2024-08-07

現実で泣かない友人

私と友人Aには大学で知り合った共通の友人Bが居た。

私たちは三人で出かけたりご飯を食べたりすることも多く、仲が良かった。

しかし、Bは若くして亡くなった。

彼女お葬式の時、私は堪えきれず思わず泣いてしまった。

でもAは全く泣いていなかった。

悲しくないはずはないのに。私はAとBが仲良しであるのを知っているし、仲睦まじい姿を何度も、何度も何度も本当に見てきたのだから

そんなBがお葬式では最後まで、涙ひとつ見せることはなかった。

から彼女はきっと、悲しみに強い人間なんだと、そう思っていた。

少し前に、Aの家に遊びに行ったことがあった。

そこで私たち鬼滅の刃映画無限列車編を見たんだ。

大ヒット作品なだけあり、私もAも一度は見たことがある作品だ。

Aがまた見たくなったからと私を誘い、こうして二人での上映会が始まった。

見たのは多少前とはいえ結構覚えていて、それでも迫力のある戦闘シーンなんかは今に見ても抜群に面白い

あーやっぱりすごい映画だなぁーって思って見ていたら横から鼻をすするような音が目立ち始めて、え?なに?とAのことを見ると彼女は泣いていた。

鼻水も出ていて、それをティッシュで包み込もうとしていたところだった。それからティッシュを追加して目元に持って行くと開いた口から声を上げてわぁーんわぁーんと泣き声を上げ始めた。

いい大人アニメ見て慟哭みたいに泣くとか…とそれを見て思わず、正直ちょっと引いてた。

煉獄さんが死にそうになりながらもぐっと堪えて戦うところとか、乗客の安否をずっと気にしているところとか、あと炭治郎たちのことずっと気にかけてくれていて、そういったところがもう全部すべてエモくて感動するから

とAは八矢継ぎ早に語り、最後煉獄さんが尽きるシーンに対してはボロボロと涙を流しながらそのシーンをじっと見つめていた。

その時、Aは何を考えていたのだろうかと私は思う。私は今でも覚えている。

親友だったBのお葬式で、Aが、全く泣かなかったことを。

からAは我慢強いんだってことも知っている。はずだった。

なのにAはBのお葬式では涙を一滴も垂らさず、鬼滅の無限列車編の映画では何度も何度も涙を流した。

というか、これだけじゃないかった。

別の日でも、今日発売の週刊〇〇読んだら推しキャラが死んだ…といって横に座るとすぐに泣き出してしまうこともあった。

そうして私はAの涙を何度も見かけることはあった。でも涙の理由漫画アニメキャラクターが死んだり、別れたりとか、そういうことでだった。

片や彼女現実友達の死には涙を見せない。取り乱したりもしないのだ。

はっきりいって、私は怖くなった。現実友達には涙を流さないのに、アニメ漫画存在しない、虚構に過ぎないキャラクターたちの生死には一喜一憂し、死ねば涙まで流して本気で悲しむ。

おかしいと思った。現実おざなりにさせて、アニメ漫画の中のことでリアルに悲しんだり喜んだりするのって、どう考えたっておかしい。健全じゃないのは確かだ。

気持ち悪いって、本心ではそう思ってしまった。Aのあのような態度を見ていると、私は漫画を読みたいとは思えず、アニメも見たいと思えない。

でもたぶん、今の現実社会ではAのような子がたくさいん居てしまうんじゃないかと思ってしまう。

別にアニメゲームで感動するなっていう話じゃない。でもそうした感情や慈しみは、少しでも現実社会に向けてくれると嬉しい。

そういう風にすることで初めて、AもBのお葬式で泣けたんじゃないかと思えることができるのだから

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