子に優しく接することができない。
我が子とは思えないくらい優しくて気前のいい子だし、離れていると「どこかに遊びに連れて行かなきゃ」とか「あれを買ったら喜ぶかな」と思うのに、いざ実行すると全然優しくできない。
喜んでもらいたくて買った誕生日プレゼントも叩きつけるように渡してしまった。思い出すたびに子に申し訳なくて泣きそうになる。
愛情がないわけではない。でも子がいなければできると自分が考えていることが多いし、そう考えてきた期間が長すぎたのだと思う。
6年前に離婚して親元に帰ってきた。当初は子育てに関わっていたが、両親と見解が違い過ぎて頻繁にもめ、そのたびに1対2で「気に食わないなら出ていけ」と言われるので関わるのが苦痛になった。
「恥の世代」の両親は子が何かできないと、「自分が恥ずかしい」と考える。
子の忘れ物が多いと「ちゃんと世話できない親だと思われると恥ずかしい!」と持ち物を確認し、毎月教材が届く学研に申し込んであったのに「習い事をさせていないと貧乏だと思われて恥ずかしいから塾に行かせろ」と言う。
「忘れ物で学校でつらい目に遭えば態度を改めるかもしれないからしばらく放っておけば」と言っても、「自分が恥ずかしいから嫌だ」と聞き入れられなかった。
こんなことが続くうちに疲れ、子育てに関わるのがほとほと嫌になってしまった。
世話してもらっていることに感謝するべきだという考えは否定しないが、改善目的が子のためではなく自分のためだと何の衒いもなく宣言されると、受け入れづらい。
前の旦那と別居中は幼い子どもと二人っきりだった。私の作ったご飯を「おいし」と食べてくれるのが嬉しかったし、毎日成長を実感できるのも楽しかった。愛情を注ぐ先が子どもしかいなかった。
でも5年前に交際相手ができてからは子を足かせのように思うことが多くなった。彼は彼なりに子と関わろうとしてくれたし、出掛ける計画を立てるたびに子のことを気にかけてくれていた。でも私は子から、地元から解放されたかった。
彼に子とうまく接することができない自分を見られたくなかった。
その彼とは2年付き合い、その後も時おり子を交えて3年交流したが、先日絶縁を宣言された。
子は笑顔で話しかけてくれるが、私が会話をする気になれない。どう話していいのかわからない。
結局、私は5年かけて誰とも家族になれなかったのだと思った。
うんち
お子さんのためにも、産まなきゃ良かったかもね…。 だけど産んでしまったものは今更引き返せないね。 つらい。