はてなキーワード: 明治以降とは
ビゴーの身長は160cmと欧米人としては低く、当時の日本人成人男性の平均とほぼ同じであった。清水勲は、このことで威圧感を与えずに日本人の中に入り込むことができたこと、また日本人の目線と変わらない絵の構図を獲得できたことを推定している[48]。
ビゴーの描いた風刺画のうち、鹿鳴館や日清戦争を扱ったものは小学校や中学校、高校などの社会科(歴史)教科書にしばしば教材として掲載されてなじみが深い。これらの絵では日本に対して辛辣な描き方がされている。これについて清水勲は、ビゴーは条約改正を尚早と考える点では居留地の外国人と同じスタンスに立っており、日本人の非近代的な側面を強調することでそれをアピールしようとした際に、貧相な容姿と非近代性をこじつけることが読者の理解を得やすいと考えたからだとしている[49][注釈 7]。
ただし、ビゴーが批判したのは日本国家の皮相的な欧化主義であり、日本の伝統的な文化や庶民の営みには敬意と共感を抱いていた。子守の少女が鉢巻きを巻いた姿で遊ぶのを目にして「鉢巻きは赤ん坊の顔に髪が触れないための工夫で、少女が遊ぶことで赤ん坊も楽しめるという点で日本の子守は悧巧である」と感服したという日本人の証言が残されている[注釈 8]。女性については『トバエ』の中で「日本で一番いいもの、それは女性だ。(中略)日本の女性に生まれたのだから、どうぞ日本の女性のままでいてもらいたい」と記し[52]、絵においても上流階級の人々は別として、風刺の少ない絵を描いた。後には日本人女性と結婚している。この背景として、日本の女性がビゴーの求める日本的なものや江戸情緒を伝える存在だったからだと清水勲は記している[53]。
1898年頃と推定される詩画集『横浜バラード』には、日本への幻滅(糞尿を運ぶ荷車の悪臭や、外国人には高額をふっかける日本の商売人)が歌われ[54]、離日直前に刊行した画集『1899年5月』では条約改正後の日本に対する外国人の不安がストレートに表現されていた。しかし、フランス帰国後も亡くなるまで日本に対して愛着を抱き続けた。また、日本軍をよく知っていたビゴーは、日露戦争当時のフランスで「ロシア圧勝」という世論に同調しない数少ないフランス人でもあった[55]。
欧米における日本人描写のステレオタイプとなった「つり目で出っ歯」という姿はビゴーの風刺画にも登場するが、その点について清水勲は「当時の日本人は現在に比べて国民全体の栄養状態が悪く、小柄で出っ歯の人が多かった。そうした日本人の姿が1867年のパリ万博で直に欧米人の目に触れたことと、ワーグマン、ビゴーなどの来日外国人の絵や当時の写真などの影響とによって広まり、欧米人の日本人観の一要因となったのではないか」といった意見を述べている[56]。
一方、同じくステレオタイプとしてよく登場する眼鏡については、ビゴーは「一般的に言って、日本人の視力はたいへん悪い。日本では様々な形をした、また様々な色をした眼鏡をかけている人に出会う」と記している[57]。清水勲は当時の日本人が「栄養状態が悪かったせいか、また家屋の作りから来る照明状態の悪さからか視力がよくなかった」ことと明治以降印刷物を読む機会が増えたことで、眼鏡を多くの人が使うようになったのではないかと推定している[57]。ただし、ビゴーの絵に眼鏡をかけた人物は必ずしも多くない。清水も、昭和期以降の欧米での日本人像に眼鏡が多く出る理由には昭和天皇や東条英機といった眼鏡をかけた要人がいた影響を指摘している[58]。ビゴーが庶民をスケッチした絵では男女を問わず様々な人相・年齢・職業の人物を描き分けている。
