメン で終わった
・「(日本食は)慣れなくて」「じゃあこれから慣れなきゃな(これからも支配してくから日本食との付き合い長くなるぞ)」の日本悪描写として秀逸〜ってなった こうトイレを綺麗に使ってくださってありがとうございますの圧を感じさせる日本的な嫌な感じ出てた
・op初っ端で無音黒背景でスタッフ名漢字が画面いっぱいに出た5分弱の「え?何?」的な劇場の空気 これは貴重な体験やった 中国語って時点でカッコいいからズルいぜ
・NOと言える芸子さん
・一番好感を持ったのは日本軍のそこそこ偉そうな立場の人 というかこの人だけブレずに終始「戦争中の物語」をやっとったから好感を持てた
・まさかの犬映画…?と思ったらそんな事はなかったぜ なんとか大統領かわいい エンドクレジットにも「小柴」みたく書いてあってかわいい
加害者としてド畜生な事するのは被害者側視点で作られた映画だからなのはわかるし
仲間内の羊料理のシーンで腹を割って会話して「お前らのこと忘れない」って会話してたり
加害者側で描写しても「人間」のいいところ悪いところ両方書くのはクオリティ高いゾ〜ってなった
・日本軍の自転車シーンで「また俺の(自転車だけ)かよ!」はおもろかった なんかあそこだけ謎のほのぼの感ある そこも「悪い奴らにもそういう一面が」感あってよかった
そこそこ偉い日本軍人が役の人の日本語は8,9割聞き取れたけどモブ日本軍とかイケメン青年の日本語はたまに聞き取れない時あった 音が繫がっちゃってどういう単語を言ってるのか聞き取れなかった
でも日本軍のそこそこ偉い人は日本人俳優さんだったから中国中心で活動してるとかそういう人なのかな
・日本軍のそこそこ偉い人、もっとえげつない に方をしてザマァ的な展開のやつかと思った あの日の丸屏風に をぶちまけるとか荒ぶりドッグにかぶりつかれるとか
・そんなお高貴な血筋の方をお亡くなりになるリスク高い現場によこすか?
・不穏な聴取シーンからパン?して「おっと裾に1滴返り血が」はカッケェ〜しびぃ〜ってなった
・イケメン青年の尋問シーンで「なんでそんな血が飛び散るとわかりきっているのにそんなに仕立ての良さそうなスーツをお召すんですの…?でも返り値に濡れる美青年がドチャクソSexyだからヨシ!」ってなった
・「偶然」ピンポイントで新聞記事が床に落ちてたり委任状がデスクに無防備に置いてあったりスパイものの割になんかガバいねん
日本韓国とちょっと違う種類の「美しさ」で新鮮だった ケイトの東京飲茶シリーズのレベル100イエベって感じ
・なんで美女生きてるん?
・2/3辺りから「攻めの嫉妬から来る激情に萌える癖を持つちょっと歴史に詳しいタイプの人が書いたハーレー・クイン小説かな?」みたいな展開か始まり主人公が渋おじさんからいきなりイケメン青年に代わり「?」ってなってる間になんか「あーここで序盤のシーン回収する感じね!回収されても分からん!」ってなった
脳みそのクッソ浅い部分しか稼働しなくなってて、Twitterとはてブしか見てない。
「これをやるに至る歴史/背景」とか
「やらない言い訳」とか
「おれの正しさ」とか、
私がそう判定した(嗅ぎ取った)話を1秒も聞けない。
「で、やるんですか」とか
「つまり何をすればいいんですか?」とか
「ではこうすればいいのではないですか?」とか
「あの部署(人)と調整できてないってことですか?」とか
「人によって違うのでは?」とか
ツッコんでしまう。
お気持ちとかどうでもいい。
1秒でも早く結論が欲しい。
我々アンチフェミニストが行なっている性加害や誹謗中傷は草津の件と比較にならない程、長年に渡って女性を苦しめてきました。
その歴史は日本の近代化以前から今に至るまで女性の人権侵害として続いています。
大変に申し訳ございませんでした。
既報の通りエイドリアン・ニューウェイがレッドブルから離脱する。
レッドブル総帥ディートリヒ・マテシッツの死から2年も保たずレッドブルF1チームの崩壊の始まりとなったのは残念なことである。
そのきっかけがチーム代表のクリスチャン・ホーナーのセクハラ問題であるというのはなんとも現代的で悲しい。
そうなるとニューウェイ作のフェラーリマシンが登場すればフェラーリがチャンピオンになるのは間違いない。
ホンダPUがメルセデスと互角になった途端にレッドブルがチャンピオンに返り咲いた。
パワーユニットの性能差のハンデという特殊事情がなければメルセデスがコンストラクターを8連覇もするはずはなかったのだ。
おなじPUを使っていればレッドブルとメルセデスは毎年僅差でチャンピオンを争うか、もしくはレッドブルが圧勝していた。
つまり、なんらかの事情でフェラーリが不利な状況が生まれなければフェラーリが、ニューウェイのマシンが勝つのだ。
そういうことを考えるとF1はいっそニューウェイを禁止すればいいのかも知れない。
不世出な天才デザイナーを禁止することでチーム間の力の格差が是正されるのであれば、F1にとってそれは幸いなことではないだろうか?
