はてなキーワード: 春画とは
シャドウBANは表向き「Twitter側は関知していないという扱い」(だからシャドウBAN)なので公式に問い合わせても、基本あまり効果がない。
(ちなみにシャドウBAN判定ツールも、外部の人が「俺が思うに多分シャドウBANされてんじゃない?」って「外形的に判定してるだけ」なので、ツールやサイトによって結果はまちまちだったりもする)
元々シャドウBANは不当な業者を取り締まるための物らしいので、普段から「RT数が多い」とシャドウBANの対象になりやすいと言われている。
また、不自然なフォローフォロワーの増加や、ツイート内のリンク、セルフRT、同一文言のツイート等も対象になりやすいらしい。
ちなみにシャドウBAN解除の方法は、「解除されるまでTwitterを利用しない」ことだけだそうだ。
(多分、すでに検索して知ってるだろうけど)
それを早める手段などは検索すれば出てくるが、「非公式」のため、実際に早くなるのかどうかは、わからない。
(シャドウBANされていた期間が長いほど、解除までの時間も長いと言われている)
あとは業者に多数フォローされてると自分も同じ業者扱いされるから、自分をフォローしてる怪しいアカウントを全部ブロックするとかも。
また、日本のエロ絵描きは常に「search suggestion ban」状態なので、そういうアカウントの絵を(エロじゃない絵でも)RTしないのも手かもしれない。
もし既に、Twitter側からは「エロ関係」のアカウントと見なされた場合は、「search suggestion ban」は永久に解除されない。(らしい)
サブ垢を作っても普通に捕捉されるので、新しいアカウントも同様の措置が取られるらしい。
自分は民俗学というものに詳しくはないが、雑に言えばエログロも含む世界だと思うので(人間の習俗なのだから当然だ)、もしかしたら普段のそういうツイートやRTが関係しているのかもしれない。
(芸術系の裸婦画や春画も一絡げにセンシティブ扱いされてそうではある。知らんけど)
まあ今回の件は結局、正直言って「天皇」と「障害」が原因かどうかは不明。
「障害」も、「システム障害」とかでよく使われる言葉でイコール障害者と判定するかは微妙だし、「天皇が障害者フェアにうんたらかんたら」みたいな文章も対象になりそうだし。
実際に「ハッピー障害児ガールズ」「天皇」を組み合わせて呟いてBANされてない人もいるし、でももしかしたら、実は「シャドウBANされた人も多数いる」のかもしれない。
(そもそもシャドウBANは本人が気づきにくいし、「検索してもそのアカウントの発言は出てこない」ので外部の人間は調べられないし、サブ垢までBANされた場合はBAN被害者の声は「Twitter上では確認しようがない」)
また、画像付きで文章を投稿したか(欠損愛好のR18Gと判定された可能性もある)・リンク付きだったか・Twitterからセンシティブと見られがちなアカウントのツイートを普段からRTしていたか、
等の要因もありそうなので、何とも言えない。
「ハッピー障害児ガールズ」「天皇」を含む内容でツイートした人は、シャドウBANチェックをした方がいい、のかもしれない。
ただし、「シャドウBAN判定ツールやサイトの安全性は保証できない」ので(もしかしたら判定ツールをうたった悪意ある業者がいるかもしれない)、そこは自己責任・自己判断でお願いします。
戦後の一時的な裕福な時代が終わって、日本は戦前や中世の世界に戻りつつあると感じるよ。
もんちらしってしらない?
