はてなキーワード: アカデミックとは
気づいたの?
あれはプロレスよ。他の国内の議論に目を向けさせないためのね。
韓国みたいな外国相手だったらギャースカ叫んでるだけで成果だから。小泉の時にそれに気づいて、小泉のヤバさに気づいていたら日本ももっと早く復活していただろうね。
けどまあ、公務員系(アカデミック含む)にどんどん石を投げるのは続くだろうから、日本が何も生み出せない途上国になるまでこのまま落ちていくしかないよ。
あ、でもイノベーションを起こせば復活する!起業だ!とか言い出す奴はいるが、そもそもイノベーションなんてどうなるかわからん長い間の積み重ねの結果。
例えばルワンダで銃で撃たれて死ぬ確率と、日本で銃で撃たれて死ぬ確率との違いぐらいはあるだろ。
叩かれてるけどわかるよ
アカデミックで働く人と非アカデミックで働く人だとかなーり常識違うもんな
アカデミックの現状がどれだけズタズタかわかってもらえないと思う
泣く子と地頭には勝てぬと言うよ。
感情でまで納得しないとならない。
まあ、頭の悪い親ってのはそうだが、それに他の連中が同調するぐらい、アカデミックなんてヤクザな道だってことやで。
アカデミックが危険ってのは霊感商法にも多分知れ渡ってるからな。飯の種になるのならそりゃ頭の悪い親使って引っ掻き回すって。
あん?こちらも一応資産家家系だけど、親が霊感商法にハマって、霊感商法のお告げのとおりに引っ掻き回してくるから支援無しだけど?
ま、もうアカデミックもぜーんぶ終わりも視野に入れざるを得ない領域に入ってるがな。
ただ、あのクソ連中共の顔は二度と見たくないから、天涯孤独、無駄な肩書とともに再スタートだ。だけど、最後に海外だけ狙うがな。
ぶっちゃけ、中国に研究者として渡る話は増えてる。当人の幸せが第一だからな。
アカデミックとして「自分の興味の元の研究がしたい」のなら選択肢に入れるべきものだと思うよ。日本じゃ企業の雇われ研究をフリーターでやってるのと変わらないから。
後、資産家なんて、同調圧力激しいから、そんなプータローみたいな人生に親世代が誰か文句つけたらおしまいやで。
しょせん、資産の采配権限は親世代、祖父母世代がまず持ってるものだから、そいつらがへそ負けたらアカデミックにいる当人はただの貧乏人だ。
そもそもが、ポスト見つかれば、どこだろうといかないとならないという宿命がある。
結婚していて、相手が定職に付いているとすると夫婦別居にならざるをえない。
けど、相手が定職についてないとすると、さんざんぶん回された挙句、どこかでポストが途切れたら、夫婦心中となる。
かと言って、運営費交付金はどんどん減らされる一方。宮仕えにどこかの共同研究で金を持ってきて、あるいは科研費とって、終わったら次にの綱渡り。
テーマも、どんどんすぐネタになるようなものを後追いでやることを求められる。けど、すぐネタになるぐらいの後追い研究なんてたいした実績にならない。
実用化が遠い未来だったり、実用化を考えていない基礎研究なんか日本じゃ求められてないから。
だから、必然的に海外狙いはしておかないとならない。これが唯一救われる道だろう。とすると、落ち着くまで結婚はできない。
起業もそうだけど、やっぱり新卒で大企業行って、ヒラメみたいに泳ぎきる+転職に向けてのスキルだけ意識しておくのが大事だって。でもまあ、いつか海外でないともうダメなんだろうけどなぁ。
ごくごく真面目に、分かっているであろうことを承知で書くけれど、日本でも、アカデミックな職でそんなにひょいっとパーマネントなんて無理。准教授でもテンポラリーが多いのに。俺としては、もし今目前に口が得られそうなら、それがテンポラリーでもそこに身を置くべき、あと海外で職があるならそっちに行った方がいい、ということ。この国のアカデミックの未来は、ポストにおいても予算においても正直暗いよ。こういう状況では、結局は(本来はそれを排除する為の諸々のシステムであった筈なのに)コネとかが効力を発揮してしまったりしかねない。
でもな、そういうテンポラリー綱渡りな生活であっても、子供育てて幸せそうな人ってちゃんと存在するのよ。研究者は楽天的でなければならないものだけど、それは配偶者においてもあてはまる。常に安定を志向したら、そりゃあ綱に乗るな、で話が終わるしな。その辺はちゃんと話しておくことをお薦めするよ。
