はてなキーワード: 吉野屋とは
何が悪いんだろう。
確かに女っぽくは無い。
彼と一緒に女の子を見て「可愛い」と評価することがある。嫉妬はしない。
AVを見ることに拒絶感は一切無い。むしろ見たい。一緒に見ても良い。
オシャレよりも機能性(動きやすさや使いやすさ)重視。買い物は即決。無駄な時間は必要ない。
ご飯に行っても絶対割り勘だし、景気が良ければ奢る。奢られるのは好きじゃない。
豪華なディナーより吉野屋が好き。堅苦しいご飯屋さんは合わない。
「察して欲しい」とは思わない。思ったら(状況によるけど)言う。隠し事は一切無し。
クリスマスプレゼントも要らない。付き合った記念日?正直どうでも良い。
自宅でゴロゴロするのが好き。出かけるのも好きだけど、一人でふらつくのも好き。
でも、そうすると「彼女っぽくない」って毎回言われる。
ベトナム人が住人の多数を占めるシェアハウスで暮らしている(私は日本人)。
彼らは気前が良い。
使っているPCは日本製の20万円近くするものだし、持っているiPhoneは最新か1つ前の型だ。
とにかく手元にカネがあれば使ってしまうらしく、たった3万円の家賃さえ頻繁に滞納する。
「長い戦争経験から、ベトナム人は将来より今を優先させる」と、ある信頼できないソースで読んだことがある。
「地政学的に半島は領土維持が難しいから、散財しちゃう気持ちは分かるよ。だけど本当かなぁ…… 偏見じゃないの? パクス・アメリカーナ!」と、今日まで私は眉にたっぷり唾を付けていた。
茫然自失の私は、吉野屋先生でもクー子でもなく、"メメント・モリ"という言葉に思考を妨げられている。
カネを、使おう。
今を、生きよう。
私は書籍を中心に、過去6か月で126件もAmazonで消尽している。特に絶版古書は腹が痛んだ。
明日死ぬ確率は低いものの、病気発覚から1年も経ず、松来さんのように亡くなるケースは珍しくない。
20歳の人間が短期間で落命する確率は低いが、事故・病気で亡くなる『とある20歳の人』は、ある意味"100%"の確率で死ぬのだ。
あくまで確率は統計上の予測であって、一個人に数字をそのまま当てはめるのには無理がある。
今週、私の部屋(四畳半)に本棚が届く。高さ180cm、幅70cm。スライド式で、奥と手前に本を収納できる。Amazonでポチったやつだ。
『衣装ケースに本を満載させる』という、ウサギ小屋ライフハックが破綻し始めたのが購入動機である。四畳半暮らしにおいて、書棚は『場所取るし、倒れてきたら死ぬ』贅沢品なのだ。
食券販売という形にしていない理由としては、「お客さんとのコミュニケーションを大切にしているため
」ということのようだ。
「接客も大事な商品の1つ」と吉野屋では考えているようだ。自動販売機による食券販売だと、食べ終わったお客さんがそのまま店を出る、ということが多い。そうなると、お客さんとのコミュニケーションが少なくなってしまう。
そこで、あえて券売機を置かないことで会計の際、お客さんと接することができるようにしているようだ。効率化のみを追い求めているだけでは、長らく愛される店とはならない。いつの時代でも、お客さんを大事にすることが、成功の近道ということだろうか。
留年した年、親からの仕送りがストップしたため、1年間日雇いのアルバイトをした。
夕方6時から翌朝8時まで、自宅付近にあった運送会社の集配所で、荷物の仕分けをする仕事だった。
残す単位は2つだけだったので、学校に行く必要はほとんどなかった。
アルバイトに来るのは合計7人くらい。顔ぶれは毎日ほとんど同じ。
学生や見知らぬおじさんが来ることもあったが、2日以上勤務する人は本当にまれだった。
たまに続けて出勤する人もいたが、数週間くらいで来なくなり、またもとのメンツに戻る。
勤務時間が長いし、ずっとダンボール箱を移動しつづけるのは本当に辛いし、常連メンバーの雰囲気も独特だった。
学生はひとりもいなかった。
夕方、倉庫に到着すると、片側半分くらいがうず高く積まれたダンボールで埋まっている。