江戸時代の長屋とか、今でいうところの弱者男性がたくさん住んでいて、性的なものが欲しい時は春画を眺めていたらしいよ。
お金がたまってきたり、誰かがおごってくれるとかなると、岡場所に行ってたわけだ。
そんな中、長屋での結婚というと、長屋での一大行事だったそうだ。
長屋での生活では、まあ、金やものが無いからいろんな貸し借りが行われる。
そんでまあ、あれだ、嫁いできた女の人も貸し借りの対象だったんだ。
それは多分そんなに悪いことではなくて、長屋に嫁ぐということは、長屋のみんなで面倒を見るってことだったんだろうな。
江戸時代は生まれるときに親の家紋と一緒に生まれると信じられていたが、そんなもん血まみれでわかるわけないからもんちらしって呼ばれてた。
能とかが顕著
洗練され過ぎた伝統芸能は、普通の人はよくわからないし、気軽に能見に行く人は現在は少ない
歌舞伎なんかはもうちょっと大衆に浸透しているけど、それでもやっぱり格式が高くて難しいイメージがある
文学もそう
大衆小説やラノベなら読めても、ガルシアマルケス読むのは苦痛だった
現代アートなんかもそう
部屋中にスプーンが散乱してる様を見せられても頭抱えるし、ホールをマラソンランナーが走り抜ける、とかを展示と言われても反応すらできない
これらの現象が生じる理由は、芸術表現の技術の継承や習得の過程で、それなりの作法や慣習、お約束事を学ぶ必要がまずあるからだ
その結果、技術的歴史的背景への理解が深まり、一般人の知り得ない見え方感じ方の習得も行われている
そして、芸術作品というのは過去にあった作品の発展形や、過去の芸術家に対する解釈をさらに新たな作品として世に出すこともある
そのため、目の前のものだけでは理解に必要な材料が揃っておらず、理解には前提となる膨大な知識を要求するようになっているのだ
で
ポップアート、いわゆる美少女イラストなんかも当然そうなっている
親しみやすく感じ取りやすいがため、一般人もポップアートを理解できている気がしているから、批判も起きやすい
が、本当は能がわからないのと同様、ポップアートも全然わかっていない
歴史的には春画から始まり、戦前はノラクロ三等兵、そしてひみつのあっこちゃんにキューティーハニー、そしてミンキーモモやあんみつ姫を経て、スレイヤーズなどの時代から萌え絵という概念が誕生する
そしてスレーヤーズ的な絵柄から、ハルヒ的な絵柄へと変遷があり、さらに今はラブライブ的な絵柄がイラストやアニメに携わるイラストレーター、アニメーターたちの、”お作法”となっている
これはまさに時代の中の芸術の変遷であり、我々がラブライブ風イラストを街で普通に見るのは、いわゆる同時代性と呼ぶべきものであろう
イラストレーターの技術の継承や絵柄の流行り廃りがあるからこそ、岸田メルやさいとうなおきなどのような、現代の優れたイラストレーターがこの時代に優れたイラストを描ける
しかし、それらを「不快な萌え絵」と呼び嫌悪する方が存在する、というのはつまり、他の芸術と同様、ポップアートに対する背景を共有できない者が存在する、ということだろう
イラストに関連する現代の文化そのものが、洗練されすぎ、先鋭化していっているがために、イラスト文化アニメ文化を共有できない者の理解が追い付かなくなっているのだ
この現象を軽く考え、反萌え絵派をただ批判するというのは、「ガルシアマルケスすらわからないやつがラノベ面白い、とか言ってて笑う」とか「高師直も塩冶判官も知らないやつが忠臣蔵のドラマ見てて笑う」みたいな態度と言えるだろう
歴史的文化的背景の継承者のみしか理解できない芸術は必ず尻すぼみになる
絵や文字は、わかっていると勘違いしやすいものであるため、この認識を持ちづらいのも問題であろう
「一般の場に出す実用作品に、背景を要求するものは相応しくない」というのも、萌え絵に関する議論で考えるべきひとつの側面だろう
