はてなキーワード: 現実とは
この件に関して、おそらく自身の子がいないであろう極端な意見は無視して良いと思う。彼ら彼女らは無責任なので。
で、本題だけど、重要なのは情操教育途中である9-15歳前後までの影響で、漫画と現実の区別が曖昧なあたりが一番難しい。
単純なエロ絵だけであれば、昔もエロ本など転がってる事があったし、完全に制御できるものではない。し、完全に知る機会を奪ってしまうと別の問題が発生しそうではある。
例えば小学生低学年男児あるあるで、ダークヒーローものにハマると言動が露悪的になって友達と喧嘩したりする。
一方でその経験でもって現実との区別を獲得していくと考えると、それはそれで必要な通過儀礼とも言えるので、話がややこしくなってきてしまうが…。
諸々言ったけど、まぁようはバランスって話なんだけど、多分増田は自身の言葉で整理しないとモヤモヤしたままかもよ。
もちろん、投資するだけの余剰資金がある人もいる。主に2パターン。
どちらにも当てはまらないのなら、本当の意味での「余剰資金」なんてない。
「新NISAに積み立ては10年・20年取り崩すな」というけど、お金が必要な時に使えないのはマズいよ。
しかし、180cmの身長など、男性として生まれ持った身体的な特徴があり、どうしても女性として普通に生きることが困難に感じ、行動に移せません。
たとえ行動に移したとしても、女性として生きることはできないんだという現実と向き合うのが怖いです。どうしても死が過ぎるからです。
今はパーカーを着て、女性でいうベリーショートくらいの髪型にして性別への違和感をなんとか抑えています。
たまに、見た目で女性と思われた経験を頭の中で反芻して、安心感を得たりしています。
また、自分の身体の部位をメジャーで測ったりして、女性の平均的な身体の部分を見つけて喜んだりしています。
しかし、最近はそういったことでは抑えきれなくなってきました。きちんと自分の見た目と向き合う必要に迫られています。
私はどうすればよいのでしょうか…
以前の職場は、生徒の半数が東大京大医学部に進学するような進学校だった。数学を教え、質問に答え、難度の高い試験問題を作るのが日課だった。生徒たちは自主的に学習し、俺はサポート役に徹していればよかった。
今の職場は全然違う。何もかも平均的な地方の公立高校だ。期待を背負って赴任したものの、現実は想像とはかけ離れていた。授業は聞いてもらえず、質問などまるで来ない。教師というより保育士に近い。
赴任当初、前任校での経験を活かして生徒たちに数学を好きになってもらおうと意気込んでいた。が、現実はそう甘くなかった。
ある日のこと。生徒たちの興味を引こうと、数学オリンピックの簡単な問題を紹介してみた。「さあ、みんなで考えてみよう!」と声をかけたが、教室は静まり返ったまま。数人の生徒が困惑した表情を浮かべるだけだった。
テストでちょっとした応用問題を出題したときは、もっと予想外の展開になった。生徒たちはほとんど手をつけられず、挙句の果てに保護者から「範囲外の問題を出さないでほしい」というクレームが届いた。
俺の役割も、想像していたものとはかけ離れていた。数学の指導はもちろんだが、生徒たちの生活指導や心のケアにも多くの時間を割くことになった。「なぜ数学を学ぶの?」という質問に、進学のためではなく、論理的思考力を養うためだと説明する日々が続いている。
赴任時に「進学校での経験を活かして、うちの学校の進学実績を上げてください」と言われたが、現実はそう単純ではなかった。生徒たちの学力や意欲の落差が桁違いだ。まず椅子に座らせるところから始める必要があった。
時々、黒板に向かって独り言を言っているような気分になることがある。「この式変形で...あぁ、誰も聞いてないな」って具合。
正直辛すぎる。
女性はヒーローのピンクにしかなれない、桃の園連載開始!その評価は…? - Togetter [トゥギャッター]
戦隊大失格とかの時にもあったけど、漫画内の設定にたいして現実の戦隊モノを持ち出してあれこれ言ってて酷すぎる
この漫画内ではこういう設定ですよってだけだろ
>女にありがちな「性欲はあるけど相手は選ぶ」「いつでもどこでもやりたいわけではない」「エロ表現は好きだけどフィクションだから興奮するのであり自分がやるのは嫌」
一応言っておくけど、普通の男も大半がこれだよ
いついかなる時、誰とでもやりたい訳も無いし
これがデフォルト
マニュアルって初めての人が初回見るだけじゃなくて、最初の頃の数回とか、一ヶ月ぶりでちょっと自信がないなみたいな時にも見るんだよ。
そこに「思考の過程」という要らん情報が常時文字数(表示領域)を占めてるのを想像してみろよ。
「うるせぇ、お前個人がどう思うかはどうでもいいんだよ!! 今どのボタンから何すればいいのか教えろ!!」
ってなるだろ。使う側じゃなさそうだから共感しないだろうけど。
