はてなキーワード: 負け組とは
今日話題の「衰退ポルノ」なる造語だけど、そこで言われている特徴に当てはまるのは、それまでの「反日ポルノ」とは真逆の性質の人たちだ。
反日ポルノ(氷河期が言うところの左翼とかリベラル)の人たちは、日本の良くない面をあげつらうときも、彼ら自身は最高の存在だと思っている。
ところが衰退ポルノの特徴は、愛国ポルノの「日本すごい=俺すごい」を反転させた「日本ダメだ=俺ダメだ」と定義されたことにある。
「俺ダメだ」などと言っているのはどの層かというと、弱者男性であり、すなわち平成時代には愛国ポルノが大好きだった人々であり、すなわち氷河期の負け組だ。
かつて愛国ポルノに耽溺した氷河期の負け組は、生活水準の低下(横這いではない)に直面し愛国ポルノの欺瞞から目を逸せなくなった者から順に、衰退ポルノにシフトして行くのだろう。
https://mainichi.jp/articles/20230322/k00/00m/040/429000c
このニュースで自分が女子大付属の中高に通っていた時のことを思い出した。
言いたいことはタイトルの通り、付属の女子大へ進学する場合は負け組というか大学受験から降りたという空気だった。
15年ほど前のことであるが、良くも悪くも古風な風潮だったので、多分変わっていないと思う。
理由は単純で付属大への進学をする場合は外部受験が認められていなかったからだ。
内部進学は推薦という形式を取っていたのでそれを蹴らないように、ということである。
この推薦も余程のことがない限り全員合格となっていたので、いつも追試を受けているような人でも大学進学という経歴を手に入れられていた。
マジでこれ
俺は95年生まれで就活売り手市場だったのだが普通に負けて謎の中小SESに入社した負け組
氷河期世代の負け組はマジで他の世代の負け組に対して冷たい人が多い
さあ、みなさん、氷河期の負け組の話をしましょう。何が彼らを苦しめているのか、考えてみると、努力不足、他責思考、無気力、市場価値ゼロ、無駄な上昇志向などが挙げられますよね。バブル世代やZ世代にも同じような傾向が見られますが、僕ら氷河期世代の負け組は特に厳しい状況に置かれています。
僕は正直に言って、高学歴とされるMARCHに合格するぐらいのレベルは、誰もが努力すれば到達できると思っています。それができない人たちを、無能だとは言い切れませんが、十分に努力していないことは確かです。
でもね、努力をすれば、氷河期世代だって勝ち組になれる人がいるんです。僕はそう思っています。ただ、多くの人はこのような努力をせず、自分たちの苦境を氷河期だから仕方がないと甘んじているのが現状です。
他人と比較するのではなく、自分の人生に対して責任感を持って努力を続けることが重要だと僕は思います。勝ち組になろうとする姿勢が欠けている限り、負け組から脱出することは難しいんじゃないかな。
氷河期の負け組が特別な援助を求める声もありますが、それは自分たちの努力不足を棚に上げる姿勢に見えます。僕から言わせてもらうと、自分なりにやれることをやっている人にとっては失礼な発言だと感じます。
学習性無力感に打ちひしがれるのは理解できますが、氷河期だから仕方がないという甘えに逃げ込むのは、自分の人生に対して無責任すぎると僕は思うんです。勝ち組になろうとする意欲を持ち続け、責任感をもって努力し続けることが求められます。それが、僕たち氷河期世代が勝ち組になるための道筋だと信じています。
時代の流れによっては、氷河期世代にもチャンスが巡ってくることでしょう。しかし、そのチャンスを掴むためには、努力を惜しまず、自己改善に励むことが大切です。チートスキルを手に入れて一気に成功する夢物語は、現実にはなかなか起こりません。
僕ら氷河期世代が過去の困難を乗り越え、中間層ぐらいにまでたどり着ける人もいるんです。転職市場が温まってきた今、そうした努力を続ける人たちは負け組から抜け出しています。ただ、「氷河期だったから」とずっと言い訳にしている人たちは、どうやって勝ち組になろうとしているのでしょうか?