いちフェミニストとして、草津の件ではフェミニストと名乗り発言力のある人たちが騙されたとはいえ真偽不明の案件に乗っかって誹謗中傷して謝罪もせず、本当に申し訳ございません。
でも、わたしだってテキトー言って謝らない人とか悪口言ってばっかのひととか反出生界隈とかトランス排除主義とかミサンドリストとかエロ絵が憎いだけの人とかはパージしたいと思ってるよ〜〜〜
そこはもともとフェミニズムの一派ではあるけど厳密には別物じゃ〜〜
でも自称されるし、一緒くたにされるし、どうすればいいんや〜〜
リアルでも気心知れた人とか、近しい人とは、トランス排除に惑わされないように話あったりしているよ〜〜〜
(あとついったのミサンドリストとか反出生界隈には、ビジネスアカウントが相当数いて、そのエコーチェンバーに巻き込まれた未成年や精神的に参ってる人も多いんじゃないかなと勝手に思ってる、、、夜職、有料note誘導とか)
ほんとはそこに巻き込まれてる人や分断を煽っている人も含め、もっと大きな構造的差別の解体を目指すのがフェミニズムなんじゃないかなーと思ってるんだけども
(フェミニズムはしがない市民がこのクソな社会に搾取されず、おもしろおかしく生きるための知恵なんじゃ〜〜〜)
これ以上、悪いインターネッツのなかでフェミニズムが汚名を着ていくのは忍びないんじゃ〜
堂々と前向きにおもろいフェミニズムを知ってほしいんじゃ〜〜
(だれかおもしろいフェミニズムコンテンツおすすめください…他力本願寺)
【追記】
だって、変なのがネットで目立つずっと前からフェミニストだったんだよ〜〜
歴史や学術や国際的な視点で見ればまともなフェミニストだってたくさんいるし
そこを荒らされて悲しいんだよ〜
フェミニズムを乗っ取られたくないし、形骸化させたくないんだよ〜〜
ここを見てるような人にとってはもう遅いのかもしれんけど、、、
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193038
学生時代は、健康づくりのために、鹿渓館(学生棟)という建物の地下2階にある【トレーニングルーム】に通っていた。授業が終わった後に、週に三度くらいかな。
ここでは、体育会部活の支配(?)が圧倒的だった。柔道とか空手とか陸上とかラグビーとかウェイトリフティングはもちろん、数多くの部活がトレーニングルームを使用していた。めちゃ狭かった思い出がある。
自分のように体育会でない者は、ひたすらにベンチプレスの順番を待つしかなかった。でも、なかなか空かないんだよな。ベンチプレス。あとは、体育会の利用者が優先という空気があったし、実際そっちの方があるべき姿だと思っていた。
ただ、自分の番が周ってきて、ベンチ台でバーベルとか持ち上げたりするじゃん。その時にさ、ガーーーンッ!! という大きい音がするのだ。見れば、隣のスペースでアップライト気味に胸~頭上にバーベルを上げていた柔道部の人が、バーベルを放り投げるようにして床に落とすのだ。
あれは、マジでびびったわ。重さが50kg以上もある物体を放り上げるだけの筋力が俺にもあれば、驚かずに済んだのかもしれない。
結局、夕方以降にトレーニングルームを使うのはやめて、早朝にトレーニングする派に転向したんだっけ。朝だったらベンチプレスも、腹筋台も、エアロバイクも、大型鏡の前も空いている。
確か、カブトムシその他の甲虫類が、クヌギやコナラの樹液を深夜に吸うのって、スズメバチを回避してるんだよな。日中にスズメバチとやり合うと甲虫側がボロ負けするので、彼らは仕方がなく時間帯を変えて樹液を吸うのだ。俺もその仲間だった。正体は甲虫類である。