最近、IT系の会社へ転職活動をしているのだがコーディングテストを採用しているところが昔と比べて非常に増えた印象を受ける。
種類としては大別すると以下の3種類。
・ホワイトボードに○○○について書いてください。
・オンラインで受験可能なコーディングテストを受けてください。
・(PCを与えられて)ライブコーディングで○○○についてプログラミングしてください。
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Microsoft製品のバグを証明するプログラム付きのバグレポートを送った事もあるくらい自信があったので
これについて「自分がおかしいのかな?」と思ったら以下の記事を発見。
要は有名な開発者がテストに落ちたから採用されなかったという話
導入している企業側からしたら採用のコストを下げるために導入しているのだろう。
確かにプログラマーのレベルを図る上でコーディングテストに一定の効果はあるのかもしれない。
しかしながら、どう考えてもこれは所謂「お受験」対策しているかどうかであって、
天才的(全くの知識ゼロで最適なアルゴリズムを思いつく)なプログラマーを採用したいのなら悪くはないと思うが、
通常は集合知をいかに早く上手く組み合わせた上でアウトプットできるかが大事なんじゃないかと個人的には思う。
例えばソートアルゴリズムや探索アルゴリズム、暗号アルゴリズムなどは非常にアカデミックで
通常のプログラマはそういった人たちの成果を利用して色んな社会の課題を解消したり新しいサービスを作っている。
もしコーディングテストしたいのであれば前者と後者の違いを認識した上で評価しないとダメなのにどこも一律評価している。
まぁ、こちらからしてもそんな評価されるんであればそんな会社には入りたくないなーと思うので、
35歳までに子供作らなかったら自己責任という反証としていったのだがね。
その例として、アカデミックポストや起業みたいなものがあると。
まあ「夢を追いかける」とか「リスクがあることをする」なんてのは自己責任社会のもとで、行ってはならないってのが今の日本なんだろうなというのはある。
元: https://twitter.com/fuquiague/status/1143162885100597249 , https://twitter.com/fuquiague/status/1143163134636519424
今更感は否めませんが、九大のアカハラ問題についてもしTwitterで検索している人がいたら読んでもらいたいと思います。僕あのラボの出身なので、あのニュース記事では見えてこない部分で、自分の知る限りを書きます。
たしかにその教授はとても厳しい先生でしたが、サイエンスへの情熱が並大抵ではない方でした。ゼミ(文献紹介)では、確かに皆の前で1時間や2時間説教をされることはザラです。でもそれは、ゼミの準備をしっかりしてこなかったり、考えが浅い学生に対する対応であり、適切な論文を入念な準備をしてゼミに挑めば、議論の白熱した質の高いゼミが執り行われるのです。
「学生の発表中にスマホを見ていた」とありますが、僕の知る限り、この怒られた先輩はタイトルの英文に誤りがあるレベルの酷い論文を提示し、それに対して先生が「こんな論文についての発表を聞くのは無駄だ。俺はサッカーW杯の予選を見る」といってスマホの動画を見ていたそうです。
確かに少しやりすぎなのかもしれませんが、僕は怒って注意するのと行動の本質は同じだと思います。先生には黙って聞いていたり、居眠りしたりする選択肢もあったと思います(現にゼミで不甲斐ない生徒に怒るのはどうなのか迷ってらっしゃる時もありました)。しかし怒り、動画を見るのは研究室、ひいてはサイエンスのための"プロレス"です。
先生は一介の研究者のレベルではなく、その分野では日本を引っ張っている研究者の1人でした。それは、厳しい教授のもとで、生徒達が発破をかけられて懸命に研究に励んでいるからです。日本にあるこう言った風潮は、若者にヌルい社会になる一方で、日本のサイエンスの衰退に繋がりかねません。先生が明日から「反省したよ怒るのはやめるね」となれば、研究室としてのレベルが低下して日本がその分野で世界に遅れを取るんです。そのラボには厳しいながらもその熱血な指導(先生が何日も徹夜で論文の添削したりしてくれます)に魅力を感じて博士課程に進学した先輩が大勢います。僕も熱心に研究に取り組める環境を大変気に入っていました。
