はてなキーワード: ローマ字とは
新しい案件に入るたびに思うこと
MENSEKIとかCHOUSEIKINとかYOTEIHIDUKEとか読みづらすぎる
英語だと人によって違うから仕様書の言葉をそのまま使うのはわかる
だが、ローマ字は読みづらすぎる
KAIINGENTEITOKUBETSURYOUKINとか何度見かしてやっと「ああ、会員限定特別料金のことね」ってなる
こういうので間がちょっとだけ違う似てる単語があるとミスしないとは言えない
いや短くても「HANIUE」が「範囲(上)」なんて脳内変換できなかったな
他には書いた人が漢字読めないと間違った読みになってたりする
HUKUREKI (履歴) とか GAIZON (既存) とかそういうこと
ただし、カタカナ語でも書いた人が英単語にできなかったものはカタカナだ
効率性?確かに変換がなければタイプは速くなるが、アクセント記号書くのが効率的とは思えないな。どうやってタイプしたらいいのかわからんぞ。既存の機器で入力できなくてもいいわけか。もしや手書き入力か?文字コード直打ちか?
Mac nara eigo Kiibóodo de boínnji wo nagaoshi surú daké desu. iOS demo onaji desu. Windows nara, Alt Kíi ka nánika to no kumiawasé de dékita to omoimásu.
同音異義語ってそんなに嫌うような代物なのか?全ての単語に固有の文字をあてれば解決だな。もっともチャイナは簡体を進めたために衝突が増えたはずだが。ハングルの導入も然り。
Douonn igigo no kotó wo shinnpai shinái no de áreba, tánn ni kunnrei shiki de wakachigaki wo suréba íi daké na no desu ga, sou surú to, "douonn igigo ga..." to kanarazu iwaremásu.
Watashi ha douonn igigo ha sukoshi kúrai nara shikata ga nái to omoimásu ga, mattakú kúbetsu ga tsukánai no ha yóku nái to omoimásu.
学習コストって何のことかわからんが、日本人で日本語書けないやつには会ったことがない。外国人が苦労するとは想像するが、それなら発音と表記を揃えるべきだ。歴史的仮名遣いを取り込むとか、そうか、つまり趣味以上のものではないわけか。
Nihonnjinn ha nihonngo no kakikáta wo gakkou de nagái jikann wo kákete naraimásu. Sore ga Kósuto desu.
Gakushuu Kósuto wo sakugenn shité, onaji jikann de gakkou de hoka no kotó wo oshierarerú yóu ni náreba íi to omoimásu.
ローマ字書きのメリットとして機械に理解させたり、検索性の向上、合成音声への応用などあるわけだが、さういふ文脈は無視して趣味性の追求のために時代に逆行する信念には敬服しますた。これからもかんはつてくたさい!
Soréra ni tsúite taisetsu na no ha, hyóuki wo míte dóno tanngo ka ga wakáru kotó desu.
効率性?確かに変換がなければタイプは速くなるが、アクセント記号書くのが効率的とは思えないな。どうやってタイプしたらいいのかわからんぞ。既存の機器で入力できなくてもいいわけか。もしや手書き入力か?文字コード直打ちか?
同音異義語ってそんなに嫌うような代物なのか?全ての単語に固有の文字をあてれば解決だな。もっともチャイナは簡体を進めたために衝突が増えたはずだが。ハングルの導入も然り。
学習コストって何のことかわからんが、日本人で日本語書けないやつには会ったことがない。外国人が苦労するとは想像するが、それなら発音と表記を揃えるべきだ。歴史的仮名遣いを取り込むとか、そうか、つまり趣味以上のものではないわけか。
ローマ字書きのメリットとして機械に理解させたり、検索性の向上、合成音声への応用などあるわけだが、さういふ文脈は無視して趣味性の追求のために時代に逆行する信念には敬服しますた。これからもかんはつてくたさい!
