「所得」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 所得とは

2021-04-09

anond:20210409220141

えーと?

男女平等賃金で、

  • 男、25歳250万、30歳300万
  • 女、25歳250万、30歳300万

ポテンシャルを持ったふたりがいるとする(数値は適当)。

この二人が

  • 男、30歳300万
  • 女、25歳250万

の時期に結婚したら所得だけで見れば、見かけ上は男が下方婚しているかのように見えるよね?

この現象について、どうお考えで?

賃金格差が解消すれば女は下方婚する」←これが本当なのか疑問

他国ソースを探ってみても、高賃金女性下方婚しようとする傾向はないように思う。

女はどの層でも結婚できるのに対し、男は職業所得に偏りがある。

特に先進国は男女の所得が縮んでも、婚姻男女平等になるどころか、結婚できない男性が増えてるソースもある。

賃金格差が縮めば婚姻平等になると主張する人たちは、ポジショントーク以外で明確な根拠を示してほしい。

anond:20210408031547

所得税30%くらいになると日本のほうが税金高いけど、所得1000万円以下の一般人ならヨーロッパのほうが税金高いでしょ

anond:20210406000445

良い分類と整理だと思う。

弱者男性問題は、議論が深まり社会認識がされていくことを期待する。

だが、今、はてぶで吹き上がっているのは「弱者男性問題ではなく「強者ではない男性問題

たとえ社会成功を収め、人間関係に恵まれていても、その自意識自分弱者であるという意識があれば弱者男性になれてしまうのだ。

強者ではない男性問題当事者の不満をブコメを参考に分類した。

1.強者男性比較して金や女を得られていない不満

2.恋愛強者または高所得の女の方が社会弱者とされることへの不満

3.強者男性恋愛強者または高所得女に比べ、社会的な承認が得られていない不満

1は、自由競争を基本原理とする資本主義社会を前提にすれば、女はともかく、金は仕方がないのだ。

(女の問題は3で後述する。)

この社会で「人権」として認められるのは「健康文化的な最低限の生活」までで、俺の知っている強者男性と同じだけよこせといっても認められない。

この不満を解消したいなら、資本主義否定し新たな社会主義革命を目指すしかない。

(一方、伝統的な社会主義国でもこの不満は解決しないことは歴史証明しており、新たな社会主義でも同様だろうという私見を持ってはいる。)

2だが、そもそも特定属性」を持つ個人を、その属性理由冷遇することを差別といい、被差別属性を持つもの社会弱者である

元増田が整理したように「強者ではない男性」の属性特定不可能なので、「強者ではない男性」全体を被差別集団には認められない。

一方、女性は、女性であるという属性理由に、入試問題セクハラ問題などの冷遇を受けていることが明らかになっている。

いや、自分貧困属性があるという「強者ではない男性」には、「貧困属性は男女問わない。貧困男性貧困女性は等しく扱う」という回答になる。

恋愛については3で後述する)

男性属性強者)  ー 女性属性弱者

所得属性強者) ー 低所得属性弱者) ※男女問わず

3だが。

社会承認尊敬、周囲から愛情好意。異性から恋愛感情といった物は、社会資産として分配出来ない。

社会は各々人権を持つ個人集合体で、各個人自分幸福人生を追求する権利がある。

人権の衝突と主張をする増田もあったが、異性を女と固定して男への世話役要求するのなら、そもそも衝突ではなく一方的な女の幸福追求権の侵害だ。

金がないからといって泥棒していいわけではない。

かつ、社会でうまく他者と関われない個人はいるが、その属性は男女を問わない。また、男だから、女より社会承認や異性から愛情が多く必要だという事実はない。

対人スキルが平均より著しく低い個人に対し、社会的な支援は用意されるべきだが、それは、対人スキルトレーニングといったものになるだろう。

以上、自分の「強者ではない男性問題について理解は整理出来たが、それを記載することは控える。

anond:20210409093620

言ってるじゃん。

所得が高い人は人格もすばらしいって。

同じことだよね。

弱者男性って年収いくらくらいのことを指すの?

