はてなキーワード: フジとは
マスラダ・カイ。オリガミ作家であった青年。ニンジャを殺すニンジャ。
1−3部の主人公フジキド・ケンジからニンジャスレイヤーの代替わりをしている。フジキドは存命。
アケチ・ニンジャ。かつてオダ・ニンジャをゲコクジョした際にオダと一つになろうとした結果、腕を4本もつに至った強大なリアルニンジャ。
カナダ。故郷を懐かしんだアケチ・ニンジャによって生態系を歪められネザーキョウと称されている。
野にはカラテグリズリーなどの黒帯を生じた凶悪なカラテビーストが徘徊し、人々の間ではインターネットが惰弱なものとして禁止されている。
かつての舞台であったネオサイタマはアケチ・ニンジャの放ったハマヤが着弾した直後であり状況は不明。
30代中盤男性
昔、中高時代は常にナイナイのANNを聞いた。深夜に流れてくる、大人な世界だった。
インターネットもそれほど普及していない時代にあのディープな世界はたまらないものだった。
その時自分は男子校に通い女性と目を見て話せなかったので、そういうときに岡村さんの
する非モテの話というのは安心感があった。自分も大きくなってたとえ非モテのまま人生
が流れていったとしても、岡村さんという人気者でさえ克服できてないようなことなのだと。
フジワラ原西とかも同様に、あれだけ面白いことできてモテる要素の強い人でもモテない
ことがある。これは、非常に心の支えだったのだ。ケンコバみたいなモテエピソードをさらっと話せる
男だけではないんだと。
男子校から出て、女性と話せない病気みたいなものも徐々にクリアできていくと、今度は
逆に岡村さんの非モテエピソードがうっとうしくなってきた。結局リスクをとってないだけの話
なのに、それが「おいしい」感じで語られる、しかもその構図が何度も繰り返されるとさすがに
嫌になってくる。
また男性がモテないということはありふれたことであると気づいたのも大きくて、人生は
うまくいかないことが多い。その一環でしかないのだと気づいた。
そこからは非モテエピソードというのは実は広がりのない、つまらない話になのだというこに
気づいた。
矢部浩之がモテている側でうらやましかったが実は、彼には彼なりの努力があり、モテ
ていって、さらに家庭を築き、芸の広がりが岡村さんには無いような方向に広がっていっていた。
今回の岡村さんの風俗の話は本当に本心から言っていると思う。中学生の延長戦
で女性関係が成長していないので、そうなってしまっている。「おいしい」と思って話たのだろうけど
全然おいしくなかった。
僕はこのタイミングで岡村さんを否定するのもなんか違う気がする。彼は、普段からこのような
話が「おいしい」切り口で語られており、それに僕の中学時代のような人の共感みたいなもの
があったんじゃないかなと。それはやはり人間的に成長していないことであって、「おいしい」と
したらダメなんだと思う。
原西さんは結婚し、矢部さんも結婚し、何等かの形で家庭を持つことに踏み込んだ。
岡村さんは未婚で、非モテなのを「おいしい」こととして放置してしまった岡村さん
これは普段は否定されない域のものなのだが、俺はこの放置事態に問題があると思う。
他ならない私の精神衛生のために、縁を切ったほうがいいんだろうと思いながら、関係をひきずっている。
私が今いるジャンルは二年間くらい公式の供給が停止していた時期があった。
そのときに別のジャンルにたまたまハマって、とある神作家と知り合った。
イベントあるときに数回おなじ飯を食べた程度の仲なんだが、界隈でそういった付き合いをするってけっこう仲良い部類だよね。
けれどその神作家は交流がお盛んな人間で、私の他にもっと深い関係で(ライン交換したりとかしていた)付き合っていた人たちとトラブルを起こした。
神作家はしばらく表に出ないと言ってたけどそれからしばらくして私が今いるジャンルにやってきた。
交流を盛んにするタイプの神作家は、前と同じように界隈の他の神作家たちと仲良くしている。
率直に言う。
それがすごく嫌だ。
また同じトラブルを起こして界隈を全焼させるんじゃないかとか、そのせいで他の神作家がジャンル撤退するんじゃないかとか、そういったことを考えてしまう。
他の神作家に、この人は前ジャンルの界隈を全焼させた人なんですって言いたくなる。言わないけど。
今日も神作家は私の敬愛する神作家たちと交流を重ね奇跡みたいな合同本の話とかをしている。
この感情が行き着く先は、きっとただの嫉妬に分類されるんだろう。
私が、その神作家の人間性は嫌いでも、作品を愛していること。それも悩みのひとつだ。
いっそ、また、全焼してくれたらいいのに、とか考える自分もいる。
神々のお戯れが私の心をぐちゃぐちゃにしている。気がする。
以上、お気持ち表明。
ぜったいに嘘だと思うが
大阪・警官襲撃容疑者“父親が関西テレビ常務”より注視すべき「元自衛官」の経歴…過去にも元自衛官の拳銃強奪
大阪・吹田市の交番で警官が刺されて拳銃が強奪された事件で、今朝逮捕された容疑者が、きょう午後になって父親が、フジテレビ系列の関西テレビの常務取締役だったことが判明。父親と関西テレビがコメントを発表した。
また、容疑者自身も2015年、やはり系列の岩手めんこいテレビの関連会社に8カ月勤務していたことも報道された。
これを受けて、ネットではフジ、関テレをはじめ、テレビ局に対し「マスゴミはやっぱり身内に甘い」と厳しい批判の声が上がっている。
全数検査は意味ないし、できない(偽陽性・偽陰性あるし、物理的にキャパあるし) -> わかる
入院が必要など症状が重くなった人じゃないと検査しない -> これがわからない
特効薬なく、特定の治療法がないなら、症状重くなってから確定診断しても意味なくないか?
