はてなキーワード: 婚姻とは
男女格差と出生率は相関してるんだから、倫理的にどうこうという話を除けば男女格差を広げる施策は間違ってない
女の行動や知能向上を制限すれば出生率が上がるってのも間違ってない。女が半強制的に結婚するorせざるを得ない社会は結婚が自由意志である社会より婚姻率が高いに決まってるので。
女の高望みのせいって話はほぼ間違い。というかそれを言うならお前も高望みせずに40歳後半で顔も年収も平均以下の人から結婚相手探せば?みたいな話になる(この喩えは別の怒られを生みそうだが)ので自分に跳ね返ってきて終わり
ただ、すもも自体は別に男女格差を広げる施策を推し進めようとか言ってるわけじゃない(ぶら下がってるツイート見りゃわかる)ので怒られるべきは高望みの下りだけ。
男性だけ給料あげようなんてずるいいいいい間違ってるううううう的な発狂の仕方をしてる方々は知性がすもも以下、あるいはそもそもバトルの土俵にすら上がれていないことを自覚するべき
TLに独身税導入を訴える人の発言が流れてきたが、その税によって結婚数が増加するなら導入を考えてもよいと思うものの、東欧での独身税が婚姻数をかえって減らしてしまったマイナス効果が実証されている。既に現状の税制でも、配偶者控除をはじめとする世帯優遇措置は実質的に独身税にほぼ相当するし。— 小森健太朗@相撲ミステリの人 (@komorikentarou) 2020年1月25日
この手の何でもすぐに税金を取れと言うのと何でも規制しろと言う奴は基本的に発送の根底は同じなんだよね。
要は短絡的に罰則をつければ、国民や市民が嫌がるから問題が解決するだろうと言う短絡的な発想からきている。
結婚しないできない問題はそんな単純なものではないのはそれこそまともな人間所かオークやゴブリンですら理解できると思うけどね。
そしてこの手の短絡的に税制導入や規制を喚く連中は往々にして、未来予測をするのが苦手な傾向もあるし、問題点を指摘されても一切聞き入れない傾向すらある。
場合によってはそれすらマッチポンプの材料にして寄り悪化させる代物すらぶち上げるのがこの手の連中の傾向だよ。
ついでに言うと独身税と言う事になれば、それこそ男女平等にかかる事になるし、失業者やニートやら引きこもりやら更に追い詰める事にもなるよって話。
増田にも多そうだしな。
要は何でもすぐに税金取れだの規制しろだの言う奴等は無能だから、もしこれ等の事を主張する議員等がいたら、そいつには投票しない方が良いよと言う話。
しっかし独身税だの貯蓄税だの死亡消費税だの本当に碌でも無い代物ばかり思いつくよね。
貯蓄税なんてやらかした日にはそれこそ銀行から引き出しまくられて、ヤバい事態招くのは目に見えているし、死亡消費税なんて導入された日にはそれこそ現代版姥捨て山が行われる事態すら招きかねない。
どうしても心が落ち着かなくて、精神的にもかなりギリギリのところにいるので、書くことにした。
正直にハッキリ言えることも多くないため曖昧な表現になることで、何が言いたいのか分からない文章になるだろう。
つまり、ただのはけ口であることを前提に、長文を垂れ流すつもりだ。
気が付けばもう40を超えて、「人生80年」と言われてた時代を考えれば、折り返し地点である。
しかし現在「人生100年時代」との声があり、自身の祖母も102歳でこの世を去った。
確信めいたものはないが、私もよほどのことがなければ長生きする気がするほど、健康だ。
人付き合いは変化したなとは思うが、それは周囲の人がそれこそ、結婚・出産・転勤・転職等で生活環境を変えたことが要因だと言える。
さて「何も変わらない」と言われる私であるが、実際自分でもそう思っていたのだが、それは違った。
環境などと分かりやすい面ではなく、『感情』という部分が大いに変化していた。
例えば、であるが、私は非常に泣き虫であった。人目をはばからず涙を流す恥ずかしい子であった。
割と思うがままに感情を表に出していた気がした。
感情の起伏はさほど激しくはないが、笑って泣いて怒ってを繰り返して、ある意味「分かりやすい人」だったと言える。
でもこの数年で、それを失っていた事に気づいてしまった。
怒りも悲しみも寂しさや煩わしさ、楽しいとか嬉しいとかどこかへ捨て置いてきてしまったようだった。
人はそれを「平穏」というのかもしれないけど、私に至っては「無機」という言葉で表現したい。
