はてなキーワード: 内面とは
手鶏足取り教えて貰うんじゃなくて自分で気付くことこそが大切なんです!って誇らしげに言う奴らね
ムカつくわ
完全否定はできないけどさ
なんか
頑なに導こうとしないんだよなアイツら
手取り足取り教えないのと意地悪に教えないのとではまるで違うだろ
親切さがないんよ
気遣いもない
それでアレだよ、「わからないです」って言ったら
それをさ
「何がわからないのか言ってくれないと教えられないよ」ですって
ヤな奴!
それが教育のためになってると思ってるんだ
ためになるのは付いて来れる人だけなんだよ
優秀な人はそれでいいのかもしれないよ?
でもみんながみんなそうじゃないんだよ
人の気持ちを分かってくれない人だな、気遣いができない人だなって思う
なんて言ったら「いや自分以外の人間の気持ちなんてわかるはずないでしょ」って正論を叩きつけてくるの
「直接知ることが出来るのは自分の内面だけ。それ以外はわからないんだから」って
ヤな奴!
くやしいよ私は
アイアムアヒーローが全話無料になってたので読んで無かった後半以降を読み切った
後半、謎解きというか、ゾンビ化を起こすものがどこから来て何を目指して、というのも興味深かった
日常がなくなった世界での人間達の社会の再構築とか争いなんかも興味深く読んでた
けどそれらのどれもがテーマではなくて、主人公の冒険・成長譚、恋愛譚の味付けなんだな、と読み終わっての感想
壮大な世界観で話を拡げるけど、結局は個人の内面世界が肝っていうの、夢オチレベルでがっかり感ある
7seedsもサバイバル・パニックワールドものだったけど、読み終えてがっかり感・購入して読んで損した感がひどかった 少女の人間関係と成長物語といった感じで、ただの少女マンガだった 各人の強い気持ちでサバイバルの状況がトントンと解決するのもとてもご都合主義的で馬鹿馬鹿しい気持ちになった
そんで今回のアイアムアヒーロー、青年マンガだし、別のオチを期待してたけど、同じような落胆を感じた
雰囲気とノリが重要で、ストーリーとしては平々凡々な個人の成長譚にしかならないものなのか
なんにせよ今回は買わずに読んだのが救い
他人に対する情強アピールとかマウントにしかならんだろ中身のないキョロ充の行いだよ
コロナ前からもう4年も経つのだからいつまでも若者じみた情報武装して誤魔化すやり方じゃなくてもっと自分の内面を向上させる方向の方がよいのでは?
向上心って負けん気とかそっちになるんだろうけど、好奇心って自分の中の興味とかの内面的要素からくるんだろうなというのを感じている。
例えば、出世したい!とかっていうのは前者で回りによく思われたいとかそういう外的要因がモチベーションになるのが向上心だと個人的には思っている。
仕事にやる気はないけど、すごいいろんな知識持っているみたいなタイプとかってそんな感じある。
正直、仕事では使いにくい能力なので評価されることはないしある意味自己満足の領域だとは思っています。
どっちがいいとか悪いとかって話ではない。あくまでその人の強い特性が仕事向きかどうかってだけなんだろうっていうしょうもない話です。
そんだけすごい能力を持っているのにもっと給料上げるために頑張らないの?と思われる方もいるかもしれません。でも、それってその人の中では「頑張りたくない」が勝つことってあるんですよ。
そんなことより早く帰って自分のことに集中したい。仕事はあくまで手段だっていうことを思っている人もいる。
正直、この価値観にカチンとくる人もいるかもしれない。世間体に興味がなくなり始めるとマジでそういう感覚になるんです。 無断欠勤しないだけいいじゃないか みつを くらいの精神をやりすぎるのはよろしくないかもしれないけど、
思いつめてしまうくらいならそういう考え方もありなんじゃないですか?
