2023-07-12

自殺してしまった某タレントについて思うこと

タレントがまだ『父親』としてコラムを書いて世の父親正論を投げつけていた頃、丁度我が家は妻が妊娠中で、自分はイヤイヤ期の長男を抱えてほぼワンオペ仕事家事を回していた。あの頃の夫婦仲は最悪で、僕は仕事家事育児自分なりに限界まで回しているのに感謝されるどころか細かい文句をつけてくる妻にイライラとしていたし、妻も自分つわりがきついなかで働いているのに思いどおりに動いてくれない僕にイライラしていたのだと思う。(後に、あの頃はお互いに凄く頑張っていたし申し訳なかったと謝罪しあって今は仲がいい)

そのような中で某タレントの投げかける『感謝されたいという気持ちは甘え、パパとしての心構えが足りない』という正論は多少以上に限界に近かった僕を追い詰めたし、実家サポートありで子供一人育てるだけのイージーモード育児でわかったようなことを言うなとも思った。一方で自分自身が父親として育児をするにあたっての不便さを世の中に対して感じていたのもあり、父親育児に対する世の中の考えを変えるにはこういった少し過激情報発信必要なのかもしれないとも思ったし、同じ育児に奮闘する父親としての親近感も覚えていた。

それだけに、その後の彼(彼女)の振る舞いや報道については残念の一言だった。もちろん彼女性自認あいまいさ故にかえって父親としての自覚を強く持とうとしたのかもしれないとか、色々と思ったところはある。しかしお前、あれだけ色々言っておいて、とき呪いにもなる言葉を世の父親に投げかけておいてお前は自分だけ降りるのかよというのが偽らざる自分の思いだった。だからといってSNS彼女中傷したことはなく、なんなら不特定多数の目に触れる場で名前を出したのはこれが初めてだ。しかし僕は正論をあびせるだけあびせて彼女になってしまった彼を心の底から憎んでいたし、友人との雑談で嫌いな芸能人に挙げたこともあるし、時折SNS彼女が目に入ってくると嫌な気持ちになった。

いま、最後となるだろう彼女の近況に関するニュースを見て、正直なんとも言えない複雑な気持ちになっている。もう二度と彼女の近況が流れてきて嫌な思いをすることはないだろうし、父親だった頃のコラムを「あの時は自分も辛くて厳しい意見を投げかけてしまった」などと振り返ることもない。

考えてみると、他の家庭の育児に対してどうこう言う事自体本質的大きなお世話ではないだろうかと思う。コストをかけようと思えばいくらでもかけられる『育児』という仕事に対して、各家庭で様々な制約のもとに育児コストを割いている。その中であるべき父親像、母親像を定める行いは余剰コストの少ない家庭を追い詰めるだろうし、ともすると一昔前の良妻賢母教育に近い思想にもなりかねない。

なんだかとりとめもなくなってきてしまったので、彼女のご冥福祈りつつこ記事を締めたい。

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