僕たちアルバイトの仕事は、ダンボールに貼り付けられた伝票を見て配送先を確認し、それに応じたトラックの搬出入口までダンボールを運ぶことだった。
たしかアルバイト求人票には「倉庫内軽作業」とあった気がする。
「軽作業」といっても、これはフォークリフトなどの重機を使わない作業ということで、人力でやる分には重くて仕方がない。
とくに古着が詰め込まれたダンボール、それから木枠に収められた小型エンジンは、手首が抜けるほど重かった。
朝方になると、その他の社員も出勤してきて、小さなフォークリフトを器用に運転し、人間の手では運べないような荷物を整理する。
そうこうするうちに運送トラックがやってきて、ドライバーたちが僕たちの仕分けた荷物をトラックに積み込み、各地域に向かって発車していく。
アルバイトが終わったら近くの吉野屋に入り、牛丼を二杯食べ、その足で銭湯に寄って、自宅に帰るなり泥のように眠るという日々を送った。
銭湯で風呂桶にとったお湯を身体にかけると、真っ黒になった水が排水孔に流れていった。
最初はびっくりしたが、どうやらフォークリフトのはき出した粉塵が、全身の体毛に張り付いているようだった。
鼻の穴に指をつっこむと、指先が真っ黒になるので分かった。
常連のアルバイトメンバーは、自分を除いて全員住む家がないようだった。
といってもこれは随分後になってから仲良くしてくれた人から聞いたことで、直接本人に確認したわけではない。
日給が1万円あればアパートを借りれると思うのだが、そういうことを聞ける雰囲気ではなかった。
どこで寝泊まりしているのか聞いてみると、大抵はクルマの中らしかった。
そういう人が話すのは「自分は昔はこうでなかった」とか「自分は昔上場企業に勤めていた」など、言い訳じみたことばかりだった。
たまに来る学生は「キツイ」「ツライ」と思ったことをそのまま口にして、そのまま来なくなった。
常連メンバーが自分のことを話そうとしないのは、美意識というよりは、言っても仕方がないという感情があったからだと思う。
そこに踏みとどまるために、そうせざるを得なかったのだと思う。
それが奇妙に居心地がよかった。
人に対する優しさでは決してないのだが、そう錯覚してしまうようなところがあった。
半年ほど経ってようやく打ちとけたおじさんとだけ、たまに会話した。
それが経営が手詰まりになり、奥さん子供と別れて、今は独り身とのことだった。
一時期は羽振りがよかったらしいが「今はこんなや」と言って笑ってみせる。
そんな物腰が他のメンバーとは明らかに違っていて、それが自分に話しかけてくれた理由なのだろう。
この元社長から「化粧の濃い女の人は、お願いすればやらせてくれる」と教えてもらった。
「本気でお願いすればいける。一度ではだめ。あきらめずにタイミングを見計らってお願いしつづけろ。そしたら三回目くらいでやらせてくれる」らしい。
そうしたら「ここが社会の底辺だ。ここでの仕事を続けることができたのだから、どこに行ってもがんばれるはずだ」と太鼓判を押してもらった。
いい思い出になった。
でも、あれから今まで、この時の経験以上につらいことがなかったかと言えばそうでもない気がする。
会社勤めのほうがつらいことが多い気がする。
今でも、なぜ自分がそのアルバイトを続けることができたのか、はっきりと説明できない。
なんとも言えない居心地のよさがあったのはたしかだが、それだけが理由かと言われるとそうでもない気がする。
そういう仕事をする素養があるのかもしれないがよく分からない。
今から15年くらい前の話。あの頃のことを今でもたまに思い出す。
別にたいした内容の話ではないけれど、あまり人には言わないようにしてきた。
今回はじめて書いてみた。
あの人たちは今どうしているのだろう。
関東在住女だけど
デートしててお腹すいてサイゼリアがたまたま近くにあって行くなら普通にありだけど
サイゼリア行く為にわざわざ交通費と移動時間かけるのは違うと思う
>相手のおごりならデート場所がマックとか吉野屋とかコンビニ飯でも文句言うのはおかしいと思うんだが少数派?
