はてなキーワード: 貧乏とは
地震とかあると命を守る行動を取ってくださいってアナウンスされるようになってけっこう経つ気がする。
コロナもそう、地震もそう。そこまでして守らなければならない命というものを自分も持っているわけなんだが、そこまで大事なものなんだって思うとなんか扱いあぐねるというか、大金おろした帰りのソワソワする感覚というか、そういう気持ちになる。とても貧乏人に扱えるものじゃない。
一方で命の価値がインフレした結果なのか年寄りがあんまり死なない。死なないってことは数が増えるってことで、そうするとますますよくない面が見えてきて死んでもかわいそうとか、もっと話したかったとか、そういう気持ちになれないことが増えてきた。
社会が求めるように命を大事にした結果がこれならどんな風に生きるのが正しいんだろう。政治には言いたいことがあるけどこの気持ちはどっちかっていうと倫理観がアップデートできてないって感じがする。
あと一つは?
こういうネタで盛り上がる感じがたまらなく貧乏臭く感じられて子供の頃から嫌で仕方がなかった。
別に贅沢したいわけじゃないしコンビニパンは食べることもあるんだけど、それで盛り上がるというのがな…。
なんでそんなに嫌なのか自分でもわからないけど身体を掻きむしりたくなる感じで嫌なんだよなあ。
なんか育った環境の歪みとかなのかな。
けっこうな数の人が貧乏クジ引かされて挫折してる中で才能クジに当たったのがズルいんやで
貧乏くじを引かされ才能に恵まれず渋やSNSで成長も糞もない絵を投稿し続けている哀しき低知能もこの世にそれなりに居るのだ
才能(素質と知能)・情熱・環境の三種の神器を運良く手に入れられた者が努力を語るのは奢り昂り言語道断な行為だということを胸に刻んで生きよ
100均とか値段を見ずに買い物できるセレブ感をお気軽に体験できるいい施設なんだけど、現実はただの貧乏人のための救済施設でしかないから、店員さんに横柄な態度とるのはやめような
100円で物を売って小さく小さく商いをしてるようなとこで同族なんだし
じゃあ元妻の分の生活費もだして当たり前でしょ?
お友だちがやべーくらいの貧乏だとは知らなかったんじゃないの単純に
まさか5万かき集めるのがやっとだなんてどうやったら想像できるの
ボロ切れで通学してたわけでもなかろうに
お友だちがやべーくらいの貧乏だとは知らなかったんじゃないの単純に
まさか5万かき集めるのがやっとだなんてどうやったら想像できるの
ボロ切れで通学してたわけでもなかろうに
8年目の今が360万
別に稼ぎたい欲とかないんだけど物価がどんどん上がってる中今行動しなかったら一生貧乏人確定な気が…
でもせかせか働きたくも無いんだよなぁ
わけあって今住んでるアパートから今年中に退去しなきゃいけないから
どうせ引っ越さなきゃいけないってのも
あと年齢的なところも
でもシンプルにめんどくさいな
食い物の中で、特に日持ちがしないのは肉なんだけど、インドは肉の消費量がびっくりするくらい低いんだよね。人口が多いから絶対量で見るとかなり消費してるが、1人あたりで割ると食肉消費量は年間わずか4kg。魚介類も年間4kgくらい。
ちなみに、まだ肉食がそこまで一般的ではなかった1960年代の日本でも、肉は年間5キロ~10キロ、魚介類は30キロくらい食ってるので、インドがいかに肉を食わない食文化なのかがわかる。
これはインドの経済状況にもよる(まだ地方はむちゃくちゃ貧乏な人が多い)が、そもそもインドは宗教的に肉食をあまりしないんだよね。ヒンドゥーの教えが牛を大事にするってのは有名だけど、肉そのものが不浄として割と避けられる。だから裕福な家庭でも、肉を食わない人が多い。
キャンプ歴3年目(通算60泊)にしてキャンプ場で音楽を垂れ流す人の特徴を完全に把握した
遭遇した音楽垂れ流しは10組にも満たないが、共通点を洗い出した
1.貧乏
2.初心者
キャンプに意気込みを感じる、時間をかけてテントを設営して音楽をかけて焚き火してキャンプ飯を作って酒飲んで目一杯キャンプを楽しでる
3.複数人
仲間といるから気が強くなって、なんでもできる
※ちなみに年齢は関係なかった
とある中国ソシャゲに、所属団体が貧乏で出向で戦闘員として出稼ぎに来た後、その出向先の宿舎を「陰鬱」と煽り、それでも金に困ってたところを上手く乗せられてアイドルデビューしてしまうって言う、かなり残念なキャラがいるんだけど、CVが水瀬いのり。
元々煽り体質の残念な性格なので、こいつもどうせネットで匿名でSNSとか掲示板で他のアイドルやアイドルのファンを煽ってレスバしてるんだろうなと最近思っている。
でもそのゲーム、狂信的な盲信者が多いから、Xで迂闊にそんなことを言おうものなら、簡単に炎上してしまうから怖いね。中国のゲームをやるような人権意識の欠片もないゴミクズ共はこれだから…。
