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2013-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20130425150224

自分は何一つ出典を持ってこなくせに、人には質問するんだw

女性子供の頃に絵本アニメ恋愛観が刷り込まれるという情報の出典

読んだ文献は忘れてしまいましたが、この書籍を取りあげていました。

【参考文献】シンデレラコンプレックス―自立にとまどう女の告白

http://www.amazon.co.jp/dp/4837900011

白雪姫シンデレラなどの絵本ディズニーアニメが、女性恋愛観の刷り込みになっているという内容です。

物語の“構造”は、神話童話から絵本アニメ小説から映画へと繰り返し利用されています

ナラティブストラクチャーによって、価値観刷り込みが強化されていきます

近代化に伴い、庶民に恋愛観を提示した作品として『高慢と偏見』を取りあげています

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%85%A2%E3%81%A8%E5%81%8F%E8%A6%8B

【参考文献】書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸創作教室 

http://www.amazon.co.jp/dp/4257034920

女性男性社会押し付けられた女性らしさから逃れるために体目的男性と付き合うという情報の出典を教えて下さい

なんでそう歪曲するかね。

女性らしさから逃れるために体目的男性と付きあう」なんて言ってない。

女性の自立とともに「男権社会から押し付けられた女らしさ」から“脱却した”と書いてるんですよ。

男権社会押し付けられた「女性らしさ」から脱却した結果だと考えられています

近代化に伴い、恋愛結婚という「男女のあるべき姿」が提示され、(押し付けられた)女性らしさを守ってきた。

そこから女性社会的に自立して“脱却した”と言っています

随分前に読んだので、今すぐに確認できませんが、上野先生の『<私>探しゲーム』に、女性の性の解放が書かれていたと思います

【参考文献】「私」探しゲーム―欲望私民社会

http://www.amazon.co.jp/dp/4480853456

2013-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20130423062425

「基本的にどちらも正しいです」じゃねーわw

これまで散々、同性愛回避だけで話を進めておいてwww

社会の影響により恋愛観が変わるのが社会学です

意味がわからない。社会現象から関係物理的に分析するなら話はわかります。男女の関係性の変化や在り方を語るならわかります

あなたホモソーシャルを「同性愛回避」以外に説明していないし、原型と言わんばかりに「同性愛回避一択恋愛観を説明しています

社会学人間を見るのは、人生ゲームを上から眺めてあーだこーだ言うようなもので、プレーヤー視点で何を考えているかを断言できません。

恋愛に限らず「◯◯観」というのはもの見方で、幼少期に教育を通じて刷り込まれ経験によって培われるものです。

そのホモソーシャルがどのように刷り込まれたか全然説明していない。原型のごとく「ホモソーシャルがあった」という話しかしていませんよ。

ひとつずつ取り上げると埒が明かないのでスルーしてたんですが、話が通じないのでおかしなところをあげていきますね。

具体的にはギャルになったりして自分が体目的であることをアピールしたり、男性におごってもらったりして、男性モテようとしま

生物学的には、原始時代には男性は狩りをして、女性は家庭を守っていました

そのため、男性は狩りをした食料(お金)を女性に渡したがる傾向があります

なので、ギャルになると女性モテるのです

特にここが支離滅裂だった。ホモソーシャルミソジニーの解説から狩猟と採集の話が出てきて、突然ギャルモテる話になるってイミフ

ホモソーシャルからミソジニーの話へ移行して「体アピールでおごり目的ギャル」を説明するならば、女性社会化に伴う説明が必要で、

これまで男権の元で行われていた性の商品化を、女性が自主的に商品化し始めたのか云々…という話を書かなければ意味不明です。

文献までは覚えていませんが、その手の話は援助交際が盛んだった頃に出ていましたよ。

あと、

男性は狩りをした食料(お金)を女性に渡したがる傾向があります

とかさ、どういう理屈で「渡したがる」と言えるのか、意味がわからないし説明もされていない。

しろこの一文からは、ホモソーシャルの最小単位である家の正妻、もしくは従属するパートナーに渡すと考えるのが自然でしょ。

肉体だけが目的お金を渡す、おごられたくてギャルが媚びると言うなら、それは性売買の話になりませんか?

女性恋愛依存症であるとされています

どうして恋愛依存症なのよ?

