はてなキーワード: 数学者とは
良いね!その質問は、実に好ましい。なぜなら、統計学が意味をなさないことが多いのに、なんで勉強するか疑問だろ?そりゃ、統計学が『ノイズ』を除去するからだよ。統計学は N/A とかあるのに、P値だ言って誤魔化しているのに、いざ自分たちの理論が破綻したら「シックス・シグマ的にありえない!」とか言って逃げるだろ。バブルも、リーマンショックも、自分たちが都合の良い数値を適当に取り繕って、レバレッジをかけて破綻していった。そうだよ、大きく社会学といったら会計学も経済学も「左辺と右辺が一致する」という数学の理論を無理やり当てはめて、一致すると安堵するということを繰り返しすぎなんだよ。違うね。社会学においては「左辺と右辺が一致しない」ということに意味がある。例えば、昔の人間と DNA的には同じだろうが、社会は常に変化していくのだ。まさかだけど、資本主義があるから共産主義があるとか思ってないか?違うぞ。共産主義がおこって、資本主義というレッテルが作られたのだよ。マクロ経済学があるから、ミクロ経済学があるのか?違うよ。最初は、ミクロ経済学なんてなかったんだよ。なぜに、人は「反対のもの」を探そうとするのかね。おかげで、ミクロを積分するとマクロになるという研究に一生を注げてしまう人が出てきた。可哀想にね。今では、合成の誤謬とか言うがね。世の中は、シンプルじゃないんだ。今では、複雑系という領域が勃興したおかげで、(古典な)物理学や(過去のデータを扱う)統計学、そして数学のテクニックを社会学に応用して「未来を想定する」という学問は死に絶えつつあるのさ。間違っているのは、私立文系の教授たちであって、自分達の地位が規模に依存していて、学生を無意味なテキストを買わせるだけの私立文系と芸術学部(市井の画家とかは除く)がイキっているアホしかいないのに、拝めているのだよ。特に、日本銀行券にのっている「日本のボルテール(大爆笑)」さんの大学とかさ、みのもんたや石原慎太郎の子弟とか、統計学を使うと「慶應義塾大学の受験なんてしないと、有能になる」ということを「信頼区間的には、棄却される」としか出せないだろ。ウケるw。文系は無理して数学を使役しようなんてするのではなくて、本や資料、そして『リアル』に触れる機会を徹底的に増やしていくべきなんだよ。一橋大学に文学部を作って、早稲田と慶応は文系人員を減らして、国立の理工学のリベラルアーツ教育の復興を目指すべきなのだ。根拠は、私立文系は「既卒は採用されない」という現実に向き合うべきだろ。まだ、四十路で看護学部にいった方が就職があるって変じゃないか?あれだけ数学を否定して入学させて、あまつさえ本人たちも得意でない統計学やデータサイエンスを教えるなんて、教育者として失格だろ。ちゃっちゃと、似非・数学者はくたばってください、としか思わねーよ。閑話休題。最初の「社会学や心理学」で統計学が使えないのは何故かという疑問に答えるぞ。わかりやすい例だと、かの有名な「校長」という事例があるじゃん。世の中には「一騎当千の強者」がいて、そういう統計的には「ノイズ」として棄却されるような、通常は起きないけど「未知の未知」という人知を超えた「何か」がいるの。ほら、新型コロナウイルスは「1つの『①新型コロナウイルス』が『②武漢』に生じた」というだけじゃん。これを「①イエス・キリスト、②エルサレム」「①ポル・ポト、②カンボジア」「①スマホ、②シリコンバレー」「①自動車、②ドイツ」というのとどう違うのさ。①から②は成り立つが、②から①は成立しねーよ。そんなのは、「オッカムの剃刀」とかで徹底的に洗い出されているのであって、帰納法と演繹法では「世の中を描けないのだ」よ。つまり、人文系と人工知能のように社会学的な方向に、ベンサムを始祖として常に繰り返されてきた、物理学や数学のメソッドの応用は事故の元です。なぜなら、ヒトは「変わらない」が、社会は「変わる」のです。光の速さは(俺が生きている間は)不変ですが、社会は(テレビ・新聞・インターネットとか出てきたせいで)変わるのです。つまり、統計学のような「観測できなかったことを誤魔化す」「そもそもサンプルが全て出揃うのが不可能」「過去に起きなかったから、未来にも起きないと思い込む」ような、雑な『算数』で「数学を理解していると信じる私立文系ども」はオウム真理教で「サリンをばら撒いた高学歴」と何ら変わらないよー、って言いたいのですよ。天才の麻原がいなかったら、地下鉄サリン事件なんて高学歴の秀才どもが起こすわけないじゃん?(q.e.d)
数学や物理を大人になって学び直したら、「そんなことあるの?」とびっくりした概念を書いていく。