ただやはり、体育会の人たちはバックグラウンドが違うこともあって、正直無理なことがあった。特に野球部や柔道部といった上意下達のイメージがある部活は、当時の自分からするとヤベーことばかりしていた。
夕方以降にキャンパスから下宿に帰ろうとする時、北側キャンパスの中庭付近で、体育会の人たちがバイオレンスなことをしていた。例えば、誰かのTシャツの胸あたりを両手で掴んで、ブンブン振り回していた。後は、後輩にエレベーターかトイレの前のタイル貼りのところで、床オナをさせていた。あれは振りだったと信じたい。通りすがりの人は普通にスルーしていた。
基本的に、体育会の人達はやりたい放題だった。2024年現在と比べれば、あの頃の世界は「実績があれば何でもよかろう」の世界だった。実際、彼らはある程度の実績を出している。
例えば、先ほどの鹿渓館の中にある部室棟について、2階とか3階の日当たり良好なスペースは体育会が占めていた。部室の出入口は中がいつでも見えるように、目線の高さの0.5㎡ほどがガラス張りになっているのだが、彼らはそれすら張り紙で覆い隠していた。たまに、男性や女性の怒声や、うめき声や、金切り声が聞こえていた。一体、中で何が行われていたのだろうか……。
ちなみに、【文化系部活】は地下1~2階に生息していた。ジメジメとした暗い空間である。そこで毎日の部活動をしていた。最新の大学キャンパスを見る限りは、おそらく今でも其処に彼ら彼女らは生きているのだろう。
まあ、でもこの頃って、だいたい20才くらいだったからだろうか。なんでも楽しかった記憶がある。
大学の構内だと、学食でごく稀にだけど、同じゼミの人と一緒にご飯を食べることがあった。京都の山間部にフィールドワークに行く関係で、事前に同じチームで親睦を深めるのだ。半強制のイベントだったけど、ああいう体験って、あの時分じゃないとできない。
大学近くでも、例えば喫茶店がふたつあったんだけど、社会福祉のカフェの方に割と行っていた記憶がある。お値段が安いからだけじゃなくて、なんか、どんな人でも受け入れるというか。そういう感覚がよかった。
教授が言うには、昔は大学に接している市道の上に、お昼時にたくさんの屋台が出店していたらしい。むかし、食中毒みたいな事件があってからは締め出しにあったみたいだけど、人生で一度は観てみたかったな。
大学の構外だと、ちょっと北の方にはおいしいラーメン屋とか、南の方にはカフェとか、中華料理のお店とか、いろいろあったな。文芸サークルの皆でよく利用していた。
今はどうか知らないが、大学の授業の出席確認に際しては、出席カードを提出する形式だった。時代の先を行っている大学だと、学生証をピッとやれば出席したことになるらしい。
どうでもいいけど、今って授業は15回中10回以上出ないと単位をもらえないらしい。厳しいんだな。あと、年間に取得できる上限単位は42らしい。ちょっと少なすぎるよ。俺の時だと、大学3回生の前期終了時点で最低110単位は取っていたはずだ。
さて、あれは大教室での授業の時だったか。秋だったと思う。佛大の若き学生がこの日記を見ている可能性はほぼゼロかと思うが、5号館の101という大きい教室(余談だが同志社の講義室に似てる)で、中国明朝の歴史の授業中だった。当時の日記によると、倭寇とか康熙帝とか足利義満とか、そのあたりの絡みがある回だったとある。もちろん全く覚えていない。
授業が始まると、出席カードが前の席から回ってくるのかな~と思いきや、一番前の人が一番後ろの席まで配り切る形式だった。自分が出席カードを受け取ると、すぐ後ろには野球部と思しき人達がいた。彼らは、「すんません、出席カード追加で5枚くれる?」と発言していた。