女性恋愛をする理由は、女性恋愛をしたいからです

ってさ、まったく説明になってないじゃん。

何度も「恋愛近代化産物です」とヒントを書きましたが、現在に通じる恋愛観は、近代化により啓蒙され広まったものです。

この恋愛観は幼い頃から絵本児童書アニメなどで「男らしさ」「女らしさ」とともに刷り込まれています

女子赤ずきん貞操観念を、シンデレラ白雪姫で、愛されて幸せになる女性恋愛観を刷り込まれています

セーラームーンプリキュア等の戦う女子集団は、女子ホモソーシャル化と言える)

一方の男子は、冒険物語スポ根漫画などで支配構造や仲間達との友情を刷り込まれています。そして、ヒロイン存在はいつも戦利品として描かれています

姫を助けだすのも、彼女のために戦いに勝利するなどと意気込むのも、社会維持のためにホモソーシャル刷り込みがなされているんですよ。

どのように恋愛観が培われるのか、そのメカニズムを書かないで「ホモソーシャルから同性愛を避けるために体目的です」とは言い切れません。

恋愛したがる」について答えると、昔は恋愛しなくても結婚出来ました。

女性には選択の余地がないし「恋愛できる」という発想もなかった。そこで一般市民恋愛する小説や芝居を作って啓蒙しました。

そうして「恋愛結婚」が刷り込まれ、婚姻関係を結ぶには恋愛せざるを得ない状況が出来上がりました。

従来通り、家に入りたい女性にとっては恋愛死活問題に直結するので必死にならざるを得ない。だから恋愛するんです。そう刷り込まれているから。

社会適応した女性にとっては、結婚人生を左右するものではなくなってきました。

しかし「モテ」の社会評価には依存しています。「愛される」じゃなくなったのはホモソーシャル化です。

社会的自己性的自己矛盾を感じて、どちらにも上手く適応できていない→こじらせ女子

男性が体だけの関係を求める理由は、男性社会の中で優位に立つためですが、その方法の1つに同性愛にならないというのがあります

どうして同性愛なっちゃいけないんですか?アッー!を避けるためですか?

ホモソーシャルは「同性愛的」であって、アッー!のものじゃないでしょう。

あなたは「体目的男性モテようとする女性」をとても気にしていますが、女性の肉食化の話ですよね?

これは女性社会進出し、男権社会押し付けられた「女性らしさ」から脱却した結果だと考えられています

ビッチと言われてもおかしくない男の数自慢(権化)したり、女子会を開き情報交換(相互評価)を行うのは、

ホモソーシャルの真似事をしていると見ることができます。なお、女性ホモソーシャル化=レズビアンではありません。

女性社会進出がホモソーシャルにどんな影響を及ぼしたのか、その結果、従来の「男性らしさ」がどう変化したのか、

そしてギャル男草食系男の娘が現れたのかとか、また、それには女性がどのように対応しているかなど書かなきゃ、

ホモソーシャルという言葉を盾に、持論にこじつけているだけです。

2012-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20121221195155

萌える

人魚姫

眠り姫

白雪姫

親指姫

かぐや姫

萌えない

シンデレラ

シンデレラエロパロなら良いんだけどね。萌え話にはできん。

要するにアレだ。自分が姫を助けられる位置に来られるかどうかって話だろう。

人魚姫は「たまたま惚れたのが一般人だった」とか、眠り姫や白雪姫は「たまたま一般人が助けてもOKな呪いだった」とかいう改変も容易だけど、

シンデレラあかん王子ポジションじゃなきゃエンディング行けないもん。無理ゲーだ。

どのおとぎ話お姫様キャラクターに男は萌えるのだろう

なんとなく考えてたけど、女の自分には想像がつかなかった

有名どころをざっと並べると

人魚姫、眠り姫、白雪姫シンデレラかぐや姫、親指姫

人魚姫

フェミに嫌われていると言う事は男にとっては都合のいい女の筈

しかし男に惚れ相手に気がつかれないまま泡になって死んで行く人魚姫は、まどマギさやかモチーフにしたキャラだ、そしてさやかは男に圧倒的不人気

それに下半身が魚or言葉が話せないのではエロ妄想しにくかろう、一方的に惚れられ勝手に命をかけられ口もきけないのに近づかれ、思い人とくっつかない場合は男を殺さないと死んでしまうのは男には重すぎるのかもしれん、人魚姫は多分不人気属性だろう

眠り姫

考えてみたら主に眠っていてキャラがあまり立ってない、却下かな

白雪姫

狩人に森に連れて行かれたり、勝手小人の食事を食ってベッドで眠った後に7人の小人暮らしたり、死んでる姿に惚れた王子キスされたり、いつでもエロシチュに持ち込めそうな隙だらけだ

本人も頭弱いしエロ漫画ヒロインに良いか

シンデレラ

苛められ耐える姿はそそるかも?

かぐや姫

何したか知らんけど月の世界の罪人が罰として地上に落とされ、自分に惚れた男に無理難題を吹っ掛け命がけで貢がせ、結局一番身分の高い天皇とラブるが捨てて故郷に帰る。

小悪魔系行動と相反する日本美人な外見&清純派な性格ギャップ萌えあるか?