入院が必要なまで検査をしないからこそ、陽性とわかるまでの間に感染を広めているのではないだろうか。
江戸の火消しは、まず延焼を食い止めるってよく言われるけど、もう、検査できるキャパを超えてしまってるって前提で対応すれば良いのに。
入院が必要な程度になってしまったら新型コロナを前提で処置して、確定は後にして、その周囲で感染を疑われる人から優先して検査した方がよくない?
それより、市中感染が実際広まっているから、陽性者との接触の有無を問わず、臨床所見から軽症でも疑わしいところから検査していくべき。
で、陽性者の全入院(=隔離)はどちらにしても無理なので、軽症者は待機を要請・命令するとかさ。
指定感染症は、措置入院させることができるが、すべてを入院させないといけないわけではないと理解しているが、誤りだろうか。
病院入院させないと終結されないのであれば、どのみち医療のキャパ足りなくて終結できないよね。
延焼も防ぎたいけど、火元も確認したくて、どっちも中途半端で状況止められずにいる。
今のままだと、山場と言ってる1・2週間も、ズルズルといくだけだよね。
検査できるキャパを超えてしまってる、つまり、感染が広がるスピードが感染者を見つけ出して対応するスピードを超えてしまっている、という前提に立てば、全国一斉の休校要請だって受け入れられやすいだろうに、感染は広まっていません!検査は十分にできるキャパあります!子供のために断腸の思いで!とかいってパフォーマンス見せたいだけで対応してるように見えるから、対策の成果もよくないだろうし、印象も悪いだけ。
北海道が感染者の発見数が多いのも、他所よりきちんと検査できているからという話があるけど、感染の状況が明らかにできたことで緊急事態宣言など対応できているなら、成果も期待できるよね。
あと、フジで木村太郎が、高齢の自分には怖いんだ、子供からの感染だって怖いんだ、なんとかしろってキレてた(コメントの要旨だけど)。偉そうなこと言っても、自分の生命の危機が迫ると、やっぱりそうなるよね。
後でアップデートする
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わたしはSNSにおける匿名性っていうのを諸刃の剣だと思っている。
わたしが現実世界で他人と関わろうとするとき、趣味の話ってそれなりに仲良くなってからじゃないとできない。
けれどSNSは逆だ。
仲良くなる入り口は趣味であることが多く、個人の価値観や信条などといった日常生活は後回しにされる。
だからこそわたしはツイッターで同じ界隈の人間と交流するときには注意している。
楽しく推しの話をしているが、日常生活に関わる部分の話はある程度ひととなりが分からないとしないようにしているし、ラインの交換なんて同人イベントで何度か会って「このひとなら大丈夫」と信頼できる相手としかしない。「このひとはわたしと合わないかも」と思えばそっと距離を置くようにもしている。
わたしがそういった『宗教上の理由』を抱えていることを前提に話をする。
前にいたジャンルが、まさにそういった人間関係のトラブルを原因に、ほぼ全焼した。
わたしが今いるジャンルはかれこれ五年くらい居座ってるところなんだけれど、公式の供給がなくなってしまって、そんなときにハマったのが前ジャンルだった。
Aさんはめちゃくちゃ“上手い”ひとで、狭い村状態の前ジャンルでは人気のあるひとだった。
字書きさんなんだけど、紡ぐ言葉がうつくしく、わたしはほんとうにそのひとの書く作品が大好きだった。
ただひとつ、わたしにとって合わないと思うところがあり、それがAさんの交流のハードルの低さだった。
わたしは前述の通り、そういったのが苦手なので、ひやひやしながらAさんが周囲と交流するのを眺めていた。
しばらくして、わたしが恐れていたとおり、Aさんはトラブルを起こした。
内容については割愛するが、まさしくAさんが交流していた周囲の人たちとのトラブルで、関係がないわたしや他のひとまで気まずくなり、狭い界隈の空気は悪くなってしまった。
自然と人が減っていき、繋がりも切れていって、ジャンル移動などもあって今では界隈が存在しないといっても過言ではない。
好きな作品だったが、そこで起きた事件のことを思い出すとどうしても憂鬱になり、わたしも筆がとれなくなった。
Aさんは筆を折るとまで言って界隈を去ったが、ひととなりは別にしてAさんの作品をわたしは好いていたので「筆を折らないでください」と最後に言葉を送った。
わたしは今のジャンルで、これまでこんなに推したことがあっただろうかというくらい、とあるキャラを推している。
