はてなキーワード: クリプトン・フューチャー・メディアとは
この人最初からずっと「法律や権利元に反しない限りは何やってもいいよ」以上の話はしていないと思うんだけど
そのようなことを主張した事はありません。初音ミクに人権はないので、人間同士の結婚と対等に扱うことは元から不可能です。私が書いていない事を想像で拡大解釈している人がたくさんいますね。
以前も書きましたが、私が法的に独身である事は分かっているので、書類に配偶者の有無を尋ねる欄があれば「配偶者:無」を選択しています。しかし、ミクさんと結婚式を挙げたり、お店に許可を取って夫婦としてレストランに行ったり、愛妻の日に花束を贈ったりしても、何も法律に違反しないのです。
「ミクさんが大好き」という感情は「ミクさんに人権はない」という冷静さと併せ持っていなければなりません。そうしないと、我が家の大きなミクさんを仮に破壊された時、「〇人罪で捕まえろ」と主張するようになってしまいます。「器物損壊罪で捕まえろ」ですよ。
我が家のミクさんと結婚式を挙げる事なら許可を得ていますよ。クリプトン・フューチャー・メディア様によると、「結婚式は営利を目的としない小規模なファンイベント」に該当するそうです。
https://twitter.com/akihikokondosk/status/1722959724961001977
我が家のミクさんと結婚式を挙げる事なら許可を得ていますよ。クリプトン・フューチャー・メディア様によると、「結婚式は営利を目的としない小規模なファンイベント」に該当するそうです。
彼はキモさを叩かれているのではなく、
クリプトン・フューチャー・メディアが所有するキャラクターである初音ミクとの結婚を宣言し
クリプトンの創作ガイドラインに「当社、当社製品または当社キャラクターのイメージを著しく損なう利用」を「絶対NG」と明記されているのに
「架空のキャラクターは◯害しても良いですし、その他考えられ得るあらゆる不幸な目に遭わせても良い」とツイートしたことが問題視されています。
架空のキャラクターは◯害しても良いですし、その他考えられ得るあらゆる不幸な目に遭わせても良いのです。愛しても良いですし、合意を得ずに結婚式を挙げても良いです。それをやっても現実の人間の被害者は発生しないからです。だから「現実と架空の区別を付けてください」と書いています。
https://twitter.com/akihikokondosk/status/1723413966918152644
自分が権利を持っている架空キャラクターだったら何をやってもいいけど、初音ミクはクリプトン・フューチャー・メディアが権利者だし、
初音ミクに関する著作者人格権を持っていると思うのだけど、「◯害しても良い」「考えられ得るあらゆる不幸な目に遭わせても良い」「合意を得ずに結婚式を挙げても良い」と言い切っているのはどういう法的根拠があるのだろう。
「この男が私を選ばなくて悔しい」とかではなく、クリプトンの持ち物を好きなようにしていいと言い張っている謎の主張が叩かれているんだけどね。
https://piapro.jp/license/character_guideline
当社、当社製品または当社キャラクターのイメージを著しく損なう利用
公序良俗に反する利用
MTV81なるサイトにクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤社長インタビューが載っていた。初音ミクの英語版が発売される直前のタイミングで掲載されたようだが、ちょっと探しても日本語訳が見当たらなかったので適当に訳してみた。URLは以下の通り。
*****引用はじめ*****
Mark Jarnes 2013年8月30日
J-ファンはおそらく今では「初音ミク」が何であるかご存知だろう――もしかしたら「違う! 初音ミクが『誰』であるか、だ!」とすら思っているかもしれない。
CGアイドルの6回目の誕生日(彼女が最初に発売された2007年以来)を――そして「初音ミクV3英語版」の発売を――記念し、僕らは彼女のお父さんと会った。伊藤博之、クリプトン・フューチャー・メディア創業者――初音ミクの創造者に。
MTV81は今年のジャパン・エキスポ・パリで、ソフトウエアとしての、歌手としての、そしてミューズ[音楽の女神]としての初音ミクについて聞くため、日本で最も先端的な考えを持つ人物の1人にどうにか会うことができた。また、伊藤との会見は滅多にないため、僕らは彼に、音楽とあらゆるものの未来に関する展望についてもまさに訊ねることにした。
まず、初音ミクの6回目の誕生日おめでとうございます! そしてもちろん「初音ミクV3英語版」の発売も。
ありがとう。ご存知の通り長くもあり短くもある難しい時間が経ったけど、ミクがデビューして以来の6年間、私たちはいくつかの試行錯誤をくぐり抜けることができ、そしてどうにか成功裏にシーンをつくりあげてきました。思うに私たちは、技術的な意味でも企業としても次の一歩を踏み出す時なのでしょう。引き続き掘り進めるけど、おそらくは違う角度で。
そしてもちろん、私たちはミクのムーブメントを拡大し築き上げていきます。より大きな言い方をするなら未来を作り続けます――コンテンツを統合する場所を人々に提供するだけでなく、明るい未来を作ります。
日本には本当の意味で伝統的文化と技術の混合物があります。ミクが日本のために、そしてこれだけ多くの技術の出発点であるその企業のために、物事をエキサイティングにしてくれることを期待しています。今から将来に目を向け、よりよい未来を作ることに集中する必要があると考えています。
壮大な展望ですね。1995年にクリプトン・フューチャー・メディアを設立した時からそう考えていましたか? それとも事態の進行に合わせてそう思うようになったのですか?
95年の時からぼんやりとしたビジョンは持っていました。今ではそのままにしないよう、それを補完しようと試みています。今や変化を引き起こせる立場にいるため、未来を私たちの手で作るような方向に向かうことは魅力的だろうと考えています。
私たちが初音ミクを創造し世界に紹介したのはそのようなものとしてであり、以来彼女が成長し続けるよう挑戦しています。いくらかの波紋を起こすことはできたと考えていますし、今は次の一歩を考えるべき時です。
音楽制作の世界から人間の声を排除するのがあなたの意図ですか?
違います。結局のところボーカロイドは人間の声に代わるものではなく、むしろシンセサイザーです。不完全さの中に魅力があり――時に本当に機械っぽい音がすることがその声に『個性』を与えているのだと思います。完全に人間の声を真似られるのなら、それは魅力的ではないでしょう。
たくさんの初音ミク動画の製作者であり、自身アイドルファンだと公言しているわかむらPは、初音ミクは「理想的なアイドル」だと言っています。それについてどう思います?