親指姫

ちっさくて可愛いな、ロリけがいかもしれん

不細工に気に入られたりエロシチュにも困らない、南君の恋人みたいなエロ妄想もできそうだし、普通に受けそうだ

関係ないけど知名度のわりにはディズニープリンセスに入ってないのが不思議

と言う事で親指姫かなと結論が出たけど、実際のところどうなのだろう。

2012-08-17

ディズニープリンセスにあこがれる宮崎アニメ信奉者

時間がなくて推敲ほとんどしていません。

まり長すぎます

暇を持て余している神々のような方が読んでくださればうれしいです。

http://wired.jp/2012/08/16/disney-vs-miyazaki/

こちらの記事を読んで個人的に感じたことを。

結婚について今更ながら考えるところのある33独身の女です。

うちの父にちょっと似てるな、と思い、なんとなく懐かしく思いながら読みました。

本人に育児方針など直接聞いたわけではないんだけれども。

父はとにかく宮崎アニメの大ファンで、わたしが小さいこから、新作が公開されるたびに家族で鑑賞するのが恒例でした。

わたしが初めて風の谷のナウシカ映画を見たのは4歳のときでした。

子どもに聞かせるつもりで話していたのかどうかわかりませんが、父が、クラリスシータ受動性と対比させつつ、ナウシカの勇猛果敢でありながら豊かな母性に溢れる高潔な精神を繰り返し賛美していたのをよく覚えています

振り返ると、この経験から

ナウシカ=父の理想女性像=わたしがナウシカみたいになればお父さんは喜ぶに違いない=わたしはナウシカのようにならなければならない」

という式をわたしは自分の中で早い時期から確立させていたように思います

母はどちらかというと受動的で、父に頼りっきりの女性でした。

もともとの性格に加え、夫の転勤について行く専業主婦、という立ち位置が余計に母をそうさせていた面もあるのかもしれません。

しかし、わたしは子どものころ

「これから時代は、女性社会に出て男性と対等に働いていかなければならない。そのためには小さいこから努力しなさい」

「お母さんのように専業主婦になってはいけない、これほどむなしい生活はない」

と母から繰り返し聞かされて育ちました。

ですからわたしは、周囲に比べるとよく勉強していたほうの子どもだったと思います

思春期にわたしはドラクエを知りました。

ローラ姫を助けたときに抱いた嫌悪感を、今でもわたしはよく覚えています

「なんて依頼心の強い女なんだろう!こんな女にだけはなりたくない!」

努力が実り、わたしはまずまずの大学を出て、同世代の他の女性に比べるとわりとお金をたくさん稼げて、しかも長く続けやす仕事に就くことができました。

今の仕事に就くまでにはずいぶんと紆余曲折があり、決して順風満帆ではありませんでしたが、まあとにかく、わたしは母が願っていたとおり、社会的に自立した女性になりました。

このポジションを得てから、わたしの自己肯定感は急激に強く満たされました。

いろいろ考えてみると、そのひとつ

「これで父の期待にも応えられたはずだ」

という達成感があることに気づきました。

この仕事は、女という性の特質、具体的には「母性」を発揮するのに非常に適した仕事でもあったからです。

自分の中で、ナウシカという強く優しい理想女性への父のあこがれと、母から期待される「女としての自立」という目標とが混ざり合い、そのすべてを叶えることができた自分が、何かすばらしい存在に思えたのだと思います

念のために書き添えておきたいのですが、多くの若者がそうであるように、親の期待や願望の言いなりではなく、わたしもあくまで、ときに両親に反発もしながら「自分意志」で道を選び続けてきました。

から自分の落ち度というか、重大な取りこぼしを書くのですが、それを両親の育て方のせいにしたくて書いているわけではありません。

この文章を書いているのは、幼少期からの親との関係性がどのように「自分意志」の形成に影響してきたのかを自分なりに分析してみることが、これから自分人生にとって、なにかしらの糧になるだろうと思ったからです。

わたしの取りこぼしとは簡潔に言うと「努力が報われるのは、正しい方向に努力したときのみである」ことを失念していたことです。

仕事成功したいのであれば仕事を頑張ればよい。スキルを上げることはもちろんのこと、上司や部下との円滑な人間関係の構築、根回しのやり方なども含めて、的確な努力を続けていればだいたい結果はついてきます

当たり前ですが、仕事を頑張ってついてくるのは通常、仕事の成果のみです。

「脇目も振らずに仕事に邁進していたら結婚できました!」

という話は、わりとあるように思えるかもしれませんが、そのふたつは直結はしていないと思います

仕事を頑張る姿に惹かれて、というのはあくまできっかけでしかありません。

過程には必ず、純粋に「結婚成功させるための努力」があるはずです。

その努力があったからこそ、結婚できたのだと思います

ここを穿き違えていたことがわたしの失敗でした。

以下はリンクから転載です。

彼女たちは、男性との関係以外にも、自分というものを持っている。たとえば『千と千尋の神隠し』では、10歳の千尋が両親を助けるために自分の身を危険晒すストーリー構成に含まれるロマンスは、本題から外れており、千尋の生活の中心ではなく、両親を助けるという使命のサイドストーリーにとどまる。こうした特徴は、『ハウルの動く城』など宮崎作品の多くに共通する。

わたしはロマンスに反対しているわけではない。わたしの大のお気に入りである宮崎作品は、『ハウルの動く城』と『耳をすませば』の2作品だ(後者宮崎氏は脚本を書いたが監督はしていない)。いずれも完全に公式に従った古典ロマンスだが、この2作品のヒロインであるソフィーと雫はいずれも、異性との関係のほかに、関心事や自分の生活、個性を持っている。」