清水勲は「ビゴーは反日家なのか親日家かと聞かれることがあるが、答えはもちろん親日家である」と述べている[59]。
及川茂は、帰国後のビゴーは、当時フランスで見られたインドシナなど他の風俗と混交したようなでたらめな日本描写を快くは思わなかったが、それに立ち上がって抗議するような形での感情は日本に抱いていなかったとしている[39]。及川はビゴーが「日本をエキゾチストではなく、生活の一部として生きてきた人間」であり、「日本と対決したり競い合ったり摩擦を感じたりするのではなく、あればあるがままに、なければなしでもやっていけた」という[39]。滞日当時の日本は「そこで生活していれば批判の対象であり、揶揄の種であった」が、それはビゴーが初めて知った日本とは別物であったとする[39]。帰国後のビゴーにとって日本は「いつも優しくそこにある国」で、素朴で自然で暖かい日本を自分の心の中にしまっておきたいという感情故に、ジャーナリズムの挿絵画家という職を捨てざるを得なかったと指摘している[39]。
平和9条なんて時代遅れ。平和だ平和だ叫んで平和でいられる時代は終わった
平和主義撤廃したくないやつは自分が死にたくないだけの、ポジショントーク野郎。大義がないチキン野郎
もしくはこのまま平穏にやり過ごしたい、逃げ切りたいだけの老人
今の時代の人間の命よりも、未来の日本が存続してることの方が重要だったりする。それが大義
ロジックでわからないやつは靖国神社を参拝して、遊就館見てこい
日本はアメリカからウクライナの戦争で協力求められたけど何も出来なかった。
そして今、めっちゃいろんな国からサイバー攻撃受けてる。なんとかしたほうがいい
そして韓国語を第二外国語として必修にする。理由は日本人にとって一番習得難易度が低い言語で、これを習得すれば英語など
他の言語の習得のメンタル的なハードルがさがる(と思う)。それに韓国は台湾と同じく、もし戦争になったら貴重な同盟国になりうる。
それにちゃんとその言語と文化を学んだ外人に対して無下にはできないのが人間。日本人が韓国の言語と文化を学んで、韓国語で話しかければ
向こうも無下にはできなく、友好的なコミュニケーションが捗る。ということで韓国語を勉強する
これらのうちのいくつかを選んで選択式の科目にし、外国人にもちゃんと語れるようにする。
ちゃんとした歴史を学ぶ。昔の日本人の精神性の良いところを継承する努力をする
正直日本人は日本の歴史と日本人について何も知らなすぎる。歴史の検証も全くしてない
新しい時代を創るのは、老人ではない!
おお、コメントwwww
もっと爆釣したいwwww
鎌倉殿みてて思ったんだけど、知識が中学止まりで江戸時代以前さっぱりわからんわ。
恥ずかしながら、40歳にもなってるんだが、中学の知識で止まってる。
幕府っていうから、江戸幕府みたいなちゃんとした政治体なのかと思ってたら、鎌倉幕府ってのは武士の組合みたいなもんな?
今改めて考えると恩賞という形で略奪した土地を公平分配する約束で成り立つ生活協同組合みたいなイメージを受ける。
初期は南北朝に挟まれたり、中期は鎌倉と京で対立してたり、後期は家系の中で対立してグダグダ。上がグダグダだから下がしっかりしてるのかと思ったら、そうでもない。官僚制度も議会みたいなのもろくになく、やっぱり鎌倉と同じでただ利害関係で動いてるイメージ。
とかなんとか描き散らかしといて、ホントに知らんでもいい時代な気もする。
他の国との絡みもないし。
政治的には色々あったけど国内のグダグダで、特筆することもないけど、新しい発明や文化的には後世の基礎になった時代、くらいの理解じゃダメ?
