はてなキーワード: ゾーニングとは
いや、たとえば今回のVTuberの騒動の件だって、事務所の社長や中の人は女性だけど、容赦なくブッ叩かれましたよね。
反面、女性向けのBLやTLについては、法的な意味でゾーニングされていないものが凄く多いのに、誰も批判しようとしないわけですよね。
だから、法的なロジック(条例に基づくゾーニング、自由主義的な刑事制度など)とは別の、何かしらのロジックがあるはずなんですけど、これがよくわからんのですよ。
私は最初からコンビニのエロ本が規制されて書店に堂々と置いてるBL漫画が規制されない理由がよくわからないって話をしてるじゃないか
書店BL自粛を要望しているフェミニスト腐女子とやらが存在するとそちらが言ったから、ではそのフェミニスト腐女子とやらは自粛規制のためになんかやってんの?コンビニエロ本自粛同様に社会動かそうとしてんの?実際に書店からBL本をゾーニングできるような具体案出してSNSで仲間集って社会問題にしてんの?って聞いてんだよ
その絵師はその数千FF鍵垢でフェミニスト同様常に社会活動してんのか?毎日毎日「書店のBL本自粛すべき」って言ってんのか?違うでしょ?R18絵や自重絵を上げるためのゾーニングとして鍵垢を使ってるのであって、書店のBL本自粛のためにアカウント取ってるわけじゃないんでしょ?
それは活動でもなんでもないんだよ
私がずっと言ってるのは、実際に発言や活動を繰り返すことで社会問題として取り上げられてコンビニエロ本同様店舗や社会を動かして書店BL自粛の流れに持っていける活動をフェミニスト腐女子とやらはいるのか?って話だよ
元増田だよ
私はBLではない同人畑で生きてる女オタクだけど、フェミニスト腐女子とかいう人々のBL自粛論お気持ち表明なんて全く聞かないし見たこともない
でも、腐女子と同じく全くフォローしていないフェミニスト界隈の人間が言うエロ本自粛論ゾーニング論はよく聞くよ
あなたが言うフェミニスト腐女子とやらが本当にBLの自粛ゾーニングに意欲的なのであれば、エロ本自粛フェミニストの意見と同じように私の目に入ってくるはずなんだけど?
もしかして「一般人にはこういう刺激のキツいのは無理だよねーw私達耐性あるからさw」程度の馴れ合いのことを学級会とかお気持ち表明って呼んでる感じ?
腐女子の学級会で書店のBL漫画のゾーニングの話してるのなんて聞いたことないぞw
ツイフェミは、自分たちが気持ちよく暮らせる社会を目指しているだけで、
何が規制されて、何が規制されないべきかは是々非々でTPOに応じた個別判断が必要だと主張してるだけだよ。
この手の論ってよく見るけどそもそも定性的な「わいせつ」という概念を、定量的かつ「客観的な基準」として示すのって無理では?