他ならぬ『風の谷のナウシカ』も、まさにそうです。

多くの宮崎アニメにおいて、ロマンスはサイドストーリーなのです。

わたしは自分人生において、これをそのままなぞってしまったのです。

その結果、33独身、あんまりさびいから猫でも飼うか、などと考えているマンション暮らし独身女性がここにひとり、できあがりました。

ナウシカとアスベル最後まで結ばれません。千尋とハクだって

ハウルソフィー、雫と聖司は結ばれますが、後者が前者と違うのは、やはり作中で「恋」「愛」そのものに向かい合った努力をしているところです(耳すまでは、その努力をしているのは主に聖司のほうですが)。

ナウシカや千尋は、恋い慕う相手と結ばれることを努力目標にはしていません。

心が通じ合う喜びを知りこそすれ、そこまでです(ナウシカ原作を読むとその辺の距離感がよりわかりやすいのですが)。


そもそも、風の谷のガンシップとアスベルの赤いガンシップが「おい待てよ~」「つかまえてごらんなさいよ~」なんて楽しく追いかけっこをしているようなナウシカなんて誰も見たくありません。

ナウシカは、みんなの姫様であると同時に誰も同じ境地を理解しえない孤高の存在いるからこそナウシカなのです。

千尋も「ハクと離れるくらいなら千のままでいい!」なんて言ってしまったらすべてが台無しです。

ともすればストイックなまでの、あの潔さが宮崎アニメヒロインたちの魅力を何倍にも引き立てているのです。

そしてくどいようですが、わたしは自分人生において、これをそのままなぞってしまったのです。

そりゃストイックにならざるを得ない人生が待ち受けているに決まっています

もともと、結婚願望はそれほど強くありませんでした。

でも、したくないわけではありませんでした。

結婚はまさに「サイドストーリー」として、おまけのようについてくるものだと思っていました。

自分の今やるべきこと(=仕事)を頑張っていればそのうち結婚もできる、と、両者を直結させて同一視していたように思います

ディズニープリンセス最近はいろいろで、リンク先にあるように宮崎アニメとはっきり対極をなしているヒロインばかりではないようです。

以下はリンクから

伝統スタイルディズニー作品は、古くからある「囚われの姫君」モデルに頼っている。『眠れる森の美女』や『白雪姫』、『シンデレラ』といった物語ヒロインは、状況を打開するための行動を、ほとんど何もしない。ヒロイン自分自身のドラマのなかで主体になっていないことも多い。ただ料理洗濯掃除をして、美貌で王子を夢中にさせるだけだ。そしてヒロインに夢中になった王子が、ヒロイン受動的に身を委ねている苦境から彼女を救い出す。

ただし、新しいスタイルディズニー作品では、少なくとも、物語に登場する女性たちも主体になり、しばしばヒロイン王子を救うために行動する。だがプリンセスの行動は、もっぱら王子との関係のために行われるものだ。」


あくまで王子との関係性において力を発揮する、という意味で、ソフィーは極めてディズニープリンセスに近いヒロインだと思います

そして「ハウルの動く城」のラストは、ソフィーハウルキスシーンで締めくくられます大団円です。

まり宮崎アニメでもディズニーでも、同じことなのです。

「恋」「愛」に正面からかい合ってひたむきに(そして的確に)努力し、苦難を乗り越えたからこそ、彼女たちは王子様と結ばれたのです。

彼女たちにとっては、それはサイドストーリーではなく、達成すべき目標のものだったのです。

ソフィーモチベーションが「ハウルを助けること」ではなくて「世界平和」だったら、きっとハウルとは結ばれなかったでしょう。



さらリンク先より。

昔ながらのディズニープリンセスも、新しいスタイルディズニープリンセスも、男性を虜にして、ぜひ自分の妻にしたいと男性に思わせるだけの美貌と魅力を備えている。プリンセスが登場するどのディズニー映画でも、ロマンスは「引力の法則」、もっと率直にいえば性的関心に基づいている。

父親であるわたしがさらに不満なのはディズニープリンセス性的魅力が、周囲の男性を変えていくほどの強い影響力を持つことだ。『美女と野獣』や『アラジン』、『塔の上のラプンツェル』といった映画について考えてほしい。ディズニーのおとぎの国では、性欲に駆られた結果として、男性が「いい人」になるのだ。

わたしは個人的に、自分性的な魅力によって彼らを変えられると信じて、感じの悪い男性と性的な関係に陥る多くの女性たちを知っており、娘たちにそのような女性になってほしくない。これはディズニー映画の問題ではなく文化的問題ではあるのだが(われわれが購入しなければディズニーも販売しないはずだ)。 」