ゼレンスキー大統領のオンライン国会演説のテーマが米では911と真珠湾だったが、日本では原爆だろうなと予想が盛り上がってる件。
第二次大戦は8/15の日本の降伏で終わったと思ってる人ばかりだがソ連に関してはそうじゃない。
時系列は
8/14 ポツダム宣言受諾、日本軍は全軍に攻撃停止命令、英米軍攻撃停止
8/15 玉音放送
8/18 占守島の戦い
8/22 三船殉難事件
と、連合国のうちでソ連軍だけが停戦せずに攻撃を続けた為に戦闘が継続し軍民に被害が発生した。
日ソ中立条約破棄は日本を降伏に追い込んで戦争を終結させる為だからまあいいとしてもだ。
だが8/15以後も攻撃を続けて避難民を殺したりしたのが是認できる訳が無い。
8/22 三船殉難事件というのは樺太(サハリン)の大泊から逃げる避難船をソ連潜水艦が留萌~増毛沖で3隻撃沈したっていう事件だ。
2隻は魚雷、もう一隻は浮上して機関砲を執拗に撃たれたものだが、この時撃たれた避難船は白旗を上げていた。でも攻撃は止まずに結局撃沈されて3隻で1700人くらいが死んでいる。
ゼレンスキー大統領が米議会で真珠湾を出したのが気に入らねぇとか言ってる奴等は馬鹿じゃねーの?アメリカじゃ卑劣な奇襲攻撃の代表格としてポピュラーだろ?という立場だが、8/15以降のソ連の行動は是認できるものじゃない。
米ソでヤルタ会談が行われ、千島列島はソ連にあげるってな密約がされたのな。
その上でソ連は釧路-留萌ライン以北の占領計画を勝手に立ててこういう行動をしていた。
占守島の戦いで膠着状態になっていた所にトルーマン大統領がスターリンに「北海道占拠するな」と釘を刺したので計画は頓挫されたが、それが無かったら北海道に上陸されて占領されていた可能性が高い。
無条件降伏した日本は第二次大戦の獲得領土だけじゃなくて明治以降の獲得領土も全部失うことになった。
でもそれに戦後納得が得られて「朝鮮台湾や青島は日本のモノだ!」みたいな意見が大きくならなかったのは連合国の方も領土を獲得しないっていう原則で戦後処理がされたからだ。
サンフランシスコ講和条約は日本の近代以降の武力や武力を背景とした干渉で得た領土を手放させ、過去の穏当で文化的な占有範囲を基準にして領土を決めている。
だがその例外が千島列島で、ここだけはヤルタ会談の密約が根拠になってるわけよ。ソ連だけがプチ帝国主義許されてる訳だ。更にそのうえで北海道ゲット計画もあったわけだ。
レーニンさん、帝国主義って資本主義の必然だったのでは?ソ連のこのざまは一体…?
SF条約に納得できても北方領土の方はおかしいと感じるのはこの為だ。SF条約の千島列島の扱い自体が領土不拡張原則に反してるからだ。
終戦後も海外領土から引揚てくる人が沢山居たのだが、地域によってその過酷さが違った。
資産は放棄せざる得なかったのだが、台湾とか米軍占領地では金銭の持ち出しは比較的緩かった。
でもソ連占領地では殆ど持ち出しが許されなかった。なので引揚船下りた後にどうしようもなくなってしまう人が多数出て、稚内とか新潟とか舞鶴とかの着地でそのままホームレス化してしまう人も沢山居た。
で、日本に土地もないので住居も農地も無く、持ち金もないスタートなので戦後復興や高度成長の流れにも乗れない人が大勢出て、高度成長期の末なのに未だ戦後を生きてる引揚者っていうのが1960年代に社会問題化したわけよ。
最終的に1967年に引揚者に対する特別交付金が支払われることになった。引揚者=苦労人の代表格だったのよ。
そんな風に引揚者への社会的同情が高くなっていた所に起こったのが成田空港建設問題ですよ。
当初の計画から変わって三里塚に決まったのだけど、その理由は満蒙開拓団引揚者の入植地で入植から日が浅いから多分おkって感じのなめた考えて、実際は満蒙開拓団引揚者入植地だから猛烈に開拓地に対する執着が強かった。戦後ゼロからやって来たわけやからな。
国が強引な舐めプで収用したもんだから新左翼が加わって国民的な引揚者への同情が高くなった直後だったので大紛糾したのはご存じの通り。
