はてなキーワード: 公衆浴場とは
この件でトランス女性を女湯に入れるのことを許可するのは困難だと思う。
理想を言えば全ての公衆浴場を混浴にし、水着または湯浴み着の着用を義務とすることだろう。
社会運動で水着着用型浴場を増やそうとしても、従来型の浴場が好きな人や変化を望まない人からの反発が大きそうだ。
一番いいのは、水着型の浴場が経済的に成功して、市場の原理の元拡大することだと思う。
少数派に配慮して普及するのでは反発が大きくても、多数派の楽しめればそれで良いという人々が増えるのが無難。
とはいえ、温水施設を作るのは生半可なことではないので、温水プールからスタートして
だいたい「真っ裸で入る公衆浴場」なんつーのが、身体と心の性が一致していない人間に犠牲を強いてきた悪しき蛮族の風習なのだから、明治維新以降に混浴の風習が日本から消えたのと同様に消え去るべきものなのだ。
「公衆浴場では男女の浴室は分かれているのが普通」なのに「LGBT は個別に分ける必要はない」と考える理由がある?
分けるところと分けないところを都合よく使い分けるのってダブルスタンダードだろ。
保証されるべき権利というのは「どこかに居場所がある権利」であって「どこを居場所にしてもいい権利」ではないと思う。
個室になってる浴場だってあるわけだし。
その分の余計な出費も手間もあるだろうけど、男性に特有の出費も女性に特有の出費もあるんだから必要な出費は呑めとしか言えない。
防犯ってのは「被害が発生してから回復するよりも被害発生しないほうがいい」ということ。
無防備な被害者でも非はないが、非が無くても被害を受けるからこそ防犯が必要なんだよ。
「すみ分け」ってのはそのためにある。
という事はコロナ後なんだな。別に他人を傷つけたとは言ってないぞ。「カッターナイフ振り回すのと同じ」と言ってるだけだ。結果として誰もケガさせてなくて、違法じゃなくても、浴場でカッターナイフ振り回す奴は迷惑だ、そういう奴は人間のクズだ、と思う人が出てくるのは仕方ないだろ?
同じことだ。結果として誰も感染させてなくて、違法じゃなくても、本人や近親者が重症化したり死亡したり後遺症残ったりした人間から見れば、お前のやったことがひどい迷惑行為だと思う人間が出てくるのは仕方ないんじゃないか?
結果として誰も感染させてなくても、そういう行動をとった時点で迷惑な奴だ、反社会的な人間だって思われるんだよ。それぐらい大人なら分かれよ。
「感染させたのが誰かわかるなら」とか書いて消したようだが、そういう問題じゃないんだって。結果として誰にもケガさせなくても、浴場でカッターナイフ振り回したら、その時点で迷惑な奴だって思われるのは仕方ないだろ。「誰かがケガしちゃっても仕方ない、構わない」って反社会的な考え方持ってる人間ですって行動で示してるんだから、迷惑な奴だって思われるのは仕方ないし、人間のクズだって思われるのも仕方ないだろう。
同じ事だって。自分も娘も感染しているかもしれない状況で、公衆浴場に入れるのは、その時点で、結果として誰にも感染させてなくても、迷惑な奴だって思われるのは仕方ないだろ。「誰かが感染しちゃっても仕方ない、構わない」って反社会的な考え方持ってる人間ですって行動で示してるんだから、迷惑な奴だって思われるのも仕方ないし、人間のクズだって思われるのも仕方ないだろう。何か間違ったこと言ってるか?俺。今日も300人以上日本全国でコロナで死んでるんだ、カッターナイフで死ぬ奴、年間に1人いるかいないかだろ?誰もケガさせなかったとしても、「感染させちゃっても仕方ない」って考えてる時点で、カッターナイフより危険なものを振り回してるのと同じだよ。
そもそも嫁が体調不良なのに公衆浴場に入れるなよ!コロナ前か後か書いてないけど、コロナ後だったら、嫁が体調不良って事は、自分も娘も感染してて発症前なだけの可能性あるわけでしょ?
それなのに、「せっかく来たから」みたいな考えで公衆浴場に入れたの?バイオテロじゃん!浴場に高齢者も基礎疾患者もいるかもしれなくて、マスク着けられないのに、入れたの?そういう人たちを万一感染させてしまって、重症化させらどうしよう、死なせちゃったらどうしよう、後遺症で一生働けなくさせてしまったらどうしよう、って思わないの?もしかしたら料理人が一緒に入っているかもしれない、その人たちの嗅覚や味覚を一生潰しちゃったらどうしようって思わないんだ?感染して嗅覚戻らないトンカツ屋のおっちゃんが泣く泣く数十年続けた店を閉めた記事とか普通にあるのに、全部無関心でいられるんだ?