若い頃、勝手気ままに自由にはちゃめちゃに生きていた私が、年を取ることによって、落ち着いてきたと言えば聞こえはいいかもしれない。
でも多分そうではない。「幸せ」とか「安定」とか「平穏」という周囲の言葉に惑わされて
「何もしちゃダメなんだ、深く考えちゃダメなんだ、変化を求めてはいけないんだ・・・・しなくていいんだ」
そしてその無気力状態を作り出したのを、敢えて人のせいにしようと思う。
もちろんそこに甘んじて維持し続けた私が一番の罪であることは、頭の片隅に置いておこう。
年数は省略させてもらうが、私には長付き合っている恋人がいる。
それゆえ、「結婚しないの?」という外野からの声は数えきれないほど聞いている。私が一貫して返す言葉は「しない」の一言だった。
少子化時代を騒がせる昨今、私は曰く非生産的な存在であり、政治家たちにとっては国家に貢献しない存在であるのだろう。
…話が逸れたので戻そう。
彼は真面目な人である。聞いている限りでは育ちが良さそうで、家族に愛され家族を愛してきた男である。人当たりがよく、女性に対しても丁寧で優しい人だと思っていた。長年浮気の気配もなかった。
そんな男に好意を告白されたときは「何を血迷ってるんだ?」と思い躊躇したものの、結果的に押しに負けてお付き合いをすることにした。
私は当時、非常に流されやすい女であった。
恋愛感情はなかったけど、彼の人となりと、そして周囲の猛烈な後押しで私は川の流れのように流されたのだ。
そんな私に一生懸命に接してくる彼に、徐々に好意を抱き始めた。
彼との付き合いは、最初はとても楽だった。
彼は束縛をしない男だった。
私は、彼と付き合っても人間関係が特別変化することもなく、友人とも大いに遊んだ。私が普段何をしているのかもしつこく聞いてくることもなかった。メールや電話を強要することもなかった。
いつも私の意見を尊重してくれている、理解ある男を存分に発揮していた。
一度だけ、私はある問題に対して彼にお願いをしたことがある。後にも先にも彼に要求を突き付けたのはそれ一度きりである。
「分かった」という言葉は消え、時間がたつにつれて要求は破棄された。
この頃から私の中で「諦め」が生まれてきた。何を言っても無駄。
時は過ぎ、その放置度合いはさらに拡大していったが、いつしかそれが「おかしなこと」と思わなくなっていた。
そう、完全に麻痺してきたのだ。
不満は消えた。怒りもない。寂しいとか悲しいとかもない。楽しい嬉しいと思うことも減った。
彼自身には諦めを持ち続けながらも、波風立たせることなく付き合い続けた。
彼の愛情が冷めることはなかったが、私の愛情の温度は「常温」まで下がっていた。
束縛をされず私の時間を自由に使え、煩く言ってこない存在は「恋人」という肩書を持っていても邪魔にならなかったのだ。
尚且つ、自身がさほど恋愛体質ではない上に、趣味もあって友人もいて毎日に不自由を感じなかった。
そして既に何年も付き合い続けてきた結果、彼はそれを「安定・平穏」だと思い、周囲からも諭され続け、考える能力を失うまでに至った。『感情』が消えた。
そんな私が一度だけ、常温の恋人との関係を考えたことがあったらしい。
「らしい」というのは、数か月前「他に好きな人がいないから」というような事を記してあったのを見つけたからだ。
おそらく「別れる選択をしない理由」を探し、そこに行きついたのであろう。
なぜ?と考えたときに、
というマイナスにしかならない理由に勝てる、他の理由を探した結果だと思う。もちろん、そのあと何か行動を起こしたことはない。
そう「他に好きな人」どころの話ではない。失っていた全ての『感情』という感情が一気に動き出したのだった。
長年憧れ続けた人のたった1言で、今まで抑えられていた想いが、一瞬にして溢れるように噴き出したのだった。
「憧れ」というものが変化した瞬間だった。
40歳にもなって何を恥ずかしいことをと思われるかもしれないが、私にしてみれば多分人生で初めてかもしれない感情が生まれたのだ。
あまりに遅咲き過ぎる「恋」に私の感情のタガが外れたと同時に、頭のネジもどっかに飛んで行ってしまったのか、私はその直後に、人生で史上最悪な事をしでかしてしまうのであった。
人生史上最高に後悔している。死にたくなるほど後悔している。精神的にギリギリなのはこのせいである。
私は今の恋人と別れたいのだろうか?
