はてなキーワード: マッドマックスとは
だからなあ
一応の決まりとして分けられてるとか表示が有るとかは別に品川や新宿じゃなくてももっと過疎の駅でもどこにでもあるしそのどこでも逆走者いる
あいつらはあえてルール破ってる奴もいるしそもそもどっち通行とか気付いてない奴も多い
なんでそれをするか、出来てるかというと交通整理が緩いからだよ
厳格に整理すりゃ逆走は限りなく減るんだよ
なんでそこまで整理強化に逆らいたいのかわからん
昔は会得していて、鑑賞前に完璧にモードを合わせられたんだけど出来なくなった。マッドマックスを見る時はモヒカンになっていたし、12人の怒れる男たちを見る時には社会派だった。
今は違う。ユージュアル・サスペクツを受動的に見てしまうから最後のどんでん返しに特に感動もしないし、シャークネードを見ながら話の荒唐無稽差にため息をつく。
どうやればまた出来るようになるんだろう。
ポスターやタイトルロゴから得る印象に合わせて心の中にあるチャンネルを捻ってモードを調整し、それから鑑賞していく中でオシロスコープを操作するようにゆっくりと作品へシンクロしていけばいいはずなんだが……出来なくなった。
やり方が分からない。
映画を見に行こうとしてから一覧を見て観たい映画がないから諦めたりが多くなった。昔の自分は、アベンジャーズがやっていたら自分をアベンジャーズに合わせて楽しめたのに。
誰か教えてくれないだろうか。
この会話の話題の発端はここね。もう消えてるから1つめのは魚拓で
消費の痛みを感じさせないアイドルの仕組みとは……──太田省一 『中居正広という生き方』|レビュアー=西森路代 | ふくほん https://web.archive.org/web/20150901113131/http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=4038
「アイドルを消費する」日本に、『マッドマックス』が投下したもの 西森路代×ハン・トンヒョン - wezzy|ウェジー https://wezz-y.com/archives/22209
友人にも言えないのでここで。
最近話題の某コンテンツの盛り上がり方が苦手だ。共通の話法があるのか、主語がでかくてすぐ決めつけるような言葉で話す。
みんな誰しも好きなことを語る時は楽しいものだし、饒舌になるのもわかる(私にも覚えがある)のだけど、彼女たちがそれを話題にする時には常にうっすらマウンティングされている気分になる。マイナー感が強くて自分たちでもトンチキアニメだって自虐しながら、ほら面白いでしょ!???って押し付けるみたく多方面に営業活動してるのが目に障る。褒め言葉が過剰で主語がでかくて決めつけがちなのはなに?本当に好きで自分で感じたことを語りたいと思ってるの?面白くて強い言葉で話すと別のオタクが褒めてくれるから大喜利みたいになってるだけじゃない?
作品そのものは気になるし、きちんと触れたいけど、監督や声優のインタビューから引っ張り出してきたネタで延々と作品をこねくり回して褒めちぎっててそろそろ食傷気味。隙あらばキャストだけじゃなく、身近な知人の発言まですぐネタにして。最近別のコンテンツとコラボしてましたけど、「うちみたいなコンテンツとコラボしてくれてマジ感謝」「頭狂っててごめんね」ってお前は運営かよ。
こないだは別作品で、コラボのティザー告知があって、その作品のファンより彼女たちの大喜利のほうが盛り上がってて悲しくなった…。相乗効果でお互い楽しいのがコラボのいいところなのに、自分たちの推しポイントばかり押し付けているように見えた。てか、確定じゃなくない?それ。まだあなたたちのところの運営からは何のアナウンスもないんですけどね…。
もしかすると友人がことごとくハマってて仲間に入れないがゆえの嫉妬なのかもしれないけど、だからこそSNSにもどこにも吐き出せないんだ。3年前のマッドマックスの盛り上がりの時に、それを眺めていた人たちはこんな気持ちだったのかなって反省した。
けものフレンズ2が大いに荒れているそうだ。まー見てないけど。
だから振り返って1のおはなし。あと、これけもフレに云々言うのではなくFO3/4への文句なのでご注意。
廃遊園地がモチーフになっているように、世界観方面で不安を煽っていく。
実際作中でも露骨にポストアポカリプス的な要素が散見されて、実際人類は滅んだとまで作中で言われているわけで。
でも、それでも前向きに話が終わっているから、逆にFalloutへの不満が思い出されてしまった。
ちょっと話は変わるが、「ポストアポカリプス」的なフェチめいたものはわりと歴史的にサブカルチャーの中にあり続けた。
たとえば「ヨコハマ買い出し紀行」。最近だと「少女終末旅行」とか。
