はてなキーワード: 橙色とは
橙田(とうた) 橙木(とうぼく) 橙山(とおやま)
浅黄(あさぎ) 黄木(おうき) 黄地(おうち)
白川(しらかわ) 白木(しらき) 白崎(しらさき)
茶園(ちゃえん) 茶木(ちゃき) 茶谷(ちゃたに)
大空(おおぞら) 空閑(くが) 空田(そらた)
茜部(あかなべ) 茜ケ久保(あかねがくぼ) 茜谷(あかねや)
紅林(くればやし) 紅露(こうろ) 紅谷(べにや)
紫垣(しがき) 紫藤(しどう) 筑紫(ちくし)
緋田(あけた) 緋本(ひもと) 緋山(ひやま)
飴田(あめだ) 飴谷(あめたに) 飴本(あめもと)
鴬地(うぐいすち) 鴬生(おうしょう) 白鴬(はくおう)
このくらいでしょうか・・・赤色・桃色・青色・水色・緑色・草色(黄緑)・橙色・黄色・黒色・白色・灰色・茶色、桜色・空色・朱色・藍色・鼠色・茜色・紅色・紫色・緋色・飴色・銀色・金色・蓬色・鴬色・紺色・土色・藤色で苗字を計153程挙げてみました。
お役に立てれば幸いです(^_^)♪
黒服がこれから浮かれたおじさんたちをクラブへ誘おうと人々に目を配っている。
私の彼はこう言った。
「好きでもないし愛してもいないんだよね。どんな気持ちだって言われたら答えられないんだけど…」
知り合って6年ほど、互いに恋愛ホルモンはとうに切れていた時だった。
今見えている情景(犬かわいいねー)や考え(言ってほしいと言われて)を伝えると脊髄反射で反論して持論を展開する彼に、
「好きでもないというのは、出会った頃のときめきがないとかそういうことなの?」
「僕にとっては好きと愛はイコールなんだ」
私は珍しく前向きに彼の心情を受け入れた。
例えば、デレステにルームアイテムとして太鼓の達人の筐体が実装される。
ここで、「ファン」なる性質をもつ人は、これをおっとりした智絵里に叩かせて、
「大空直美(智絵里の中の人で、太鼓の達人が上手い)が降臨してるwwwフフフ…」とニヤける。
ただ、そうやってニヤける人も、実は分かっている。
ルームアイテムのアクションが1パターンで、どのぷちデレラがプレイしても機敏に弾きこなすということを。
そう分かってもなお、やはり「趣深いな…」と感じられている。
その一方で、「ファン」の性質に欠ける人は、何パターンかあると思うが、
複合的な楽しみ方を、「こじつけだ」のように冷笑的に捉えがち。
脳がシリアル処理なのか、それ単体としての評価をするのが美徳のように捉えている所がある。
上の例でいうと、「なんで1パターンなんだ、クソだな」「もっと作り込めよ」「好きだからこそ批判してるんだ」などと思いがち。
期待度はやけに高いし貪欲なのだが、楽しんでいる人たちの受け止め方を見せられても、
「信者乙」という感情が先にきてしまい、「それはそれ、これはこれ」と忠告目線を変えない。
彼らも、別に批評家ごっこがしたい訳ではなく、楽しもうという気はあるのだと思う。
ただ自分の思ったとおりに楽しませてもらえないことに対して許容範囲がシビアだ。
それで、2ちゃんだとかtwitterだとかのネット上のファンコミュニケーションの場において支配的になるのは、
どうしても後者のような捉え方になる。コミュニケーションが広く活発になるほどそうなる。
それはもうどうしようもないことなのかもしれないが、
日本語でいうならば「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなしものは 心なりけり」
という発想の人の肩身が狭くなって、ブログで一人つぶやくだけの世界になるのはつらいなあと思う。
それを肝に銘じながら、これからどんな娯楽に触れるときにも、「ファン」側の壊れやすい感覚に寄り添っていきたいと個人的に思う。
まあでも、そんなに難しく考えることもないんだろう。
絶対的な正解の表現はないし、どんな受け止め方をする人がいてもいい。
それだけ忘れなければ傲慢にはならないで済むし、楽しめない自分に幻滅してしまうこともないだろう。
「fun」に至るほどにチューニングが一致する、というのは幸運なことだ。
余談だけども、某橙色のはてな村民の、李徴と袁傪の新作漫画もさっき拝読した。
李徴は、映画前のCMを「これはこれ」として評価したのではなくて、
「映画体験」の一部として複合的に、次回への期待も込めて(時系列も含めた複合性)受け取ったからポジティブに楽しめたのだろう。
袁傪は映画通のように思える。通になると一つひとつのパーツにこだわって見るようになりやすい。
それゆえに楽しめなくなってしまう。ありがちだけれど、
それを克服できるほどメタな感覚をもって邁進していける人というのはあまり見ない。
というか、それが出来た時点で人からは見えなくなるのかもしれない。
前回の「俺的チャーハンの素ランキング」が好評をいただいたので、第2弾やろうと思う。
最近徹夜するようになった。と言うわけで、俺が徹夜するのに欠かすことのできない、モンスターエナジーをランキング形式で紹介しようと思う。
良い。味が良い。まじ最強の味わいだと思う。
白色とはどっこいだが、若干白色の方が好き。
なぜかこれだけが俺の敏感な粘膜と合わない。まずいわけじゃないんだよ。でも、美味しくない。果汁が邪魔でしょうがないです。
高い。語彙を失うレベルで高い。
ポトフ!ポトフ!ポトフ!ポトフぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!
あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ポトフぅううぁわぁああああ!!!
あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん
んはぁっ!ポトフたんの橙色ゴールドの汁をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!
間違えた!パクパクしたいお!パクパク!モフモフ!汁汁パクパク!カリカリパクパク…きゅんきゅんきゅい!!
昨日12時のポトフたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!
普段こういったことを噤んで生活をしていく中で、
誰かに聞いて欲しかったんだろうと思う。
*
今年の冬に死のう、と決めたのはちょうど一年前にあたる昨年の初冬のことです。その日は父の命日でした。
叔父は僕が中学生の頃に飛び降り自殺をし、結果的に未遂に終わり、半身不全になりました。
僕の曽祖父はすい臓がんの痛みに耐え切れず電車に突っ込んで自殺をしました。きっとその遺伝子が僕にも流れているのだと思います。
*
父は僕が高校生の時に突然亡くなりました。
母が話したがらなかったので、正確な死因は聞かされていませんが、脳梗塞かそれに似た病気だったと思います。突然死でした。
僕はその地区では一番の進学校に入学したにも関わらず、勉学への意欲を失っていました。もともと中学ではいじめから逃げるため、まるであてつけか腹いせのように勉強をしていたようなものだったので、環境が変わったことにより勉強する理由を見失ってしまったのでした。学校でも居場所を失い、借りてきた本を読んだり、漫画を読んだり、ラジオを聞いたり、夜はいつもだらだらと過ごしていました。
その日、日付をまたごうかとしていた時刻です。ようやく物理の問題集を開きかけたところ、隣の寝室から母のくぐもった叫び声が聞こえました。母は僕を呼びつけ父を見ているようにと言って、一階へばたばたと階段を駆け下りました。父は目を開けたまま空中を見つめて固まっていました。ぼんやりと口を大きく開け、橙色の明かりが照らしているはずなのに、その瞳が灰色のように見えたのが印象的でした。
僕は、救急車の音を聞きながら、弟の手を握って、多分おとうさんは死ぬから、これからは二人で母をささえていかなくてはいけない、といったことを弟に言いました。こたつぶとんの銀杏の柄を今でも覚えています。(その弟とは数年後に金のいざこざで法事であっても目を合わさないような仲になるのですが。)
どこにでもあるような、ありふれた死です。
中学生の時には友人を何人か自殺で亡くしました。そのうちの一人とはとても仲がよかった。僕は高校受験の合格の知らせとともに、その電話をうけました。成績も優秀で人柄も温厚だった彼の葬式には、たくさんの友人が足を運びました。彼は病気で死んだと聞かされていましたが、数年後あれは自殺だったのだと母から言われました。彼が最後どのような姿だったのかは知るべくもありませんが、僕は彼がきっと暗い森で首を釣ったのだろうな、と画を浮かべました。
どこにでもあるような、ありふれた死です。
僕は彼とそこまで交流があったわけではありませんでした。
どこにでもあるようなありふれた死です。
その後も肉親のありふれた死を沢山通り過ぎましたし、災害や事件が起こるたびに、そしてウェブの手記やブログといったひとの人生が語られるたびに誰かの死を知りました。思えば、中学生のあの自殺を経験した時から「死」というものについて毎日考えるようになっていました。それは而立と呼ばれる年齢を超えた、今でも、毎日です。
人というのは本当にあっけない。人の人生を美しく錯覚させているのもまた人なんだなあ、と僕は祖父の焼かれた骨を拾いながらとても空虚な気持ちになっていました。
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僕は幼い頃からとても潔癖で、世の中では避けて通れない、多くのひとなら何も感じないような些細な傷にもいちいち血を流すようなとても弱い、誤解を避ける言い方をすれば、感受性の強い人間でした。そうやって振舞っていると当然のように不幸を呼びこむもので、学生時代も就職してからも、ひとに脅されたり漬け込まれたり、悲しみや苦しみを自ら引き寄せたりすることがとても多かったように思います。自分に自信がないせいで、異性を好きになることもできません。