成田新幹線や接続高速道路まで頓挫したのは引揚者への同情が高くなった直後だったっていう事情ゆえで、これも新左翼のせいだと思ってる人居るが、んなわきゃない。
地主が抵抗したのが原因で千葉の広範囲の地主が左翼シンパなわきゃない。
成田新幹線用地を転用した線路を走るスカイライナー乗るとずっと住宅街の中通るが、実はあれは山林、農地を開拓したニュータウンの真ん中を通ってるのだ。ニュータウンの真ん中を成田新幹線が通るっていう一体化計画だ。
だから激不評な成田新幹線が通るとニュータウン関連の用地買収で地主が首を縦に振らなくなってしまう。なので自治体も成田新幹線計画に反対したのだな。空港本体と接続路線はちょっと事情が違う訳だ。
それもこれも引揚者の戦後困窮問題が元であって、特にソ連占領地で持ち出しを極限まで認めなかった事がルンペンプロレタリアート化の引き金になってるのだ。
だからゼレンスキー大統領とそのスピーチライターが日本の歴史良く知ってたら、多分原爆の被害と共にこういうソビエトロシアの行為を訴えるのではないかと思うのだ。
今のロシアがやってる事は満州国建設以後の日本の愚行そのもので、プーチンは変なヒッピー地政学みたいな本読む前に失敗の研究とか空気の研究読めよって感じなのだ。
その一方で戦後の時流を無視した領土拡張種主義の試みとか抑留の恐怖とか、ロシアのクソっぷりで共有できる経験がある。
…のだけど、例えば日本は悪くない史観なんかのせいで連合国の中でもソビエトロシアの為した理不尽さの線が埋もれてたり、単に忘れられていて、原爆ほどには日本人の心に刺さらないかもな、と思ったりもする。
ホルンの元増田さんが追記で「ディスったつもりはない」と仰っておりますので、この議論に関してはこれ以上反論も補足もいたしません。
ただ一点、元増田さんには「あのような書き方をすれば尺八(またはマイナーな民族楽器全般)がディスられたと感じる読み手が私を含め一定数居る」ということだけはご認識いただきたいです。
それより私が驚いたのは、はてなの中でどのようなきっかけであれ尺八という楽器にここまで注目していただいたということです。
特に「面白い」「勉強になった」「尺八吹いてみたくなった」等のコメントは予想外で本当に涙が出るほど嬉しく、励みになりました。
これが元増田さんへのツッコミという形ではなく単発のエントリだったとしたら、たとえ同じ内容でもここまで反響を頂けなかったと思うのです。
こんなチャンスはもう二度と来ないと思うので、今回の件をきっかけに尺八に興味を持っていただいた方に向けて、もう少し書かせてください。
尺八がマイナーな楽器であることは十分承知していますが、少しでも楽器としての魅力をお伝えしたく、なるべく専門用語を使わずお伝えさせていただきます。
流派によって多少の違いがありますが、基本的にカタカナで縦書きに表記されます。
基本となる音は5種類で、順に「ロ、ツ、レ、チ、ハ(リ)」となっています。
このカタカナは音程ではなく指使いを表しています。ギターでいうところのTAB譜に近い表記です。ですので同じ音程でも指使いが違えば表記も変わりますし、逆に表記が同じでも尺八の長さが変われば出てくる音の高さも変わります。
音の種類は替え指や特殊奏法を全部カウントするとおよそ30種類です。殆ど全ての音が西洋音楽の12音に対応していますが、中には五線譜では表現できない替え指や特殊奏法もあります。
尺八の音域はおよそ2オクターブ半ですが、ホルンと同じく音域の高い音は正確に当てるのが難しいです。
しかも、高い音の中にたった一つだけ、なんと足(正確には太もも)を使わないと演奏できない音が存在するのです!足を使わなくても音自体は鳴ることは鳴るのですが、ピッチが上ずってしまい使い物にならないのです。
指使いや首振りだけではこのピッチのずれをカバーしきれないので、太ももで尺八最下部の息の出る穴を塞いでしまい、首振りのくだりでご説明した「開口端補正」を利用してピッチを適正な所まで下げているのです!
