はてなキーワード: 免除とは
東京は弱者なら、下記のような団地を称するタワマンに、0~1万円(家賃免除)もしくは、1万9千円~ 4万1千円で住めることに、
建前上はなっている
階数:地上20階,地下なし
高さ:70m
間取り図:https://www.juutakuseisaku.metro.tokyo.lg.jp/toei_online/pdf/index-04.pdf
外観:https://view.tokyo/?p=55664
やっぱり男子に性加害するのも大半は男なんだよね。
悪質過ぎる。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASS5130W1S51UTIL033M.html
在日シンガポール大使館の男性参事官(55)が2月、東京都内の銭湯で18歳未満の男子生徒を盗撮した疑いで、警視庁に任意で事情聴取されていたことが捜査関係者への取材でわかった。参事官は外交官を名乗り、現場で盗撮を認めたが、警察署への同行は拒み、その場を立ち去った。事件は立件に至っていない。
外交官には逮捕などの身柄拘束や裁判が原則免除される特権がある。参事官はシンガポール国籍で、事件当日の後は事情聴取は実施されていないが、すでに役職を離れたという。参事官は同大使館で幹部に当たる役職。
「間違いない」 写真700枚を自ら削除
複数の捜査関係者によると、参事官は2月27日夜、東京都港区にある銭湯の男性脱衣所で、スマートフォンを使って未成年の男子生徒の裸を撮影した疑いがある。
銭湯側が110番通報し、駆けつけた警察官が参事官のスマホを調べたところ、脱衣所内で撮影したと思われる男性客の裸の写真が複数見つかった。「自分が撮ったことは間違いない」と認めたという。
警察官が署への任意同行を求めたが、参事官は「ここでの質問には答える」と話したものの、署へ行くことは拒否。男子生徒の保護者が、盗撮した写真を消去するよう要望したところ、その場で自ら消去した。他の銭湯でも盗撮行為をしていたと警察官らに明かし、消去した写真は、当日までの半年ほどで撮影したという約700枚に及んだという。
「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。
じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。
もちろんこれは、単なる個人の体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付けや証拠を出せ!と言われても無理である。増田だから匿名だし。
ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。
すごく賢い男の子がいた。
私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気がクラスにはあった。
ある時、別の賢い男の子が転校してきた。
あまり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。
ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。
男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。
「まさか、女に負けるなんて」
私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。
そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。
そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子だから!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。
従兄弟はクズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。
これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母に随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。
私は、嫌になるほど祖母に似ていた。
外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。
そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。
私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。
「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母の姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」
「えっ?それって」
「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」
ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。
田舎の小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。
だから脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。
というわけで、若干遠い学校に通うことになった。
一時期、寮に入っていた。
その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。
「下着も干している、プライベートな場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」
私の主張は鼻で笑われた。
「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」
私は食い下がった。
「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしのプライバシーを尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」
男は心底驚いた顔をした。
「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」
周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。
どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。
翌年から私は寮を出た。
私も、周りの子も、親や教師に相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。
お前達は子供だからお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想
あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢とかいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。
一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。
このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分の権利を主張するな、という空気しかなかった。
今も変わらない?そうかな……そうかも……
部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。
理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。
もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的に彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。
「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」
しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!!?!?!(流石にキレる)
感謝の気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?
最後に感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?!
人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。
食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき、台所で食べた。
「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。
お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。
ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。
最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。
ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。
お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。
「やっぱり、お墓参りはちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」
と言いにくそうに言われた。
「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????
と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。
そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。
そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に、女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。
そのうちの一つが、以下に書くような話だ。
というか、胸の大小について、男性から公的な場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的な言葉をかけられる。」
これまで私が受けてきたセクハラは、「性的な意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。
でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的な意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。
私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生に揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。
だから余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。
大学院に進んだ。
そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。
父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。
一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。
「女がそげん勉強して、どがんすっ」
翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である。
小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。
戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母の気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。
大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。
買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から、言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。
男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、
と言われた。
雷に打たれたような気持ちだった。
こいつは何を企んでいる?と思った。
どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。
頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。
女の子だから、という理由で作業を免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。
さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。
もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったものが日本の他の地とは違っているからだと思います。
普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。
中学生くらいの時から、欧米の女性は自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米の女性はそもそも『お人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォだから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。
前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックスの相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんとしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも10〜20年前の九州ではそう言われていた。
生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所を俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。
上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代、男の子になりたかった。
だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。
「男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。
セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。
一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。
ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的な気持ちで、男の子になりたかった。
あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。
私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。
けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。
今、私は、身体違和を感じていない。
生まれながらの心の問題とは別に、社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療法である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。
勤続二桁目前で適応障害でぶっ倒れ、数ヶ月休職した影響で自分は昇進できないだろうとは理解していたが、後輩が昇進するのは納得できない。
適応障害の原因は色々あったが基本的には対人のストレスだった。耄碌してミスを連発する嘱託のジジイの尻拭い、他部の上司から受けたハラスメント、先輩の育児休暇に伴う人手不足とカバーする気のない上司と後輩、相談しても「なんとかなる」しか言わず、朝言ったことが夕方には変わってる上司。「なんとかなるんじゃねえ、なんとかしてんだよ」と言う前に眠れなくなった。
休職から復帰したら、元いた部署の後輩は自身の担当の仕事以外、午後の仕事をすべて免除されていた。「技術習得のため、資格試験のため」と上司から免除されたと他の部署の先輩から聞いた。
私がやっていた仕事と後輩の仕事が免除されている分、溢れた仕事を先輩が巻き取らされているらしくめちゃくちゃイライラしていた。平謝りした。
ぶっ倒れたと聞いた途端に上記の嘱託ジジイから宗教勧誘を受けたので、ジジイから距離を取るべく元いた部署には戻らず他の部署の仕事をしばらくこなしていた。
元いた部署の後輩は部屋中にベタベタと試験勉強の付箋を貼り、談笑し、スマフォをいじっていた。「甘やかされてんな〜」と思いながら過ごした。
こちらの仕事が火を吹いて昼休憩もろくに取れずグロッキーになっていても、上司は手伝いどころか様子を見にも来ず、後輩にコーヒーを奢ってキャッキャウフフと談笑していて、爆弾を投げ込んでやろうかとも思った。
先輩曰く「いつものこと」らしい。
後輩は試験に落ちた。
何なら仕事を免除されてない別の部署の後輩は受かり、仕事を免除されていた後輩は落ちた。
自分と先輩の「は?」のタイミングがあれほど揃ったことはないだろう。
「上司は腹切るかエンコ詰めるかするんか?」と思ったが今のところ腹も無事だし小指も無事である。
それなのに試験に落ちた後輩は昇進するらしい。
しかも仕事の免除は継続らしい。今年も試験に落ちたらその時点で即退職しよ☆と思った。
めちゃくちゃ憂鬱だ。
「後輩さんが昇進するんだからそっちに仕事を回してください。自分はヒラなので」って言っても、こっちにヘルプ要請が回ってくる。昨日もそのせいで残業して、後輩はさっさと定時で帰った。チョコザップに行くらしい。
めちゃくちゃ憂鬱だ。
即座に辞めた方がいい気がするが、夏のイベントに持ち込むだけのボーナスは回収したい。お金ほぢい。
まだ上司と昨年度の業績についての面談をしていないんだが、「いつエンコ詰めるんですか?」ってどうやって聞いたらいいんだろう。
ここ4日くらいまともなメシ食ってないけど家に引きこもってれば影響ないことが改めてわかった
逆にその状態で外出て歩いたりするとエネルギー不足で体調悪くなるから
仕事やめてもひきこもって飯食わなきゃ生きていけるんだなーって思うとまた仕事やめたくなってきたわ
住民税とかも無職なら最低ラインになるからそこまで負担じゃないし
psplusもあと10年くらいは入ってるからゲームにも困らんし
それがなくなりそうになったら保険解約すればまた1000マンくらい入るし
アラフォーだからぜーたくしなけりゃ60くらいまでいけるかなー
親がはやくしねば遺産も入るだろーし
年金は免除でへるかもだけどDCが400くらいあるからそれもあるし
ぶっちゃけ独身男性なんか早く死ぬから年金うんぬんとか考えても無駄なんだよね
ちょっと前の話。
金曜に引き渡しをして書類の押印も頂いて、あとは施主が家具を入れてから完成写真撮ってフォトアルバム作りましょうねーって話をしてたところだった。
日曜にご主人が突然倒れて、搬送先で亡くなった。
月曜に出社したら営業がバタバタしてて、明日か明後日か?葬儀があるとかカメラマンにキャンセル入れるとかそういう話をしてて、すっげえショック受けた。
亡くなったのはもちろん悲しい。病気持ちでもなんでもない普通の会社員のご主人で、本当に急だったし。残された奥さんとお子さんのこれからを考えると本当に暗い気持ちになる。だけどそれ以上に、あの家族のために作った家になんの意味も無くなったってことが虚しくて虚しくて仕方が無い。
俺は施工関係の担当だから施主と直接話す機会はそう多くはなかったが、建築の意図は知ってる。
当面は三人で寝るデカいベッドを入れるからその幅だけニッチを作る、とか。
そうやって未来のことをいろいろ考えて作った家で、ご主人が暮らせなかったんだよ。在宅仕事はしないし子供は増えないし寝る時は奥さんとお子さんの二人だけ。ああだこうだと相談して作ったのが全部パア。意味がない。
どうこう言っても仕方ないから、たぶん奥さんとお子さんの二人で住むんだろう。住むしかないから。奥さんどうするんだろうな。再婚とかするのかな。したいと思っても簡単にできないし、二人で生きていくのも簡単じゃないよな。
引き渡ししたからローンも始まってる。会社的には問題ない。施主も団信に入ってたから免除された。そのあたりの問題は何も無い。不幸中の幸いってやつ。なにが幸いだよって感じだけどな。
ほんとなんのために作ったんだろうな。なんでこんなことになったんだ。なんで今この人が死ななきゃいけなかったんだろう。信じたこともない神様になんでだよって思ったよ。
https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47
「身体性別はない」と主張する能川センセイ、ニューヨークタイムズのまともな記事読まなくちゃ!
The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth’
「割り当てられた性」が採用される理由のひとつは、敬意に満ちた婉曲表現が提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学的現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解は時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。
「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たちは礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学的事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たちの伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。
そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的な生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。
性差は健康、安全、社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性は男性に比べ、薬物による有害な副作用を経験する確率が2倍近く高いが、この問題は女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人や性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要な事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである。
影響力のある組織や個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合いを議論するのに必要な言葉を使うことで、市民が辱められるような文化を奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定の意見を公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見を議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。
より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学的事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカの哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化的生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。
この立場は、人間が自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たちは動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類が進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語的儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。
一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たちは性別の二元論が人間の発明ではないことを確信できる。
「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学的事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである。私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語を必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解と民主的な審議の出発点なのである。