はてなキーワード: 中学生とは
それは
死んだら本当に取り返しがつかない
子供が埋めない体になったら取り返しがつかない
わけで
はわけではないね
https://www.jica.go.jp/aboutoda/odajournalist/2013/316.html
によれば
途上国において
18歳未満の少女の出産は年に730万件、一日2万人に上る(2013年)」、「毎年、7万人の少女が妊娠と出産の合併症によって死亡している(同)」
よって途上国においておよそ2%死亡すると思われる
ではなく
2/100くらい運が悪いと取り返しがつかない
ということだね
子供の産めない体になるのかどうかは知らない
まず妊娠から出産までに、いわゆる「十月十日」を要することは?
ただの10か月間ではなく、母体が悪阻を経験したり腹をふくらませたりする10か月間だが。
中学生が海で大人と出会ってセックスしたみたいな普通のよくある事例が、
みんなの頭に無さそうなの、なんで?
しかも、大人が中学生を殴った場合は執行猶予の可能性があって、
同意してセックスして両者楽しかったで終わった場合は大人を実刑にしろと。
性に関して特別に抑圧的な人たちが多いなと、改めて。
ただの中学生と違うのか
「50歳と14歳が恋愛することはありえない」というのが、サヨクとフェミ側の認識なのか?
たしかに、万が一にも恋愛が成り立つことを認めると、それに続く議論がめんどくさい。
「恋愛関係があったときに、あえて国家権力が介入して処罰するべきか?」
「しかも現行の淫行条例ではなく、あえて強制性交罪で対応するべきか?」
みたいな問題を考えないといけなくなる。
例えば「暴力脅迫を用いず、児童買春をせず、ナンパ・出会い系の遊びではなく、親や教師のような立場を使わず、避妊具をしっかりと利用して相手の体調・心理を気遣った性交が行われ、発覚後にも14歳側が50歳をかばっている」みたいなケースね。
そういうものをガチの強姦犯と同じく、「強制性交罪」で処罰してよいのか? もし処罰するにしても、悪質性は低いんだから、なにか別の刑罰を用意する方がよいのではないか?
私はそう思ってしまうけど、「恋愛関係はありえない」「中学生は幼稚園児と同じくらいの判断力だ」という前提にすれば、この問題をスキップできる。
嘘といっても人をだまそうという大げさなものではなく、普通の人が誰でもするような虚勢、虚栄のようなものですが。
ですがほとんどの会話が京本との間であり、京本に対しては「京本の憧れの藤野先生」であろうとするばかりにことさらに虚勢を張っていて、発話のほとんどが本心と裏腹なことを言っています。なので本編にある藤野のセリフはほとんどが「嘘」です。
藤野が「嘘」をいうところの裏腹な本心が何かを追っていくことで分かりやすくなることもあるので、藤野の「噓」をたどって本編を追っていきたいと思います。
この記事内のセリフはジャンプ+に掲載された藤本タツキ「ルックバック」より、研究/批評の目的で引用しています。セリフの著作権は藤本タツキおよび集英社に属します。文としての自然さのために一部本編にはない句読点を補っています。
この問答の後にセリフはなく、二人で楽しく漫画を描いていた日々の回想が入ります。あえて問いに対する答えを文にするとしたら「あなたと一緒に漫画を描けるから。あなたが漫画を読んでくれるから。」とかでしょうか。でもそれだけなのでしょうか?それだけであれば、京本とは袂を分かち、しかももう読んでくれることもありません。
ここまで見てきた藤野の「嘘」と本心に着目するならばこうではないでしょうか:
無粋かもしれませんがあえて文にするならば「あなたと一緒に漫画を描けるから。あなたが漫画を読んでくれるから。そして、私は漫画を描くのが好きだから。漫画を描くのが楽しいから。」
あなたは失われてしまったけれども、漫画が好きだという気持ちを思い出したから、もう一度立ち上がって、漫画を描くことにした。そういう話だという風に読みました。
最初に読んだときは「5000円しか使わなかった」は文字通りの意味だと思いましたし、雪のシーンが事件直後にある意味もよくわかりませんでしたし、「なんで描いてるの?」の答は上で書いたようなことと思っていました。藤野の嘘とその本心に着目して読んだところ、ここまで書いたような解釈に変わりました。幾分解像度高く読めたのではないかと思います。