しかし、悲しいことばかりでもなく、大学では友人に恵まれましたので、そういったふるまいがいけないのだということを少しずつ学びました。そして、悲しさやいらだちをすべて筆に載せることで自分を保つようになりました。自分自身を神のように錯覚する、一種の宗教のようなものです。筆を握ることさえできれば、どんなに辛いことがあってもまあなんとかなる、それを糧にしていけば、次の作品の材料にしていけばいい、そして、それでもだめならいざとなれば死ねばいい。そうやって自分をごまかすことができていました。ここ数年は。
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昨年の初冬から筆が握れなくなりました。その頃は仕事で一日の時間の大半を奪われており、常に締め切りに追われ、朝方に眠り、ぼんやりとしたまま起き、仕事をし、眠っていたから、いつのまにか、なにかを美しいとおもったり、なにか美しいものをつくろうと思う気持ちがすっかりなくなってしまったのでした。ただ人を裏切ることが恐ろしい。人にがっかりされることが恐ろしくて仕方がありませんでした。あのころと一緒です。自ら悲しみや苦しみを引き寄せるようになっていました。
僕はスケジュールをきちんと管理できなかった自分を、仕事がこなせない自身の力不足を糾弾しました。ある日道を歩きながら、パソコンに向かいながら、電車に乗りながらわけもなくぼろぼろと涙が溢れてきて、「これははてなのコメントでよくみんなが言っていた鬱というものだなあ」と思い、病院へ言って安定剤をもらいました。
薬を飲むと涙が流れるのはすこし和らぎましたが、強烈な眠気とだるさに見まわれ美しいと感じる心はますます萎びていきました。何を見てもときめかないし、輝かない。美しい作品を作って、褒められたいという情熱は、作品をつくってそれが美しいものでなかったらどうしようという恐怖に変わっていきました。もうひとりの自分が糾弾します。筆を取れない自分に価値はない。いや、もともと価値などなかった。もっといえば人間に価値などない。人を美しく思わせているものは人なのだから、その気持をうしなってしまったらなにも意味が無い。
僕がこうやって萎びている間も周りの人間はどんどん前へ進んでいきます。そういった輝かしい人々を指さして、僕をもう一人の僕がぺしゃんこに糾弾します。毎日平静を装って仕事をしながら、己を否定する言葉が泉のように湧き出てきてそれが朝から眠るまで続きます。インターネットで見かける言葉がすべて僕を責め立てるように見えてきて、恐ろしくなります。汚い言葉がこちらに向かって刺さってきます。けれどそれをやっているのは自分自身です。それをわかっているから、ますます自分を糾弾します。こんなことで萎びてしまう弱い自分がすべて悪いのです。けれども僕は何食わぬ顔をして普通に仕事をして、ごはんをくちに運び、風呂に入って、眠ることができます。糾弾して、仕事をして、ごはんを口に運んで、風呂に入って、眠ることができます。おそらく死ぬまで。ずっとこれを続けることができます。でもできるのとしたいのは別のことです。
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思えば物心ついた時から常になにかに怯えていました。人の顔色をうかがい、人の評価にあわせることでしか自身を保つことができませんでした。筆を握ることは、ただ楽しいと思えていたのに、それも虚栄心を満たすだけのものに成り果てました。いまでは作品を作ることすら恐ろしいし、過去の作品を見ると動機が激しくなって、吐き気のようなものがこみ上げます。
毎日暮らしていくことはできます。恋人や伴侶や子供もいないので一人で暮らしていくには給料は十分です。でももう、立ち上がるだけのエネルギーがのこっていない。
いざとなったら死ねばいい、これまでも幾度と無く思ってきたことですが、そのいざとなったらが、今ではないかと思いました。僕は去年の初冬に決めました。あと一年この気持が変わらなかったらビルの20階から飛ぼう。高いところがとても好きで、バンジージャンプの経験はあるし、幼いころの夢は鳥になることでした。首吊りや凍死、薬物やガスも考えましたが、インターネットは便利です。いろいろ調べて、死ねなかったことを考えるとこれが一番いいような気がしています。