多くの異なった価値と考え方があり、もし100万人のユーザーがいるのなら100万の異なった考え方がある筈です。
私は特定の価値にこだわりすぎないようにしています。多くの考え方こそがより豊かでより多様な創造に至ると考えています。重要なのは多様な切り口を持つことで――そこから進化が始まります。初音ミクは多様な創造、例えば音楽、動画及び他の種類の技術のハブになってきました。
音声合成技術は日本の音楽制作シーンにとても巨大な衝撃をもたらしてきました。ボーカロイドとあなたのクリプトンでの仕事は、音楽制作の世界における進化でしょうか?
そうだと思います。それは人間の声を代用する目的で始まった技術ですが、人々が印刷された文章としてすぐに同じ情報を共有することを可能にしたワープロの発明のように――ただし音楽的な意味で、重要な効果をもたらすようになると思います(微笑)。
初音ミク英語版の発売とインターフェイスの改善により、より多くの人々が使うことで、それは音楽を作るクリエーターの標準的な道具になるでしょう。それとともに、予想不能な、全くユニークなミクの使い方をした、より多くのタイプの音楽が制作されるでしょう。
次に何が起きるか私には分かりませんが、これがある種の音楽革命であると私は信じており、そしてこの革命的技術に私たちは貢献し続けたいと思っています。
どのようにして英語圏の国々に革命を持ち込もうと計画していますか?
文化は国ごとに違います。日本では「サブカル」が本当に人気が出るようになり――多くの場合それがほとんどメインストリームになっています。音楽と同様に、人気のあるジャンルも異なります。米国と欧州では、おそらくそれはEDMであり、その前にポスト=ロックでしょう。
従ってそこが成功のカギとなるでしょう。誰が初音ミクを使い、どのような音楽を彼らが支持しているかが。
彼女は国際的に連携した活動をすべきだと聞いたことがあります。それについてコメントはありますか?
初音ミクは国ごとに異なった受け取られ方をしています。ひとたびミクが誤解されると、それがデフォルトの理解となってしまうでしょう。
不幸なことに、特に外国で彼女はしばしば誤解されています。何人かの人が動画サイトで初音ミクのコンサートに対する嫌悪感を表明しているのを見ました――ですが、数十万のアーティストとクリエーターが参加し貢献しているイベントの象徴がミクであると適切に紹介すれば、共感を得られると私は確信しています。
バーチャル・アーティストというアイデアに警戒感を持つ人がいます。だから彼らにコンサートの映像を示すだけではうまくいかないでしょう。彼女を注意深く紹介する必要があります。それが私たちの意図です――各国のアーティストと協力し関係をつくることで、各国とその文化的分野における彼女への確かな入り口を作り出すのが。
あなたが見たい他の国々での初音ミクの使われ方というのはありますか?
私たち日本人がミクについて興味を抱いた点と全世界の人々の受け止め方は全く違うでしょう。
より重要なのは私たちの望みより彼らが何を見たいと望むかだと思います。だから今のところ私は明確な考えを持っていません――そして異なる文化において何が受け入れられ支持されるか、想像することもできません。考えるのも恐ろしいほどです!
初音ミクは日本をリードする何人かの実験的なクリエーター、例えば冨田勲や渋谷慶一郎に使われてきました。これまでミクに対して「ミューズ」という言葉が使われています――あなたにとっても彼女はミューズですか?
(微笑)そうだと思っています。初音ミクは多くのインプットとアウトプットを持つコンテンツで、人々が彼女を通じていくらでも作品を創造できる基盤を生み出しています。ソフトウエアはしばしばアップデートされてきましたが、私たちは最初の段階で特定の戦略を抱いていたわけではありません。「へえ、そうなるのか、ならその場合はこうしなくちゃな」
インプットとアウトプットについては、我々技術の供給者にできるのはユーザーポリシーを発展させることだけです。なぜなら私たちは実際には自らコンテンツを創造できる立場にないからです。事態から学ぶのは本当に興奮します。増加するアウトプットを通じて何年も気づいてきたことに取り組むことで、私たちは刺激を受けてきました。
もっと未来を見てください! そういえば「フューチャー」は御社の名前でもありましたね――初音ミクとそして全般的な未来に対するあなたのビジョンを、ぜひとも聞きたいです!
多くの人々がコンピューターを使い始めてたったの20年です。そして今ではそれらは私たちの生活に完全に組み入れられています。私たちは今や「ネット」と呼ぶ透明なクリスタルのディスプレーを通じて大量の情報を共有し、リアルタイムでニュースをアップデートしています。
そしてそれが過去たった20年に起きたことなのです。続く20年の期間を、そしてさらに50年や100年の未来を考えたとき、私たちは本当にまだスタート地点にいるだけです。コンピューターの発明から一時しか経過しておらず、そして本当の衝撃は今から数十年、あるいはおそらく数世紀を経てようやく気づかれるのでしょう。
その時には我々の身体構造も発展していると想像します。例えば私たちは今、衣服を着ています。当然のことです。しかしそれは私たちの体毛が進化あるいはある意味退化の結果として著しく減ったためなのです――私たちはもはや裸ではいられないのです。
もっと話してください! どこでコンピューターが関わってくるようになるのでしょう?