仕事帰りとか、何かのついでにこれならなくもないけど
わざわざ休日に出かけてってこの選択だったら自分だったら嫌な気分になるし、たぶん奢らせないと思う。
家で一人でご飯作って食べたほうが美味しいし、デートにかけた時間を家事に当てたほうが良かったって後悔する。
とりあえず、新札幌に行かなくても札幌駅北口にサイゼリヤあるんだけど……
もしかしたら当時は無かったのかな。
それは置いておくとして。
安い店なら札幌駅周辺にもあるし。西口地下の五右衛門でランチセットかなんか頼んどけばそれでいいし。
わざわざ新札幌まで行ったのは、ケチとかじゃなくてなんか別の意図があったんじゃないかと。
味が分かってる店のほうが安心して食べられるというのも一つ。
というかサイドメニューが充実してて絶対選ぶの楽しいだろ。
パンチェッタのせフォカッチャ? とムール貝のやつが食べたい。エスカルゴも食べたい。
あとミネストローネ。ファミレスのミネストローネはうまいはずだ。
会社違うけど某ステーキハウスのミネストローネを廃した奴は消えていなくなるべきである。
コミュ障的な受け答えですが、そもそもこの人の言ってる批判は、批判じゃなくてただの批難では?
マスコミのせいで言葉が汚されてますが、批判は、批(つき合わせて)判(はんだん)する事です。
批(つき合わせて)難(難癖をつける)ことではありません。
いまや忘れされている感がありますが、批判という言葉は、英語で言うCritical Thinkingという重要な意味をもっています。
今はどうか知りませんが学校の成績で批判力があるか無いかが記述されている事が有りました。
批判力があるというのは、帰納思考(例:吉野屋、松屋、すき屋、ちからめしの経営状態が良い。ならば牛丼屋の景気が良いのだろう)や、演繹思考(例:牛丼業界が儲かっている。ならばすき屋も儲かっているのだろう)といった事実に基づいた判断ができるという事です。
http://anond.hatelabo.jp/20101203150748
もう、いいおっさんの年齢なんですが、先日、とあるWEBサービスを公開しました。
5年ほど前からぼーっと考えていたんですが、如何せん事務職の自分には”創る技術”が無かった。
優れた若い技術者(id:amachangとかうらやましい)や、チャレンジ精神あふれる経営者(id:hiroyukiegamiとか)が出てくる中うつうつとしている自分に嫌気がさし、4か月前の7月頃からHTMLやプログラムの勉強を始めた。
プログラム素人が試行錯誤を繰り返し、幾度もの挫折を乗り越えてエロサイトを作る過程を追った、感動のドキュメンタリー。
文明の進歩は常に性欲と共にあった…とは言え、ここまでブクマを集めたのはエロの力ではなく、彼の努力が評価されたからだろう。
2010年の増田において唯一の2000users越え。堂々の第一位だ。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100219230508
そろそろ2010年も6分の1が終わろうとしているぜ。元日に立てた今年の目標はどうよ?今年こそTOEICで900点?今年こそ海外留学する?そんな目標は日々の生活に追われてすっかり忘れ去ってることだろう。社会人にとって最も重大な敵は日々の生活が忙しすぎることなんだよな。学生の頃はまだ自分が怠惰であることに自覚できる。「オレ(私)はだめなやつだ…」そんな自己嫌悪にも浸ってられるんだ。でも、社会人はそれがどんなにしょうもない仕事の内容であっても、「オレは毎日、仕事をしてるんだ!今日は英語の勉強をしなくてもいいことにしよう。週末にいっぱいやればいいや」って思うことができるわけだ。
ブクマはするが勉強はしない、ものぐさなブクマカ心理を考慮した、実践的かつ簡潔な内容が支持されたのだろう。
第二位だ。おめでとう。
ところで、TSUTAYAに海外ドラマのDVDを借りにいった後輩は英語ができるようになったのだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20100307164305
「牛丼並盛で」
「牛丼for everybodyキャンペーン適用でよろしいですか」
「なにそれ」