最後に、僕たち氷河期世代の負け組は、自分たちの無気力や努力不足に対して責任を取り、立ち上がることが大切だと思います。また、他人と比較するのではなく、自分の人生を豊かにするためにどれだけの努力を払っているかを考えるべきです。それが、僕たちの人生をより良い方向へ導く第一歩となるでしょう。
GPT-4に書き直してもらいました。
・高学歴高収入層では全く少子化していない(だから保育園や学童に入れないがバズーカったりしている)
・底辺はそもそもセックスする機会がないので避妊や中絶とは無縁、結婚も出産もしない
…という点にあると思うんだけど
これって後先考えずに繁殖に励む、他の先進国なら底辺に落ちるような人間性終わってるような奴等こそが高い収入を得られて上層階級にいられて
大企業に勤めるのでなければ
日本で自分の上司にあたるのは負け組勝ち組共に本気で頭おかしい氷河期世代だけだから
そんなところで働いても将来性ゼロだもんなあ
いや賢いよね
多分どっちも正しいんだと思う
成功したのも失敗したのも「本人の努力と運の結果」なんだと思う
勝ち組は努力で成功したことにしたいし、負け組は運が悪かったなど他責で失敗したことにしたいから永遠に互いが平行線になるのは仕方ないけど、本当の正解はそのど真ん中の線上にあるんだと思う
「結婚できない奴は哀れな負け組! 遺伝子を残すこともできはい劣等種!」みたいな一昔前の風潮は人々を結婚に駆り立てて少子化を遠ざけることに役に立っていたのだろうけど、その副作用として「独身者は可哀想な存在」という価値観を強烈に残してしまった。
そして、有用な人間のために恵まれない人間を剪定するようなことが許されなくなった人権観の進んだ現代社会では、そこから「哀れな独身者から税を搾り取り、それを幸福な既婚者にバラ撒くとは何事だ!」という意識が生まれた。
・努力不足
・他責思考
・無気力
だいたいこの辺が揃っていますね。
バブル世代、Z世代の使えない奴らも同じような傾向があります。
たとえばパソコンがずっと使えない奴はこういう特徴が強いですね。
地道にコツコツ勉強していって少しだけ昨日よりもマシな自分になろうって気持ちがない。
突然神様からチートスキルを貰っていきなり世界最強になれたらいいなの世界観で暮らしている。
もちろんんそんなことは起きないという現実に対して「じゃあ自助努力しかないね」となれる人は氷河期世代でも勝ち組になれています。
まあそれは単に若い頃に苦境に立たされても折れなかったどうかという形で篩にかけられているだけで、氷河期に立ち向かったから強くなれたというのとは違うのですが。
氷河期の負け組が他の世代の負け組よりも恵まれていなかったのは事実でしょう。
基本世の中の多数の人は負け組になるしかないような生き方をしています
たとえば小学校~高校3年間までの間の「現代日本人として最低限身についていないければおかしいはずの教養」を完璧に身につければ現代の大学受験のレベルなら早慶レベル、少なくともMARCHならアッサリ入れますし、それを受験生時代の特別な努力ではなくて人として当然の努力としていた人は卒業までストレートで辿り着くでしょう。
ですが多くの人は出来ません。
世間ではMARCH卒業している人は勉強が得意な上位5%のエリート様となってしまいます。
高校数学を理解し、まともに日本語の読み書きが出来て、外人に道を教えるぐらいは可能性、世界の歴史を新聞が理解できる程度には知っていて、ニセ科学に騙されない程度の科学知識があるだけでいいはずなのに……。
そんな努力不足な大多数の無能人間たちであっても、その結果として本当に負け組になるかは時代ごとの余力で決まります。
時代に余力があれば高校中退のボンクラであっても十二分な暮らしをして、ゆくゆくは出世の道が拓けることもあります。
というかね、今の時代って昔より技術的にはかなり発展してるから「それなりの暮らしを負け組でもする」っていうのは全然出来てるはずなんですよ。
ただその状態に対して自分の状況を冷静に分析するための知能を全く磨いてこなかった連中は「同じ小学校に通ってた奴が年収2000万円貰って高級マンションに住んでるなら同世代として俺にもその権利があっても良いんじゃないかな?それでどこまで生活が向上するのかは知らんけど」レベルのフワフワとした現状への不安を抱えてしまうんですね。
他人と自分を比較するのではなく、もっと貧しい自分ともっと豊かな自分を想像して、それに対してどれぐらいコストを払って生活を向上させる、もしくは努力を惜しんで生活レベルを下げるか、そういった損得勘定を働かせる発想さえないんですよ。
おもちゃ屋さんで子供が指を咥えて他の子供が買ってもらったものを羨ましそうに眺めているのと変わらないんですよ。
そんなんでどうやって勝ち組になろうっていうんでしょうね?
正直言ってどの世代においても多くの負け組が負け組になって当然の生き方をしている。
それは「氷河期の負け組」であっても変わらず、氷河期であってもちゃんと自分の人生に対して責任感を持って努力をした人は中間層ぐらいにはたどり着いてますよ。
それは氷河期が過ぎ去ってある程度転職市場も温まって来たあとになってからの繰り上がりかも知れませんが、そうやって繰り上がるための努力を続けている人は負け組を脱出している。
それをせずに「俺は氷河期だから」でずっとイジケている人達が口にする「氷河期だった俺たちを救うための特別な援助」というのはちょっとムシが良すぎませんか?