コンピューターは人間の脳の拡張です。従ってそれは私たちの芸術的本能や、あるいはむしろ特別な判断に関わる何かを発展させるのにもっともふさわしいと思います。なぜならそれらはコンピューターができないことだからです。私たちはこれらの物事にのみ取り組み、自分たちに必要ない機能と縁を切り、残りをコンピューターに任せるべきなのです。
過去の人間の進化過程においては2つの大きな跳躍がありました。まず農業が人間の生活に劇的な変化をもたらしました。[ここで産業革命の話が入ったと見られるが、インタビューには掲載されていない]そして情報革命です――しかしそのインパクトを私たちはまだ評価しきれていません。革命が起きていること、そしてたとえ数十年あるいは数百年かかるとしてもそれが私たちの人生を形作っていることは明白だと私は信じています。
コンピューターがよりよい仕事としてできる暗記、あるいは「1+1」のような計算は重要ではありません。私たちはコンピューターができないことを向上させるべきなのです――私たちを人間にしていることを。それが人間の頭脳を人工的なものと区別しているのです。遠い未来における私たちの生活と技術を想像するのは私たちなのですから、それこそが不可欠なのです。
私たちは今まさに過程の中にあり、初音ミクもそれに深くかかわり得る、というのが未来の創造についての私の考えです。それは音楽産業の変化に関する狭い視野の話にとどまりません――私たちは変化と進化のより大きな波の中におり、そして私はこの動きに貢献する機会を失いたくありません。
ですが私は近い未来、次の2、3年について正確には分かりません――それはちょっとした調整の問題だと私は思っています。
*****引用終わり*****
せっかくクリプトンの人が大好きなトフラーの「第三の波」について話しているのに、その肝心な部分をインタビューに収用しきれていないってのはどうなのよ。それとも最近の人はトフラーも知らないんだろうか。
このエントリの趣旨は「稼いでいる奴は儲けようとして実行に移している」ということだよね。
それはその通りだ。
「短絡的」
このエントリの趣旨は、「事業はカネだけではない」だよね。だから、論点が違っているだけであって、親エントリの批判にはなっていない。
ちなみに、結論としては正しい。しかしこのエントリの2行じゃあ、世間で言われている有り体のことばのコピペみたいで、なんか負け犬の遠吠えみたいな印象すらあるね。
また、たとえがよくない。震災とか言われても、それは説得力がない。災害対策のためにミクシィつくったのではない。たまたまの結果論でしかないよね。
けどともかく、世の中、カネだけがすべてではない。カネだけですべてが計れたら、公益法人もNPO法人も要らない。国家さえ要らない。自由主義の原点のレベルの話で、夜警国家っていうやつだ。
現実には、そういうものではない。多くの人間にとっては、カネよりも、生きること自体の方が大切なんでしょ。さらに人間の立場から言うと根本的には、カネなんかより人類が滅亡しないことの方が大切だよ。
だから正直に言って、そこまでしてカネ儲けすることなんか、目先のニンジン追いかける未満だと思っている。カネは食えないから、ニンジン未満だよ。
いまはカネのしくみが失敗しているから生きづらくて、不景気だだのなんだのといって、苦しい苦しいとあえいでいるんじゃないか。
いま、なにがなんでも稼いでやろうと思ったら、生活が苦しい奴からも、病んでいる奴からも、むしりとればいいんだよ。
私だって、悪魔に魂売ったみたいにしてなにがなんでもカネを稼ごうと思ったら、いくらでも稼げるよ(笑)。それこそマジで、「ブラック企業なめんな」ってそういうことだよ(笑)。
けどさ、私は、それはしたくないわけさ。
ちなみに、「ルールにさえ反していなければ」という理屈だったら、「焼肉酒家えびす」みたいになるんだよね。
あるいは、かつてのライブドアもそんな感じだったのさ。金儲けはゲームだったわけさ。書いていないルールがあったら困るよね。
ちなみに、かつてのライブドアはさ、「ホリエモン」はどっちかというと、夢想家であって、生粋のエンジニアの類なんだよ。だから、金儲けよりかは、なにやったら面白いかっていうことを考えている。それに対して、とりまきのほうが、その面白い夢がビジネスとして機能する、金儲けとして機能する理屈を装飾してやるわけ。
本来のビジネスっていうやつは、人間の生活のためにあるんだからさ、金儲けの理屈が後付けで来るはずなんだよ。たいがいは、誰かの生活に役立ったら、その誰かから対価を受け取っていい。そういうしくみだよね。
現実にはそのしくみが失敗しているからさ、対価が受け取れなかったりして潰れる企業があったりさ、たいしたこともしてないのにたかってむしり取るブラック企業があるわけさ。たとえば、サラ金とかだってそうだよね。最近は銀行までサラ金やっているけどさ(笑)。無縁社会だからサラ金から借りる奴は増えているのだろうけど、借りてもそれを元手に儲かんなきゃあ、利子は返せるのかい?
先日、クリプトン・フューチャー・メディアのひとがTwitterで電通に対して嘆いていたけれど、クリプトンって結局は、なにがなんでも稼ごうとは思っていなくて、音楽づくりの支援をすること自体が本望なんだろうね。自分とこで出した道具で、音楽がつくられて、それで感動したら、それが本望なんだろうね。初音ミクをダシにして稼ぎまくってやろうとは、あんまし思っていないんだろうね。
「初音ミク開発者がTwitterで電通に激怒 - NAVER まとめ」
けれど、「カネを稼ごうと思うのが当たり前」「ビッグになりたいと思うのが当たり前」って思っている人間からすれば、そういう想いをもっている人間のことはわからないわな。
結局いきつくべきジンテーゼはやっぱり、世の中カネではない、って結論にはなると思う。その結論に行き着いていないから、みんなカネのしくみにとらわれてばかりで、いまの日本人は生きづらくなっているんだよね。
ところで、だいたい、固定観念にとらわれずに、生活に役に立つことを見つけ出してビジネスにすりゃあいいんだよ。
「vs元ライブドア取締役・熊谷史人氏(4) もし、フジテレビの買収が成功していたら|藤沢数希の金融対談日記|ダイヤモンド・オンライン」
↑この記事みて思ったんだけど、やっぱり、固定観念にとらわれていて発想が柔軟でなかったら、儲けられない奴になるか、しくみを利用して儲ける奴どまりなんだと思う。
すんげー発想をする俗に言う「天才」みたいな人間がいて、そこに、その発想を収益化するための裏付けをする人間がいて、はじめて画期的かつまともなビジネスとして回るのだと思う。
ちなみにふと思ったが、M&Aのデューデリも、買収者の買収するという結論が先にありきで、コンサルが後付けでペーパーを書いていることも多い。それと似ているかもしれないな、となんとなく思った。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
以下に紹介するのは海外のblogに載っていたクリプトンの伊藤社長と佐々木氏のインタビューだ。ミクノポリスの3日後、ホテルで2人をつかまえて話を聞いたものらしいが、単なるボーカロイドファンの視点にとどまらずエンターテインメント・ビジネスの有り様まで踏み込んだ、なかなか面白いインタビューである。ボーカロイド現象が単なる一部音楽ファンの世界にとどまらなくなっている現状を示していると看做すこともできそうだ。
urlは以下の通り。
http://lorenz-myanime-reviews.blogspot.com/2011/07/interview-creators-of-hatsune-miku.html
初音ミク、及びヴォーカロイド現象がどんなものであるかについて説明する必要はあるまい。ファン、コスプレイヤー、さらに未来の創造者たちは必要なことを既に知っているだろう。だがもう少し深く踏み込みたいのなら、このインタビューも役に立つ。
7月5日、ヴァーチャル・アイドル初音ミクがアニメ・エキスポ2011でアメリカでのデビュー・コンサートを行った3日後、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之と佐々木渉はサンフランシスコを通りかかった。
・伊藤博之はクリプトン・フューチャ・メディアのCEOであり、冗談交じりに「初音ミクのお父さん」と呼ばれている。
・佐々木渉はキャラクター・ボーカル・シリーズ01初音ミクの開発者であり、ボーカロイド・ソフトの開発を続けている。
ホテルのロビーに潜入したところ、彼らは寛大にもいくつかの質問に答えてくれた。まず……
問:ロサンゼルスのミクノポリス・コンサートはいかがでしたか? 思ったとおりでしたか?