繰り返しになりますが、基本の尺八は指孔が5個しかありません。これによる最大のデメリットは「細かいパッセージが吹けない」ということです。
基本の音だけで構成されたパッセージなら吹けなくもないですが、半音や特殊音が混じってくると、かなり厳しいです。そう考えると5孔で平然とジャズを吹きこなすZac Zinger氏はマジで化け物です。
このデメリットを克服するために、指孔を増やした尺八が存在します。まとめて「多孔尺八」と呼んでいますが、メジャーなものは6孔と7孔で、多いもので9孔があります。
指孔が増えることで、本来であれば「首振り」や「指孔を少しだけ開ける」などの細かい動作を必要とする音も指孔の開閉だけで出すことが可能になります。
この多孔尺八を「邪道だ」と毛嫌いする奏者もいますが、私はこれにより尺八音楽の表現の幅が広がるのであれば良いのではないかと考えます。
プロの定義が曖昧なので何とも言えませんが、メディアに複数回登場したり、CDを出したり、定期的にリサイタルを開催している奏者に限定すれば、国内で100~150人くらいではないでしょうか。
最近活躍している若手プロはその多くが東京藝大の尺八科邦楽科尺八専攻出身です。https://hougaku.geidai.ac.jp/
そんな中、メディアへの登場頻度が図抜けて高い現役プロ尺八奏者が2人存在します。一人は「和楽器の貴公子」こと藤原道山氏、もう一人は「美人すぎる尺八奏者」こと辻本好美氏です。
辻本好美氏の演奏は、実は某テレビ番組で毎週必ず、それも何回も使われています。正解は以下の動画の1:55あたりから。
https://www.youtube.com/watch?v=2NfBpCQ5VYQ
お二人とも人気実力ともに申し分ないですが、私が個人的に一番好きなプロ尺八奏者は小湊昭尚氏です。彼の演奏がきっかけで尺八の世界に興味を持ったと言っても過言ではありません。
小湊さんがYOASOBIの「夜に駆ける」を尺八でカバーした動画は超絶オススメなので是非皆さんにご覧いただきたいです。先ほど紹介した「足を使わないと出せない音」や「首振り」も速いパッセージの中でバンバン使っていて、言葉がありません。
https://www.youtube.com/watch?v=LI0nzOKtTuk
尺八と聞いて多くの方がイメージされる「ブヒョ〜」という荒々しい音ですが、あれは口腔内や唇の形状を変えることで敢えて乱気流を発生させ雑音を含ませていて、専門用語で「ムラ息」と呼んでいます。
やり方は奏者によって様々ですが、基本的には舌の先端を下の歯の付け根あたりに巻き込んで通常より強めの息で吹き込むことで鳴らすことができます。
このムラ息、曲中であまり多用しすぎるとうるさい演奏になってしまいますので、ベースは綺麗な音で演奏し、ここぞという時に使用しています。ちなみに上記紹介の「夜に駆ける」動画の中では3:06あたりで使用されています。
本当はもっともっとお伝えしたいことがあるのですが、長すぎると逆に興ざめになってしまいそうなのでここまでにします。
ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。
尺八に関する質問があればトラバやブコメにお寄せください!可能な限り追記で回答いたしますので。
2/26 追記
皆様ありがとうござます。これまでに頂いたブコメからいくつか回答いたします。
兎にも角にもまず楽器が無いと始まらないのですが、これには明確な回答がございます。
ズバリ、「プラスチック尺八 悠」の一択です。初心者用の尺八としてはこれ以外の選択肢は無いと言っていいでしょう。価格は約16,000円です(昔はもうちょっと安かったんだけどなぁ…)。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00P2FXKRS/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_VR20JYRNZ0YEQJ2QWS28