何が「わいせつ」に当たるのかを誰が見ても明らかに定義した「客観的な基準」なるものが存在するのなら、そもそも裁判所なんて不要になるだろうし
社会は複雑怪奇で変数が多すぎる。違法なのか、適法なのか、違法ではないけどグレーなのか。公共広告なのか、民間広告なのか、ターゲットは誰なのか、ゾーニングしているのか、状況によって判断基準も変わるだろうし
客観的な基準を設けることなんて実質的に不可能だからその調整機関として裁判所が存在するわけで。更には変動する世の中に応じて法律自体も刻々と変化するわけでしょ
増田もまさか警察が小中学生向けの広報で注目を集めるために局部を絆創膏で隠したAV女優を起用しよう!なんて主張していたら、たとえ合法であっても批判すると思うのよな
自身が「客観的な基準」を示さずに、相手方にだけ(実質的に不可能に近い)「客観的な基準」を示すことを要求する、さらには提示できない(していない)ことを以て罵倒するのは、卑怯だと思う
なのでできるものならまず増田が「客観的な基準」とやらを示してほしい
結局、Vtuber擁護側も「俺的には大してエロくないからセーフ。基準は俺」としか言ってなくない?(そしてそれは仕方がないことだと思う)
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以下追記
「裁判で違法になった表現のみ批判されるべきである」という態度は、一見客観的なようで実は非常に主観的(であることに言ってる本人も気がついていない)だし、多々問題や矛盾点がある考え方だと思うのよね
・推定無罪の原則から、有罪が確定するまでは無罪として扱う必要がある。また確定判決が出るまで年単位の時間がかかる場合もあるのが現代日本の裁判制度である。この前提に立った際、たとえば「〇〇殺す」といった、どう考えてもアウトだし批判されても非難されても仕方ないよという表現でも、確定有罪判決が出るまでは一切批判すらしてはならない、ということになる。あまりにもラディカルすぎないか
・刑事では無罪だが、民事では違法性が認められて賠償請求が通るような事案(あるいは逆も可)があった場合、アウトなのかセーフなのかの判定が矛盾する
・さらには、どのような表現が有罪になってどのような表現が無罪になるのか、網羅的な法律の専門知識があって言っているわけでもないだろう
このあたりを踏まえると「裁判で違法になった場合のみ批判されるべき」という態度は、言葉を補えば「俺が、もし裁判になったらおそらく違法になるだろうと思っている表現のみ批判されるべき」としかいっておらず、その判断基準の内実を定量的に示したわけでもなく、非常に主観的だ。
そもそも行政分野ではあらゆる表現は違法にならない限りOKですよーなんてされておらず、各種ガイドラインが頒布されている。フェミが勝手に言っている、とかではなく、普通に中央省庁や自治体が制定しているものだ。
以下は埼玉県の広告ガイドラインだが、まさにP.10に今回の事案に近い例が記載されている(女性をアイキャッチャーに使う、性的側面、過度に性的な萌キャラなど)
https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/64903/p4-p12.pdf
なので、裁判で違法にならない限りオールオッケーとあなた個人が考える分にはよいけれど、現実社会の行政・公共表現ではそんなラディカルな態度は取れるわけがないので、正直いうと世間知らずだな、という印象を受けました。
それが幸せだと感じるのを否定はしないのよ、ストーリー的(TPOとして)に順当でないシチュエーションなのにその一方的な「幸せ(を感じるのは全員でなく、嫌悪する人も一定数いる)」の切り取りを意図的に作って掲示して流布するなよって言っている訳なんだ。
何にでもエロが含まれてなかったら自分が自分の属性が楽しませてもらえないのは自分が自分達が侮辱されてると感じるのか?
そのエロと同様の事を現実に期待して他人(敢えて女性とは言わないよ)をじろじろ見たり、お仲間と一緒になって品評したり野次ったりするチャンスが減る、機会損失なので自分にとって損になると思うのか?
意味ない文脈で突然ぶっ込まれるのを楽しみたいなら、ゾーニングされたフィクション内で楽しんだらいい。
たぶんあんたが思うより馬鹿で卑劣で想像と創造性に欠けた人間は沢山いて、頻繁に見るものは社会的に許容されていると受け取り、その幸せを得るために、見たことのあるそれを目の前で再現させようと他人に付きまとったり強要したり画策したり、下品にやじったり直接的に盗撮だの手の甲で痴漢だのする、ぶつかってくる奴がかなりいるんだよ。
この最近でもいろいろあったけど、表現規制反対側というかオタクたちの言動みてると、疑問があるんだよな。
オタク、多分、いまだに自分たちの表現文化に自信ないだろ。なんかすごく、威張りと卑屈さが奇妙に入り混じってる。しかも頑なに「エロ」認定を拒む奴もいる。エロくて何が悪い?って言えないのか。
クラスに一人二人いたタイプが、そりゃ53万人だっけ?も集まってくと、あんなチグハグなブームになるよなと思うわ。場当たり式、泥縄式のことしかしないもん。自称軍師様々だわ。
そんで議員先生とかも本気で問題に取り組みたくないが票だけは欲しいから、問題が起きた時だけポーズとって「アニメ漫画は日本の宝!」で終わり。「俺たちのアソー」の時と変わってない。
別に「ズリネタ至上主義」が悪いとか言うんじゃないんだよ。むしろ俺がここで書きたいのは、どこまで表現やその規制に向き合ってるかってことなんだよ。だけど、見た感じ、53万パワーとか自民に陳情をーとかそういう奴しかいない。深みなんかない、ただ国に認めてもらって都合の悪いことは考えないで波風立たないようにしたいだけなんだろ?