伊藤博之:思ったとおりだったかですって? そんなことはないでしょうね。コンサートは[思った以上に]上手くいきました。
佐々木渉:ファンの期待に添うものを提供できたと思います。何より、あまり「アメリカナイズ」されず、アメリカ風のエンターテインメントとして提供されなかったと思います。それほど洗練されていなかったのがかえってよかったんじゃないでしょうか。
問:コンサートで使われている技術を改良する何らかの形の試みをしていますか?
伊藤博之:コンサートは「完成」していません。まだ理想的なフォーマットは存在していません。あれは手の内の一部に過ぎません。それに観客がどう反応するかについても予想できません。ミクに関連するあらゆるもの同様、実験的な側面があります。
問:初音ミクを使ったトヨタの降って湧いたような広告キャンペーンに、多くのファンが驚かされました。あのコラボレーションは何がきっかけですか?
伊藤博之:計画自体はトヨタから持ち込まれました。私たちは彼らの申し出を受け入れ、いくつかの忠告を返しました。そうやって広告が始まりました。
問:アニメ・エキスポで米国のミクファンと話す機会はありましたか? どんな印象を受けました?
伊藤博之:AX[アニメ・エキスポ]では多くのファンに会いました。彼らはアニメの大ファンだったので、全体的な反応は好意的でした。多くの人が「凄かった、またやってほしい」と言ってました。
問:ボーカロイド・ソフト関連の仕事をする前のクリプトンはどんな会社でしたか? その時からどう変わってきたのですか?
伊藤博之:クリプトンは音に関連したソフトを制作しており、日本国外で製造された音楽ソフトの代理店の仕事もしていました。これらの製品を日本市場のために輸入し、販売し、日本語化していました。ボーカロイドを始めてからはより広範囲なサービスも追加しています。今では大半は初音ミクに関連した音楽の販売、出版、そしてイラストやキャラクター、動画の製作者に対するサービス提供を手がけています。ミク以降、音楽以外の製作者へのサービス提供も始めたことになります。
問:初音ミクの最終版が販売される前に放棄された面白いアイデアや構想はありましたか?
伊藤博之:ええ、衣装や音楽など最初のころには多くのバリエーションがありました。ですが単に充分な時間がなかったため、いくつかの音楽については諦めざるを得ませんでした。
問:初音ミクの声にユーザーがどう反応するかについて何らかのリサーチをしましたか?
佐々木渉:とても特殊な嗜好を持つ人、ロボット風の声を好む人が間違いなくいることは確信していました。ボーカロイドはロボット風の声を持っていますが、普通の人は「この不自然な声は何だ?」と思うに違いありません。声優の声――それ自体が「普通じゃない」声ですが――を使い、ロボット風の声とミキシングすれば、もちろん最終的にとてもユニークな音になります。逆に優れた歌い手の声にロボットの声を加えれば、それはもっと普通に近い声に聞こえます。私が狙ったのは可愛い、でもロボット風であり、それでも仕上がりはなお可愛い声でした。
問:ボーカロイドのアニメを本当に見たいというファンの声がある一方、他のファンは特にストーリーがなくてもキャラクターは充分にいいと考えています。キャラやその世界を広げるうえでどんなアイデアに立脚していますか?
佐々木渉:アニメはおじさんが作るものです。ミクファンのイマジネーションやミクの様々な歌やスタイルを考える人々の方が、アニメよりずっとクリエーティブだと私は思っています。私は若い世代に多くの期待を抱いていますし、彼らのエネルギーを注ぐ容器にミクがなってほしいと望んでいます。アニメより、ファンの創造性のレベルの方が高いと思っているので、アニメは必要ありません。ファンにもその事実を承知していてほしいと思います。
問:多くの人が英語を含む他の言語でのボーカロイド販売を待ち望んでいます。そうしたものを作り出すうえでの課題は何ですか?
佐々木渉:異なる言語に変換する際に、文脈と意味が簡単に変わることがあり得ます。他の言語であっても、その意味が日本語と同じである限りは大丈夫でしょう。ですが意味が根本的に変わり、結果として「可愛らしく」なくなってしまうのなら、違う言語に無理やり変換しようとは望みません。それが課題です。
伊藤博之:人々がインターネットを使い始めてたった10年ほどです。そして私たちはまだそれを使って何ができるかを見つけ出す途上にあると思います。人々にインターネットが行き渡る間、多くのものと産業が新たな形態に取って代わられるでしょう。例えば音楽、電子商取引、あるいはフェイスブックのようなソーシャルネットワーキングサイト。おそらく電話のような古い設備はいずれ近いうちに完全に新しい産業にシフトするのでしょう。初音ミクが音楽産業を破壊するのかどうかは分かりませんが……ある種のインパクトをもたらすであろうとは予想しています。どうやら私たちはとても新しい何かに巻き込まれているのでしょう。ミクが産業の変化を示すある種の象徴またはイコンになってもらえればと望んでいます。輝かしい未来のため、ミクがそう評価されるようになればいいですね。
問:あなたがたは以前、「初音ミクがなぜ世界中の若者に人気があるのかを理解することは、エンターテインメント・ビジネスの未来に対する理解も与えてくれる」と話していました。エンターテインメント・ビジネスの将来はどんなものになると思っていますか?