父親としての心配はよくわかります

しかし実際、意中の男性を虜にするには、十分な性的魅力がなくては話にならないのです。

「感じの悪い男性」と関係を持つのは確かによくありませんが、だからといって性的魅力がないと王子様とのロマンスも生まれません。

性的魅力を磨くことと、「感じの悪い男性」に引っかかることは直結しません。

ディズニー王子様達は女性にとっても魅力的な男性ばかりで、このような男性と結ばれるには女性にもそれ相応の魅力が必須である、というメッセージはなんら間違っていないと思います


このように十分な性的魅力を持ったプリンセスたちがまさに王子様との愛のために奮闘する物語、この要素が、わたしには決定的に抜け落ちていたのです。

リンク先にもあるように、古典的なディズニープリンセスモチーフである「囚われの姫君」は、極めて非力で弱々しく、受動的な存在として描かれます

この弱々しいお姫様王子様によって助けられ、めでたしめでたし

なんて女性にとって都合のよい展開なのでしょう。

なぜ彼女たちは、助けてもらえるのでしょうか?

答えはひとつ。美しく魅力的だからです。

プリンセス性的魅力は、王子様を意のままに操る絶大なパワーを秘めているのです。

そのことに気付いたのは、大人になってからでした。

ドラクエローラ姫もこのテンプレート通りのお姫様です。

思春期のわたしが彼女嫌悪感を抱いたのは、美しいお姫様から、というだけで周囲に何もかもお膳立てしてもらえるのが気に食わなかったからですが、ではなぜ気に食わなかったのか。

本当は、そういう存在にもあこがれていたかなのだと思います

自分の中の奥深いところには、ナウシカ理想像として根付いてしまっています

しかし、小学生女子が当たり前に生活していて、いわゆる典型的な「お姫様」的概念に触れないでいることはまず不可能でしょう。

自分の家にはなくとも、たいていの友達の家には少女漫画がありますし、ディズニービデオ(当時はビデオだって

思春期、わたしはまさに、ディズニープリンセスになるべきか、ナウシカになるべきか、で葛藤をし続けていました。

今思えば両立も決して不可能ではありませんでした。

しかし、当時の不器用自分には無理でした。

わたしはナウシカを選びました。

そのまま中学生になり、高校生活を過ごし、大学生になり、社会に出ました。

そして、ディズニープリンセス達の力がいかに強大なものかを知ったのです。

彼女たちは、同期ばかりでなく上司や先輩の男性に対しても、強大な力を見せつけてくれたのです。

そして彼女たちはいつでも「恋」と「愛」については全力投球でした。

努力彼女たちをますます美しく魅力的な女性へと成長させ、そうして十分に性的魅力を獲得した彼女たちは、王子様のもとへと嫁いでいきました。

プリンセスにも、いろいろいました。

賢くて仕事がとてもできる人、そこそこ普通に仕事をこなしてる人、どっちかっていうとあんまり仕事ができない人。

でも、彼女たちの結婚に、仕事で頑張っていたかどうか、は関係しませんでした。

あくまで女性として魅力的かどうか、でした。

当たり前すぎる話です。

もちろん、プリンセス達にも悩んでいる人はいるかもしれませんけど。

かつてのわたしの母のように。

わたしも今の人生を後悔しているわけではありませんし、今からでもご縁がないわけではないのかもしれません。

けれども自分にもし女の子が生まれたら「美しく魅力的な女性になってほしい」というメッセージは発し続けたいと思っています

仕事を「サイドストーリー」にするかどうかは本人次第だけれども、性的魅力を高めておくことの大切さを知ることは、非常に重要だと考えます

眠いので推敲が明らかに行き届いておりません。

長すぎました。

申し訳ありません。

2012-03-17

TOKIOCM白雪姫で例えてる人、早川由紀夫と話が合いそうだなーと思った(褒め言葉です)

2012-02-23

喪女を分類してみた

喪女とは主に2ちゃんねるもてない女板に生息する彼氏いない歴=年齢、告白された経験なしの女性のことである

シンデレラ喪女

80%がこれ。理想が高い。自意識過剰容姿普通。友情を優先しすぎる。愛想がない。プライドが高い。

だいたいは二十代後半くらいまでに脱喪。

・野獣喪女

15%がこれ。顔が壊滅的に不細工。体型はガリガリまたはキョデブの両極端。

骨格レベルから残念。性格根暗。厭世思想。

白雪姫喪女

4%がこれ。メンヘラコミュ障容姿喪女平均から見れば少し上。ネットでは女神。自殺願望あり。

ティンカーベル喪女

めちゃくちゃかわいくてスタイルもよくて性格大和撫子。だけど処女彼氏いない歴=年齢。

一部の男性が夢見ている妖精さん

2010-07-01

白泉男子非オタ彼女00年代花ゆめ世界を軽く紹介するための10本

http://anond.hatelabo.jp/20080721222220より。

http://anond.hatelabo.jp/20080726023345を受けて。

まあ、どのくらいの数の白泉男子がそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない花ゆめコミックス世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、2000~2009年花とゆめコミックスのことを紹介するために

見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に花ゆめを布教するのではなく

 相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う20巻、30巻越えの漫画は避けたい。

できれば巻数1桁、長くても既刊10巻にとどめたい。

あと、いくら花ゆめ的に基礎といっても時期がずれすぎるものは避けたい。

テニス好きが『しゃにむにGO』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。(連載開始が98年だから)

そういう感じ。

彼女の設定は

花ゆめ知識はいわゆる「花ゆめ黄金期」的なものを除けば、ドラマ版「ガラスの仮面」程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

オトメン乙男)(菅野文

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「オトメン以前」を濃縮しきっていて、「オトメン以後」を決定づけるだろうという点では

外せないんだよなあ。長さも既刊10巻だし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

このトキメキ過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。

神様はじめました鈴木ジュリエッタ)、セーラー服にお願い!田中メカ

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな花ゆめコミックス(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには

一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

「白泉男子としてはこの二つは“神漫画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

ちょっと江戸まで津田雅美

ある種の歴史漫画オタが持ってる江戸への憧憬と、ゆるゆるのオタ的な架空歴史へのこだわりを

彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも津田雅美

耽美的なかわカッコよさ」を体現するソウビ

耽美的に好みな女」を体現するミッシェル

の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

ガートルードのレシピ草川為

たぶんこれを見た彼女は「どろろだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜の作品がその後も続いていること、これが単行本では収録順大変更になったこと、

少年漫画なら能力バトルになって、頭脳戦が展開されてもおかしくはなさそうなのに、

少女漫画でそういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

金魚奏(ふじつか雪)

「やっぱり恋愛は障害を乗り越えるものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「赤髪の白雪姫

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるふじつか雪の思いが好きだから。

断腸の思いで伸ばしに伸ばしてそれでも全2巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、

その「続ける」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

金魚奏の短さを俺自身は短絡とは思わないし、もう伸ばせないだろうとは思うけれど、一方でこれが

美内すずえ魔夜峰央だったらきっちり未完の大長編にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて2巻に収めてしまう、というあたり、どうしても

自分物語を形作ってきたもの膨らませきれないオタク」としては、たとえふじつか雪がそういうキャラでなかったとしても、

親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

蛍火の杜へ(緑川ゆき

今の若年層で蛍火見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

夏目友人帳よりも前の段階で、緑川ゆき哲学とか漫画技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティの作品がLaLaDXでこの時代に掲載していたんだよ、というのは、

別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく白泉社好きとしては不思議に誇らしいし、

いわゆる夕方再放送アニメでしか夏目を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

キラメキ☆銀河町商店街ふじもとゆうき

ふじもとゆうきの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「終わらない群像劇を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

だからこそアニメ版学園アリス』最終話は「俺たちの学園生活はこれからだ」以外ではあり得なかったとも思う。

「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

加速剤はキラメキにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、

単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

白磁モリエサトシ

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういうフェティシズム風味の愛欲をこういうかたちで漫画化して、それが非オタに受け入れられるか

気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

桜蘭高校ホスト部葉鳥ビスコ

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。

オトメンから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、アニメ化から始まるハルヒブームの先駆けと

なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

2010-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20100324183606

なぜか脳死状態の人(意識があった頃には全くの他人であった相手)に欲情して、彼らとの性交を望む人種連想した。

そんな性的嗜好人間が存在するかどうかはわからないけど、そういう人間の嗜好を公に垂れ流しにされたら、確かにずいぶん不快だろうなと思う。特に難病の人や彼らの家族にとっては、看護介護現場での虐待他人事じゃないから敏感にならざるを得ないだろう。

いくら「二次元ファンタジーで性欲処理しているだけですので現実人間には手を出しません。そんなこと規制してたら白雪姫だって放映できなくなっちゃうじゃないですか。もしこれを規制したら、脳死状態や植物状態の人に対する性的虐待が今よりも遥かに増えますよ」と言われたところで、それが彼らの人目につく場所にあり続ける限り、扇情的なメディアに影響されて「脳死萌え」とか気軽に口にするようなアホが消えない限り、そうした嗜好の人間介護虐待者予備軍でしかなくなってしまうんだろうな。

2009-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20090812130815

ワンコインDVDってパブリックドメイン作品だから、アニメって限定すると、白雪姫とかシンデレラとかピーターパン

版権がなくて確かに安く出来るのだけれど、「旧作」と言うよりも「古典」だろうな。

そこらへんと競合するのは、同じディズニーアニメか、ジブリ関係か名作劇場関係で、どれも2000円前後で売られている。

普通」のターゲットはそこら辺だろう。

ちなみに、ケロロとかでも3000円前後

5000円のDVDを「普通に」買う層をターゲットに商売すると、オタク向けになるか、レンタル需要頼みじゃなかろか。

2009-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20090203162616

ああ、なんかそれによく似たダメな親子関係の話思い出したわ。

子供依存しまくっている親(主に母親)は、子供が不幸なうちはご機嫌で、気味が悪いほど子供に優しくするけど、子供幸せになって自分のところから離れていこうとすると、機嫌が悪くなって発狂して、なんとか子供を不幸にして、自分のところに戻って来させようとするんだよね。