ヤフオクやメルカリなどで中古の竹製尺八が売られていますが、初心者には高確率で地雷となりますので絶対に手を出さないでください。実家の押入れに眠っていた尺八も避けた方が無難です。
理由として、竹製は太さがまちまちで本人の口に合わない場合があること、手入れがされておらず割れていたり調律されていない場合があること、作者がわからないのでクオリティが玉石混淆なこと、などが挙げられます。
その点「プラスチック尺八 悠」はその名の通りプラスチック製なので太さ、仕上がりが均一で、乾燥などによって割れる心配がなく、プロ尺八奏者による監修もされております。
もし竹製の尺八が欲しくなっても絶対に一人判断して買わず、信頼できる師匠、尺八奏者、製管師と一緒に選んでください。
尺八選びを間違えたために最初の段階でつまづき、「私には無理だ」「やっぱり尺八は難しい」と思い込んでリタイヤする人の何と多いことか。残念でなりません。
楽器以外に必要なのは譜面台、チューナー、露切り(管楽器でいうところのスワブ)、テキストくらいでしょうか。
譜面台は尺八用をお勧めします。蛇腹式で横に広がるので主に縦書きの尺八用楽譜を置くのに適しています。
https://www.amazon.co.jp/dp/B000WMCB94/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_HKHG69Q886CJS94SFZAP
チューナーは一般的なものであれば何でも構いません。スマホのアプリでも大丈夫です。
露切りは購入すれば間違いないですが、自作で手ぬぐいやハンカチに紐とおもりを結びつけた物でも大丈夫です。
練習後に露切りで尺八内部に付着した水分を拭き取って終わりです。簡単ですね。これも尺八の魅力です。
不可能とは言いませんが、できれば信頼できる尺八奏者から直に教わってほしいですね。
オンラインレッスンを開講しているプロ奏者も何人かいらっしゃいます。レッスン料は講師によって千差万別です。
各流派の師範などの肩書を持った方もいらっしゃいますが、師範=プロではないので注意して下さい。実際にその人の演奏を聴いたり体験レッスンを受けたうえで決めた方が良いでしょう。
最近はプロ奏者がYoutubeで解説してくれている動画もありますので参考になるかと思います。
https://www.youtube.com/channel/UCzD1bRWJ6o9ECnHRUVGctMw/videos
初心者用のテキストですが、個人的なオススメは「鳴るほどザ尺八」です。
https://www.amazon.co.jp/dp/4991014433/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_Q2V39NSKQTAXAGBANXCG
著者の菅原久仁義氏は現役のトッププロ奏者で、多くの若手プロ奏者を育成した実績もお持ちです。
もしあなたが大学生であれば、「和楽器サークル」または「尺八サークル」に入会してください。懇切丁寧に教えてくれるはずです。
もし自分の通う大学にそうしたサークルが存在しない場合、近所の大学のサークルに相談するのも手です。
社会人になってから尺八に出会った私としては、同年代が集まって切磋琢磨できる環境と練習時間がある大学生が羨ましくて羨ましくて仕方ありません。
一緒に練習できる仲間って、本当にかけがえのない存在です。小中高の吹奏楽部での経験があるからこそ、尚更そう思います。
ホルンの知名度のくだりでも少し話題になりましたが、国内唯一の和楽器専門誌「邦楽ジャーナル」によれば、現在の尺八人口は国内におよそ2万人とのことです。
他の楽器の人口がわからないので、この数字が多いのか少ないのか、私には判断できません。詳しい方いらっしゃいましたら教えてください。
ご想像の通り、曲の調や音域に合わせて随時最適な尺八を選択しているからです。そのため、曲の中で転調があると動画のような持ち替えが発生します。
尺八は一寸刻みで長さの違うものがあり、一寸長くなると出る音が全体的に半音低くなります。
最も一般的な長さは一尺八寸(D管)で、次いで良く使われるのは一尺六寸(E管)、二尺三寸(A管)となります。