お砂糖は「友達」としての親密さなのか「恋人」としての特別な位置なのか議論されることがあります。しかし、「友達」の間の距離感は、特に曖昧で広範囲に渡ります。それでは、この微妙な関係性について、もう少し詳しく探ってみましょう。
『とも‐だち【友達】の解説互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「—になる」「遊び—」「飲み—」
[補説] 2013年10月に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。」キャンペーンでの「友だち」への投稿から選ばれた優秀作品。』
goo辞書より引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8B%E9%81%94_%28%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A0%E3%81%A1%29/
"互いに心を許し合って、対等に交わっている人"と"一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人"という表現は、確かに"友達"という言葉で表現されますが、その深さや距離感に違いがあります。
互いに心を許し合って、対等に交わっている人: この表現は、相手との関係が深く、信頼関係が築かれていることを示しています。このような友人は、自分の内面を理解し、支えてくれる存在であり、困難な状況でも一緒に乗り越えてくれるでしょう。また、対等な関係というのは、互いに尊重し合い、意見を自由に交換できる関係を指します。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人: この表現は、一緒に楽しい時間を過ごすことができる友人を指しています。このような友人とは、共通の趣味や興味を共有し、一緒に活動することが多いでしょう。しかし、それは必ずしも深い信頼関係があるとは限らず、個人的な問題を共有することは少ないかもしれません。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人について話していきます。
「遊び友達」、「喋り友達」、「ゲーム友達」、「ソシャゲ友達」など、これらは特定のコンテンツやゲームで楽しむためにつながっている友達を指します。彼らとは同じコミュニティに所属し、雑談したり遊んだりすることがありますが、それ以上の深い関係はありません。
私生活に入り込むことはなく、お互いの個人的なことには触れず、純粋に趣味を楽しむ相手としての友達です。
これが悪いというわけではありません。むしろ、インターネット上の友達との距離感としてはこれが普通で、健全な付き合いだと思います。それぞれの友達との関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大切です。
ですが、インターネット上の友達という距離感を保ったままお砂糖になるケースが見受けられます。リアルな友人とネット上の友人との間に存在する距離感の壁を超えられていない場合、それは誠意があるとは言えません。お砂糖が友人であるか恋人であるかを問う前に、互いに心を許し合うという基盤がないまま、不確かな関係性を築いてしまうことは良くありません。
それでも、それはまだマシな方かもしれません。なぜなら、"フレンドを切ってしまえばただの赤の他人でしかない自分にとって都合のいい遊び相手"という浅い考えで人を見下して、都合の良い相手として付き合っている人々が存在するからです。これは、人間関係を軽視し、他人を尊重しない態度を示しています。このような考え方は、健全な人間関係を築く上で全く適切ではありません。
それぞれの関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大人の人間関係です。ですが、人間関係を深め、信頼関係を築くために近づこうとしないまま形だけの関係になっていませませんか?お砂糖という言葉で誤魔化さずはっきりと、どういう距離感で居たいのかを伝えることが大切だと思います。
奇跡的に距離感の擦り合わせに成功したとしても、価値観の擦り合わせという工程がまっています。もはやvrchatの領分ではありませんが、自分の思う価値観の擦り合わせについて書いていきます。
人々が他人の欠点を見つけて大騒ぎし、マスコミがそれを叩き、インターネット上で集団で非難することは、不寛容な社会を反映しています。完璧を求める就職活動や、欠点を許容しない傾向は、生きづらい世の中を作り出しています。
「カエル化現象」という言葉が、近年よく使われています。これは、愛する人の些細な欠点を見つけた瞬間、その魅力が色褪せ、感情が冷めてしまうという現象を指します。しかし、この現象は、私たちが他人に対して持つ過度な潔癖性の表れではないでしょうか。例えば「樽一杯のワインにスプーン一杯の泥水を入れると、全てが泥水になる」という言葉がありますが、人間関係においても同じように厳しい基準を適用してしまっているのです。