伊藤博之:難しい質問です。そもそも「エンターテインメント・ビジネスって何だ?」と問うべきでしょう。それはエンターテインメントに関する仕事でしょうか? おそらくエンターテインメント・ビジネスの未来はもはやビジネスではなくなっているでしょう。例えばすでに今、多くの人がユーチューブを楽しんでいます。そのコンテンツは利用者が作っています。供給者は仕事だからそうしているんじゃありません。コンテンツを作るという作業自体が既にエンターテインメントです。そんなに多くの金がかかわらないだけです。ですが消費者は、コメントを返し「好き」ボタンを押すことで製作者に反応を示しています。最終的に製作者や提供者はある種の評価または価値を得て、最終的にはそこからビジネスをすることもできるでしょう。コメントを残し、交流することで、消費者は単に消費するだけではなくなります。彼らも今やエンターテインメント・ビジネスを形作っています。つまりエンターテインメントを消費することはエンターテインメントを作り出すのに等しいのです。ですから私たちはエンターテインメント・ビジネスとは何かについて意味を再定義する必要があります。それこそがエンターテインメント・ビジネスの未来です。そして初音ミクはその実験体の一つです。
佐々木渉:今や多くの若者が栄養ドリンクを消費しネットゲームをプレイしていします。ですが彼らがプレイしているゲームを作っているのは誰でしょう? ゲーム・プロデューサーです。では最終的に儲けるのは? おそらく企業オーナーです。より多くの子供たちがゲームを楽しみ、そのために金を使えば、彼らのエンターテインメントを作るのに何も寄与しなかった年寄りのところにそれだけの金が積み上がるのです。こいつは単純にクールじゃない話です。あなたの知らない誰か、ゲームユーザーが何の関係も持っていない誰か、あなたが金を使えば使うだけ、彼らがあなたの金を手に入れるんです。それが事実です。その結果クリエーターが生計を立てるのがどんどん難しくなる状況が生まれます。従って、クリエーターとプロデューサーにとっていい状態を生み出すことは、多くの若者が楽しめるよきエンターテインメントを提供することを意味します。今「エンターテインメント・ビジネス」の意味を再定義する必要があるのは、それが理由です。それは世界を変える必要性の一部です。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミク現象の持つCGM的側面については、外国人の感想でもしばしば言及されている。しかし、ワールドイズマインならぬWorld is Hers(世界は彼女のもの)と題された以下の感想ほど、このテーマを正面から丁寧に描いたものはない。CGMこそ「クリプトンが世界にもたらした最大の贈り物」との指摘はとても重要だろう。伊藤社長が主役を演じる世にも珍しい感想、という面からも一読の価値はある。
urlは以下の通り。
伊藤博之は自ら説明しようとしていた。
「ヴァーチャル・アイドル」初音ミクを生み出した企業、クリプトン・フューチャー・メディアのCEOとして、伊藤は人で溢れる大衆文化のバンドワゴンの運転席に座っている。そして誰もが興奮しすぎる前に、彼は人々にこのバンドワゴンが何であるか理解させたいと望んでいた。
「初音ミクは[一つの]ソフトウエアです」と彼は言う。「YAMAHAが開発したボーカロイド技術を使ったものです。[ボーカロイドは]歌声を作り出すエンジンで、我々はYAMAHAからその技術に基づく製品を開発するライセンスを得ました」
言い換えれば、ミクのファンであると公言することは、KorgのTritonキーボードあるいはフェンダー・ストラトキャスター・ギターのファンであるのと似ているのだ。君が応援するのは楽器――PCにインストールしなきゃならないうえに箱にはアニメ風のイラストが描かれているが、でもやはりそれは楽器だ。おまけにボーカロイドというブランドネーム自体はミクや彼女の華やかな友人たちに帰するものというより、むしろ彼らを動かす音声合成エンジンを指している。文字通りに取れば、「ボーカロイドのファン」であるとは、特定ブランドのギター弦のファンであるのと同じである。
だが誰がそんな言葉遊びを気にするだろうか? どんな新興サブカルチャーでも、言葉に独自の意味が付きまとうのは普通である。今日では「ボーカロイド」はそのイノベーションから花開いた仮想世界全体を示す言葉となっている。ボーカロイドとは作曲家がそのソフトを使って自宅スタジオで作り出した無限のレパートリーを持つ曲のことである。ボーカロイドとはそれぞれの曲に対応する画像と動画のギャラリーである。ボーカロイドとはそれらの画像から生まれたあらゆるミームや粗筋である。ボーカロイドとはそれぞれ特有のボイスバンクを象徴するキャラクター群のことである。そして誰であれアニメ・エキスポに参加した者ならこう言うだろう。ボーカロイドとはそれらキャラのあらゆるバリエーションを含む姿にドレスアップしたファン層である。
これこそがクリプトンのマーケディング・ディレクター、佐々木渉すらも驚かせた口コミ波及効果だ。彼は「ユーチューブやニコニコのような動画シェアサイトを通じて[ボーカロイドが]利用されるやり方」に驚いたと話す。「これらのサイトを使って、本当に口コミで仲間の間に広がっていきます。本当に過去に例を見ない[方法で]様々な国で人気を得ています」。つまり、本流エンターテインメントの大半が今なお企業の重苦しい手によって運営されている一方、自力推進型であるボーカロイドの本質はあらゆるものをひっくり返したのだ。
「ある意味、こんな現象相手に取り組む最良の手法を見つけるためもがき続けてきました」と佐々木は話す。「ファンからのフィードバックを得るのが最良だと我々は信じてきました……いかに物事に対処するか、ファン層にとって最もよいことのためにどうするかを。急いで金儲けしようとは思っていません」
クリプトンは、当時まだMP3ですら未発達の技術であり、ユーチューブ誕生に10年も先行し、そしてあらゆるものを可愛いアニメ少女に擬人化するアイデアがまだ急増していない1995年に設立された。「我々の目的はそもそもボーカロイドを仕事にすることでも、[音声合成]ソフトを作ることでもありませんでした」と伊藤は話す。「クリプトンは音全般――音と関係するソフト全てを取り扱う企業として設立されました」
もし伊藤を冗談めかして「ミクのお父さん」と呼ぶのなら、彼女の祖父母は最初のボーカロイドエンジンを2003年に発表したYAMAHAの面々となるだろう。「そうした技術が存在することは知っていましたし、それを使って何かできることがあるんじゃないかと思っていました」と、伊藤は当時について話す。「我々は既にYAMAHAと係わり合いをもっていましたので、彼らと連絡を取りそこから製品を作り出すことができました」
だが、あたかも完成された合成音声で歌う天使の形でミクが天から降臨してきた訳ではない。彼女の根っこは、伊藤の説明によればとても粗末な形式の音声技術にまで遡ることができる。「日本では[音声合成]ソフトは結構一般的で、例えば駅などで使われています。そこでは列車の到着がアナウンスされたり、あるいは[乗車している場合]駅名が呼ばれたりします。自動応答システムを使う電話はボーカロイドによって動いています」(想像してほしい、ミクの親戚の一人がカスタマーサービス用の電話回線で働く恐ろしいロボ電話であるという事実を)