海外でいえば「マッドマックス」。ただこれはだいぶカルチャーの部分なのでゲームを見てみると、その中には「Fallout」という傑作が燦然と輝いている。
冷戦真っただ中で明日いきなり核兵器が頭の上に落っこちてくるっていうのがまああり得ない話ではなかった時代に生まれた作品が、そうした懸念が晴れた後の世代に影響を与えてできた作品と言えるのかもしれない。
「Fallout」はどちらかといえば「1984」とか「すばらしい新世界」の方向かもしれないが、ジョーク的なレトロフューチャー世界に準じているし、そういうロマンが詰まっている。
ことにこれらの作品に顕著なのが、「破壊のあとに生きる人間」というテーマだ。
「Fallout」の1、2を製作した製作会社の作品には特にこれが現れている。「war never changes」という言葉は「第三次世界大戦は石で殺し合う」という意味もあるのだが、大事なのは「世界が終わっても人びとは生きるために殺し合う」という明確なテーマを指すものだった。
わたしが初めて「Fallout」に触れたのは3だった。もともと「Oblivion」が大好きだったのでこれにも結構ハマったわけだが、もっとハマったのは「New Vegas」だった。そしてあとになってやった「4」は救いようのない駄作だと感じた。
なにが不満かと言えば、結局は「古い世界への郷愁」をわざわざ誘うような展開ばかりだったからだ。そのうえローカライズは「人は過ちを繰り返す」と訳した。
3のマップデザインを見てほしい。廃墟ばっかじゃん。戦争から何百年とか経ってるのに、ビルや建物はあんまり風化してない。
何が言いたいかといえば、「人が住んでない」ようにしか見えないのだ。
レイダーにはまともな拠点とかないし、ウェイストランド人の居留地なんていうのも生活感がまったくと言っていいほどない。
4はもっとひどい。風景が「せいぜい戦後20年とかじゃない?」という程度なのだ。おかしいだろ!
オンラインのヤツはやっていないのだが、正直こんなゲームを出していくのならBETHESDAには二度とFalloutシリーズを作らないでほしい。
まあ、それは無理があるのでわたしはNVのスタッフが作ってる「The Outer Worlds」を楽しみにしておくということで、愚痴おしまい。
定番はゾンビや巨人みたいな存在がうじゃうやいて一般人はすぐ死ぬような世界とか、北斗の拳やマッドマックスのような文明が崩壊していて弱肉強食に対応できずにすぐ死にそうな世界なんだろうが、最近やばいと思ったのが逆転裁判。
あの無能警察、検察、裁判官が跋扈する世界で序審法廷なんて制度があったら誤認逮捕、冤罪の発生率高すぎてやばいでしょ。
しかも検察のトップや警察局局長まで殺人犯で、それを隠して何十年も裁く側の地位に居るとか怖い。
弁護士がヤクザや有名検事とすり替わっても誰も違和感を感じないナチュラルに狂った世界で正気を保てる気がしない。
逆転裁判シリーズは現実世界とは異なる法制度「序審法廷(じょしんほうてい)」が敷かれているのが最大の特徴である。
それは新世紀になっても増加の一途をたどる凶悪犯罪に対処するために生まれた画期的なシステムであり、「三日以内に被告人の有罪か無罪かのみを決定する」という裁判制度である。序審法廷で有罪となったものは通常法廷に移され量刑が決定されることになるが、そこで無罪になることは決してない。
この制度のおかげで裁判のスピード化が進行したものの、結果として検事の権力が異常に増大し、冤罪の疑いがある案件も増えてしまった。
https://dic.pixiv.net/a/%E9%80%86%E8%BB%A2%E8%A3%81%E5%88%A4#h2_2
https://anond.hatelabo.jp/20171029184154
なぜ醜いものや生理的に受け付けないものを「素敵」「綺麗」と誉めそやすことを周囲が強制されなければいけないのだろう。
今までの一般的な常識から逸脱する行為(この場合は男性のワンピース着用)を着用者が意識的に選択しているのだから
「気色悪い」「近寄りたくない」というリアクションが出てくるのは至極当然だと思うんだよな。
そういったリアクションを受けたくないのなら旧態依然とした常識的な服装をするか、
限られた空間、例えば新宿二丁目とかゲイパレードでのみそういう恰好をするべきなんだよ。
例えばkissや聖飢魔Ⅱだったり、マッドマックスや北斗の拳の敵みたいな恰好をして
普通に市街地を闊歩したり電車に乗れば、ほぼ間違いなく周囲からは避けられるし職質もされるだろう。
これは差別じゃないだろ?そいつの恰好が奇抜過ぎて「やばい奴なんじゃないか」と思われてるだけ。
「避けられた上に職質もされた!差別だ!」って周囲にキレるのはお門違いも甚だしいって話。