はてなキーワード: 婚姻とは
これだけでしょ。
親の庇護下で成長して、身体が成熟したタイミングで婚姻相手を見つけるために一時的に社会に出るけど
結婚を機に「庇護を受ける」という長年慣れ親しんだ生活に回帰したいんだよ。それが人生設計なの。
仕事を見つけるなんて自分ではやりたくもないことなんだから「これこれこうしなさい」と微に入り細に入り指示をもらわないと何をしていいかわからない。
わからないというか、自分で考えたくないんだよ、そもそもやりたくないんだから。
自分では何も考えず、指示されたことだけやって、そのうえで無理せず今自分にできること以上のことはしたくない。
そんな仕事があるならやってもいい、ってことでしょ。
全部お膳立てして見つけてきてあげればいいじゃない、そんな仕事。
元法学部生ですけど、かなり面白かったですよ、法学は。あと2年勉強したかったぐらい。
どうして時効というものがあるのか? とか。推定無罪の原則はなぜ堅持されねばならないのか? とか。
「そもそも」を問いだすと無限に疑問が出てきて、やればやるほど好奇心が止まらない世界です。
全ての法律には、それが必要とされる素地がちゃんとあるわけですし。
憲法も面白いんだけど、民法はやってて考えちゃうとこ、ありました。
みんな結婚はするんだけど、結婚が法的にはどういうもので、どういう義務があるのかなんて知らないことが多いと思うのです。
だから、あとでトラブルが続出したりするんですよね。知ってると先手が打って問題の芽をつめたりするんだけど・・・。
労働法もそうだし、司法試験を受けなかったとしても就職口にはつぶしがきくし、役に立つこといっぱいありました。
が、法と日常はずれてて、法に抵触することは思ってた以上にラインが近いことは、すぐ理解できちゃいましたね。
在学中には、裁判の膨張もずいぶんいきました。
そういうことを重ねていくと、日々のニュースを見る眼も、まるで変わってくるんです。
子どもに会えなくなってから半年が経った。妻が子どもを連れ去ってから1年半、子どもに会えたのは3回だけだ。
DVをしたわけでも、不倫をしたわけでも無い。ただ、妻にとって俺の存在がどうでも良くなっただけ。
それを正当化するため、妻はありもしない離婚の理由を捏造する。あるときは経済的DV、あるときは心ない言葉を吐き続けたと。
こちらはひたすら向こうの吐く罵詈雑言に耐え、別居中も婚姻費用を払い続けている。
義父母も念願の孫を手元に置きご満悦だ。
妻と義父母はこちらがアパートの退居に同意するまで、離婚に同意するまで、子どもに会う機会を奪い続けている。そして、次は言い値の養育費に同意するまで会わせないようだ。
なにがイクメンだ。まともに育児に協力し、専業主婦の妻が、何不自由ない生活を送れるよう頑張った結果がこのザマだ。
子どもは可愛い。この一年半、わずか2、3時間、会うことが許されたとき、子どもはお父さんに会えて嬉しいと、次はいつ会えると聞いた。
会わせない理由は単に妻と義父母の自己正当化や憂さ晴らしのために、子どもや俺の両親が犠牲なっている。
こんなことになるまで、養育費を払わない父親がいるなんて信じられなかった。
いまならわかる。こんな状況になると、子どもを思い出すのすら胸が苦しくなる。
子どもに会えたことは俺にとって最大に幸せだった。それでも、俺はこんなことが起きる前に死んでいればよかった。
諸外国は共同親権で年100日子どもに会うことが可能だという。
おれがこの一年半で会えたのはたった三回。刑務所の受刑者ですら、最低でも月2回は面会の機会がある。
お前らが結婚しないのは正解だ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68609
これの話
富山に住んでる独身アラサー女だけど、既婚の同級生に「早く結婚したら」とか言われたことがない。そもそも同級生に既婚者が少ない。未婚の同期と将来の話をすると「老後の蓄えってどれくらい要ると思う?」って話題になる。結婚をスルーすると次のイベントが死。
この人が「早く結婚したら」って言われたのは10年も前のことのようだから、10年の間に富山県民の認識もアップデートされたんじゃないか。知らんけど。
ただこれは私が周囲の人間に恵まれているというだけという可能性もあるので「私はそういうこと言われたことが無いから富山は閉鎖的じゃない」と言い切るのはおかしい。同様に「私はこういうこと言われたから富山は閉鎖的」と言うのもおかしい。
森市長の同性パートナーシップに関する発言は確かに問題なんだけど、同性が婚姻関係となることを認めないのが閉鎖的というならば日本そのものが閉鎖的ということになるので(実際そうなんだけど)、富山が特別閉鎖的とする根拠にはならないんじゃないかな。
この人は富山にチェーン店が増えることを嘆いているようだけど、私はそうは思わない。東京まで行かなければ買えなかったものが富山でも買えるようになるのは嬉しい。富山にセブンイレブンができたときもスタバができたときも嬉しかった。チェーン店じゃない地元のお店も行くけど、それしか無いのは嫌だ。様々な事情を考慮した結果都合が良いから富山に住んでいるだけなので、街に個性とかそんなに求めていない。暮らしやすくなってくれるなら没個性でもなんでもいい。
フォルツァ総曲輪は行きたいと思ったことが無かったし実際行ったことが無いんだけど、記事の短い文だけでも自己満足と内輪受けの香りがすごくて、そりゃあ無くなるだろうな…と思いました。この方、「富山」とかいうどうでもいい枠組みからはみ出てるとか出てないとか一々気にしていて、同じはみ出し者気取りと一緒に新しい縄張りを作りたがっているだけに見える。この記事しか読んでないから知らんけど。
あと富山の市街地の再開発は結構富山の個性が出ていると思う。この記事で言われている個性とは違う種類のものだけど。次世代型路面電車システム(LRT)は今まで富山にあった鉄道網を活用してて面白いし、車両がカッコいいから好き。Suicaを使えるようにしてくれたらもっと好き。最近読んで面白かった記事はこれ↓
90年前にMaaSの思想があった! 富山に根付く「どこからでも市街地へ」の精神
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1911/22/news030.html
コンパクトシティ構想は色々問題があったり批判されたりもするけど、あれが真に効果を発揮するのは私が車を運転できない歳になる頃だろうし、それまで富山市には頑張って欲しい。