派生ネタは…残念ながら広まらなかったようだ。それでも第三位。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100419125641
ここ最近、会社の近くにすげえ気に入ったお店ができて、お昼は良く通ってんだよ。
しかし、かならず水曜日に糞DQN客が来て、水曜は避けていたんだ。
この前水曜日でもないのに、俺が飯くっていたら、そのDQN客がきやがって、「うわ~最悪」と思ったけど、食べはじめたばかりだったので、どうしようもなかった。
女性や老人がDQNを撃退して傍観者がメシウマ、というよくあるネタだが、これは展開の斜め上っぷりが人気の要因か。
第四位だ。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20101211092522
本当にババアどもはろくな事しないな、ということで
モンスターペアレントを激しく批判してみたら意外に支持を得て戸惑っているエントリ。
四位のエントリもそうだが、みんなDQNを攻撃してスカッとしたいんだよね。
第五位。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100904122315
自分のブログに書こうとも思ったのですが、会社が特定されてしまいそうなのでここに書きます。どこかに書かなければならないと思ったのは、この事実を誰かに伝えなければならないと思ったからです。
私が勤めていた会社はシステム屋さんです。2タイプの職場があって、一つはお客に注文を受けてシステムを開発してリリースして終了。もう一つはお客の会社に居候させてもらってシステムの維持管理をするというものです。私は後者のほうです。
お客は工場も複数構える結構大きな企業で、様々なプラスチック製品やコンピューター部品を作るところであります。日本だけじゃなくて海外とも取引があったと思います。
こういうエントリがよく伸びるのも、SEが多いはてなならではか。
真偽が怪しいところは増田らしいとも言える。第六位。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100423202625
私はTwitterが怖い。これだけ人気があるサービスだけれど、私は少なくとも三つの問題点を見て取れる: 1)Twitterは心理学にいう「間欠的不規則報酬」のほとんど完璧な実例である。これはスロットマシンが人を惹きつける仕組みと同じ。 2)Twitterを使うことで得られる強力な「人とつながっている感覚」は、脳を騙して「何か有意義な社会的交流を行っている」と思わせてしまいうる。その一方で、脳の別の(古い)部分では、そこに人間の生存にとって重大な何かが欠けていると「分かっている」 3)Twitterは「常時マルチタスク状態」の問題を悪化させる要因の一つであるーーもしかしたら他のものよりもっと強力かもしれない。Twitterをしながら(もちろん、emailでもチャットでも同じ)、深く考え込んだり、フローの状態に入ったりすることはできない。
心理学・脳科学的なエッセンスを混ぜ込むと、何故だか記事の説得力が上がるというテクニック。皆も真似してみよう。
第七位だ。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100620143255
俺は英語学習オタクだ。これまでの人生の中で大量の時間を英語学習に費やしてきた。中学校から始めて、日本にいてできる英語学習法は殆ど試したと思う。高校時代には学習参考書や問題集を二百冊以上終わらせた。ネイティブの個人家庭教師がついていて、さらにマンツーマンの英会話スクールにも通った。大学は迷わず英語学科を選んだ。大学在学中にTOEFLのスコアは640を超えた(厳密には覚えていないが、目標が640でそれを超えたのは間違いない)。
英語学習の限界を悟りつつ社会人として本気で英語を学習するはてな村民マジかっけー!
第八位。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20101022175359
理想の未来を思い浮かべてみよう。いや、地球最期の男になった自分がゾンビの群れを蹴散らす妄想じゃなくて、社会から見た理想の未来を。エネルギーはクリーンで無尽蔵、品物は豊富で汚い仕事は機械が全てやってくれる。みんな幸せでしょ?