しかし、人間は完璧ではなく、欠点を持つことは自然なことです。お互いの欠点を認め、許容することで、より健全な社会を築くことができるでしょう。完璧を求めるのではなく、人間らしさを受け入れることが大切です。それによって、より寛容で、生きやすい世の中になるはずです。
自分は距離が近い人と上手くやっていくコツは「嫌いを許容する」事にあると思います。
人間関係において、「嫌いを許容する」というのは、相手の欠点を受け入れ、それを乗り越えることで、より深い信頼関係を築くことができるという意味です。私たちは完璧ではなく、誰もが何らかの欠点を持っています。しかし、それらを認め合い、サポートし合うことで、互いの絆は強まります。
嫌いな部分を見つけたとしても、それを単に指摘するのではなく、どうすればその部分を改善できるか、またはその部分を受け入れて支え合うかを考え話し合うことが大切です。お互いの長所を認め合い、短所を補い合うことで、関係はより豊かなものになると信じています。
まあ、vrchat民の殆どは指摘すらしない事なかれ主義者ですが。
人との距離が近くなるほどに、相手の嫌な部分が見えてくるかもしれませんが、それを乗り越えることで、より強固な関係を築くことができるのです。そして、それは人生において非常に価値のあることだと思います。
ですが、現実はそう甘くはありません。
SNSの普及により、私たちはいつでもどこでも人と繋がることができるようになりました。しかし、その結果として、人と深く関わり合うという行為が希薄になってしまったのではないでしょうか。かつては、人間関係を築くことは時間と労力を要するものでした。しかし今、私たちは「人間関係に対して代わりがきく」という新たな現実に直面しています。嫌いな部分を持つ人間関係を見つけたら、簡単に切り替えて新しい関係を探すことができるのです。
このような状況は、人間関係の価値を軽視する傾向につながりかねません。一つの関係に問題が生じたとき、解決する努力をする代わりに、新しい関係を求める方が容易になってしまったのです。しかし、これは本当に良いことなのでしょうか。人間関係においては、困難を乗り越えることが成長につながる重要な過程です。簡単に関係を切り替えることは、その過程を省略することに他なりません。
私たちは、SNSがもたらす便利さと、人間関係の深さを保つことのバランスを見つける必要があります。人との繋がりを大切にし、一時的な不快感や問題を乗り越えることで、より強固で意味のある関係を築くことができるのです。それは、メタバースの時代においても変わらない人間関係の本質であると言えるでしょう。
そう思うとセルジュルタンスはけっこう網羅してるし好きの範囲も広がったと思う
本格的に香水にハマって初めてのブランドだったのも、ニッチのうちでは手に入りやすい方なのもあるかもだけど
でもメンズ向け、レディース向け関わらず、どれも好きで使うタイミングがある
そう言われるとブランドイメージというかカラーというか、キリアンの陽キャっぽさは合わなさを感じてはいた 香りは好きだけど、なんかこう自分が利用しづらい雰囲気
じゃあルタンスが自分にピッタリ合うとまでは言わんけど、闇属性というか自身の内面を問うみたいな香水ポエムも多く、キリアンほどの居心地の悪さはないかなと
そんなこと言ったらルタンスも資生堂に行ったことがあるだけで、ルタンスの店舗というわけでもないのか
まあいいや
ルタンス、キリアンときて、次はラルチザンあたり攻めてみようと思ったり
ラルチザンは前の2つよりは空気感的には試しやすそうな印象を持ちつつも、手にする機会が少ない
まずは手始めにディスカバリー買おうかと迷っているうちに公式の在庫がなくなってしまった
タイミングがいつも悪い
院に可愛い女がいるとは思えない
20代前半ならちんぽが脳をハイジャックしてる状態だからこいつが真に可愛い女なら逆にアプローチしてくるだろ
こいつは確実に勘違いブスだと断言できる
24.2.29
何度目かの冷静期に入っている。それは自分の外見的醜さ、内面的な価値のなさを見つめている(見据えてはいない、目はうっすらとしか開けない)時期だということで、つまり鬱々としている。自ら定義づけた自分の気持ちというものは、結局言い聞かせるための繰り返しが必要で、それは行為としてルーティン化していき、その空虚さが実は自分を傷つけているだけなのではないか、と思う。寝る前に彼女のことを想う行為や、もっと下世話な行為や、現実に彼女とやりとりする行為さえも、本質的な無意味さ価値の無さを際立たせているように思える。換言すると「楽しくない」ということに尽きるのだが、じゃあ何が楽しいのかというと、彼女から必要とされることなのだろう。しかしそれは期待できないし、そもそも期待することでもない。というような出口のない鬱々感を彼女に見せるのは迷惑なので、という当たり前のことをわざわざ確認しておかないと彼女に気にしてほしいあまり鬱々感をアピールする可能性すらある人間でそんな自分が本当に嫌になるが、まぁ元気そうにしていようと思う。楽しくはない。でもそれは自分で引き受けるしかない