そもそもマニュアルは記載者個人の意見で記載内容(対応方法)が変わるようではいけないんだよね、マジで思考の過程はいらん。
注意書きは注意書きとして、思考の過程ではなく現実の影響だけ書けばいい。「Aを削除したらBの権限も制限されるので注意」とか。
おとお気持ち注釈いれるくらいは許されるけど、3年後にはほぼ確実に「これいる?」ってなって消されるよ。作ったやつがその時点で居なかったら特に。
今日はふとしたことから、ある考えが頭に浮かんだ。俺は有限であるものを無限と言う奴が嫌いだ。なぜなら、それは現実を歪め、誤った期待を生むからだ。
例えば、時間。時間は有限だ。1日は24時間しかないし、人生も限られた時間しかない。それなのに、「時間は無限だ」とか「いつでもできる」と言う人がいる。そんなことを言われると、俺はいつもイライラする。時間を無駄にしているように感じるし、何よりもその言葉に騙されてしまう自分が情けない。
また、リソースも同じだ。地球の資源は有限だ。水、石油、森林、どれも限りがある。それなのに、「資源は無限だ」とか「技術が解決する」と言う人がいる。確かに技術の進歩は素晴らしいが、それに頼りすぎるのは危険だ。現実を直視し、有限であることを認識しなければ、持続可能な未来は築けない。
そして、人間関係もそうだ。友情や愛情も有限だ。無限の愛を期待することは、相手に対して不公平だし、自分自身をも苦しめる。限られた時間とエネルギーをどう使うか、それが本当の意味での愛情や友情の証だと思う。
有限であることを認めることは、決してネガティブなことではない。むしろ、それが現実を直視し、より良い選択をするための第一歩だ。だからこそ、俺は有限であるものを無限と言う奴が嫌いだ。現実を見つめ、限られたリソースを最大限に活用することが、真の知恵だと思う。
現実世界での「悲しい離れ」がほとんど存在しなくなっているから、
仮想世界での「悲しい離れ」が相対的により現実的になっている。
現実世界では、近年はほぼ「悲しい離れ」が存在しない社会が実現しつつある。(喜ばしい事)
・平均寿命が伸びた→親も老衰(大往生)で、その頃には自分も相当な年齢
・SNSなどでの繋がり→突然の転校でも、次の日にはネットでゆるく繋がれる(たとえ地球の裏側であっても)
こうなると、「悲しい離れ」はフィクションや作り物の中にしか存在しない。
(その3セットは、要するにそのキャラ)は次の日も同じだし、
またしばらくするとSNSやブログで顔を出し、最終的には地方の政治家になるかもしれない。
(大抵の場合は)企業が権利を持っているので、そのキャラ(顔+声+名前、の3セットが揃った状態)は
基本的に復活しない。
そして、そのキャラが復活いない以上、他のキャラとのコラボも二度と見れない。
冷静に考えると男サイドが悪いのは自明なんだけど、現実はロジック置き去りで前に進んでいく。
ミソジニーは拡大していくと思うし、フェミニズムも広がっていく。
磁界と電界のように、お互いを励起しながら加速していくでしょう。
>⓿ 現実で女性に見向きもされなかった男が、ネットに逃げて女という属性を敵視するようになり
女に振り向いて欲しいなら、女の機嫌をうかがうべきであって。
男の俺に女が見向きして当然と考えるのは典型的なミソジニーだ。
そして個人的なフラレ経験を、女性一般への敵視に拡大するのは、典型的な差別。
男が差別してた黒歴史が、巡り巡って、フェミニストを嫌う結果になってるのって自業自得だと思うけど。殴ってたのに殴り返されたくないは意味が分からない。
ツイフェミによる悪口雑言に反感を抱いてフェミニストが嫌いになる人間が一定数出てくるのは、かつての2chでの女叩きを今でも恨んでいる人には自明だと思うのだけど。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/courrier.jp/news/archives/372193/
❶ 2chでの女叩きを今でも恨んでいる人が、一定数ツイフェミになって、
❷ (その)ツイフェミによる悪口雑言に反感を抱いてフェミニストが嫌いになる人間が一定数出てくる
……だと思てたんやけど、違うんやろか
私たちは三人で出かけたりご飯を食べたりすることも多く、仲が良かった。
しかし、Bは若くして亡くなった。
でもAは全く泣いていなかった。
悲しくないはずはないのに。私はAとBが仲良しであるのを知っているし、仲睦まじい姿を何度も、何度も何度も本当に見てきたのだから。
そんなBがお葬式では最後まで、涙ひとつ見せることはなかった。
だから彼女はきっと、悲しみに強い人間なんだと、そう思っていた。
少し前に、Aの家に遊びに行ったことがあった。
大ヒット作品なだけあり、私もAも一度は見たことがある作品だ。
Aがまた見たくなったからと私を誘い、こうして二人での上映会が始まった。
見たのは多少前とはいえ結構覚えていて、それでも迫力のある戦闘シーンなんかは今に見ても抜群に面白い!