地球儀を切り開いて、平面にしようとしても、2次元の世界地図はできません。
という定理。
3次元⇨2次元への距離を保った変換はできませんということを示しており、これを発展させた弟子のリーマンが、「じゃあ、4次元から3次元とか、もっと高次元でも同じじゃない?」とリーマン幾何学を創出。後の相対性理論(空間が曲がる)の記述へと繋がる。
2位 論理回路
信号機とかのプログラムを電気回路で表現するにはどうすればいいのか?ということの理論。
4ビットの信号(0101みたいなの)だと、16通り応答が必要となる。簡単に考えれば16通りの設計が必要そうだけど、カルノー図を使った簡易化という謎のテクニックにより、なんとかなり簡単に電気回路を設計することができる。
物理では、位置エネルギーとか運動エネルギーとか謎のエネルギーという量が出てくる。
なんと、解析力学では、「謎のエネルギーの方が本質であり、運動とか位置とかはエネルギーから導かれる。エネルギーが先、運動や位置が後」という理論。
4位 再起構文
再起構文というのを書くと、ナルトの「多重影分身」みたいなプログラムが書けたりする。
いまだに原理を理解できていないけど、結果的にそうなってる。不思議すぎる。
なんと、光の半分くらいまでしか画像を読み取ることができない。
光以外にも、エコー(超音波)で体の中を観れるけど、あれは超音波の波長が0.5mmとかなら、0.25mmまでの物しか判別できない。
だから何?と思ったけど、半導体制作で「波長が短い(nm)の光を使って半導体を描くので、この理論を使います」とか、いろんなところでかなり効いてくる理論みたい
6位 5次以上の方程式の解の公式(代数的な表現の)はない。(ガロア理論)
これは証明をぜひ追ってみて欲しい。
実際に、これらの手法が提案されたときは数学的な記述ができなくて、「それ本当に成り立つの?なぜ?」ということで数学者が紛糾。
量子力学とかも物理の不安定な理解が、数学的にどう不安定なのかが納得できる。
ポアンカレ予想を証明して世捨て人になった数学者のグリゴリー・ペレルマンが羨ましい。余計なことをしないで自分の好きなことに集中できる人生は最高だと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20210728111035
上記のエントリでヒルベルトやガロアに並ぶ数学者について質問されたので例示するけど
その前に何故ヒルベルト・ガロアを挙げたかについても説明します。
まずヒルベルトは集合論に基づく20世紀前半の様々な数学理論の構築に重大な貢献をした人として挙げた。
その中でヒルベルトみたいな貢献をしている人としてジェイコブ・ルーリーという数学者がいる。
現在の代数理論の根本的な部分から新しい基礎を作り位相的場の理論や代数幾何学の理論の構築まで行ってるのは
次にガロアは方程式が解ける解けないという性質の裏に隠れた対称性を見事に発見した発想力の凄い人として挙げたけど
この隠れた対称性を見つけるという発想は現在の様々な数学理論に影響が及んでいる。
現在ガロアのような発想をした人としてエドワード・ウィッテンという数学者がいる。
彼は物理学者という意見も多いが数学者としても凄いのは間違いないと思う。
ウィッテンは様々な幾何的な不変量に対して物理的なモデルを考える事で別の求め方が出来る事を発見した。
こうして今まで重要と考えられてきた様々な幾何的な対象について物理的なモデルを用いて
今まで分かって無かった性質を見つけるという方法は現在の幾何において重要なやり方として大きく発展している。
この多大な影響を及ぼした発想をしたウィッテンはメチャクチャ凄い数学者だと思う。
待て。サッカー選手で例えてくれよ。
サッカー選手 | 数学者 |
---|---|
ペレ | ? |
マラドーナ | ? |
メッシ | ? |
クリロナ | ? |
? | ヒルベルト |
? | ガロア |
? | エミー・ネーター |
ネイマール | ? |
レバンドフスキ | ? |
ムバッペ | ? |
じゃあ最初に思ったより「めちゃくちゃすごい男性数学者がどんどん出てきてるのに女性数学者はゼロ」みたいな話ではないんだな。「そこそこすごい男性数学者でも数十年に1人しか出てこない」くらいの感じか。
元増田読んでないのか。
女性数学者は100年前のエミー・ネーターを最後にそれに匹敵する人物は現れていないが、
男性数学者はそれ以降にも何人も史上最高レベルの頭脳が現れている、
という論旨で、
「その男性数学者って誰が挙げられる?」と問われているんだから、
少なくとも100年以内の人物を挙げなきゃいけないだろ。
国語は苦手か?