理由を探して別れてこなかったとはいえ、別れたいと本当に思っていたのだろうか?
それはいまだに私への愛情を見せる常温の恋人との、この長年の付き合いを捨ててまですることなのだろうか?
実は正直、史上最悪な出来事が表に漏れないのは、常温の恋人のおかげでもあるのは否定できないのだ。
それに新たに生まれたこの「恋」が一過性のものではないとハッキリ言えるのか?
可能性がゼロではないにしろ、それを自分は本当に手に入れることができるのか?
万が一全てを失ったとき、後悔しないと言えるのか? 耐えられるのか?
動き出した感情が、困惑、切なさ、嬉しさ、不安、後悔・・・さらなる要素をプラスして一日中動き回っている。独り言が増えて夜が眠れない(朝辛い)。
40年間、それなりに付き合ってきた人はいたのだがいずれも好意を受けての付き合いだった。好かれてなんぼのイヤな奴だった。だから、自ら好きになった人と付き合ったこともなかった。
私は、今までまともに「恋」をしてこなかったのだ。
この年になってその結果がこの体たらくかと思うと、情けなくて涙が出るし、みっともなくて誰にも言えない。
書き連ねたところであんまり解決にはならんが、でもまずは頭のネジを詰めなおす必要があることだけは理解した。
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<追記>
気が付いたらなかなかの反応に、正直少しビビっています。色々どうも。
いくつか書かれていますが、「恋」の人は既婚者じゃないです。不倫だけはしません。これは絶対に。
人生史上最悪な出来事は、何とか自力で方向修正しました(多分)。少しだけ気が楽になったという自己満。
常温の恋人は、急にああしようこうしよう言い出して(まだ行動はされてないけど)、何か私の変化に気が付いているのか。
新しい恋の人には、関係が先に進むことへの行く先を不安視され、足踏み中。でも、別れてまでという話がでないってことは、そういうことだと思う。
ただ、こうやって人の言葉を聞いて整理していくと、常温の恋人とはどんどん温度が下がっていくような気がする。でもずるくてビビりなので、決心がつかない。
あ、あとネジは詰めなおす、ではなく、締めなおす、ですね。
ご賢察の通り婚姻に向かう関係なのだが、やっぱ1つでもそういうのあったらだめなんかね。
数というより、それが自分にとってどんだけの意味を持つかだよね。
まず彼女がいる時は行っていないことと、金が無い時は行っていないので、この先また行くことになるってことは彼の性格上無さそうだなと予測はしているし不安になったり疑心暗鬼になったりはないんだけど、ただただ過去のその行動・価値観に引っ張られるんだよね。
でもそんなの(過去の失敗、というか過去から未来に向かって変化すること)誰にでもあることじゃん?
元々真面目だし嘘が付けない人だし、ただ本当に性欲が強くて、相手がいれば風俗に行くことはないタイプの人だと思うので、私がちょっと気にし過ぎてるんだろうなとは思ってる。
親の対応がめんどくさすぎる。
どっちの親も自分の知らないとこで決めたとかで拗ねて怒る。知らんがな。構ってほしかったらちゃんとそれなりの行動取れよと思うわ。
昔の人みたいに、子供のために結婚相手見つけてくるるほどお節介焼く根性ないくせに、結婚には昔と同じように口出しできると思ってる親が多過ぎる。
現代の婚姻率下げてる要因のひとつじゃねーの?子供のために結婚相手見つけてくるのが古い考えかただと思ってるなら、自分達が子供の結婚に口出しするのも同じように古い考えかただと思えよ。
母は父に対し、自由がないといい、口論が絶えなかった。母は典型的な毒親だと思い、今も呆れることばかりだが、父も悪い点があったと思った。
そう、父は母を精神的に束縛していた。母は学歴がないため、就職できず、物理的にも束縛していた。そのストレスが子に向かっていた。
夫は私を束縛する。出不精という点で父よりもひどい。ただ、幸いなことに、働いているため金銭的には自由だ。
その金を自由に使おうすると小言を言い、口出ししてくる。婚姻が継続中に得た資産は夫婦共有の財産となるそうだが、共働きの場合は収入源は明確。
世帯年収という考え方は古い。個人年収アップが重要であり、個人年収内で自由に買い物して何が悪い。
自由に生きたい。気になる場所があれば、遠くでも混んでいても構わない。
きっとずっと一人で生きたほうが良かった。恋愛第一に生き、シングルで母になれたら幸いだ。それが女性の開放だ。
束縛する相手は要らない。