弱者男性にも色々あるが、共通して「金がない」というのが必須要件であるように見受けられる

 

なるほど確かに、例えば年収1000万円を超える高所得者は、男性女性の約9倍ほどだそうだ

まり金持ちであれば男らしいというイメージはあるだろう

 

仕事に困れば、男はガテン系、女は風俗、と身体酷使するタイプ肉体労働に就き

それも難しければ生活保護を受けることになるが

ガテン系の男が「モテ」で苦労するイメージがあまりないのと

生活保護を受けている男はモテどころか生活必死で女のことなんか眼中にない例が多いように見える

 

なので弱者男性の諸兄に聞きたい

弱者男性とは、皆大体いくらぐらいの所得の層をイメージしているのか?

君らはどんな仕事をして、どんな生活をし、どんな趣味を楽しんでいるんだ?

どこに住んでいて、どこに行けば会えるんだ?

 

とりあえず年収だけでも教えてくれ

2021-04-08

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともと赤木智弘氏がフリーターという就労状態をもとに立ち上げた切り口で、基本的には「属性弱者派」のうちの

経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

anond:20210408035653

上昇婚する女性は悪くないよ

上昇婚する女性が多いと、全既婚女性所得総額<全既婚男性所得総額となってしまうのは、お判りいただけると思う

これは、フェミが主張する、全女性の所得総額=全男性所得総額とは基本的に両立しない

全未婚女性所得総額>全未婚男性所得総額にすれば帳尻があうと言いたいのかもしれないが、いくらなんでもそれはポジショントークが過ぎるというもの

2021-04-07

anond:20210407215954

医師男性が9割以上結婚してるのに包装業の男性は4割しか結婚できないか所得を揃えるために税金から補助金だすしかないんじゃないかな。

活動家への集中砲火は当然の帰結

戦後ずっとこの国は成長して来ていて(過去完了型)、そんな時代にそこから取り残された者としての障害者や老人なんかへの福祉が叫ばれた。どんどの豊かになっていく暮らしの中で、まるで戦後バラック生活みたいな悲惨暮らしをしている人間がいるという事で、国民理解も得やすかった(朝日訴訟とか)。

翻って、今はどうか?

失われた20年で国民所得は下がり、しか福祉はむしろ充実して行った。障害者の主な収入障害者年金障害者手当、それに生活保護だけど、これらが所得と比べて落ちてないのは周知の通り。バリアフリーも進み、生活用品の支給なんかも充実している。

要するに、弱者のはずの老人が貰う年金が、若者収入が落ちまくってるのに変わらないのと同じで、逆転現象が起きてる。そこへ持って来て、決して待遇が良いとは言えない駅員を、コロナ禍のど真ん中に平日旅行としゃれ込んでる障害者言論でぶん殴ったら何が起きるか?起こるべくして起きた事だと思う。

福祉ってのは経済的繁栄おこぼれなのに、ゼロ成長で没落しつつある国で福祉だけは事前の計画に沿って(多少の減速はありながら)充実している。要するに、あの重度障害者は、不労所得で食ってる地主年金付きの官位持ちみたいになってるわけだ。

先天障害はお気の毒だと思うが、ヘルパー派遣・補装具支給・大量の金を突っ込まれて働かずに生きている彼等が「我こそは弱者なり」と誰かを言論でぶん殴るなら、同じ拳が返ってくるくらいは覚悟するのは当たり前だろう(銃で撃たれたりないだけ日本平和だ)。

エレベータ設置にせよ人員手当にせよ、「お前にかかった金はどこから出てると思ってる?」ってのは、給料の数割を社会保証の名のもとにふんだくられてる貧乏から出る言葉としては、一番穏当な部類だろう。

まあそもそも、各種の「活動」で矢面に立った人間(だいたいは医療関係者行政関係者、あとたかられる企業)はあの手の活動や団体を大っ嫌いになるので、今までたまったもんが吹き出してるって面もあると思うけどね。

外交画面もチェックせずに戦争始めて大同盟に包囲されたようなもんで、良く言って「当てが外れて残念でしたね」悪く言えば「ざまあ」としか思えませんわ。

anond:20210407145440

医師男性と包装業の男性婚姻率を同じになるまで所得を揃えるまなら同額にするしかないと思いますけど?

anond:20210407125630

弱者男性の要素はいろいろあるけど、それが相関しやすい(相関してない人もいるけど、それは「一般男性より高所得女性いるか女性問題は無い」とは言えないのと同じ)