当然、こういった環境が合うか否かは人それぞれですが、研究室は選べるし変えられます。僕はこのような問題が生じてラボが画一化し、選択肢が狭まっていくkとに強い危機感を抱きます。僕も含め、やや世間のアウトサイダー感が否めない学生が多く在籍するラボでしたので、尚更です。僕は今回の件は「アカデミックハラスメント」ではなく、単なる「アカデミックアクション」だと思います。日本のサイエンスの為にも、多様性確保の為にも、あのラボが今まで通り運営されていくことを望んでいます。
ちなみに「メールで特定の生徒への叱りつけを他生徒にも見えるように行った」とありますが、この方は学歴ロンダリングについてメールで公開叱責をされたようです。おそらくこの方が学校名につられて修士から院を変えるような旨に対しての叱責だと思います。これも生徒側の非は大きいと思います。
僕はこのラボから修士で東大に行っているんですが、その旨を教授に告げた際、「君は本当にやりたいことがあって東大に行くということは分かった。単なる学歴ロンダリングじゃなくてそういうことなら私は何も言わず送り出す」と返答をもらいました。レベルの低い研究室なら出ていかれても仕方ないですが、先生も含めて全体で誇りを持って研究に取り組んでいるラボだったので、そこを単なる学歴ロンダのために出ていこうとするのは失礼ですし、怒られても仕方ないですし、それであのラボを出ても後で自身が後悔すると思います。そう言い切れる程、良いラボだったと思います。
僕が心から恩を感じているラボとその教授がメディアに悪く書かれ、ネット上でも酷い言われようであることに大変心を痛めています。もちろん被害を訴えられた方にも相応の言い分があることとは思いますが、今回の事件の裏の一面として、このニュースに関心を持った1人でも多くの方に読んでいただけますと幸いです。
年々、発達障害への理解を深めようとする発信が増えてきている気がします。
なんかもやもやするのは、私の身近に発達障害を抱えている人がいるからです。
私は大学院生です。M2で、23歳。もうすぐ24歳になります。
本当にしんどいです。他の研究室のメンバーもつらいつらいと言っています。
発達障害を理解するっていうのは、私たちがうんざりするような回りくどい話し方や異常な上から目線、自分の経験則が第一と思っている視野の狭さなどなどを受け入れろってことでしょうか。
ごくまれにこっちの我慢にも限界がきて「おまえそれうざいから」って言いますが、そんなんで治るわけでもなく、言ったこちらも罪悪感が溜まっていきます。指摘の仕方を丁寧にすればいいってもんでもないと思います。
発達障害の人との付き合い方というページを見ても、結局そこで取り上げられている発達障害持ちの人はかなりまともな人が多いですし、自分と向き合ってどうにかしていきたいと思っている人が多い気がします。「発達障害」とか「アスペルガー」とか「ADHD」と一つにくくるのは無理です。
なぜ後輩を発達障害と言えるのかというと、彼は1度私に発達障害を持っているとカミングアウトしてきたからです。ただ、私はこのことを誰にも言っていませんし、他の研究室のメンバーは多分知りません。なのでまだ「まあこいつは発達障害だから仕方ないか」と思える私より、イライラしていると思います。
一般的な発達障害を抱えている人って、生きにくさを感じながら苦しんでいるタイプが取り上げられると思います。で、周りの人はその補佐をしてあげましょう的な。一種の身体障害と同じように、個性の一つですよ~みたいな。
ただ、私の後輩は攻撃性があるのです。(悪意があるかは知りませんが)
大学・大学院というようなアカデミックな環境で、かつ個性というものに寛容な環境でなければ淘汰されている存在だと思います。
なぜ理解しなければならないのだろう、普通に「頭のおかしい奴」として認識して仲間外れにして飲み会とかしちゃいけないんだろうか。