ちなみにこの「一尺八寸」が「尺八」という名の由来になっているといわれています(諸説あり)。
そうです。大甲のツです。
「夜に駆ける」動画では結構な頻度で使われていましたがこれは極めてレアケースで、通常の曲で使われることはほぼ無いのでご安心ください。
尺八が合奏用の「楽器」として使われ始めたのは明治時代以降で、それまでは禅宗の一派である普化宗の虚無僧が修行の一環として使う「法器」でした。
そのため、他の楽器と合奏することが禁じられていたのが原因と思われます。事実、虚無僧が吹いていた曲はそのほぼ全てが独奏曲となっております。
箏と三味線と尺八が合奏する曲がありますが、あの編成が成立したのも明治以降で、それ以前は胡弓という楽器が今の尺八のパートを担っておりました。
さらに、当時の尺八は現代の尺八とは違い管の内部が漆で整えられておらず細かい凹凸があったため、音程や音量が不安定でそもそも合奏に不向きだったことも原因かもしれません。
https://anond.hatelabo.jp/20211113201646
横田だけど、ちょっとググったらそれっぽいストーリーが立てられたので共有しておく。
三行でストーリーをまとめると
・「屍山血河」という言葉を考案したのは大日本帝国陸軍の文官で、陸軍教授の地位にいた樋口石城なる人物である。
・「屍山血河」は、旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を邦訳する際、邦題として発案された。
・この邦訳を読んだ人々が邦題を熟語として認識。そのうち、司馬遼太郎が小説内で多用したことで日本中に広がった。
「屍山血河」の由来はなにか。まず、中国語で言うところの「成語」にそれらしい言葉はない。
かといって「屍山」とか日常言語で使う単語という感じではないし、自然発生した四字熟語でもないだろう。
普通に考えたら、中国語以外の言語にある熟語を、明治以降の文化人とかが邦訳するときに成語っぽく整えた、とかが一番ありそうなパターンだ。
しかし、「屍山血河」という単語は辞書に載っているが、用例として記されているのは司馬遼太郎の小説ばかりだ。後は三島由紀夫だが、司馬遼太郎の用例が古い。
辞書を作ったときにそれより古い用例が見つからなかった可能性が高い。
普通、辞書の用例はその用法で一番古いものを採用する。だれか他の文学者が創作したならそっちが採用されないのは奇妙である。
もちろん、司馬遼太郎が独自に考案したと考えるのは早計だろう。
司馬遼太郎が勝手に創作したとされていた史観や、事実関係が怪しい記述も、近年ちゃんと調べてみると「元ネタ」があるものばかりだったらしい。
もちろん、だからといって、それらが歴史的事実だというわけではなく、「元ネタ」を書いた人が勝手に創作したり、誤認識していたということらしいのだが。
ともかく、司馬遼太郎は無から発想したり、自分で説明なしに訳語を創作するような人間ではないと思う。
用例として採用しづらい対象で、司馬遼太郎が興味を持つ題材の日本語の資料で「屍山血河」を使ったものがあるはず。
この条件に合致しそうなのが "屍山血河" コステンコ 著,樋口石城 譯 [1]である。
ちょっと調べてみると、これは旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"[2]の邦訳だ。
М. И. Костенкоは旅順攻防戦に少将として参加した後、戦後は軍事法廷の議長とかをやった、とwikipediaに書いてあった。
旅順戦の日誌は貴重な資料であり、ロシアで広く読まれた。これが邦訳され、1912年に出版された。
しかしそれにしては邦題がおかしい。おかげでググっても原著がすぐ出てこなくてちょっとイライラした。
"Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を機械翻訳すると、"旅順要塞の包囲と降伏:私の印象"となる。
実際、この本は1973年に田崎与喜衛に再訳されており、そのときの邦題は"旅順攻防回想録 "となっている[3]。