正直、公衆浴場でカッターナイフ振り回してる危険人物と同じに見える。刃渡り短ければ法律には違反しないけど、迷惑極まりない。他人の迷惑考えないとことん自己中な人間なんだね。人の死体をみても何も思わなさそう。あんたら一家、全員人間のクズだと思うよ。
3 この法律において「児童ポルノ」とは、写真、電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)に係る記録媒体その他の物であって、次の各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したものをいう。
一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態
https://togetter.com/li/2007424
とか
とか書き散らかしててゲンナリ。
『児童ポルノを「性欲を興奮させ又は刺激するもの」と定義』したのは
「表現の自由を守るため」だよ。
おまえら表現の自由が大事だと常日頃から主張してる立場じゃねーのかよ。
まず、なんで「児童を守る」のに買春とポルノの規制から入ったかって、そりゃ当時の日本が児童買春・児童ポルノ大国だったからだろ。
単純に規模がでかくて根が深かったからそこから始める必要があっただけ。
この神崎ゆきという人間の年齢を知らないが、多分まったく当時の日本を知らないんじゃないの?
1998年当時の日本じゃ、ブルセラとか援交とか盗撮とかの名前のついた中高生のポルノビデオは簡単に購入できた(※1)し、中高生を一部被写体とする写真誌(いわゆるエロ本)やら盗撮写真集やら(※2)が普通にコンビニ売りされてたんだぜ。
さすがにローティーン以下はマイナーだったけど、その手の書店に行けば普通に並んでた。大学の近くの古書店にも大量にあったな。
もちろん中にはスナッフビデオ(虐待記録物)もあったんだろうけど、そんなニッチなところより、まず被害がでかい児童買春(援交)と、市場が成立してて識別も容易なポルノから取り締まろう、というのは普通の感覚だと思うけどな。
次に、なんでこんな限定(「性欲を興奮させ又は刺激するもの」)を付けたかって言えば、既存の表現を萎縮させないため。
もともと公衆浴場や家族風呂の文化のある日本では子どもの裸への許容度が高くて、当時は二次性徴前の低学年くらいの子どもであれば、テレビのニュース映像に出てくることも普通にあったんだよ。感覚も緩かったから、ティーンエイジャーでも作品内で必然性があれば裸や半裸の子が出てくることは珍しくなかった。(※3)
だから、多くの表現者、作家、ライター、写真家、ジャーナリストは反対の声を上げたし、こういう制約つけたわけだよ。
ただ「子どもの肌が出てた」ってだけで既存作品が廃版になったり、報道が出来なくなったら困るからね。
※『性的虐待記録物という表現にしてたらポルノも取り締まれたんじゃないの?」という声については、これは個人の感想だけど、当時の感覚ではブルセラとかを「性虐待」で定義するのは難しかったと思う。
ちなみにそれだけじゃまだ限定が足りないと言うことで、2014年改正では単純所持禁止と引換に、以下の限定が追加されてる。
これも「表現の自由」を訴えた運動の成果であって、絶対に「ポルノを眼の敵にする矯風会の仕業」じゃない。
三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀でん部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの
既にインターネットの片隅以外の児童ポルノ市場は消え去った今、スナッフビデオもターゲットにしてこーぜ、という議論をするのは良いと思うよ。
たださ、歴史改変はやめるべきだし、識者を任じてる人間が乗っかって騒ぐのはあまりにも恥ずかしいし見苦しいだろ。
※1 トラバで突っ込まれてたので補足。さすがに援交ビデオとかの一般店頭売りはなかった。ただ、チラシ通販やそこらの中古屋なんかで簡単に買えた(と聞く)。自分は購入していないのでここは伝聞で申し訳ない。
なお、販売業者の摘発はあったと思うが、買う側が捕まったという話は記憶にない。
※2 トラバで言及されてる「乳首なし」は英知出版等のお菓子系の話かと思うけど、少年出版社のとかは普通にヌードやモロの投稿写真あったと思うぞ。
※3 トラバにもあるように芸術写真路線での少女ヌード写真集は「性欲を興奮させ又は刺激するもの」の文言がなければ間違いなく即回収コースだったはず