一見、BLには見えないけれども、ちゃんとBL。何故なられっきとしたBLレーベルの作品だから。そう、BLと非BLの違いは、単にレーベルの違いでしかないのだ……。
作画担当の奥嶋ひろまさ先生はガチでヤンキー漫画家。だが、原作のSHOOWA先生はガチのBL漫画家だ。タイトルと作画担当者の名前を見てから「SHOOWA」の六文字を見ると、すごくヤンキーっぽいというか、「SHOW-YA」と空目してしまうけれども。
不良高校生・赤松愛将(あかまつあいすけ)は、公園に住み着くカレーパン男(初対面の時カレーパンを食っていたのでカレーパン男とあだ名をつけた。)にケンカを挑むのが最近の日課だった。ところがある日、カレーパン男の住まいだった土管が公園から撤去されてしまう。住処を無くしたカレーパン男こと神崎七焚(かんざきセブン)を、赤松は自分の部屋に招き入れるが……。
表紙絵からしてガチのヤンキー漫画以外の何物でもないのだが、中身を見たらやっぱりヤンキー漫画以外の何物でもない。ただ、ひょんな事からなし崩し的に一緒に住むことになっただけの二人のヤンキーが、単に生活用品を揃えに休日のショッピングモールに出掛けたところ、同棲準備に浮かれる恋人同士の絵面になってしまうという、しょうもないギャグ漫画の体がしばらく続く。
そして、これは本当にBLになるのか? という疑念をどっかに忘れてひたすらヤンキーギャグに笑い転げていたら、突然すごく強引にBLっぽい展開に突入。本作が商業BL作品であることを思い出しつつも、それ以前のノリの余韻があるので唐突BL展開もギャグとして笑えてしまうんだが、なんか、正統派ヤンキー漫画の画風そのままでえっちなことを始められると、見てはいけないものを見てしまった感がわいてくるw 青年向けヤンキー漫画らしい裸体絵で、やけにリアルなチン毛の下からライトセーバー(電子書籍的修正。何故ただの白抜きにされなかったのか。)が生えているの、とってもシュール。一般の漫画だったらチン毛までは描かれていても、ライトセーバーまでは描かれないもんな。ヤンキー漫画とBLの融合……は、していないような、絶妙な感じの取ってつけた感のエロシーンw でも後半に行くにしたがって、エロシーン以外の部分でガッツリBLらしい表現になってくるのが面白かった。なのに、いかにも商業BLっぽいような湿気った恋愛模様ではなく、友情と恋のあわいくらいの関係性というのが、小ざっぱりとしていて読みやすかった。
本当にヤンキー漫画を描いている人の描いた漫画なので、ケンカのシーンがリアルで迫力がある。動きの美麗さとかカッコよさよりも体重移動のリアルさに重きを置いているアクション。サラリと台詞に出る、格闘技マニアっぽい蘊蓄。こういうアクション表現は、商業BLにはあまり見られないので、新鮮だった。
商業BLを読んだことのない人にも読みやすいっちゃ読みやすいけど、ここから入るとBLの王道を後から知って愕然としそうなので、読みやすさの割にはBL上級者向けなのかも。
韓国BL。なんかすごい人気がある。本屋に行ったら2巻まで置いてあったなあ。
娼館で生まれ育ったナミンは男同士のまぐわう春画の絵師として知られていたが、現在は絵師を辞め、飲んだくれている。そんなナミンを名家の長男スンホは探し出させて拐い、彼の為に再び春画を描けと迫る。スンホはナミンの描く春画の虜なのだ。ナミンはスンホの暴虐な気質に恐れをなし、しぶしぶ筆を取る。
な、なんか韓国BLまじこわいんですけど……。何でこんなに愛とバイオレンスが分かち難い感じなのかな。といって、私の読んだことのある韓国BLはほんの少しなので、たまたまこわい作風の物だけに当たっただけなのかもしれないけれど。韓国フェミニズム小説のヒリつき感と似たような空気を、ほんのり感じた。
歴史物の韓ドラをちゃんと観たことがないので、伝統的韓服とか物珍しくてわくわくした。半端に服を脱いでいるシーンを見て、へぇ、こういう構造になってるのかあ……と感心してしまった。でも、漫画だし全部を真に受けてはいけないかな?