海外の活動家ならままいる、そもそもの国家介入反対、ゾーニング反対論者がいないかTwitterで調べてみた。その立ち位置があってそこからまず議論が始まるはずだからな。
でも驚いた。ずっと訴えてそうなのはほんの数人だった。艦これのおしっこ同人作家、非国民を名乗るハーフ、ニッチジャンルっぽいvtuber、それくらい。この人たちは相対的にそれだけで立派だよ。
議論として踏まえておくべき漫画家とかのなかで、これを俎上にしとる人は一人もいなかった。もし知ってたら教えてほしい。
中国とかロシアのBL規制のニュースみて「はえー大変だねー、日本は自由があって良かったねー」じゃないんだよ。日本は不自由なの。それもフェミとかポリコレとか以前に、自分たちの運動が不自由なの。まずは文化の原点に立ち返れや。なんで表現文化の一員を気取ってる奴が合法のぬるま湯に浸かってんの。戦えや。自民だろうが共産だろうが関係ない、常にモザイクも倫理規制も気にしない、自分のフリーダムな表現をしろや。そこからだろ。
正直なところ、敵は内部にあり、とはよくいったもので。
一般的な漫画よりも、むしろ一部のBL/百合漫画が差別を大きくしている気がします。
「男の子/女の子同士でなんて、おかしいよね……」というLGBTの葛藤のある漫画。
あるいは、生まれつきLGBTでない主人公や登場人物が同性相手に恋心を抱きかけ「いやいや、まさか……」と誤魔化す漫画。
そういったある種の『葛藤』が登場する漫画は、正直な話規制して然るべきだと思います。
この様な葛藤表現は、平成初期から現在に至るまで、定型的な文脈として漫画中に用いられてきました。
割合として見れば昨今は減少傾向にありますが、母数を考えれば絶対数は増加しているはずです。
だからこそ、性に寛容な現代においては一考の上で、規制されるべきだと考えております。
いささか短絡的ではありますが、この様な葛藤を描くことは現状の自由恋愛制度/LGBTの権利獲得への妨害に他なりません。
こういった漫画の存在は、LGBTの方の「自分たちの性癖は矯正されないものである」という抑圧を強化し。
一方で、一般人には「異性愛こそがやっぱり正しい」「ホモ/レズはおかしいものだ」という深層心理の植え付けを発生させます。
その様な状態が続いては、現代社会においての『平等』なぞ約束されるはずがないのです。
『こういった葛藤こそが百合やBLの醍醐味』『一種の伝統芸』という方もいらっしゃるでしょう。
しかし、そういった旧態依然の伝統などは周囲の風潮に従って変容するものであります。
特に今回の様な、人々の思考根底に影響を与えるものならばより早期に解決せざるを得ません。
どうせ後々受け入れられなくなる/風当たりがきつくなることのならば、早めに摘み取ったところで何ら問題はありません。
しかしそういった葛藤の入った作品は分別が付くまでゾーニング/年齢による閲覧制限をした方が良いでしょう。
また私の意見は全ての百合/BL漫画を規制するものではないことも明記しておきます。
多くのBL漫画/百合漫画は葛藤が無くても良いものが描けていますし、あるいは既にLGBTが受け入れられ/一般化した状態で話が進むものもあります。
そういった作品たちは今後については推奨……こそできませんが、発展していくべきだと思います。
時代の奔流に合わせた進化と規制による淘汰を、私は求めています。
以上、長文失礼いたしました。