はてなキーワード: パチンコとは
厚労省の資料ではギャンブルにより日常生活や社会活動に支障が出ている状態をギャンブル依存症と定義しているようだ。
そう、私はギャンブルを趣味としている。趣味なんてものではなく、もしかすると依存症かもしれないという不安を抱えながら。
2人の幼児を妻と一緒に育てながらそれなりの企業でそれなりの給与を得て暮らしている。
妻は専業ということもありバリバリ楽勝伝説ではないものの、一定の貯金をしながらも節々には旅行もできるぐらいの余裕はある。
子を持つ方ならある程度おわかりかと思うが、子育てというものは幸せを感じながらもストレスともお友達にならなければいけない事が多い。
子どもが生まれてからは真の休日というものは無くなった。子どもが生まれる前は、妻に許可をもらい稀にパチスロに出かけるなどしたがもはやそんな行為は無理である。
休日は子どもたちと一緒に暮らすためにほぼ100%を充てている。
そんな中でお前はどこでギャンブルをやっているのかと言うと、平日の夜か子どもたちが寝静まった夜中となる。
平日の夜は妻に黙ってのギャンブルである。仕事で遅くなる日の1/3ほどはその実パチスロに行っている。
とはいえ大した時間は取れない。早くて20時に会社を出て閉店の23時まで打ってMAXだ。
状況によっては21時か22時に切り上げて大盛りラーメンを食べにいくこともある。
行くのは月に2,3回程度。その短い時間で小銭の行って来いを楽しんでいる。
「小銭の行って来い?はい嘘乙!収支計算しないでたまの勝ちでプラスになってる気になってるんデショデショー」
なんて言う貴兄もいるかもしれないがそんなことはない。
私はギャンブルで負けるのが大嫌いだ。若い頃に苦渋をなめながら負けない方法というものを模索し続けてきた。
パチンコは無理だと考えているがパチスロは正しい手順を踏めば勝てるといって良いだろう。
とはいえ、食っていくレベルで勝てるかというとそれはかなり高いハードルなるのであるが。
もちろん負けている人も多い、多いと言うか超多数派だろう。
しかし、意思を強く持って勝ちを目指せば勝てるのだ。負けるのは意思が弱く神頼みする者のみである。
ここ数年は正しく打ては期待値が100%を上回る台がいくつか出回っている。
中でもディスクアップという台は最低でも機械割103%, 一日回せば期待値としては1万5千円程度あるのだ。
まぁ確率なんてものは1日程度では到底収束しないので勝ったり負けたりではあるが。
他にも100%超えの台は多く、さらにパチスロには設定というものがあり、打つことによりプラスになる可能性がある台は存在する。
まぁ他にも少しでも期待値を上げる手法はあるのですが結論はこれです。
打つべきは"打ちたい台"ではなく、"打つべき台(期待値が100%を超える台)"を打つ。これだけです。
楽しい楽しくないは2の次3の次かんしゃく玉投げカン太郎の東海道五十三次です。
勝つことが楽しさであります。いや大当たりも楽しいだけど負けたらその楽しさ上書きされちゃうので。
そのような台のみを集中して打つことで私は負けていない状況を作っています。意外と現代のパチスロで勝つのは簡単です。
(技術的なものや、行って来いが落ち着くぐらいの試行回数(=時間)を費やす必要はあるけども)
私のギャンブルはこれだけではとどまらない。先に書いたもうひとつ、夜中のギャンブルだ。
ここまでの話はコロナ前の話だ。コロナ以降、弊社もリモート化が進みほぼほぼ今日まで在宅勤務が続いている。
コロナ禍の中、パチスロに行けずギャンブルがしたいなぁとモヤモヤしている日々。
あ、そうだ。と思い出し、一時期ハマっていたネットポーカーのアプリを開いた。
ポーカーご存知ですか?面白いんですよ。海外ではもっとメジャーなんですが、
テキサス・ホールデムという形式のポーカーがすげぇ面白んですわ。
もちろん負けたくない私は研究を重ねます。本業でこれぐらい勉強すればいいのにね!