本人いわく刊行前に炎上し、刊行後も批判ばかりで正当な評価がされていないという、みの『にほんのうた:音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』。「議論のきっかけに」「集合知を歴史観につなげたい」と言いながら誰が何を言っても「村社会」「リンチ的」としか言わないのは正直どうなのかと思う。絡むのと晒し上げられてめんどくさいし下手をすると訴訟とか言い出しそうだから匿名で自分が気になったことを書いといてあげよう。
これは複数人から指摘されている「どこが地の文でどこが参考文献の主張なのかわからない」問題と同じだが、歴史の設定や「音曲」というワードなど、この本の全体をつらぬく視点と前半の記述に既視感しかない。上積みやひねりがあるのかと思ったら、ない。これには何も言いようがない。「数百冊」音楽書を読んだのなら、先行する言説をどう扱うかくらい身につくと思うのだが、それもまったくない。自分では十分に言及しているつもりなのだろうが、複数の人から複数回同じようなことを言われているということは文章として失敗しているということです。
どこの世界でも誰かになにかを教えてもらうときには礼儀も対価も発生する。「有識者の今後のご活躍を待つ状況です」じゃなくて、自分が聞き手になるなり、間違えていてもいいからたたき台を作るべき。だれも「ぼくはみなさんの成果物だけかすめとります!」と宣言されたらいい気分はしない。
リスナーには毎度コメント欄で褒めちぎられ、レコード会社にはSNS向けのちょうどいいインタビュアーとして使われ、DJイベントに呼んでくれる老人からは若いのに頑張ってると褒められていると妙な勘違いをしてしまうのはわかるが、もうすこし謙虚になったらどうなんだろう。わざわざ見に来ている自分のリスナーが知らないだけで、世の中の人の知識量を舐めないほうがいい。すでに知っている情報に人は興味を持たない。あなたより若くて物知りで頑張っているライターもミュージシャンもたくさんいる(YouTuberにいるかは知らない)。
この本を出して、参考文献にあげた人たちから一切言及されていないということが何を意味しているのかもう一度考えるべきでは。
揶揄しているようなコミュニティは残念なことに存在していない。そもそも儲かっていないから利権の取り合いもない(一部御用ライターのようなものもいるにはいるが、そういう賢い人はSNSをやっていない)。だからといってこれまでの批判を貧乏人からのやっかみや人気者への嫉妬のように感じているのだとしたら、性格が歪んでいるので直したほうがいい。硬直化した、一般の人を置き去りにした議論に風穴を開ける!という構図に魅力を感じるのはかまわないが、現状認識が幼稚すぎる。これは『土偶を読む』と似ている。しかしそもそも数百冊の音楽書を読んでいるのならこういう考えに至らないと思うのだが…
ついにしびれを切らして「定員20人時間2時間」という議論の場を設けたようだが(これに来ないのなら口を出すなというような姿勢も見えるが)、この設定では誰一人として十分に話ができない。議論やシンポジウムというものをしたことがない、見たことがないのだろうか。結局ファンミーティングになるのが目に見えているし、そりゃ誰も来ないでしょ。本当に議論したいなら自分から頼んで声をかけましょう。
結局のところ「日本すごい」が言いたい本なのだと思うが、そこに大半の人が乗れていないように見える。ジャンルが外国から規定されることへ嫌悪感があるのだとしたら、その意識自体が現在の音楽をとりまく状況や、あなた自身の偏った認識を示唆しているように思う。そこを客観的に見れないなら「歴史」を書くのは無理。筋が悪すぎて箸にも棒にもかからない。『日本国紀』じゃん。本人は枝葉末節を批判されていると勘違いしているようだが(枝葉末節にこだわってる人もいるが)、根本が厳しい本だと思う。だから批判するのにもコストがかかるし、結果的に無視をするようなかたちになっている、ということくらいはわかってほしい。
しかしもともと雑誌や本に書かれていた評価評論ランキングをそのまま垂れ流す動画を作っていて、どうしてこんな本を書いてみようと思ったのでしょう。なにかコンプレックスがあるようにも思えないし(あるの?)、出版社に焚きつけられたのだとしたらちょっとかわいそう。実際のところ、自分でもあんまりよくなかったんじゃないかと思い始めているでしょう?
がんばってとは思わないけれど、恥ずかしいことはしないほうがいいよ。もう少し本を読んでからがいいと思う。数百冊は読んだそうだからたぶんあと3冊くらい読めばいいんじゃないかな。