っていうのが弱者男性問題の特徴だと思うんだよね

これに自己責任論(障碍みたいなわかりやす先天的・外的原因がないから)が重なりやすい、よって救済から無視されがちっていうのが不幸なところ

そもそも頻繁に風俗に通えるくらい金があったら、ブサ面だろうが女にモテ以下略

anond:20210407124448

「男女の価値の差」って問題と「貧困継承」って2つの問題があるって言ってんだろwwwwww

透明化じゃないよね、男女の価値の不均衡は高所得であっても発生してる「男女差」の問題だし、貧困だと結婚しづらいってのは男女関係なく傾向としてはあるよね。

その2つが組み合わさることで「弱者男性結婚できない」って結果が生まれてるだけで、「弱者男性差別」とはちがうよね、わかるかな?w

2021-04-06

anond:20210406154058

まさにそれ。知ってる範囲では、金持ちだって美人だって、何かしら生きづらさは感じてる。

みんな感じてるレベルの生きづらさを、性別とか所得とか遺伝子とか、属性のせいにして他責したいだけなんだよな。

出国担保金というのはどうだろうか

所得帯の人々がタックス・ヘイブン使ったりするの、現金海外預金や本人の出国の際に「一時預かり返金ほぼ100%」で財産6割くらい押さえて、日本に納められそうな金額を低くしたとき没収するとか…

所得再分配弱者男性を救うのか?

例えば年収5000万の男性から税金を4500万取って年収ゼロ男性に500万給付すれば、全員の年収が500万になるけど、女性年収ゼロだった男性を選ぶようになるのだろうか。

結婚後の生活水準はどちらを選んでも同じになるはずだから低所得男性との結婚を躊躇していた理由の一つはなくなる。でも、女性男性所得ではなく「自力所得を得る能力」で選んでいたら、結局今と何も変わらないことになる。

無職だけど親の遺産で一生食える」みたいな男でも金さえあればモテてるとこ見ると、再分配は有効な気もするが。実際どうなんだろうか。

弱者男性自業自得

最近増田弱者男性話題になっているが、弱者男性の生きづらさは女性上昇婚が原因というのを見ると首を傾げてしまうし、そもそも弱者男性の生きづらさって男が原因だよね?と思ってしまう。

かに女性上昇婚指向があるが、それは所得的な部分のみであって、容姿や年齢に関しては男性の方が容姿が劣っていて年齢が高いことが多いはず。つまり男性容姿や年齢に関しては広い意味では上昇婚をしているはずだ。

結果として釣り合いの取れたカップルが大半だと思う。

それに女性でも非モテなんていくらでもいるが、その人たちがなぜ男に比べて幸福度が高いかというと、恋愛というもの人生の主軸を置いていないからだ。女性子宮ものを考えるだの恋愛脳だのよく男から馬鹿にされるが、男のほうがよっぽど、ちんこものを考えていて性欲脳だと思う。女性非モテでも同性と親密な関係を築いて趣味を楽しんでいる。それに比べて男は同性と親密な関係を築くことを拒む。

おっさんおっさんが大嫌いだし弱い男はもっと嫌い

https://anond.hatelabo.jp/20190618201336

こういう増田があったが、男がおっさんや弱い男を好きになって救ってあげればいいだろと言いたくなる。

なぜ男の問題自分たち解決しようとしないのか。フェミニスト貧困女性のために最近生理用品の無償配布を求める声を上げていた。男だって同じように弱者男性のために自分たちで行動を起こせばいいだろ。女性にばかり救いを求めるな。

コミュニケーション能力の低さも弱者男性の生きづらさの原因だと言うが、それはただの努力不足だと思う。

女性社会から幼い頃から気配りや思いやりを求められ、温良貞淑女性像に適合することを強いられるため、自然コミュニケーション能力は高くなる。もちろん先天的女性の方が言語能力が高いということはあるかもしれないが、コミュニケーション能力というのは言語能力だけでなくもっと広いものを指していて経験勉強でどうにでもなるものであり、女性はたくさんの苦労や抑圧を乗り越えて高いコミュニケーション能力を獲得しているのだ。男はコミュニケーション能力が低いから〜と甘ったれるな。

そもそもこの手の人たちはアンチフェミをしている時点で間違いだと思う。なぜマスキュリストになって男性人権を求めるのではなく、フェミニスト邪魔をしようとするのか。本当は弱者男性の生きづらさなんてどうでもよくて、女性幸せに生きることを妨害したいだけでは?と邪推してしまう。

2021-04-04

anond:20201108215644

普通そういう側面を見たら嫌いになるもんだけど、それでも大好きってことはよほど高所得なのかイケメンなんだろうな、と思いました。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん