はてなキーワード: 強者とは
「男性に何かをしてあげられる優しい母親系女」は男性の自立を拒む悪である筈なんだけど…
男性達当人が「自分のために何かをしてくれる女」の事を嫌ってはいないから
幾ら性差別を無くそう・男女平等にしようと言っても、こういう女がこの世から消える事は無いんだろうな
「台所に男は入らないもんだ」って考えが根底にあって男性を挙げ善据え膳にしておく女とか
「台風に男児一人だと傘や靴を壊すか川に流れて危ないから」と安全な所まで送ってくれる女とか
「優しくて嬉しいor人として当たり前の気遣い」と思わずに「何こいつ男を馬鹿にしてんのか?」と怒るような人、あんまり居ないと思う
そういう「女が男に何かして当たり前」って考えの人は
要は男性を同性のように対等だと思わず下に見てる訳でナチュラルに女尊男卑思考な訳だけど
長く付き合ったり結婚してからそういう面が嫌になったと思う事はあっても、交際を始めたばかりの頃そういう「何かしてくれる女性」を嫌いになるだろうか…?
まあ、「男性の自立を拒む女は悪」という考え方自体強者男性的な考え方の一つでしかないのかもしれないけど
パートナーとは完全に対等の関係で居たいと思う人も居れば、自分を庇護してくれる頼りがいのある存在であってほしいと思う人も居る訳で、結局何が正しいとは言えないよね!と思った
週5でヨガしてる目ぇガンギマリの美魔女とか、声クソデカイ大阪のオバチャンとか、声が男並みに低いベリショの高校時代バレー部のおばさんが持ってるヤバさというか強さというか、ちょっと話通じないキチ感のある強者おばさんになりたい。
だから、例えばある界隈やある企業への愚痴とか、告発を書いても
された側はもっともらしい理由をつけて、圧力をかける為にソイツを特定出来るようなシステムになっている
カネを払えばあっという間にそれが何者かを特定でき、カネと権力と広い顔を持つ強者や、後ろめたい何かをバックに持つような存在が弱者に脅しをかけられるようになっている
広く青い空の幻想や、Equus caballusに似た特徴を持つHomo sapiensの突然変異種の若い雌が徒競走するゲームで有名なある企業により、増田に投稿されたその企業の黒い裏側暴露を抹消したというのもあった
とあるオープンな手紙に関連する事を書いた増田も、削除依頼と開示請求を受けて自主削除させられた
今後日本で徴兵制が再導入されると、北欧諸国のように女も徴兵されて戦場に送られる。命の男女平等が進むのは男性にとってもいいこと。
日本の近代の歴史を勉強していると、なぜ戦場に送られるのが男性だけだったのか不満だったが、社会的強者であることの負の側面だということが良く分かってきた。
男性にとっての男女平等とは「男の負担をもっと減らせ」ということ。
女性の社会進出によって、女性にもその負担を分担してもらおう。
男性優位社会では「男は仕事をして当然」という価値観であり、少なくない数の家事・育児をしたい男性の意思は無視されていた。
どうだろうと「息子を小さな彼氏扱いで溺愛し、娘を冷遇する母親」は正当化されねえよ?
「それくらい我慢しなさい」「お兄ちゃんがそんなことするはずない」と娘を助けないクソ母の例は枚挙にいとまがない
娘への性的虐待を見て見ぬ振りしたり、男を繋ぎ止めておくために娘を差し出したり、嫉妬して娘を虐待するクズ母は残念ながら多い
この手の女にとって、性被害者の娘<<<<<<<<大事な大事な息子ちゃんや旦那様や彼くん、なのだ
娘に対してすらこれなのだから、基本的に男児母は性犯罪に異様に甘い
コンクリ事件の犯人の母親などは、「この女のせいで息子の人生は狂った」と言って被害者の墓を掘り返したのだ
娘が虐げられている裏で優しい虐待を受けた男兄弟がニートこどおじモラハラ男になった例は数多い
母親が息子に性的虐待をすることもある(息子がそれを異様だと思わず、結婚してからも続け、離婚問題に発展した話も)
また、ある息子は母親の「息子は彼氏」的な甘やかしの結果、女子に嫌がらせをする勘違い男に育ち、自分を改めるのに苦労した
http://blog.livedoor.jp/ninshin_syussann/archives/45103493.html
考えてみれば母親だけじゃないな
山口達也の性犯罪事件の時、ジャニーズに欲情する数多くの女が山口達也を擁護して被害者女性をバッシングした
女って、多くの男をうっすら嫌いなわりに、好きな男にはクソ甘いんだよな
男は好きな女に特別差をつけて甘くはないけど
その掩護を得られるのは山口達也みたいな強者男性に偏るんだろうけど
女は性犯罪に対する嫌悪は強いけど、どこかで「性犯罪をするのは自分の旦那や息子や推しではない、知らないキモい男」だと思ってる
うすうすそう思ってはいたけど、山上の件でやっぱそうだよなって思いが強くなったわ
強いやつは世に認められる手段ではいくらでも身を守れるし、弱者はふつうの手段じゃ戦えないわけじゃん
そういう状況で強者に押し付けられた抱えきれない痛みを強者に返すにはさ、数を恃んで連帯するか、倫理の外に出るかなわけじゃん
だからって社会的にテロは正当化できないしそんなことは百も承知ではあるんだけどさ
テロが起こった時にこぞって強者たちが「テロを許さない」って口を揃えるのを見るとき、強者が弱者から刃を取り上げようとしてる図にも見えてなんか醜悪さを感じてしまうんだよな
たまたまプライベートで妻に出会い、数年前ついに結婚できたけど運よくたまたま出会わなければ今頃まだ独身だったと思うわ 最近結婚に関してのハードルが上がりすぎ
士業なので昔は若い女性を事務所の事務員として雇い、事務所の若手と結婚するみたいな例が多かったらしいけど今はもう事務員なんて既婚ベテランのおばちゃんしか居ない 金がないから若い女性を嫁候補に匿える余裕がない
たまに同年代の女性がいてもやれセクハラだなんだパワハラだなんだと連絡先一つ交換するのも気を使うしな そもそも職場関係でそういう関係を築くのがリスキーすぎる
話題のマッチングアプリを開いたら日本全国から脳に性器くっついてそうな奴らが年収をごまかして女性を食い漁っている様子が見えるしな
ネットでいろんなすごい人を見すぎていて女性の要求も高いし、自分の要求も現実よりかなり高くなっていた
一般に人付き合いも希薄になっていて昔でいうお見合い的に誰かを誰かに紹介しようみたいなのあんまり聞かないし、学生時代の友人グループみたいなものから外れたら詰む
母親や妻についての反応が先述のエントリ(anond:20220908185524)に幾つかあったので、そこについても書きました。
賛否が分かれやすい「女をあてがえ論」に触れるので、先のエントリに比べて説得力が弱いかもしれません。
過去、男性が弱さを晒していいとされてきたのは、母親や妻(この文章の妻は恋人なども含む)に対してだけだったと思います。
「男は家の外に出れば七人の敵がいる」という慣用句は、逆説的に家の中にいる母や妻だけは味方のはずだということを示しています。
歴史に残る権力者や金持ちであっても、愛してくれる女性を求めて身を滅ぼしがちなことに疑問を持った人は多いと思いますが、それは、自分含めて誰からも気遣ってもらえない男性人生の唯一の安息の場所としての妻を求めずにはいられなかったからではないでしょうか。
そのような状況について、母や妻に男の世話という役割を押し付けてきたという指摘は正しいと思います。
ただし、そのジェンダーロールの押しつけを行っているのは男性ではなく、女性も含めた社会全体であることには注意が必要です。
男を気遣ってあげるべきは母や妻だけということは、一般女性にとっても、自分の息子や夫以外の男性の弱さや繊細さを想像する必要はないということですから。
社会のいたるところで監督と保護を受ける女性と、監督されづらいが保護もされずただ母と妻にだけは保護を期待してよい男性、という構造があったわけです。
母親が息子に対して過保護になりがちなのも、女性がダメ男に「この人は私が面倒見てあげなくちゃ」と考えるのも、社会も男性も女性も男性の味方をしたがらないことを察知しているので、母や妻である自分だけが助けてあげられると感じているからでしょう。
それが昨今では、母と妻に負担を押し付けすぎだという気づきや、家族の解体や非婚の増加により、女性は社会から監督と保護を受けて、男性は監督も保護も少ないという構造に近づいてきています。
しかしこの状況が心身を傷つけられることが少ない強者男性に有利で、弱者男性にとっては厳しさが増していることはわかると思います。
そして、フェミニズム的な潮流によって、女性に対する監督は今後減っていくことが期待できるため、「女性は社会から保護だけを得られるようになるが、男性は監督も保護もない」というバランスの崩壊した未来を予想する人もいます(さらに悲観的なら、男性は保護されないのに危険存在として監督だけされるようになると考える人もいます)。
そこで弱者男性論からは、男性への保護(と、明言していないが一定の監督)を求める声が上がるのですが、それはいわゆる「女をあてがえ論」だという批判を受けやすいです。
私は、男性保護が「女をあてがえ論」に近くなりがちだという点にはある程度頷きます。
しかし、「女をあてがえ論」だからナンセンスだし黙れ、という扱いをするのは良くないと思います。
「女をあてがえ論」が出ざるをえないのは、男性のせいではなく、社会全体のせいです。
男性ではなく、我々皆が、男性の弱さ辛さを気遣い保護と監督を与える存在として、母と妻以外を準備できていないのです。
個人的好悪ではなく、立法と政治的駆け引きと職員の職務意識が上手く回せれば、改善は着実に訪れるでしょう。
児童支援や女性支援や貧困支援や障害者支援を見ればわかる通り、現実の問題に対して福祉が焼け石に水的であることは否めません。(それでも水をかけ続けることは大事ですが)
意識面について。
母と妻に負担を押し付けすぎだと現代人は気づいたと書きましたが、しかしその一方で、男の弱さを保護するのは母か妻だという意識は、実は大して変わっていません。
現代の「ジェンダーロールからの解放」を表現する物語であっても、大抵は、男性が辛さを吐露して受け入れてくれる相手は妻や疑似配偶者であることに、端的に表れています。
「母や妻に男の気遣いを押し付けるのは良くないよね。でも男なんかを気遣ってあげられるとしたら母や妻だろうね」という歪な感覚が現代の意識なのでしょう。
そしてじゃあ母や妻以外に誰が? となった時、誰も適切な答えを返せません。まるでNIMBY問題のようです。
ここに「男性同士でやればいい」と答えようとすると、次で説明する能力面の問題に突き当たります。
能力面について。
母と妻以外に男性の弱さを気遣う存在として、男性があげられることはあります。
先述のエントリで書いたように、男性は様々な場面で粗末に扱われる人生を生きていくためには、自分に対しても他人に対しても気遣う能力を退化させざるをえません。
多くの男性のケア能力は既に鈍麻し退化させられているのですから、男性同士が集まったからといって気遣いあえるわけがないのです。
だから男性の集まりは、競い合うライバル関係、お互いの得意分野を見せ合う趣味の会、外部に発見した敵と戦うことで一体感を得る集まりなどになりがちで、弱さへの気遣いをしあうことができません。
ならばケア能力を退化させずに生きてきた人たちが手を貸すことが望ましいですし、男性が能力を失っている以上その中心は女性になるでしょうが、それは「女をあてがえ論」だと言われてしまうわけです。
男性にも社会からの監督・保護・ケアを与えようとするのであれば、女性が、自他を気遣う能力の師匠をやる時期がしばらく必要だと思います。
女師匠の存在は、「ずっと女に押しつけておけ」というものではなく過渡期として必要な施策であり、悪しき「女をあてがえ論」だと否定するべきではないでしょう。
100年後くらいに、気遣う能力を潰されずに中高年になれる男性も増えたら、男性同士での気遣いも、気遣い能力の教育も可能になり、女性ばかりが師匠をやらなくて済むようになるはずです。
(私個人は、先述のエントリで書いたように基本的には男女ともに監督も保護も少ない男女平等の方が実現可能性が高いと思っていますが、男女ともに監督と保護が増した世界を目指すならこのような考え方がいるだろうという思考です)
このエントリは、前のエントリに比べて同意を得られないでしょう。
特に、一番同意されないのが、男性に自分たちを気遣う能力を喪失しているから能力のある他者が助けなければいけないという部分だと思います。
しかし、そこがもっとも男性の能力のなさ、即ち男性の弱さと助力の懇願を赤裸々に書いたパラグラフのはずです。
「男性の多くは、この分野(自他を気遣うこと)においては自分達の面倒を見る能力を喪失させられている」までは前のエントリで書いたことと同じであり、一定の同意を得られたはずです。
ですがそこから「なので、能力が鈍磨させられづらい人々が助ける必要がある」というSOSになると、一転して反発され、助けなくていい理由や、他者集団を頼らず自分たちの中で何とかすべき理由が沢山考えられる。
プライドなんか捨てた方がいいというアドバイスは世間に沢山あるけれど、いざプライドを捨てて金の無心を始めた人間に対してはみんな冷たくしはじめる、という状況を連想させます。
男性の弱さが世の中に認められづらいという傾向は、このような抽象論のうちは同情されても具体論として実際に助力を求めだすと拒絶されるという現実にも強く表れており、それが男性たちの「結局弱い男なんて誰も許さないんだよ」などの捨て鉢な言葉に繋がってしまうのではないでしょうか。
わかりやすく握力で比べるが、女性は強くて25kgくらいだが、男性は40kgで低い方だ。
おそらくフィジカル弱者男性を夜道の危険から守れるのは、フィジカル強者の男性しかいない。
だから男性同士の互助関係が必要なのだが、フィジカル強者の男性が、フィジカル弱者の男性を守るメリットって何かあるのだろうか。
よっぽど仲良いか愛してるなら別だが。