泥沼の旅順戦で主に大量の兵士、とくに日本兵が死んだ様子を描写して「屍山血河」と言っているのだろうが、戦闘記録の題名にするには文学的にすぎるだろう。
М. И. Костенкоが序文とかサブタイトル的な位置にこの単語を使っているのではなく、樋口石城が勝手につけた邦題である可能性が高い。
ロシア語でも Горы трупов (死の山)とか реки крови(血の川)という表現は戦争を表現する際、よく使うようだ。
熟語とまでは行かないが、並列して使われる例もググればそれなりに出てくる。
原著に直接この組み合わせが出てくるかはちゃんと調べていないので不明だが、本文検索してみたら、Горы труповは単体で積み重なった日本人の死体の表現として使われていた。
もしこの記録が文学作品だったらこの題をつけるのは適当かもしれない。
これ以降は完全に当て推量である。
陸軍教授、樋口石城がどういう人物なのかはググっても出てこないが、樋口季一郎の親戚とかだろう。しらんけど。
まあ、軍教授なのだし名家出身の学者で、ロシア語を含む文系の教養があって、仕事はロシア関連の軍事資料の邦訳を大量にやらされていたのだろう。
だから文学作品とかを書く暇もないので、やらされた邦訳の仕事で、多少のオリジナリティを発揮してみたくなったのではないだろうか。
そこで少し文学風に気取って成語っぽい「屍山血河」という語を創り、戦闘記録の邦題としてつけたのだ。
それを司馬遼太郎が資料として閲覧。そういう成語が既にあると認識、戦争小説で多用。
小説を読んだ人間もそういう語があると理解し、大量の死者が出る戦争を語る際に一般的な単語へと一気に昇格してしまった。
そしていざ辞書に載せようとすると、用例として明記できる古い例が司馬遼太郎以前にないことに気づく。
樋口石城の訳書も発見はされたのだろうが、題なので用例としては不適であり、スルーされた。
結局、遡れるのは司馬遼太郎の小説しかなかったのではないだろうか。
無論、上記は全てネット上で手に入る資料の断片からの推測であり、だいぶお粗末なものだが、もし当たっていればなかなか面白いストーリーではないだろうか。
以上、「屍山血河」の由来について横田が調べてみました。
[1]https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024298307-00
少なくとも今の日本の社会の制度は「家=世帯」をベースに構築されていて、その「世帯」の名前が「姓」なんだ。結構根幹にかかわることなんだよ。
大した伝統じゃないとか言ったって、ちゃんとした社会制度が全国に広がった明治以降はそうなんだから、行政サービスとか公共教育とか福祉とかなんにもなく、曖昧でよかった時代とは違う。
賛成派は自分の姓が大事…というけれども、それだって親のどちらかが犠牲になって姓を統一して世帯として活動してきたから愛着が湧いたわけで、別姓後の次の世代にとってそもそも「家の名前=姓」を大事にするという感覚はかなりロストするだろう。別姓派は、自分の姓を大事にしたかったから別姓にしたかったんじゃないのか?
姓がそもそも国家制度としてあまり重要じゃなくなれば、それこそ守る価値すらなくなると思っている。え?姓、変えたきゃ変えりゃいいやん。なんなら結婚も関係なく変えたきゃいつでも変えられる。それぐらいまで価値を落としたときに成功すると思うが、それは別姓推進派が描いているイメージじゃないと思うんだよな。
そのためには完全に個人ベースの住民データベースが構築され、それが世帯なのかどうかはその条件でクエリーしたときだけ出てくればOKぐらいまで意識と台帳を再構築しないといけない。で、おそらく賛成派はそこまで社会制度を再構築するという気概も意識もなければ知恵もビジョンもない。ただ自分の姓が大事。いや別姓OKにするってことは姓そのものを大事にする必要がないようにするってことなんだよ。たぶんそこがわかってない。それが透けて見えるからあんまり賛成できないんだよな。
もっとも反対派もそこまで反論できる人もいないし、なし崩し的に別姓にして、エイリアスもなんもない制度になってただボロボロになるんだろうなあ、って思う。