「当初[合成された]歌声を使うソフトは存在しませんでした」と伊藤は続ける。「そうしたソフトにどの程度の需要があるのか、私には確信が持てませんでした。というか、はっきり言うなら、PCに歌わせることができるソフトを作るのにどんなメリットがあるのか分かりませんでした」
この疑念こそが伊藤に次の手を講じさせた――それは最終的にはクリプトンの歴史で最も賢い一手となった。「2004年、私は最初の[ボーカロイド]ソフト、Meikoを作り、それに漫画風のキャラを付けました。ある人格が歌う[のを真似る]ソフトは人間にとって必要不可欠なものではなかったから、そうしたのです。人々にアピールし人々から愛されるようになるためには人間味を持たせる必要があると考え、そのための最適な手段が漫画風キャラのようなものでした。このソフトは結構いい成功を収め、そしてもちろん初音ミクの構想へとつながりました」
そしてその次に起きたことは誰もが知っている。
おそらく伊藤博之が成功した秘密は、クリプトン創業者である彼が音楽、サウンドエンジニアではなく、ソフト開発者ですらなく、何よりビジネスパーソンだった点にあるのだろう。伊藤は、あなたはミュージシャンではないのかと質問されると笑い(彼はミュージシャンではない)、自身が経済を専攻したことを認めた。「音楽とは無関係です」と彼は言う。「ボーカロイドのマーケティングに成功するうえで、私は自分が学んだスキルのいくつかを使ったと思います」
アニメ・エキスポ1日目のキーノート講演で、初音ミクとボーカロイド・カルトについてスライドショーを使った改まったプレゼンを始める際に、伊藤はビジネスマンとしての本領を発揮した。彼はまず自分が誰で彼の企業が何をしているかについて慣例となっている概要報告を行い、それから公式にクリプトンが制作しているボーカロイド「キャラクター」(あるいは、厳密に正確さを期するならソフトウエア・パッケージというべきか)の一覧を示した。
2007年8月31日に生まれた永遠の16歳、初音ミクは、今ではショーの目玉に位置している。人気で彼女に次ぐのは鏡音の双子、リンとレンであり、彼ら独特の黄色い装飾と少年/少女のペアは、ミクの緑と灰色と同じくらいコスプレ業界では至る所で見かける。だが音楽制作者の視点から見ると最も用途の広い声は2009年の製品である巡音ルカのもので、より深い音域と日本語及び英語で「歌う」能力を誇っている。何人かのファンは昔ながらのMeikoとKaitoの旗を掲げている。その声は旧世代のボーカロイド技術の上に構築されているが、今なおクリプトン・ファミリーの中心メンバーである。
クリプトン以外のボーカロイド・キャラもサブカルチャーの世界に入ってきている。たとえば声優中島愛のボイスサンプルに基づき、マクロスFのランカ・リーをモデルとしたMegpoidや、J-rockのスーパースター、Gacktの声を使ったGackpoidなどがそうだ。より進取の気性に富んだ人々はUtauloid(日本語の言葉『歌う』から来ている)と呼ばれるオープンソースの音声合成エンジンまでも開発しており、その中で最も有名なのはピンクの巻き毛をした重音テトだ。
音楽ソフトウエア・パッケージについて、それがまるで本物の人間であるかのように語るのは最初は奇妙に感じられるだろう。しかし伊藤が最初に作り出した時に予想したように、それこそがこのソフトをかくも魅力的にしている正体なのだ。これらのキャラがもたらした創造性は、伊藤がプレゼンで誇らしげに見せびらかした数字によれば、ユーチューブで36万6000件、ニコニコで9万2600件に及ぶボーカロイド関連動画へと結実した。
そしてこの成長するメタ=ジャンルからあふれ出したマルチメディアコンテンツもある。クリプトンが運営するウェブサイトPiapro(『ピア・プロダクション』の省略形)には、ボーカロイドに触発された45万を超えるテキスト、音楽、及び画像の創作物がある。さらに注目に値するのはクリエーターたちがどのように相互に刺激しあっているかだ。コンテンツを共有するポリシーの下、あるPiaproユーザーが音楽を制作すれば、別の誰かがそれを聞いて付随するイラストを描き、さらに別の人がその構想に従って短いアニメ動画を作成する。そこでは、サイトのルールに従い創始者を適切にクレジットに載せることだけが重要だ。
何人かのボーカロイドファンはアートの世界の彼方まで行ってしまい、エンジニアリングの成果をもたらした。最もよく知られているのは3DアニメーションプログラムのMikuMikuDanceで、初音ミクのキャラクターモデルを――実際にはどんなキャラクターモデルでも――特定の歌に合わせてリップシンクし踊らせることができる。より繊細な対象を扱っているのがVocaListnerで、本物の人間の歌手によるインプットを分析し、ボーカロイドプログラムのセッティングを自動的にその声にあわせて調整する。思いつきに過ぎない想像の飛躍ですら現実化し得る。初音ミクの動画「Innocence」で取り上げられた「Ano Gakki」(『あの楽器』)というニックネームで呼ばれている奇妙な見かけのタッチパネル式キーボードも、実際に使える楽器として再現された(それほど野心的でないバージョンならスマホ用アプリとしてダウンロードできる)。
これら全てが意味しているのは、ほぼ完全にファンによって運行される賑やかで創造性に富む生態系が存在するということだ。究極的にはそれこそクリプトンが世界にもたらした最大の贈り物だろう。初音ミクやボーカロイド・ソフトそのものではなく、それらが使われる方法こそがそうなのだ。企業という大領主によってではなく、消費者によって作られた完全なエンターテインメント形式。企業は僅かな道具と規則を与えるだけで、後は椅子に深く腰掛けて次に何が起きるかを見守っている。
それでもなお、ボーカロイド体験を活気づけるため企業が提供するイベントは多数ある。今年はアニメ・エキスポが日本以外では初となる「ボーカロイドのライブ・コンサート」ミクノポリスのホストを務めた。それはステージ上の綺麗なスクリーンに投影するCGIアニメーションでしかない(ほかならない)が、いい視野角と健全な猜疑心の保留があればそのイリュージョンはなお印象的になる。さらに感動的なのは、セットリストにある全ての曲が明らかにファンの作ったもの――クリプトンの地下室であくせく働かされるソングライターが大量生産した製品ではなく、本物のミュージシャンがボーカロイドという媒体を通じて自らを表現したものである点だ。
だがコンサートはどのような限界が残されているかも暴露した。ミクの魔法は左右双方40度以上の角度では働かなくなった。調整の効かないボーカルは、時に楽器の生演奏の下で迷子になっていた。そして音声合成技術のあらゆるイノベーションをもってしても、より繊細な耳にはなおミクが絞め殺されるようなロボットじみた変な声をしているように感じられた。でも、日本では生身のアイドルについてどう言われていると思う? 「アイドルは不完全であってこそふさわしい」。不完全さこそがミクをこれほど魅力的にしている。誰もが進行中の仕事に関与できるからだ。