それにしてもローマ字表記の読みづらさは、それはそれでトレーニングがかなり必要な気がするが…
これから増田のコメントを見かけたら、なるべくスルーせずに読むようにしてみよう。どれだけ慣れるものなのか。
あと中国語の漢字がそのまま変換されるのは、中国語は知らないが一つの漢字に一つの読み方しかないんだろうか?ないのか。
まあそこが日本語の面白いところなので、もし増田の考えがオーソドックスになって効率という意味でそれが駆逐されてしまうのは寂しい事ではあるが。
かつてあった古来の言語がそうであったように、日本語がそうやって形骸化して失われていく未来もなくはないかもしれないな。
あとあれだ、日本語のローマ字にした単語をひとかたまりとして認識するのめっちゃ難しい。なんでかわかんないし慣れかもしれないけど。
それだったらいっそルー大柴語にしてもらった方がなんぼか読みやすい気がする。
This sentence no read wa very easy dayone! みたいな。英語圏では当然混乱する。
でもそれなら外国人が日本語を習得する際のコストはさらに減るし、日本語がわからない外国人でも単語だけ拾ってニュアンスを理解することができるではないか。
日本語の現在の表記方法は、表記ゆれが多かったり、入力に手間がかかったり、学習コストが大きかったりと、問題が多いという認識がまずあります。
この認識が共有できないと、多分問題意識も共有できないと思います。
入力に関しては、コンピュータの入力ソフトの進歩によって、少しづつ改善していますが、まだまだ英語や韓国語などの変換のない言語に比べると、入力速度は体感できるほどの違いがあります。
日本語の入力システムは中国語に似ているというイメージがあると思いますが、実際には中国語の入力システムの方がシンプルな方法を採用していて、その分、母音を省略して入力できたり、スペルミスを自動修正してくれたりといった機能がよく整っています。(何がシンプルかというと、日本語入力ではまずローマ字がひらがなに自動変換され、そこから手動でかな漢字に変換するという二段階の変換システムになっているのに対して、中国語の入力システムでは、ローマ字から直接普通の中国語に変換される、一段階の変換システムだという点です。)
また、そのようにして入力された文章に関しても、違う単語が同じ表記になってしまう(例:「行った」)とか、曖昧性があったり(例:「この先生きのこる」)など問題が多いです。
ローマ字を採用する利点があるのは、後者についてです。ローマ字は、ひらがなよりも使えるパターンが多いです。ひらがなで表現できるモーラのパターンはたった115です(参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/日本語の音韻 )。ローマ字であれば母音5種、子音21と子音がないパターンで合わせて22で、これだけで110になります。私がやっている方式では、母音にはアクセントがあるものとないものがあるので10種類であり、さらに子音は2文字重ねるもの(shなど )があるので、使えるパターンは200をゆうに超えます。
一口にローマ字で表記するといっても、やり方によってその成果に大きな差が出ます。訓令式のローマ字をわかち書きするだけでは、違う単語が同じに表記されてしまうケースは減らず、むしろおそらく増えるでしょう。
そのため、どんな方法がいいかを探求するために、色々と考えたり試したりしているわけです。
今のところやっているのは
などで、まだ決めていないことはたくさんあり、例えば以下のようなことを考えています。
などなどです。
「違う単語が同じ表記になるケースがゼロ」の状態を「完全な表記法」とした場合、表記の完全性と学習コストはトレードオフになる場合があるので、どのへんがちょうどいい具合かも探っていく必要があると思います。
論点が散逸してる感があるのでまとめると、ゴールは次の二点です。
加えて
Arufabétto ga hyouonnmóji da to iwú kotó ha juuyou de ha nái. Juuyou na no ha tanngo to tsudzuri no aida ni taioukánnkei ga áru to iwú kotó de átte, kyokutánn na kotó wo iéba, hatsuonn to tsudzuri no kannkei ha mattakú fukísoku de mo kamawanái. Jissai ni kannzenn ni kisokuteki na hyoukihou wo mótsu génngo ha hotónndo nái. Nihonnjínn nara eigo no mechakuchasa ha yóku shitté irú darou.
Mottómo, "wa" ka "ha" ka to iwú no ha icchóu ittánn áru kara, dóchira ni shité mo monosugóku warúi to iwú wáke de ha nái to omówu.
Nihonngo no hyoukihou no kotó na no da kara, nihonngo wo shiranaí hitó no kotó made kanngáeru hitsuyou ha nái.
Mochíronn shitté irú. "ん" wo "nn" to hyóuki surú kotó ni ha sorenari no gourisei ga áru. "ん" ha nihonngo de ha kánari juuyou na ónnso de, tanndoku de ichi Móora wo tsukúru. Dákara, shikakutekini ni mo nágaku surú no ha nínnchi no tsugoujou íi. Matá, Aposutórofii ( ' ) ha shouryaku kígou to shité bénnri da kara, "ん" no tamé ni tsukatté shimawú no ha mottainái. "ん" daké tokubetsu átsukai shité kigou wo tsukawú no ha ninnchijou mo yóku nái to omówu.
アルファベットは表音文字だから発音に寄せるべき。わざわざ旧仮名遣いの習慣を引きずるべきではない。
大学受験も大体終わった頃のようなので、何となく書く。筆者は以下の言語すべてが流暢という訳ではもちろんないが、まあ平均的な高校生が英語を知っている程度よりはそれぞれの言語について知っているつもりだ。ただし、大学の教師でもなければ語学で食べているわけでもないので適当に割り引いて読まれたし。
のっけから本題とずれるが、これから大学生になる人が外国語学習において力を注ぐべきなのは、英語の学習であって、第二外国語ではない。各国語(あるいは文学)を専攻しないならば、第二外国語を学ぶのは大体多くても2年くらいだろうが、授業を聴いているだけならば間違いなく卒業する頃にはすっかり忘れているだろうから、実際的には毒にも薬にもならないと言ってよい。それでも外国語を学ぶことはその使用者の文化を垣間見せてくれるし、ヨーロッパの言語であれば英語の理解を深めてくれる部分もある、かも知れない。
というわけで結論だけ先に述べれば「直感で好きなのを選べばよい(どうせたいした違いはない)」。もう少し付け加えるならば「フランス語はやや覚えることが多く、単位を落とす人がそこそこいる。英文法になじんでいる人間にとっては中国語の文法はややとっつきづらい。逆に英文法がどうも嫌いだという人は中国語にチャレンジしてみてもいいかもしれない。以上を逆にとらえるとドイツ語やスペイン語は無難な選択肢だろう」くらいだろうか。
以下各国語についてのコメント。文法:A(簡単)- D(難) 発音:A(簡単)- D(難) 実用性:A(役立つ)- D(全く無駄) で一応つけてはみたものの、印象なのであしからず。
かつては第二外国語筆頭だったろうが、学習者は減少している。大学の二外として言うのであれば、初期学習は簡単なので一番無難であると思われる。英語と同じゲルマン語に分類され、文法はまあ似ているのでそれほど違和感なく入っていける。また、発音もよく知られるようにだいたいローマ字読みであり簡単。また、日本人にとって、クーゲルシュライバー(ボールペン)などの一部の単語は(ドイツ人が理解することができない)クールで魅力的な響きをもつ。
歴史的な経緯からドイツ語が通じるのはほぼドイツだけで、ビジネスで関わるようなドイツ人であればまず英語が話せるのでドイツ語の実用性は低い。とはいえ、EUの中で最も力を持つ国ではあるし長期的に学習することを考えるのも無駄ではないだろう。
こちらもメジャーで、その意味では無難。文法でハードルになるのは、やはり動詞の活用であろう。例えば英語だとgoは三人称単数でgoesと活用する。フランス語の場合、{単数、複数} x {1,2,3人称}の6パターンの活用をするのが普通で、さらに現在形、過去形、etcと6種類ずつ活用を覚えることになるので英語やドイツ語に比べると暗記が必要な部分は増える。二外としてみる場合、大してモチベーションもないのにこれを暗記するのが大変という場合が往々にして起こりえて、単位を落としやすいように見える。
発音については、英語ほどスペルとの対応が不規則ではないと言われるが、発音しないのに表記される文字が多く初学者にとっつきにくいものである。またこれが上の動詞の活用のスペルを覚えにくくするものでもある。
以上の点から、二外として単位を取るだけならばあまりオススメはできない気がする。ドイツ語に対して利点があるとすれば女の子が多そうなイメージがあるくらいだろうか。ただ、ある程度学習が進むと上で書いた文法や発音の困難はたいした問題ではなくなる。また、歴史的経緯から英語の語彙は(同じゲルマン語である)ドイツ語よりもフランス語との方が共通点が多いので、英語が十分できる人間にとっては、入門を果たした後ある程度読めるようになるための労力はドイツ語より少なくて済む。
実用性という点では、アフリカに植民地がたくさんあった関係上アフリカで多く使われるため国際協力云々といった仕事に興味がある人にはフランス語の知識は有利に働く。
いろいろな問題を抱えつつもとにかく巨大かつ成長中の国で、さらに地理的なこともあって学習者は増えているようだ。
まず、発音が難しい(厳密に言えばどの言語も難しいだろうが)。よってリスニングが難しいので単位取得にはマイナスかもしれないが、逆にだからこそ授業でとるべき言語とも言えるかもしれない。文法についてはひとことで説明するのは難しいのだが、なんと言っても全く活用しない(=漢字は形を変えない)ので英語と同じノリで文法を理解しようとするとなかなか腑に落ちない。原因をいくつか挙げると、一つの文字がいろんな品詞で使われることや「目的語」の概念が英語と若干違った意味で使われるといったところだろうか。また、文法のルールが複雑というよりもどのルールをどこで使えばいいのかがよくわからないという難しさがある。
こういう難点はあるものの、暗記するのはまあ文字くらいで、日本人にとっては文字を習得する苦労があまりないので二外の単位取得くらいだったら一番労力が少なくて済む(かも)という面もある。ある程度要領が良い人で、外国語の勉強をしたくない、というひとには選択肢に入るだろう。