ネット社会の将来に関する翻訳記事。個人的にはいちばん面白く読んだ。
第九位だ。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20101122004732
「うん」
「結婚願望は、特にありません。」
このシンプルな見出しの中に村民を釣るためのキーワードが四つも入っているよ。
第十位に滑りこみ。おめでとう。
参考)http://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&ct=res&cd=3&ved=0CA4QFjAC&url=http%3A%2F%2Fwww.jcif.or.jp%2FPubWorldDL.php%3Ffile%3D14&ei=lVHuSqjqH43k6gPJkqXsCw&usg=AFQjCNHNloSOCcKpddWEnP1efdbIM3ISuw&sig2=O8-lt-wzDd6pdxe7fRmx3A
きちんとした店で中華料理を食べると、日本とあまり変わらない。
一方で、屋台で粥を食べると一杯100円程度
日本ではどこにいっても粥一杯100円でおなかを一杯にすることはできない。
上下の差はそれほど大きくない。
中国において、多少裕福な家庭は家政婦を雇うのが一般的である。
日本において家政婦を雇うのは、相当裕福な家庭であろう。
例えば、月4万程度で家事一切を任せられるのならば、家政婦を雇うという人も少なくないのではなかろうか。
貧しい人には貧しい人の生活方法が提供されている社会と
そうでない日本。
駅前には小さな駅ビルがあって、スーパーの他、吉野屋、ドトール、マツキヨくらい入っている。本音を言えば、ドトールよりもスタバのほうが良いが、贅沢は言わない。
本屋、服屋はなくても問題ない。本はアマゾンでいいし、服は休日に渋谷に買いに行けばいい。
駅前から100メートルくらいの小さな商店街があって、ラーメン屋、喫茶店、焼鳥屋、和食屋、ショットバーぐらいはある。コンビニもある。
もうちょっと歩くと、国道沿いには焼肉屋とファミレスがある。ぎりぎり徒歩圏内にホームセンターもあると嬉しい。
住宅街には、ちょっと年齢層の高い常連のいる寿司屋と、出前もしてくれる愛想のいい蕎麦屋がある。
そういう街に、俺は住みたい。
今、「そんな街、どこにでもあるじゃん」と思った奴、お前はすごく恵まれている。多分都内在住だろう。
都内に住んでいた時は、どの駅で降りてもおおよそそんな感じだった。それが当たり前だと思っていた。
ところが、少し離れただけで(関東、それも東京通勤圏である)、駅前にあるのがコンビニだけ、というのが普通になってしまった。
仕事帰りに地元の店で軽く一杯、というささやかな楽しみさえ叶わない。
別に味にうるさいわけではない。高級珍味もレアな酒も興味ない。ただ、一日の疲れを癒す場が欲しいだけだ。くつろげるならチェーン店だって構わない。(ただ実際は、チェーン店は客層が悪くてくつろげないことが多いが)
こんな低レベルの願望、どの街でも簡単に叶うはずだと思っていたのが間違いだった。
『昨日、彼氏とファミレス行った』増田は、少し勘違いしてると思う。
そこでハンバーグを頼んだんだけど、
『増田は舌が子どもだもんね』というのは、「増田は普段から味の嗜好が子どもっぽいもんね(だからハンバーグなんて、子どもが喜ぶようなものを食べるんだね(笑))」という意味じゃないの。つまりそのコメントは、ハンバーグの味をどうこう言ってるわけじゃなくて、増田の普段の味の嗜好に対してのコメントだと思うんだけど。
たとえば、彼氏が無理して連れてってくれた美味しいパスタ屋で「ミートソーススパゲッティはあるかな~♪」的な行動をとったことはない? まともな店で食事したら無言でその後吉野屋行ったら異様に「うまいうまい♪」連発したとか。 それがいけないというんじゃないけど、そういう些細なズレが原因でささやかに相手を傷つけてる可能性はあるので、少し気を配った方がいいと思います。
食べ物の好みって結構妥協しづらい部分なんで、確かに「自分が美味しいと思うもの」をマズいと思う必要は無いです。でも、だったら同時に「相手が美味しいと思うもの」の価値を分かろうとする努力もしなければ、単に相手に要求ばっかりするワガママな人ってことになるんじゃないでしょうか。