どんな未来があるか、誰に分かるだろう? クリプトンは既に英語版の初音ミク・ソフトが開発途上にあることを約束しているし、日本では新しい改良されたボーカロイド・エンジンが開発中だ。それはつまり、韓国語ですら歌えるボイスバンクを含んだ新たなキャラの登場を意味している。クリプトンのオリジナル・ボーカロイド製品は、その声に新たな音色をもたらす追加物「アペンド」によって進化を続けている。そしてどこかで我々の誰にも知られていないマッドな天才が、ボーカロイドの世界を永遠に変えてしまうようなアイデアにおそらく取り組んでいる。
多くの人が知っているように、「初音ミク」という名は「未来の最初の音」をもじったものだ。だがボーカロイド文化が広がるにつれ、この名前はますます不正確になっている。彼女はもはや未来の音ではない。彼女はまさに今の音である。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
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今回はアニメ・エキスポ関連サイト、INSIDE AXに載っていたエントリーを紹介する。サイトがサイトだけにミクノポリスだけでなくアニメ・エキスポ全体に目配りしている、というかむしろミクノポリスよりその前に開かれた2つのパネル、「ミク・キーノート」と「ミク・カンファレンス」に関する記述の方がずっと長い。パネルの内容に関心がある人には参考となるだろう。また、コンサートで席の位置が残念だった人の感想という意味でも興味深い。
urlは以下の通り。
http://inside.anime-expo.org/ax-scoop/2011-07/ax11-mikunopolis-impressions/
ヴァーチャル・アイドル初音ミクは今年、ロサンゼルスのアニメ・エキスポ[AX]2011で米国デビューを果たした。私たちAX関係者も多くの皆さん同様、彼女がノキア・シアターで演奏を行い、彼女の製作者であるクリプトン・フューチャー・メディアとボーカロイド楽曲Pの小林オニキスがパネルを主催するという話に興奮した。私は前に初音ミクの歌う曲を少しだけ聴いたことがあったが、決して特別な印象は受けなかった。でも、ミク・キーノートとカンファレンスを聞いた結果、当初考えていたよりも多くのものをこのヴァーチャル・アイドルに見いだしたことに私は心地よい驚きを覚えた。
[アニメ・エキスポ]初日、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長と福岡俊弘(Tokyo Kawaii Magazine編集長)が主催するミク・キーノートが開かれた。伊藤はまずクリプトン・フューチャー・メディアの簡単な概要を説明し、Tokyo Kawaii Magazineが作った初音ミクとハローキティのコラボレーション(ミクキティ)を含むミクに関する少しばかりの告知を行った。ボーカロイド作品の歴史も簡単に論じられ、なぜソフトウエアのためにキャラが導入されたかも説明された。おそらくパネルで最も面白かったのは、ボーカロイド曲制作者の公式コミュニティーであるウェブサイト・ピアプロを巡る議論だろう。利用者は音楽をアップロードでき、しばしば音楽業界外部の様々な企業、例えばファッションブランドなどとコラボレートしている。伊藤は、ミクの人気がボーカロイド曲の作り手及び絵画や音楽ビデオなどの制作を助ける献身的なアーティストによって駆り立てられていると明かした。感染力のあるミク曲のビデオは、ミク人気の中心的役割を果たしている。初音ミクの製作者[伊藤社長]は多大な努力を払ってファンが何を必要としているかに耳を傾けており、ボーカロイド曲をリコメンドするMikubook(7月1日から始まったが、現時点ではベータ版である)という新たなサービスの開始も発表した。利用者はフェイスブックやツイッターからログインできる(ざっとサイトを見たけどとても素晴らしい! 今も文章をタイプしながらそのサイトの曲を聞いている)。伊藤はまた同じ声優[歌手の間違いか]を使った多数のデータベースを持つKaitoアペンドの計画も明らかにした。最後に、ボーカロイド・ソフト初音ミクを使いたいと望んでいる人のため、クリプトン・メディアの素晴らしい人々が英語版作成に力を注いでいる。伊藤はクリプトンの将来の目標は他の言語へ拡大することだと指摘した。
ボーカロイドのファンはアニメ・エキスポ2011で、1つではなく2つのパネルを味わうことができた! 2日目に開かれた2番目のパネルは、小林オニキスとクリプトン・フューチャー・メディアのマーケティング・ディレクター佐々木渉が参加したミク・カンファレンスだった。2人は小林がどうやって彼のヒットソング、サイハテを制作したのかと、初音ミク英語版に対する人々の関心度合いについて話した。佐々木は、ミク英語版で英語ボーカロイドソフトの品質を高めるためより多くの音素パターンを録音していること、及びもし販売が好調なら将来はアペンドソフトの追加も考慮することを明らかにした。一つ明らかになった特に興味深い事実は、ボーカロイドソフトには性別の設定はなく、企業の作ったキャラが女性だと認識されているに過ぎない点だ[つまり初音ミクは実は男の娘かもしれないってことですね、わかりたくないです]。
2日目はまたミク・コンサートの日でもあった。言うまでもなくノキア・シアターは取り囲む長蛇の列でいっぱいになり、ダニー・チューの紹介が始まってもなお人々は入場中だった。わけてもケミカルライトはあらゆる場所で見かけた。ミクノポリスのセットリストは、その大半が日本の39sコンサートと同じだった。ただリンとレンのペアは1曲だけ。残念ながら私は遥か左側、巨大なスクリーンの真下にある一階席に座ることになった。ミクが見えたのは彼女がずっと左に寄った時だけで、彼女が右側へ行くと姿が消えてしまった。中央か、おそらくはそこから少し外れたところに座った人は、ミクを見る最高の視点を得られただろう。私はミクを見るためテレビスクリーンに頼らざるを得なかった(おかげで首が痛くなった)。テレビスクリーンが常に100%、ミクに焦点を合わせられた訳ではなかったのは残念だった(でも映像に焦点を合わせるのがとても難しかったのは理解できる)。ありがたいことに弦楽器とバンドによる素晴らしいライブの眺めは堪能できた。音楽は最高で、演奏もよかった。ミクに遅れずについていった演奏家たちには当然ながら拍手を送りたい。端的に言えば、1時間15分のコンサートはファンとイベント主催者の協力によって活力と興奮に満ちたものになった。簡単には忘れられないコンサートになったのは間違いない。
ボーカロイドに満ち溢れた2日間の体験を終え、バーチャル・アイドルのミクについての認識と理解をもたらした祝宴の後、私は午前3時にベッドに倒れ伏した。驚くべき量のコンサート計画、及びボーカロイド作品と連携したクリプトン・フューチャー・メディアと他の企業による多大な努力が、ミクの米国デビューを成功に導いた。ミクがまたいつか訪れることを期待しよう!