2次オリ注意
将来有益な能力をもつ高校受験生が合格するためにコロシアイする。全員、第一志望校は国内一の高校。その中で成績がいいもの、成績は良くなくとも光るものがあるものが来ている。超中学生級と呼んでもいいほどの逸材だ。
HEY!HEY!HEY!にゲスト出演で来た女性ミュージシャンから「劇場で出待ちしてる若い女の子たちの間では『松本人志は中学生が好み』だという噂が流れていた。だから、自分も中学生の時に、松本人志からナンパしてもらうことができるかもしれないと思って、劇場で出待ちをしていた」とは言われていたね。
ああ、自分にはなかった青春の一場面だなと羨ましいと思う反面、
自分のような下等な存在がそのように羨ましく思うこと自体がは罪なのだろうなと思う。
彼らは互いに選ばれた存在。
選ばれなかった存在はそれらしく、地面を這いずり回るのが性分。
コロナがない世界で東京オリンピックが開催されていたら、いったいどんな感じになっていたのだろうと夢想する。
開催直前になると、日本のメディアが現地に押しかけて、その都市の魅力や現地の様子をレポートしたりして、いつもわくわくしてくる。
いつもは海外で開催されるオリンピックが自国で開催されるのだ。
海外からたくさんのメディアや観戦客が押し寄せ、競技以外にも、日本の様々なものが世界中に配信される。
また、東京だけでなく、東京周辺に各国のキャンプがきて、親善イベントなども行われる。
そして、SNSでの投稿や、個人での生配信など、我々の当たり前が、良くも悪くも海外にたくさん伝えられることになる。
開会式も、例のMikiko案で、日本文化の伝統やサブカル、そして今でこそすっかり影を潜めているが、日本の電機メーカーや自動車メーカーなどが趣向を凝らしたハイテクを披露。
競技中継も、フルスペックの5Gで多視点での映像や、立体データを配信して、世界初のVR観戦で、世界中のファンとつながるとか、AIを使った競技分析などが瞬時にでき、日本のITも捨てたもんじゃないね、なんて言って。
肝心の競技の方も、ホームということもあり、いつもよりちょっと多めのメダルが取れちゃったりする。
それを見た日本人観客が街で溢れかえってこ盛り上がり、地方でも、選手のふるさとや卒業学校などのパブリックビューイングで、これまた大盛り上がり。
お店も大盤振る舞いで、酔っ払いが街中にあふれて、外国人観光客と意気投合したりして、それはそれで楽しい思い出に。
メダルを取った選手は、次から次へとテレビ局をはしごし、さんまとかジャニタレとかとキャッキャッとバカ騒ぎ。
ついでに、ネトウヨは、韓国の選手団の一挙手一投足をチクチクツイートして、相変わらずの低脳をさらし、これに応えるかのように、韓国も、日本の対応の悪さや旭日旗を見つけては大騒ぎ。
そして、いつものオリンピックのように、大会も後半に差し掛かり、あぁ、あと数日で終わるなあ、サッカーも決勝か、そして、いよいよマラソンかぁ、とお祭りが終わってしまう寂しさがやってくる。
力を出せず引退するベテラン選手、無名の選手の大健闘、下積み時代の苦労、最後まで応援しながらも亡くなったお父さんとの思い出、ライバル国(多分、韓国)との友情シーン、油断からの敗戦、胸熱の大逆転…
なんだかんだでドラマは必ず起きる(作られる)
これらのドラマがメディアによって繰り返し流されながら、最終日の閉会式の演出を見ながら
「やっぱオリンピックっていいよな」
今回は、自国開催なので、普段オリンピックを見ない人たちも話題になると思う。
そして、なんだかんだで、自国開催オリンピックを誇りに思うだろう。
これからの日本は人口減の影響がどんどん大きくなり、中流国としてどんどん没落していくのは既定路線だ。
そんな中で、このTOKYOオリンピック2020は、日本という国の最後の輝きになるはずだった。
それが、このような形になってしまったのは本当に残念だ。
選手はもちろん、関係者の皆さんが少しでも満足のできる大会になってほしいと心から願う。
特に、運営で陰ながら努力しているスタッフも大勢いるのだろう。(いなきゃこんなイベントできないしね。)
無能なトップのせいで、多くのスタッフがつらい思いをしながら頑張っているのではないかと思う。
オリンピックを応援することが、菅総理を応援することみたいで不服に思う気持ちはないでもないが、それとこれとは切り分けて考えたいと思う。