昼ドラのようにねっちりとしたストーリーと人物描写なので、ついつい続きが気になってしまうけど、読むとメンタルやられそうな気がする。
その最たるものが
こいつらで飲もうとするとどう考えてもビールかワイン、あるいは焼酎とかハイボール系になってしまう。
そして、そのどれもこれもが濃口醤油および鰹だしと、不可分の関係にあるという。
これ、突き詰めていくと吉原の隆盛や春画の流行などと同様に、江戸が男余りの町だったことが一番の原因な気がする。
ブルーカラーの男性労働者としては、仕事明けの空きっ腹で日本酒(特に清酒ができる以前の濁り酒)なんて甘ったるいモノは飲みたくない。
それよりも腹いっぱいメシが食いたい。
メシに合わせるなら脂っこく、甘じょっぱいおかずに限る。
みたいな需要があったから、江戸近郊の野田で発明された、コクがありコスパに優れる濃口醤油が持て囃されたのだろう。
しかも関東は関西ほど水が軟らかくないので昆布だしを取りにくく、旨味は鰹くらいしか選択肢がなかったところに、カビ付けにより完成の域に達した土佐節が入ってきて、これまた大ウケ。
そんな背景から生まれたのが上掲の料理で、明治になって首都が東遷したことにより全国に広まったと。
というか、薄口醤油に昆布だしだった関西にまで濃口醤油が進出しシェアを伸ばしたのが結構驚きだったり。
特に薄口醤油については、折角江戸時代に姫路近郊の龍野で発明され京都で花開いた味なのに、もったいないなーと感じる。
濃い味を好む層はどこにでもいるということだろうか。
https://anond.hatelabo.jp/20211019210515
最初に、どんな立場から物を言っているのかを明確にしておいた方がいいと思ったので少し自分語りをする。
自分は昔から漫画も読むしゲームもやる。いわゆるオタクコンテンツで一番好んでいるのはライトノベルで、なろう系もこれは酷いなと思いつつ読んでいたりする。
エロ漫画も読むしエロゲ―もたまにやる。DMMブックスの新規会員割引キャンペーンは既存会員なので知らなかったクチ。
以前「なんでエロゲ―って未だにパッケージ販売にこだわってるの?特典とかいらんでしょ」みたいなコメントを書いたら「こいつエロゲ―やらずに言ってるだろ」と叩かれたことがあるが、やってるから言ってる。
ただ、そういうのは一人で楽しめばいいのであってわざわざ公共の場に開陳しなくていいと考えている。
本記事はid:greenTへの返信の形式をとるが、反論の体はとらず自分の考えとの一致点と相違点を明らかにしたい。
この長文を書こうと思ったモチベーションは最近あまりに攻撃的なコメントが目立つブコメ欄で自分のコメントを読んで考えてくれた人がいたことが嬉しかったというものなので
この段でid:greenTが述べていることは「欲求には本能的な欲求と後天的な欲求がある。そして性欲は本能的な欲求だ」ということだと思う。
これを心理学的に整理すると、マズローの自己実現論にあたるのではないかと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
マズローは欲求を五段階に分け、性欲のような本能の部分を土台の部分の「生理的な欲求」に分類した。
そしてそれ以外の後天的な欲求を生理的な欲求が満たされた後に生まれてくるものとしてさらに四段階に分けた(ここではひとまとめに「社会的な欲求」とする)。
この理屈に従うと、元の自分のブコメで挙げた欲求の例は下記のように分類できると思う。
こうした分類に則って社会的欲求(の一部)を制限する必要があることは認めるが、生理的欲求を社会的欲求に分類してはならないというのがid:greenTの考えだと思う。
自分もここまでは考えが一致するところだ。
では違いは何かというと、実は前提のところに違いがある。
これはマズローへの根強い批判として存在するものでもあるのだが、そんな単純に生理的欲求と社会的欲求を分類できるものだろうか?