実用性という意味では、もちろんペラペラになればそれなりに重宝されるだろうが(ただし英語もできるという前提で)、そこまで行くのはまあ大変だろう。日本語ができる中国人は大量にいるので、ちょっとやそっと中国語ができても、それだけではあまり使い道がない(と言われている)というのは留意すべきか。
文法の複雑さという意味ではフランス語と似たり寄ったり(どちらもロマンス語に分類される)。ただし、発音がおおむねローマ字読みでありその分暗記はしやすいように感じる。二外としては大きな困難がない言語であると思う。実用性からみても、話者の多い言語でありそれなりに有望だろうが、下手にスペイン語ができるからといってメキシコで働くことになったりするのは怖いかもしれない。
スペイン語も読めるようになるまでは英語の知識が役に立つが、おそらく難しいのは聞いて話すことで、一般に早口で話されるので実際に会話できるようになるまでに必要な労力はどの言語でも変わらないなあ、と感じる。
ちなみあまり二外の選択肢にない気がするがイタリア語も同じロマンス語であり、スペイン人とイタリア人は場合によってはそれぞれがそれぞれの国の言葉で話して理解できるようである(ポルトガル語の方がスペイン語に近いらしい)。少し勉強しただけの印象だとイタリア語の方が文法も発音も少しルールが複雑である。それよりも大きな違いはイタリア語は特定の分野をのぞけば実用性があるとは言えないという点だろう。もっとも、プロとして高い能力を持った人も少ないらしいので全く仕事につかえないという訳ではないだろうが。
実用性は近いからなんとなくドイツ語単品よりは仕事ありそう(ただし地理的に限定される。北海道とか新潟とか)、というくらい(あくまで印象です)。
まず文字が違うのでそれを覚える苦労があり、発音も難しく、文法も複雑である。語学に時間を割きたくない人にはお勧めしない。二外としての利点を挙げると、大体少人数の全学部合同クラスなので、知り合いの幅が広がって楽しそうだった、という風に記憶している。難しい言語ではあるが、その分授業も緩くすすむ場合が多く、選択者の評判はおおむね良好だった。
個人的にはドイツ語とフランス語の後に学習した方が諸々楽な気がするので、二外としてはやはりオススメではない。ただ、ロシアという国に何となくロマンを感じる人は適当に勉強してみるのはオススメしたい。
古典語について個人的印象。括弧は実際問題発音しないので...
ラテン語。文法:C- 発音: (A) 実用性:C- (ヨーロッパ言語の文法的特徴について見通しをつけるのに役立つ気がする)
古典ギリシア語。文法:D 発音:(B) 実用性:D (特定の目的があるなら別ですが)
くどいようだが、(少なくともほとんどの人にとって)なんといっても英語の勉強をする方が先決だ。日本人が中高大と英語を勉強しても話せないのは教育が云々といっていろいろな試みがなされているが、第一の原因は勉強不足である。そもそもセンター試験で安定して9割くらいとれないのであれば高校までの勉強が不足しているし、話せるようになるにはセンター9割からさらにそれなりの努力が必要だ。日本人のほとんどはセンター9割*に達していないうえに、大学に入ると勉強を止めてしまう。これでは「中高大で英語を学んだ」とは到底言えないだろう。(*あくまで一例。要は高校までの学習内容をきちんと身につけているかということ)
また、機械翻訳が発達して語学力はいらなくなるという意見もあるかもしれないが、すくなくとも10年以内に(話を英語に限ったとしても)英語を全く理解せずに英語話者と口頭でコミュニケーションがとれるようになることはないだろう。先のことはわからないとはいえ、機械翻訳の発達を強調して語学学習の無意味を説く人はノストラダムスの予言を当てにして何の努力もせずともよいと言っていた人(いるかは知らんが)と大差ない。ただし、コストパフォーマンスの面から翻訳が金にならなくなっているのは既に事実であり外国語で食っていくのはコンスタントに難しくなっていくというのも正しいだろう。自分は「英語はただのツールなんだから必要になればすぐに身に付く」という言説は全くの嘘だと思っているが、そうはいっても金になる技術を身につけるのはそれはそれで重要であるのも事実で、英語だけできても仕事がないというのはある程度正しい。同時に、別に誰もが英語をぺらぺらになる必要もない訳で、「英語が先決」と書いたのはあくまで外国語学習という範疇に限れば優先すべきは英語であるという意味なので、自分の時間配分の優先度を考えた上で外国語学習をしてほしい。
めっちゃどうでもいいけどさ、
MEMENTO MORIって当たり前だけどローマ字そのままでなんかめっちゃかっこ悪く見える
語感はかっこいいのに、字面が「あれっ?英語わかんなかったの?」みたいになっちゃってて本当に残念。APPURUって描いてる感じ。なんとかならないもんか。