Bさんの作品を初めて読んだとき、ひたすらに心が打ちのめされたのをつよく覚えている。
もう、すごいとしか言いようがなかった。
わたしの推しはそこそこ人気で、支部やツイッターにいろんな二次創作があふれているけど、そもそもあまり内心が描写されていないこともあって解釈が割れがちなキャラだ。
シチュ萌えやCP萌えの作品がほとんどだが、わたしはそういったのを舐めるように読んできたし、実際に「すごい」と思う作品にも出会ってきたけれど、Bさんの作品はそれらが霞むくらいにはわたしの心を震わせた。
推しについて、解釈がじぶんと異なることは分かったけれど、一本の筋が通っていて、舌を巻かざるを得ない。
漫画という手段で、論文のように完成された推しについての物語を描く。
わたしはこういうのが読みたかったんだと、Bさんの作品を読んだあとに泣いたくらいだ。
ただただ圧倒され、Bさんの抱く推しへの愛に敬服した。同時に、自分は何をやっているんだろうとも思った。
Bさんよりも長くキャラを推しておきながら、わたしはその推しについて作品をつくったことがなかったのだ。
わたし自身、二次創作でまともに物語を書くようになったのが最近だったということもあるけれど、それにしたって推しについて作品を書こうと思うきっかけはあったはずなのに、今まで「よく分からないから」と怠ってきた。
Bさんの作品を前にそれを悔やんで、わたしは推しについてきちんと考えるようになったし、Bさんの足元にも及ばないけれど、推しを中心にした作品も書くようになった。
やっぱりわたしはこのジャンルが好きだなあと、心の底から思った。
その、わたしのだいすきなジャンルにAさんがやってきたのは、Aさんが姿を消して一年くらい経ったときだ。
ジャンルにハマったきっかけはわたしがツイッターで何度か語っていたからだという。
正直言うと、こわかった。
「筆を折らないでください」とつよく願っておきながら、Aさんが前のようにわたしの大好きなジャンルを荒らすんじゃないかと危惧した。
わたしとAさんは再び繋がったが、ジャンルで好きになったキャラがぜんぜん違ったことと、以前の事件があったのですこし距離を置いていた。
それでも、以前ほどではないけれど、たまにリプを交わし合ったりふぁぼを投げ合ったりして、仲良くしている。
さて、死ぬほど前置きが長くなったけれど、わたしがこれをしたためる原因のきっかけはAさんが復活して二か月くらいしたころに起こった。
はじめは何とも思っていなかった。Aさんの作品はとても素敵なので、ジャンルでもそこそこ認知されつつあるひとだったし、Bさんのような神作家と繋がるのは当然のことだと思ったから。
しばらくして、Aさんが別垢をつくった。私事をメインにつぶやく、交流メインの鍵垢だった。
Bさんも同様の鍵垢を持っていて、ふたりはそこでも繋がったようだった。
Aさんの前ジャンルでのやらかしを知っているわたしは、そういった交流メインの鍵垢をつくることは良いことだとおもっていた。とくに私事に興味を持たない(いわゆる愚痴などが垂れ流されていると不快なので目にいれたくない)わたしは、AさんやBさんの鍵垢についてはフォローしていない。
そのうちAさんやBさんは鍵なしの本垢には現れなくなって、ときたま作品や妄想をツイートするために浮上するだけになっていたから、AさんBさんがどういった交流をしているのかをわたしは知らない。
そんなAさんとBさんが、先日、合同で本を出すと言った。
それを知ったときに、わたしは得も言われぬやるせなさに包まれた。
AさんBさんの交流なんてぜんぜん気にしてなかったのに、合同で本をだすとか、AさんBさんが互いに本に収録するプロットや下書きを見せ合ってるとか、そういうことが分かるツイートに気が遠くなる心地がした。
AさんもBさんもすごいひとだ。わたしはそれを知っている。どちらの作品も読んでいるから。
わたしは、わたしにとっての好きな作家と神作家が合同で本を出すことを喜ばないといけないのに、どうしてもそう思えない。
わたしがけして届かない神々のお戯れが、わたしの心をかき乱す。
Aさんが前のジャンルを瓦解させたひとりであっても、たとえ、人間としてどうなのとわたしが思う部分を抱えているひとでも。Aさんはすごいひとだから、そうやってBさんと奇跡みたいな合同本も出す。
そう思うと、心が淀んでゆくのをかんじた。そういうAさんと交流するBさんに対しても、交流のハードルが低すぎるんじゃないかとか、Aさんについて何も気づかないのかとか、思ってしまった。