はてなキーワード: ソバとは
オムツや、食事の世話、洋服買ったり着せたりとか、遊びに連れて行ったりとか
何もかもやってあげないといけないんだよ?
無理無理。自分の世話すら面倒な私には無理無理。
無理無理。
無理無理。怒り抑えられなくて悔し泣きしそう。
産まなきゃ良かったって後悔しそう。
子供が大学行きたいと言って、「お金ないから奨学金ね」と言うと
「何で俺が奨学金払わないといけないんだお前が払え!」とか言われそう。
仕送りもしないだろうし、育てるのにかけたお金1円も返ってこなさそう。
3000万かけるなんて無理無理。
収入を得ることが出来ずニートになって金食いつぶす子供とかもっと無理無理。
私は親に育ててもらって感謝している。
でも、実家に住んでいたときに家賃としてお金を入れたことくらいしかしなかったし
奨学金返済してるから「あーぁ、奨学金無ければな」って思うことは多々あるし
もう無理無理。将来家を買いたいし、3000万とか無理無理厳しい。
はーぁ。無理。
今日、シフトが一緒のババァがマジクソババァでオソマ食わせたいレベルなのに、2時間もふたりで回さなきゃいけないのホント無理で帰りたい。
若い男性スタッフには「おはよ〜。今日何時まで〜?これ今日の分?(ワントーン上の声)」に対して、いっぺん私を含めおそらく彼女の眼中にない人に対しては、挨拶はもちろんなし。こちらからしても返事なし。自分がなんの担当をするのか報告するルールがあるけどそんなもんお構いなし。
接客業なのに客前であっても、商品を乱雑に扱うし、猫背でペタペタとだるそう、不機嫌そうに店内を歩いてる、常連や自分の気に入ってる客には愛想がいいが他の客には塩。電話も一般的な切り方の3倍は雑。
新人がオロオロしていてもフォローするわけでもなく、どう対応していい商品かわからなくて対応をあおごうとしても、教える気なんてまったくなく。
「あぁ、あの人はそういう人なんだよね〜。気にしないのが1番だよ。誰に対してもそうだから。流しときなー。できるだけ接しない事だね〜。」と明らかに問題あるのはそのババァなのに対処する様子もなし。まったく人手が足りていない現状では対処のしようがないみたいだけど…。
目をつけられる。目をつけられて大人しくできないたちだからぶつかる。で、疲弊して嫌になる。
私も気づいてないだけで、そういうタイプなのかな。
とにかく。
(追記)
に尽きる。
学生が成績悪くても良くても、教授の評価には関係なし。授業は何もしなくても[大学は自分で勉強するところだ]と言って学生に責任転嫁してしまえば問題なし。むしろ真面目に教えるだけ自分の研究に邪魔になるから手を抜く方が良い。建前上、試験と出席だけを管理しておけば良い。90%の大学教授は給料安くて当然。社会的に意味ないもん。
理系はそんなことないよ、とか言い出すクソバカがいるけど、理系も同じ。学生のお前が大学でやったことなんて学問においてはゴミみたいなもんだし、社会においても役に立たないゴミ。文系がそれ以上にゴミなだけ。
いまさ、炎上してるラノベあるじゃん。文章がひどすぎるとかキンキンとか言われてるやつ。
Web版の一話見たらほんとに上手くなくて、言いたいことは分かるけどネタがゲーム的で凡庸でやりつくされてて、なんでデビューできたんだって皆が言うの理解できた。
で、それ見て、自分の過去思い出して胸くそ悪くなってきたから吐き出したくなった。
ろくでもないただの自分語り。誰も得しないはなし。
10年以上前、中一からいじめられて登校拒否でずっと引きこもってた。家族も先生も自分を学校に行かないクズとして扱ってた。
家にいたくなくてネカフェ通いしてたら親がパソコン買ってくれた。家にいないと迷惑だから。
それからゲームとパソコンばっかやって、定期的に来る先生たちに罵倒されてもまだやって、たまに学校の休憩室に何もせず通うだけの生活だった。
絵を描くのが好きだったから、そのうちサイト作って絵や文章を載せてた。趣味のことやってれば現実から逃げられるような気がしてた。
ある日、ブログに詩の大賞みたいな宣伝が載ってた。暇つぶしに応募した。
賞には入らなかったけど、小説書いて出版しませんかって誘いが来た。
引きこもってばっかの馬鹿だったから、安易に喜んで引き受けた。
親連れて対面したら、出版について詳しく掘り下げられた。
自分の送った詩の内容から編集者が考えたストーリーを小説にして、百万円払って出版する。絶版にはしないし、売れたら売れただけ増刷の金が入るって。
いま考えたら、ただの詐欺だ。
同人本でもそんな金額はかからない。宣伝料とか何とか言って、ようは金を支払わせたいだけ。
中二で引きこもりでゲームしかしてないガキが考える話なんて、ツギハギのつまんないもんにしかならない。
そもそも「編集者が考えたストーリーを作家に書かせる」のになぜ作家側に金を払わせているのか。
絶版云々も都合と耳障りがいいだけで、売れるはずのない本が増刷されるわけがない。
すぐ考えたら分かることだった。
でも、十年以上前だ。
ガラケーが浸透してきたくらいの時期でサイト全盛期、TwitterもFacebookもない。
何も知らないガキは詐欺かどうかの検索なんてしなかった。ただ、大人の編集者が言っているのが正しいと思って小説を書いた。
ツギハギのつまんない話を。
自分が考えたキャラであっても、どこかちぐはぐで好きになれない話を、言われるまま書いた。
途中、野生の勘かなんかで違和感を覚えて、やっぱこれ書きたくないって家族に言ったら怒られた。
最年少作家とか意味のない触れ込みを真に受けて、大金を支払ってでも出版という道を選ばせたがった。