人生には様々な困難が怒るわけですから、自己責任論で弱者を切り捨てているようでは皆で金と労力を出し合って国家というコミュニティを作り上げ維持してきた旨味がないというのは分かります。
でも、勝手に「もう無理無理コールドゲームみたいなもんでしょ」と勝手に試合を切り上げてしまった人達が「なんか一発逆転のボーナスチャンスとかないの?」とワガママ言うのは聞く必要はないかなと。
「氷河期の負け組」が学習性無力感に打ちひしがれているのは分かるんですが、いつまでも「氷河期だから無気力になるのは仕方がない」で甘え続けるのは自分の人生対して無責任すぎるんじゃないでしょうか?
ましてやそこで「俺たちは氷河期で無気力になってしまった。俺たちの無気力の責任はその時代にあるのだから、俺たちはその分何らかの優遇をされるべきだ。それはそれとして俺たちはもうやる気がないのでやる気は出さないぞ」と言ってしまうのは……。
なんで今になってこんな事言ってるかって言うと、「氷河期世代の負け組」と「非氷河期世代(勝ち負け問わず)」が氷河期世代の負け組が無気力に寄ってダラダラすることによって発生した負債を「氷河期世代の勝ち組に払わせられないか」計算している動きがあるから。
これはマジで勘弁して欲しい。
それに対して「氷河期の負け組の問題は氷河期の負け組の問題であって、それは氷河期の勝ち組が蹴落としてきたというのとは違うんですよ」ということを皆に分かってもらい戦った。
「同じ世代で椅子を奪い合ったんだから、お前たちがそれで負かした奴らの人生も面倒見てやるべきだろ」と言われても困ってしまう。
だってそうやって椅子取りゲームしてたのはずっとずっと前だし、それで今でも駄目な人達はその後の自助努力不足は明らかなんだから。
新卒シーズンの椅子が埋まっていたと言っても、その10年後の比較的温暖な時期に転職活動で新たな椅子を手にすることは出来たはずだ。
私の周囲にも「一度は負け組に転がり落ちたが必死の努力で腕を磨き、実力によって結果を出して続けて、最初の椅子取りゲームでエネルギーを使い切ったような連中なんてとっくに抜き去り気にも留めていない」という理想的な「氷河期の元負け組」がいる。
彼らのような「腐らずに努力を続けた人達」に対して「氷河期だから……」でいつまでもイジイジしている達の面倒を見ろというのはやはり不公平なんじゃないかと思うわけだ。
結局、私が言いたいのは「氷河期だから負け組なんじゃなく、いつの時代でも負け組になっていた可能性が高い人達の面倒まで氷河期に押し付けるのはおかしくないですか?」ということに収束する。
氷河期の負け組が「氷河期だから負けただけだし……」と言ってるのは単なる当事者の供述に過ぎず、実際に他の世代に生まれていたら「バブル景気で浮かれてるし余裕だと思って……」「氷河期よりはマシっていうけどまだまだ……」と言い訳していたんじゃないかと思うわけだ。
こんな連中の負債まで氷河期だからで負わされるのは溜まったものじゃないので、日本全体で面倒を見るべき「普通の負け組」として数えてくれないだろうか?
という話だ。
なんか最近世界的に起きてる問題は弱者男性の問題そのものの様に感じてきた
アメリカのジョーカーとかQアノンとか日本のネトウヨ界隈とかああいうのって社会から無視っていうか馬鹿にされてきた人達が、ネットを手に入れて集まった結果なのかなって思う
社会には負け組の方が多いんだから大手を振って外を歩ける人達だけじゃなくて、もっとああいう人達に対する支援が必要なんじゃないかな
誰からも無視とか馬鹿にされて放置されたら絶望して誰かを攻撃することで少しでも自我を保とうとするのは、当然褒められたことじゃないけどある程度仕方がない事だと思う
そんな彼らを更に馬鹿にするのは無理もないけど、そういう状態になるまで救いを与えなかった社会にも問題があると思う
ていうか今の弱者男性の悲惨な所って、弱者男性が社会や世間に対して抱いている不満を、為政者とかインフルエンサーに上手く利用されて彼らの権力維持や金儲けに利用されている所だよね
これが本当に最悪の構造だと思う
見せかけの愛国心とか虚栄心を与えられて鉄砲玉にされて搾取されて、ああいう連中のせいで今の弱者男性はただの被害者から加害者にされつつある
本当の幸せって絶対にあんなくだらない陰謀論とかデマを垂れ流すクソ共を擁護する先には無いでしょ
あれ続けてても社会の勝ち組の人達が結婚相手と子供連れてキャッキャウフフしてる姿とか、贅沢な暮らしして人生満喫してる姿には絶対にたどり着けないでしょ
今のネットにはそういう弱者男性を更に悲惨な状態まで引きずり込むノイズが多過ぎる、特にSNSとかまとめサイトはもう蠱毒でしょあれ
ああいうの見てる時間を仕事とか人や自分を傷つけないまともな趣味とか現実の人間関係作るとか支援してくれる所探すとか役所行くとか、現状から抜け出す方法に向けたほうが絶対に人生に良いことある