今年に入って身の周りのものも処分をはじめました。できるだけ周囲に迷惑をかけないように(それが無理なのはもちろんわかっていますが)、手配したいし、遺書も用意してあります。ここ数カ月間は、仕事関係以外の人間、肉親との接触もできるだけ断つようにしてきました。準備を淡々と進めています。僕は初冬に多分、多分死ぬのだろうと思います。悲しいというよりは空虚な気持ちです。死んでいった彼等もこんな気持だったのでしょうか。
どうすればよかったのか?なんて思うけれどもそんな救済ははじめからなかったような気がします。思えばむかしから弱くて、弱くて、ここ数年がただ運良く、うまくごまかせていた、それだけだったのだと。この世は弱肉強食ですから、弱いものは去らなくてはいけない。もう一度美しいと錯覚できたら、そうしたらまた以前のように自分をごまかすことができるのだろうか。ごまかすことができたら、この先の命を続けていくことができたのだろうか、それはもうわかりません。今の私には、屋上から逆さまに落ちてトマトのようにぐしゃりとなる自分の姿しか思い描けないのです。
しかし電池のデザインがダサイと騒ぎになったというのがよくわからない。ただロゴが書いてあるだけだし、そもそも使用中に視覚に入るもんでもないのに。
電池マニアじゃ無いが、他人からみたら馬鹿馬鹿しいと思われるような所にも気を遣うって気持ちはわかるよ。美しいものを使いたいっていう本能というか、洗練されたものに振れていることで、自分のセンスが鈍らないように常に高めておくというか。朱に交われば赤の逆のパターンね。何というかな、気合いを入れるときにちょっといいネクタイをしめると、俺はいいもん使ってるって気合いがはいるとかさ。気持ちの問題。
そう言う感覚以外、実用面でも批判されている部分があって、多いのは、eneloopブランドは全部二次電池だったのに「Panasonic」とでっかく書かれたおかげで一次電池と見分けがつきにくくなった、と言う批判ね。これはわかるんだよ。うちの親は「ケータイのeneloop」とか意味の分からん事を言うし。SONYのファミコンみたいなもんで、要するにケータイ用の外部バッテリーの事を言ってる。だから混乱するだろってわけさ。
ただねえ…。
昔の蓄電池思い出してもらうと分かるけど、電池ってみんな派手な色してなかったか?
たとえば昔のミニ四駆に使ってたニッカド電池は黄緑色だったでしょ。派手な色で分かるようになってた。あと、EVOLTAは橙色で派手に「蓄電式」って書かれてるよね。あれって実はリサイクルを推進するための規格で決まってて、ニッカド電池は黄緑色、ニッケル水素電池は橙色、リチウムイオン電池は青色って決まってるのよ。
昔は転がってても色で識別できるように色がリング状になってて、昔は特に、口にれたらまずいってことが分かるように、とても食い物に見えない毒々しい色がつけられていたわけだよ。
だけどeneloopは、シンプルなデザインで攻めてきたよねえ。これね、今までの業界の常識を打ち破ったといえばそりゃ聞こえはいいけど、従来の「一目で見て蓄電池だとわかり、一目で見て食えないと分かる」って観点から選択されていたデザイン指針を全く無視しちゃったわけ。安全性重視だったのをデザイン重視にしちゃったわけよ。タブーを打ち破ったって言うか。
eneloopは蓄電池しか無いからこれでもいいって考えはそりゃ無くは無いしさ、各社共に対抗するため追従しているって事実があるににしたって、eneloopが安全性のデザインを破っといて、eneloopブランド名が分かりにくくなったら蓄電池だって分かりにくいから危険だなんてのは、ちょっと事情をしってるともにょるよ。
FDKが自分で出してる富士通ブランドのニッケル水素蓄電池は、きちんと橙色つかって、リング状に色がついてるところがあるんだよね。昔に較べりゃ薄いけど。eneloopってほんと、マーケティングが生んだ化け物だったなって思うよ。
その後もエコイメージだかなんだかしらんけど緑色つかう馬鹿な会社があるしさ。緑はニッカド電池だって言ってんだろ!おい!Twitterで自虐マーケティングなんかやってる暇あったら色使い直せ!