あーやっぱりすごい映画だなぁーって思って見ていたら横から鼻をすするような音が目立ち始めて、え?なに?とAのことを見ると彼女は泣いていた。
鼻水も出ていて、それをティッシュで包み込もうとしていたところだった。それからティッシュを追加して目元に持って行くと開いた口から声を上げてわぁーんわぁーんと泣き声を上げ始めた。
いい大人がアニメ見て慟哭みたいに泣くとか…とそれを見て思わず、正直ちょっと引いてた。
煉獄さんが死にそうになりながらもぐっと堪えて戦うところとか、乗客の安否をずっと気にしているところとか、あと炭治郎たちのことずっと気にかけてくれていて、そういったところがもう全部すべてエモくて感動するから
とAは八矢継ぎ早に語り、最後の煉獄さんが尽きるシーンに対してはボロボロと涙を流しながらそのシーンをじっと見つめていた。
その時、Aは何を考えていたのだろうかと私は思う。私は今でも覚えている。
なのにAはBのお葬式では涙を一滴も垂らさず、鬼滅の無限列車編の映画では何度も何度も涙を流した。
というか、これだけじゃないかった。
別の日でも、今日発売の週刊〇〇読んだら推しのキャラが死んだ…といって横に座るとすぐに泣き出してしまうこともあった。
そうして私はAの涙を何度も見かけることはあった。でも涙の理由は漫画やアニメのキャラクターが死んだり、別れたりとか、そういうことでだった。
片や彼女は現実の友達の死には涙を見せない。取り乱したりもしないのだ。
はっきりいって、私は怖くなった。現実の友達には涙を流さないのに、アニメや漫画の存在しない、虚構に過ぎないキャラクターたちの生死には一喜一憂し、死ねば涙まで流して本気で悲しむ。
おかしいと思った。現実をおざなりにさせて、アニメや漫画の中のことでリアルに悲しんだり喜んだりするのって、どう考えたっておかしい。健全じゃないのは確かだ。
気持ち悪いって、本心ではそう思ってしまった。Aのあのような態度を見ていると、私は漫画を読みたいとは思えず、アニメも見たいと思えない。
でもたぶん、今の現実社会ではAのような子がたくさいん居てしまうんじゃないかと思ってしまう。
別にアニメやゲームで感動するなっていう話じゃない。でもそうした感情や慈しみは、少しでも現実の社会に向けてくれると嬉しい。
株価が高いのに賃金は上がらんのクソだな!とか思ってたけど、A列車で行こうっていう鉄道会社経営するゲームやってこら賃金上がらないわな〜って思ってる。
まず、税金がエグい。累進課税なので大企業になると総利益の半分くらい持っていかれる。
そんで、配当がエグい。無配当とか低額の配当をすると株主信用度が下がって、それが何年も続くも社長解任でゲームオーバー。
株主信用度を上げるには配当利回りを上げるしかない。つまり、株価が高いとそれだけ多くの配当金を支払う必要がある。
じゃあ株価が高いと儲かるかというとそんなことはないのでかなりきつい。ただ、毎年行う公募増資にさえ成功すれば株高の恩恵を受ける唯一の機会となって税金や配当も怖くないが、更にビルを建てたり鉄道を作ったりという本業にも当然投資しなければならないので現金預金は結構カツカツになる。内部留保(利益剰余金)が多くても使えるお金は少ない可能性があるってはっきりわかんだね。
俺の会社はゲームの中なのでビルを建てればとりあえず儲かるし、鉄道は事故を起こさないし、経営は安定してきている。ただ、現実の企業ともなれば様々なリスクを回避しながら会社経営していかなければならないわけで、もっと金が無くなっていくと思う。いやー、最近になって頑張って賃上げしている企業、偉い!
このゲームには賃上げとか賃下げの要素は無いけど、年1回の特別ボーナスを出すことはできるので毎年あげたいと思います。いつも頑張って働いてくれてありがとう。