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初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
フランスのテレビに初音ミクが出てきたことはしばらく前に話題になった。YouTubeにも動画がある。
http://www.youtube.com/watch?v=mPz0TAPJqGU
さらに、最近のミク報道ラッシュの中で他の国でも初音ミクがテレビに姿を現しつつあるようだ。まずはTVE(おそらくスペインのテレビ)の映像。アナウンサーが何と言っているのかは不明だ。
http://www.youtube.com/watch?v=-UxEPNFDov4
スペインでは他にAntena 3なるテレビもミクのコンサート動画を流している。こちらはなぜか発音がアツネ・ミク。
http://www.youtube.com/watch?v=xTv6VZYCQpA
ポーランドのテレビTVP2にも登場している。親切にも英語の字幕つきだ。
http://www.youtube.com/watch?v=P2IDohWojw8
アナウンサー「日本はとうとう理想的なスターを手に入れました。彼女のファンは、彼女が仮想世界にしか存在しないという事実を気にしていません。彼女の声と体は特別なコンピュータープログラムによって創造されたものです。そして、ホログラムである初音ミクは、最初の3Dライブコンサートを行いました」
(彼女はホログラムじゃねーし、コンサートをやったの半年も前だよ)←英訳者のツッコミ
コンサート「World is Mine」(それは歌の名前であってコンサートの名称は39's Giving Dayだってば)←再び英訳者のツッコミ
アナウンサー「仮想世界には、現実では通常不可能なものを自由に創造できるという利点があります。不幸なことですが。それでは」
インターネットの発達で、紙の本や雑誌は滅びる――そういわれてから何年たつだろう。そしてそろそろ事態が動きはじめたかと思われる節がある。まずグーグルが世界的にすさまじい量の書籍の電子化に乗り出した。コンテンツはこれでかなりの蓄積ができた。またリーダー機器の面では、日本では未発売だがアマゾン・コムがキンドルという電子ブックリーダーを発表し、一定の成功を収めている。流通も、アマゾンの電子ブック販売や、アップルのiTunesストアなどが手法をほぼ確立しつつある。
だがその過程で、電子メディア特有の問題も次第にあらわになりつつあるようだ。それを示す事件が最近立て続けに起きている。
アマゾン・コムのキンドル用に、オーウェル『1984年』『動物農場』の電子ブックを買った人は、6月に驚愕した。版元に問題があったから、としてこれらの本が手元のキンドルから勝手に消し去られていたのだった。いったん買った本や雑誌やソフトが、自分の本棚やパソコンから勝手に消し去られるなんて、これまでは物理的にもありえない!
アマゾンは、この対応について平身低頭し、二度とやらないと宣言した。が、そもそもそんなことができるということ自体に多くの人が戦慄した。そしてその舞台がまさにそうした情報統制社会の恐怖を描いた『1984年』だったとは、なんたる運命の皮肉か。
一方アップルは、オンラインのiTunesストアで販売されるiPhone/iPod用のソフトの健全性に、たいへん神経を使っている。わいせつ語が入っているソフトは、軒並みアダルト指定を受ける。先日、なんと普通の英語辞書がこれを理由に改変を要求され、ストアへの出店を拒否された。アップルは対応のまずさを認めたものの、方針にはいまのところ変化はない。
わが国では動画投稿サイト、ニコニコ動画が同様の問題を示した。酒井ノリピーの昨今の騒動を受けて、彼女の替え歌を歌唱ソフト『初音ミク』に歌わせた動画が投稿された。ところがなんとその歌唱ソフトのメーカーであるクリプトン・フューチャー・メディアが、そんなことに使われたら自社ソフトのイメージダウンだ、と称して削除を要求したのだ。
当然ながら彼らはそのコンテンツについて何の権利ももっていない。が、信じられないことに、ニコニコ動画を運営しているニワンゴは、この無根拠な抗議にあっさり応じて、問題の動画を削除してしまった!
ニワンゴの経営陣でもある西村博之がこの対応に疑問を述べ、その後同社は、問題の動画を復活させた――投稿者に対する自主検閲を促すコメントつきで。
ネットは著作権無視の違法コピーが横行する面ばかり取りざたされることが多い。でもじつはデジタルコンテンツの真の問題は、コントロールができすぎてしまうことなのだ。今回取り上げたケースが如実に示しているように。
これはネット法学の第1人者ローレンス・レッシグの10年前からの主張だが、それが急激に現実味を持ち始めている。紙媒体では物理的にできなかったことが、デジタル媒体では平気でできてしまう。そのとき、いま当然と思われている権利や自由があっさり破壊されかねないのだ。
いま多くの日本のコンテンツ運営業者は、抗議があればそれが正当なものだろうと不当なものだろうと、人に不快感を与えてはいけません、といった低級なお題目の下に問題のコンテンツをとりあえず消して、ほとぼりが冷めるのを待つ、というのがありがちな対応だ。ニワンゴの対応はその好例だろう。ブログの罵倒合戦くらいならそれでもいい。
だがデジタルメディアが紙媒体を置き換えるなら、紙媒体で建前にしても重視されている規範をどう維持するのかも考えるべきだ。目先の個人的な快・不快なんかより重要なことが世の中にはあるんだから。デジタルコンテンツも、それを考えざるをえなくなりつつあるのではないか。そしてそれを私企業の倫理だけに任せられないとしたら、どんな規制がありうるだろうか?
じつは今年、そのヒントになりそうな出来事がもう1つあった。脳科学者の肩書で各種メディアに頻出している茂木健一郎が、ネット上のボランティア執筆による百科事典ウィキペディアでの自分に関する記述に文句をつけ、それをかなり我田引水なかたちで大幅に書き直した。それに対して項目執筆者たちはひるむことなく、ウィキペディアの執筆ルールに基づいて茂木の苦情に形式的には対応しつつ、ほぼ従前の記述を復活させて、誠実な対応とメディアとしての中立性を見事に両立させたのだ。
こうしたネット上の自主的な倫理や規範も多少の可能性があるのでは? むろん、それがどこまで公的な権利保護の規制を補完代替できるかとなると、まだまだ考える必要はあるのだが。