先ほどの例はよく考えると色々雑である。
繰り返しになるが生理的欲求を社会的欲求に分類してはならない、ということには賛成である。
ただ、現実的にはどの欲求がどちらに属するのかを明確に分類するのは難しく、人によって線引きが違ってしまうのではないか。
日本社会で性暴力や性搾取は許されないっていう合意なんてもう既にあって、むしろ搾取や暴力を伴わない性欲や性行動まで一緒に悪いもの、存在しないものにしようとする理想像の押し付けこそ性虐待だし、性暴力を受けた子供や男性や女性が口を噤むことに繋がっているんじゃないか
「日本社会で性暴力や性搾取は許されないっていう合意」は既にある。
あるのだが、「性暴力や性搾取」と「搾取や暴力を伴わない性欲や性行動」の線引きは人によって大きく異なるのではないか。
「ここまでは生理的欲求だから仕方ないよね」というラインが別の人にとっては許容できない社会的欲求となっているのではないか。
以上が考えが異なる部分なのではないかと思う。
id:greenTは「欲望を勝手に悪に分類するな」と言い、自分は「欲望も制限するべき」と述べた。
「悪に分類するな=制限するな」という意味に受け取ったので「制限するべき」と反論したのだが、この段落を読むにどうも反論になっていなかったようだ。
たぶんid:greenTは性的コンテンツ規制を心底嫌だと感じているので「悪に分類された」と感じており、自分はそこまでではないので「制限は必要」という認識違いが発生していたのだと思う。
自分が制限されたら嫌だと思っていることを意に反して制限されたら「勝手に悪に分類された」と感じるだろうが、関係ない物事が制限されてもそうは感じないだろう。
たとえば自分は登山も趣味の一つなのだが、各自治体が「コロナ禍で山岳救助とかやってられるか!入山禁止な!」と言い出したとする。
登山と関係ないほとんどの人の感想は「ふーん入山制限ね。仕方ないんじゃね」くらいのものだろう。一方自分は「登山者を悪者にしやがって」と感じるかもしれない。
だが、「制限すべき」ものは「悪」ではない。上記の中で明確に悪なのはいじめくらいだろう。基本は「欲望自体は尊重されるものだが、社会のリソースに限りがあるのでみんなで制限も受け入れましょうね」というスタンスを取るべき
自分もそのように思う。
1つだけ付け加えると、後段で「上段でいじめを明確に悪だと分類したが、性欲はそれとは違って人間関係の維持に良好な影響をもたらすものだからだ」とあるのだが
いじめがいじめられる人以外の人間関係の維持に良好な影響をもたらすケースはあると思う。
だが、そういう価値の相対化を許さず悪だと断じなければならない物事もあると考えている。
上記の結論部の一つ目には同意する。ただし…と続きがあるが、それは上で述べた通り。
2つ目については、個人的には性産業大国となりつつある日本で過剰な制限があるとは思っていないがそのように感じることは理解できる。
日本は歴史的に見ても性的に奔放で、AVやエロ本が無い時代でも春画やら吉原やらが存在した。無批判に欧米の基準を受容しても上手くいかないだろう。
身近な例で言うと、近所の小学校の数百メートル先にエロゲ―ショップがあり下校中の小学生がポスターを見ていたりするのはこれまずいんじゃないのと思っている。
しかし、だからと言っていきなり議員が抗議文を送りつけたり法律を持ち出したりして圧力をかけるのは性急すぎる。
エロゲ―ショップに張り出されるポスターも昔に比べるとソフトな表現になり、過激なものは店内だけにという使い分けがなされていると思う。
それでもなおポスターを剥がせと突然言われたら店舗としては規制が過剰すぎると感じるだろう。
共産党もそういうわけで社会的な合意形成を目指そうとしているのだと思うが、合意と言うのは双方の合意によって成り立つので規制される側抜きには成り立たない。
規制したい側だけで話し合うようになってしまわないことを願いたい。
ネットでは時折炎上案件が発生しそれが過剰に取り上げられることによって憎悪を煽る結果を招いているが、社会全体を見ればオタクコンテンツはますます受け入れられる一方である。
これは関係者が世間から広く受け入れられる表現を模索した結果であろう。
https://anond.hatelabo.jp/20210905133926
つづき。
ごく普通の大学生ライフから始まって、途中で日本が他国と戦争を始めてしまうという展開になるのだが、開戦のきっかけがあまりにも生々しいので、読んでて胃が痛くなった。