書き上げて、送るしかなかった。
鬱屈した気持ちのまま、あとがきで「この話は担当に考えてもらった」という旨を書いたらそこは削除された。
このつまらない話は、自分が考えたことにしなければならないようだった。
表紙と挿絵は綺麗だったけど、刷り上がった献本を見る頃には、その話をされると具合が悪くなるようになっていた。
嫌な予感がする。間違えた気がする。
出版されたあと久しぶりに学校行ったら、親が献本を先生に見せた。
「お姫さま願望でもあるの?」
読んでないうちから言われて、自分がどう返したかは覚えてない。頑張って書き上げたものが揶揄されるくらい無価値だと言われたみたいで、直感が正しかったんだと思った。
詐欺にだまされた自分がどうしようもなく嫌になって、家族も編集者も味方じゃないんだと人間不信になって、傷つけて醜くなりたくなって。
手首を切って、病んだ。
編集者は2冊目を催促する電話しかかけてこなくなって、着信拒否してるうちに出版社自体が倒産した。でもすぐ名を変え復活して、まだ自費出版を斡旋してる。
百万は結局返ってこなかった。本も一冊だけ手元にある。家族が捨てさせてくれなかった。
中学卒業後、通信制高校と専門学校に行ってなんとか社会の中にいる。
でも、一次小説は書く気が起きない。
自己投影したキャラが出てきただけでイライラして、殺したくて、憎たらしくてたまらない。
投影してないキャラはツギハギのパチモンでしかない。幸せになんてなれるもんかって、絶望的な話しか書けない。
精神科に行ったけど治らなかった。
書かなくても生きていくことができるなら充分だろうと完治宣言された。
なろう系が羨ましい。
自分のことを好きになって、理想のキャラになりきって、それを誰かに認めてもらえる環境が羨ましい。
たくさん出版されているあの本たちは、たぶん身を切る自費出版ではない。作家として、自分が考えた話が本になってる。
SNSで疑問を投げかけたらすぐ回答を得て、すこし頭を使えば詐欺なんて引っかからない今のネット世界が羨ましい。
中二のあのとき、なろうがあったら。
調子に乗って書いた話がドン滑りして、つまんないですとか書かれて、なんだこいつってキレて作者自らが書き込んで炎上してダメになれた。
それだけで終われた。
今が、羨ましい。
今は、少なくとも誰かが見ている。
ひとりきりで思い込んで追い詰められて全部嫌いになって、自分の過去を思い返すたび死にたくなることはない。
父親の話なんだけれど。
新興宗教にハマってわたしの祖母と母が必死こいて脱会させたんだけど程なくして自然派(?)ネットワークビジネスにはまり込み、いまだにそこの製品を使い続けてる。バカみてえだなと思う。わたしが中学生の時、ラックスとか、なんかさいい匂いのするシャンプー使いたいじゃん。で、買ってきて使ってると、「これは毒だから使ってはいけない、このニ◯ーウ◯イズのシャンプーを使いなさい」つって強制してくるの。わたしは匂いが嫌いで使いたくなくて無視してたんだけど、そしたらある日ラックスの中身が全部捨てられてて代わりにくせーシャンプーが満タン入ってたんだよね。泣いたね。
というようなことが度々ある父親なんだけれども、わたしももうアラサーになって距離の取り方学習したし、大した被害も今は被ってないんですけど。オウム事件の犯人たちが死刑執行されたというニュースを見て、当時こどもだったし全然覚えてないんだけどさ、日比谷線使ったりしてたから、母親と「一歩間違えたら我々も危なかったね」みたいな話をしてたのね。そしたら、思い出したように、ポツンと言うんだよ。「あんたの親父にオウムの施設に連れていかれそうになったことあるんだわ」つって。すげー勢いで止めてくれたみたいだけど。代わりに自然派ネットワークビジネスにハマってしまったらしいんだけど。思わず絶句してしまった。たしかにうちの父は精神世界っつうの?宗教的オカルト的なものに興味があるし、実際べつの新興宗教に入信してたこともあるし、でもそれってわたしにとっては実感のないところの話だから今まで「ハア〜クソバカだなうちの親父はよおォ〜」くらいにしか考えてなかったんだけどさ。なんか、これだけ酷い事件を起こした団体に入信しようとしてた、その見る目のなさじゃないけど、いや、バカだなとは思ってたけどそこまでか!みたいな、すごいガックリきてしまったし下手したらじゃあわたし二世かよwwwと思って激しくげんなりしてしまった。
なにかを信仰するということ自体、それ自体については別にというか、自分が宗教に救いを求めることはなかったしこれからもおそらくないだろうけど、そういう選択をすること自体は理解できるんだよ。縋れるものに縋ろうとするのは人間の自然な姿だと思ってる。オカルト的な物事も、知的好奇心を満たしてくれるし読み物として消費するのは面白いから好き。なんだけど、いや〜なんぼ近所に施設があったからってよりにもよってそこに行く〜……?みたいな気持ちでいっぱいになってしまった。
とか書いてて思ったけど、なんやかんやわたしはぼんやり生きてるからそういう風に思うんであって、一個ボタンのかけ違いなんかがあったら意外と信者になってしまうかもしれないよな。選択や責任を自分で持たないってすげー楽だもん。社会全体の雰囲気に対して疑問を持っていて、そこに自分が思ってることに応えてくれそうな人がパッと現れてしまったら、自分がオウムの人々のようにならないって自信がない。ちゃんと考えなければ疑問は持てないし考えられるからこそ与えられたものに対する感動や驚きが鮮烈な分信じてしまうのだろうな。ああいう風にならないように気をつけて生きていきたいと思えたので父親のバカな行動に少しだけ感謝した。