例えば子供仕事を楽しそうにやっていると、いかにその仕事が下らなくて価値の無いものかということを吹き込んでやめさせようとするし、恋人ができて幸せそうにしていると、その恋人を散々批判して別れさせようとするんだよ。

それで子供仕事をやめたり恋人と別れたりして自分のところに戻って来ると、ご機嫌になって「子供を慰める優しい親」になるんだよね。

こういうふうにして育てられた子供は、「幸せなっちゃいけない病」に陥る。幸せになると親に見捨てられるから。実際に「見捨てる」という脅しをかける親も多い。(彼女親友も、「あいつと付き合い続けるなら友達をやめる」と言って、「見捨てる」という脅しをかけているよね)

いわゆる『白雪姫コンプレックス』だね。そうして、親子でズブズブの共依存になる。

増田の友達と彼女関係は、『白雪姫コンプレックス』の親と子供関係に似ているかも。

 

その親友とやらにももちろん問題はあるし、彼女が今まで付き合ってきた男にももちろん問題はあるけれど、今まで彼女人間関係が恵まれなかったのは、彼女自身にも問題がありそう。

彼女自分を不幸にするダメ人間を引き寄せてしまう体質があるのかもね。

幸せなっちゃいけない病」を抱えた人って、自分の就きたくない職業に就いたり、悪い男と付き合ったりするんだよ。無意識のうちに、自分が不幸になる選択をしてしまう。

おそらく、彼女親友はズブズブの共依存関係だから、増田がよっぽど慎重にやらないと、増田を切って親友のところへ行く危険性がある。

彼女に向かって「なぜその親友ダメなのか」を言うだけでは難しいかもしれない。それよりも、彼女自身の意識を変えて、ダメ人間引き寄せ体質を改善する方向に持っていったほうがいいんじゃないかな。

彼女に必要なのは、自分幸せを追求しても良いと思えるようになることと、自分を不幸にする人間との関係を切れるようになることだと思う。

 