出席カードを配ってる人が「すいませんね~」と言って去ろうとすると、「おいお前、待てやコラ!!」と野球部の人達が彼に絡み始めた。出席カードを配ってる彼も引かず、収まる気配がなかった。
これはいかん、と思って俺は、「ちょっと、ちょっと~」と騒いでいた。やがて中年ほどの先生がやってきて、彼らをひと睨みすると、何事もなかったように騒ぎは収まった。
上記のニュースは私が入学する前の出来事だが、大学の体育会というのは、どこもこんな感じだろうと思う。佛大野球部も、京滋リーグという枠ではほぼ無敵だった。その線でいくと、日本大学もそういう感じだったのだろう。結果だけは出していた。
結果を出しているうちはいいのだが、佛教大学だって、やりすぎるといずれは日本大学や福山大学のように、不祥事(大麻とか)>実績となってしまい、とんでもない結末を迎える。
https://www.bukkyo-u.ac.jp/news/info/20240213-26933.html
上記のように、今でも事件はあるといえばあるが、こういうのはいいよ。間違った人材(臨時雇いの研究者)を雇ってしまったんだろう。大学側はいわば騙されてしまったわけだ。次から気を付ければいい。
ただ、卒業生の一人としては、学生という本質的な存在についてはキッチリと管理して、自分のように不愉快な思いをする学生を無くしてほしいと感じている。
不満ばかりを書いてる気がする。
大学生活、楽しいことはいっぱいあった。例えば部活がそうだ。文芸部とか文芸サークルである。
文章を書くのが好きだった。それこそ子どもの時分から。中学でも高校でも、そういう系の部活がよかったけど、運に恵まれなかった。大学生になって、ようやく文字で作品を創造する喜びを得ることができた。
あとは、学園祭だ。その名も鷹稜祭(おうりょうさい)というイベントなのだが、年に一度の楽しみだった。一度だけ実行委員になったことがある。みんなで何かひとつのものを作る、といったら大げさだけど、最初は何をしたらいいか全くわからない……という段階から、次第にステップを踏んでいって、尻上がりにイベントづくりが面白くなっていく。
最初の一歩を踏み出すのが早ければ早いほど、ドンドンと楽しくハイになっていって、最終日を迎える頃には、自らがイベントと一体になっている。自分と仕事がひとつになっていく感覚。
こういう感覚は、仕事はもちろん、趣味の活動にだってある。精神的な意味で、自分とナニカが溶け合ってひとつになっている感覚である。そのナニカは、人によって違う。パートナーや仲間だったり、参加してる社会そのものだったり、取り組んでいる事柄だったり、特定の空間だったりもする。
ひとつ、少なくともひとつ、大学に進学してよかったと思えるのは――これまでの人生で一番、没頭できるものを見つけられたことだ。これだけで大学に進んでよかったって、そう思える。
あとは、アニメがそうだな。それまでのアニメって、安っぽい作画が多かった。特に、子ども向けアニメはそうだ。ポケモンはまだいいけど、デジモンとかはひどいものだった。この頃から、なぜかはわからないが綺麗な作画が増えていった。
どのアニメかは忘れたけど、女の子がドンパチやる系の朝のアニメで、必殺技のダンスのバンクがあったのだ。サンバを踊ってたんだけど、最後に「ウー!マンボ」ってやるんだよな。「サンバなのかマンボなのかどっちなんだよwwwwww」と、当時は大笑いした記憶がある。
え、そんなものが面白いのかって? 当時はまだ20代前半である。箸が転んでも面白い年頃なのだ。
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