男子も同じような展開だったので、奇跡というほどでは?(二人参加のエクアドルの選手が逃げて優勝)
激坂、テクニカルな下り、猛暑のサバイバルレースだとこうなりがち。
数学者っていうとこだけおもろい。
https://anond.hatelabo.jp/20210729213640
数学科を卒業した人でこの人を知らない奴は数学をきちんと勉強していない…
数学は大体「代数・幾何・解析・その他」の4つに分けられるけど
代数分野のかなりの基礎はこの人が関わっていると言っても過言じゃない。
まぁエミー・ネーターという人の話はここまでにしておくとして
じゃあその後から今現在にいたるまでエミー・ネーターに近いってレベルか
それ以上に凄い女性数学者がいたのかと言うといないと言っていいと思う。
これに異議を唱える人も殆どいない気がする。
100年経ってもエミー・ネーターのような人が現れていないのは
もしかしたら女性が数学者に取り組む環境は100年前と大して変わってないからかもしれない。
終わってみれば、いくつかの伏線があった。
まず、自転車のロードレースは名目上は個人競技だが、実質的にはチーム競技である。エースとなる選手をチーム内の他選手がサポートする。しかしながら、今回オーストリアからは優勝した眼鏡っ娘数学者ただひとりだけの出場で、名実ともに個人の力だけの戦いをせざるを得なかった。これが第1の伏線。
空気抵抗は速度に比例する。速いけどすぐ終わる陸上短距離や、時間は長いけどゆっくりのマラソンとは異なり、車なみの速度で長時間長距離を走る自転車ロードはとりわけ空気抵抗の影響が大きい。そのため、空気抵抗を減らすための工夫が必要になる。それが集団走行。先頭となる数人が風を受け、大多数はその背後に隠れることで空気抵抗を減らす。先日のツールドフランスにおける大落車事故も、風よけのために意図して密集して走っていたからこそ起きたのであり、離れていれば巻き込まれずに済んだのになどというのは単なる妄言でしかない。
つまり、集団(プロトンと呼ぶ)のメリットを捨てて序盤から飛び出すというのは、本来なら無謀な戦略である。しかしながら、たとえプロトンにいても、誰からのサポートも受けられない孤独の選手がエースとサポートで分業できる他チームと張り合って勝てる見込みはない。万が一でも勝機を見出すのであれば、プロトンの中で埋没するのではなく、逃げて逃げて逃げまくって、後方のプロトンで何らかのトラブルが発生するのを期待するしかなかった。そしてそれが起きた。
第2の伏線はオリンピックのルール。通常のプロのレースでは、選手は無線機を装着し、それを使ってレース全体の状況や戦略が伝達される。しかし、オリンピックでは無線連絡は不可。詳しい状況を知るには、プロトンの後方を走っているチームカーのいるところまで下がって聞く必要があった。序盤から中盤にはできただろうが、終盤になってくるとそんな余裕はない。チームカーだけでなく、プロトンの前を先導している車両からも逃げ集団とのタイム差が随時伝達されていたはずだが、キーセンホーファー以外の逃げ選手が吸収された少し前ぐらいに伝達されたのがおそらく最後だったのではないだろうか(推測)。そのためプロトンをコントロールしていたオランダチームはすべての逃げを捕えたと判断してしまい、前方に注意を向けるのをやめてしまった。キーセンホーファーがどのプロチームにも所属しないほとんど無名の選手だったことも幸いした。有力選手だったらプロトンにいないことが気づかれないはずがない。誰も知らない選手だったから、集団にいないことが不自然に思われなかった。実は3位になったイタリアチームはまだ前で逃げていることを認識していたらしいが、プロトン内での争いになったと誤認していたオランダチームが先頭を追うことを許さず、差を詰められなかった。
そして何より、優勝したキーセンホーファーは強かった。プロではないが過去にはプロチームに1年だけだが所属していたことはある実力で、また、集団ではなく個人で走る種目であるタイムトライアルを得意としており、かなりの実績があった。また、今回は上り坂の多いコースだったが、キーセンホーファーはまさにヒルクライマーだった。つまり、上り坂の多いコースを集団ではなく自分の力だけで走るのは実は得意中の得意だったのだ。スタート直後から逃げるという戦略を選んだのはキーセンホーファーだけではない。彼女を含めて5人いた。この5人でかわるがわる先頭交代しながら逃げたが、他の4人はけっきょく脱落した。数人でもひとりよりは圧倒的に風よけの効果はあるが、それでも数十人の大集団に比べればたいしたものではない。体力の消耗は激しく、逃げ続けるなんて到底無理である。しかしキーセンホーファーは最後まで逃げ続けた。これはただの尋常の力ではできない。
こうやって後から振り返ってみると、偶然の要素はあったものの、ただ幸運なだけで掴んだ結果ではなかったことがわかる。ちなみにオーストリアが自転車競技で金メダルを取ったのは1896年アテネの12時間耐久レース以来だそうで。昔はそんなとんでもない種目があったんだ…。