あと、最大のラスボスは、彼女母親かもよ。

彼女ダメ人間引き寄せ体質は、彼女母親が原因かもしれないから、彼女の母娘関係もそれとなく聞いてみたほうがいいかも。

彼女がその親友と付き合っているのは、親友彼女母親に似ていて、彼女にとってある意味付き合いやすいからかもしれない。

2009-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20090110185847

二度目の反対ってことは、相手が誰でも反対されるってこと。

世の中には、子供自分より幸せになると、自分人生が否定されたような気になったり、嫉妬したりする親がいるからなー。

白雪姫コンプレックス』でぐぐってみ。

2008-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20080618130807

ウケたw

マジで25人の白雪姫が読めるとは思ってもみなかったw

スノーホワイトプリンセス25

『鏡よ鏡。世界で一番美しいのはだぁれ?』

『それは白雪姫です。』

『25人もいんのに?どれが一番よ?』

『少なくともアンタは26番目以降。』

お妃様は鏡を叩き割ろうとしましたが、特殊ガラスでできた鏡は割れませんでした。

『殺っておしまい。』

お妃様は家臣を使って白雪姫暗殺させようとしました。

『・・・勘弁して下さい。あっしの猟銃じゃ25人も殺れませんて』

家臣は抵抗しましたが、お妃様は禁制のサブマシンガンを渡したので断りきれなくなりました。

家臣は白雪姫25人を引き連れて森の奥へと向かいました。

『まるで遠足みたいですわね』

森の奥深くに置き去りにされた白雪姫たちは手分けして周囲を捜索しました。

すると第八分隊の白雪姫達が小さな家を発見しました。

『よし、信号弾を。』

7人の小人が家に帰ると、そこでは7つしかないベッドを奪い合う25人の白雪姫が壮絶なバトルを繰り広げていました。

『鏡よ鏡。世界で一番美しいのはだぁれ?』

『少なくともアンタは26番目以降。』

小人達はとても困ってました。

『25人も家に入るかっ!』

お妃様も困っていました。

『やっぱ最初に食った奴が泡でも吹いたら残り24人は警戒するわよね・・・』

『さぁギネスに挑戦よ。25人同時に食べたシーンを写真に撮るから、遅れたりフライングしたりしないようにね』

お妃様が変装したおばあさんは、見事25人同時に毒林檎を食べさせることに成功しました。

小人達は泣きながら言いました。

『棺が足りねー』

通りがかった王子はずらりと並んだ白雪姫遺体を見て言いました。

テロでもあったのか?』

『なんと美しい姫たちだ』

王子は端から順に口付けをしていきました。

小人達はつぶやきました。

『・・・絶対ロクな奴じゃねぇ。』

息を吹き返した25人の白雪姫達によって、王子の国は瞬く間に制圧されました。

『鏡よ鏡。世界で一番美しいのはだぁれ?』

『少なくともアンタは26番目以降。』

『もういいわ。で、結局一番は誰なのよ。』

『勘弁して下さい。そんな事口にしたら観客席の父兄50人から何を言われるかわかりません。』

おあとがよろしいようで

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1138590.html

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某所より転載

http://slashdot.jp/~Tatenon/journal/442968

2008-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20080523014514

叶わないよ。男性も。大凡の人は。

開発部門に行きたかったけど営業に回されるとか。

女性は営業やら受付やら人当たりの多い職場に回されたり、そういう仕事をさせられやすい。

結局は会社にとって都合の良いように採用されたり使われるだけで。

それが男性女性によって回される部門採用される会社が違う、それは女性差別だけじゃなくて男性だって入れない企業仕事はある。

でも、結局はみんな生きていけるし、お金も手にはいるし、それなりに幸せになれる。

処女だって失ってしまえば、「そんなもん」だ。

女子中学生白雪姫を夢見る時間はもうすぐ終わるんだ。

2008-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20080103233856

おお、俺も似たような経験が…というかブレイブストーリー馬鹿にしてるのが腹立つw

白雪姫を知らないのは犯罪なのか?!

2007-10-29

801じゃないカップリングなら自分も好きだけど

http://anond.hatelabo.jp/20071029012739

男にとっての二次創作は、読み手×登場人物で、女にとっての二次創作は、登場人物登場人物Bだ、なんて話は聞くけど、

いずれにしても、二次創作は「キャラクターを借りて自分で勝手に作った外伝」ってところ。

ちっちゃい頃やらなかった? 「桃太郎」とか「浦島太郎」とかの昔話を改造して別の話を作る遊び。

「おばあさんが桃を包丁で切ったら、『はずれ』の紙が入っていた」とか「首無し桃太郎なっちゃった」とか、そういう類の。

二次創作もそういう面白さがあるんだと思う。

そして、「登場人物の誰かと誰かをくっつけて恋仲にする」という要素を持ち込む事に興味ある人は、その時に「カップリング」の概念を重視するんじゃないかな。

先の昔話でたとえるなら、「白雪姫は7人の小人の一人と結婚していつまでも幸せに暮らしました」みたいな改造昔話を子供の頃にたくさん創作してた人なら、カップリング概念をすぐ理解できるかも。

2007-09-18

二次元的な絵に影をつけると言うこと。

まぁ、絵のことは詳しくないので自分のブログに書かずにこういうところで書くんだが。

ニコニコの「描いてみる」なんかを見てて思ったんだが。

平面的というか、いわゆる漫画的な絵に陰影を付ける手法が現代日本の大衆芸術の主流なんだなーと。

それがそもそもどこから来ているかと言えば、アニメの影響、特に手塚アニメが動きの少ないアニメに立体感を持たせようとしたところから来ているんだろう。初期のディズニーアニメバンビ白雪姫にはキャラクターに陰影を付けていなかった。

まぁ、そのアニメに影響されて一枚絵でもアニメ的な平面なキャラクターに不必要なほど影をつけていく現代のアマイラストレーター達が出来てしまったのだろう。

もしかしたら、西洋美術に対する憧れがあるのかも知れない。

そもそも平面的な絵を書いておいて立体感を持たせようという考えに、私としては馬鹿馬鹿しさも感じるのだが、そこはまあおいておくとして。

確かに陰影法を用いると立体感のあるようなリアリティの有る感じの絵ができあがる。

その代わりに暗い部分を作ってしまうことにより、全体的に暗めの色を使わなくては色のバランスがとれなくなり淡い色や濃い色が主として使われ、明るい色が使われなくなる。全体的に落ち着いた色に纏まる。まぁ、単純に言えば色彩が乏しくなってしまうってことだ。

9/18現在放送されているモノノ怪と言うアニメを見れば分かるが、キャラクターに陰影を付けない代わりに豊かな色彩で圧倒される。

そもそも日本の絵画が影を使わず豊かな色彩で描かれている物だから、それに合わせたのだろうが、だからこそ現代のアニメから浮き上がって豊かな色彩が与える芸術性を再確認できる。

天野喜孝氏の絵も影を使わず様々な色彩で描かれている。独特な画風も特徴ではあるが、私にはあの色彩の妙に魅了される。

対して現代のイラストは線が描き出す物体の形が主であり、色は従的な存在でしかないように思われる。

魅せるための色ではなく、線+αとしての色。

良くも悪くも大量生産大量消費としての大衆芸術でしかない。

まぁ、エンターテイメント芸術を求めるのは愚かしいことだが、大枠が変わってないことを感じ始めると狭い範囲での絵の個性を競われても飽き飽きしてくる。

もうそろそろ、漫画アニメ新風をもたらす動きが出てきてもおかしくないのではないか。

途中で何が言いたいのか分かんなくなってきた。

2007-06-14

自分よりも体が大きい女性とのセックスって

男のほうが犯されてるみたいにならないか?なんだか白雪姫と7人の小人セックスしてるみたいになりそう。

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