胃痛に耐えながら読み進めると、涙と鼻水でぐしゃぐしゃのずびずばになってしまった。戦争が背景にある話だけれども、実際の戦闘シーンや戦場の凄惨な描写はない。そういう当たり前に泣く場面ではなく、登場人物のちょっとした言動とかでめっちゃ涙を搾り取られる。
辛すぎて二度は読めない。
主人公はドスケベなことで定評のある高校生(攻め)。おうちでも学校でも堂々とエロ本を読めるほどのエロマスターだ。そんな主人公だったが、ある日同級生の爽やか系イケメン(受け)が人前で全く服を脱がないことに気付き、それが気になって仕方なくなってしまう。
全体的に90年代後半の雰囲気のある絵とストーリー。脇役の「お茶山くん」がいい味出しまくっている。お茶山くん最高。たまに読み返したくなる。
BL漫画の中でもかなり有名なタイトルなので詳細は何も言うまい。ていうか、前に増田でレビュー書いたような気がするような気がするけどまあいいか。もはや芸術の領域に入った春画である。
あれっ、これももしかしたらレビュー書いたかな? わかんないや、まあ書こ。
子どもの性犯罪被害を描いた作品。主人公は幼い頃に自らに性加害をしようとした「にいちゃん」のことが、高校生になっても忘れられないでいた。ある日、ついに「にいちゃん」に再会した主人公だが、「にいちゃん」は主人公のことを恨んでいた。主人公は「にいちゃん」から脅迫され、「にいちゃん」の部屋に呼び出されては性的虐待を受ける日々を送ることになる。
未成年を狙う性犯罪者×性犯罪者を慕う未成年の被害者 という禁断の共依存ネタだが、数年前に話題になった『幸色のワンルーム』(現実に起きた未成年者略取事件から着想を得て描かれたとされる)みたいな夢のような展開があるわけではない。主人公はガチで「にいちゃん」に逆恨みされて凄惨な虐待を受ける。が、やがて「にいちゃん」もまた虐待のサバイバーであることに主人公は気付き、「にいちゃん」を救済しようとする。
性虐待シーンが凄まじすぎて誰得レベル。これで抜くのは絶対許さんと言わんばかり。
いわゆるメリバというやつで、苦味のある終わり方をする。
小説。産婦人科医×特異体質の大工。男性妊娠を扱ったストーリーだけれど、オメガバースではない。たしか、後天的に妊娠能力を獲得してしまうという特異体質の男性が稀にいるという設定だったかな。そんな特異体質の男が、ある日突然月経になってしまったのを何かの病気と勘違いして、主人公の産婦人科医の勤める総合病院に駆け込んでくる。
わりと描写が生々しいが、妊娠はしても出産とその後のことはパーッと流されて終わった。男性妊娠ものは読みたいが子育てBLは嫌い、という人にはいいかもしれない。
購入した時には、まだムーンライトノベルズで最初から最後まで無料で読めた(のに、わざわざお金払って買ってしまった。)んだけど、今は知らん。文体が増田文学っぽい。
同作者の『オールドファッションカップケーキ』の続編。ノンカプチーノの方が綺麗なエンディングでまとまっているため、withカプチーノは蛇足ではないかという向きもある。けど私はこれも好き。
なんだか名言量産機になってしまったという指摘もあるが、それは否めない。でもそれ言ったら、作者のデビュー作『春と夏となっちゃんと秋と冬と僕』もけっこうな名言量産型なので、これが作者の芸風だから諦めろ、とも言える。
主人公野末さん(受け)の同期のお二方がいい味出していて好き。外川(攻め)が転職して野末さんの部下ではなくなってしまったのが、ちょっと寂しい。
小説。痴漢冤罪により逮捕された主人公(受け)は、容疑を否認し続けたために実刑判決を受けて刑務所に収監されてしまう。そこで同室になった受刑者(攻め)に妙な懐かれ方をしてしまう。
作者は、作風がとても重くて痛いことで知られている。だけど、話のへヴィーさよりも、痴漢冤罪問題をこんな風に扱ってしまう作者の倫理観に私はついていけなさを感じたので、この作者の作品を読むことはもう無いと思う。主に女性向けに書かれるBLというジャンルで、女を背後から撃つようなことを書いて、何が楽しいんだろう。
何でも屋の黒枝さん×「なんでも屋のどぶ六」の社員のユキチくん。あックンからの依頼でハメ撮りをしてくれる人を探していた黒枝さんは、通りかかった「なんでも屋のどぶ六」に、可愛い店番がいるのを発見。可愛い店番で「どぶ六」の社員のユキチくんは来るもの拒まずなので、黒枝の依頼を安請け合いしてしまう。
クレイジーなストーリーで、しかもキャラクターの描き分けが微妙なので訳がわからず、五、六回読み返してしまった。パッと見で個体識別可能なユキチくんが可愛い。個体識別余裕だからね。それに、ムチムチしとるし。
なんか、すごくハチャメチャだったなー。