ポーカーとは学んだものが学ばないものから金をかっぱぐ!これがポーカーであります。
ただですね。学びにより一定のプラスは生まれるようになったものの、
ポーカーは時間あたりの期待値が低いのです。小さい金額をちまちまと稼がなくてはならない。
高いレートは強者だらけで収支は安定しない。高額賞金のトーナメントは平気で10時間とかかかる。
そんな状況に疲れてポーカーからはフェードアウトしていきました。
でも、パチスロができない状況ではそんなこともってられず通勤時間が減ってちょっと時間も余裕ができたのでポーカー復活と思ってたらですよ。
アプリのポーカーのタブの横にカジノがあったので押してしまいました。
お前それそもそも違法じゃないのって話は「オンラインカジノ」という存在に法が追いついていないので結論が出せない。
ということでご容赦ください。一定のリスクは理解した上でやっているつもりです。
閑話休題。
いやですね。それ抜きにしてもオンラインカジノは基本ダメです。
ルーレットとかは約97%,一番高いブラックジャックで99%超といったところ。
当たり前ですが100%以上はないという状況です。
やればやるほど損をする。それがオンラインカジノです。
そんななかでも研究はする私。なんとか勝てる方法は見つけました。
はいはいワロスワロス、クソみたいなオリ攻なんでしょ?とか思われるかもしれませんがそんなんじゃない!!
ギャンブルの楽しさは排して、ただただ期待値を追うだけの方法です。
結局はこれなんですよ、勝つには地味な作業を繰り返すだけ。
そんなこんなでオンラインカジノ界でもなんとか勝つ方法を見つけてしまったのです。
しかし困るのは生活が困窮すること無くギャンブルが続けられるということ。
楽しいのだが虚無も結構ある。副業と割り切っても良いかもしれないが、あまり勝っても確定申告が必要となる。
多少家族に嘘ついてるけどこれは許容範囲じゃない?そんなことない?
このギャンブルがドラマ視聴という趣味だったらどう見えるだろうか。
しかしあまりドラマ依存症やゴルフ依存症という言葉は聞かない。
という具合になんだかわたし、もやもやした気持ちが続いているんですよずっと。
別に診断が欲しいとか、大脳がこわれておる、ワイコーワイコーと言われたいわけでもなくて、
ただなんか、わたしはこのままでいいのかな?もっとやることあるんじゃねーかな。
と思ってるので転機がほしくてこんな増田をしたためているのかもしれません。
ちなみに業務中(合間だよ!ちょっとした合間!)にこのような増田をしたためてしまうのも、現実逃避をしているので増田依存症な面もあるのかもしれません。
月七万を握りしめてパチンコに出陣する人々がいそう
瞑るべきっしょ。実害ないし。
お互い折れるところ折れて、どうしても折れたくないところは折れなくては色恋の長期化に必要だ。夢ばかり見てられないし、なにかもが全て会うってのは「会うって嘘がうまいやつ」だけで、捕まえたと思ったら豹変するよ。
それより金銭感覚とか、ガチャゲパチンコだとかみたいな浪費する趣味だとか、裏で浮気をしていたりだとかそういうところみなよ。
自前でローンを組んでバイクを買おうとしているが、両親が頑なに反対して鬱陶しい。
まだ1年半しか乗ってないのにだとか、お前の給料じゃ払いきれない(手取りは自分の方が多い)だとか言ってくる。
は?俺はパチンコ開発やってたけど?
アニメ(特に可愛い女の子が出てくる奴)って以前は今以上に世間から冷たい目で見られていて
好きってなかなか表に出せない感じがあったな。
でも、なぜか漫画は許されてた。
たぶんそれは当時の若者?の好みの主流から「外れていたか/含まれていたか」の差なんだろうな
そこでのコントロールが効いていたんだろうね。
そのうちSNSやネット動画が存在感を増していって今に至ってるんだけど
体感ではパチンコ・パチスロコラボが増えたあたりからファン層が一気に広がった気がしている。
(卵が先か鶏が先かというのはあるんだろうけど)
一見かわいいけど性的な記号を仕込んだり強調している絵って多いから。
漫画アニメの中だけのちょいエロファッションだったミニスカート+ニーハイがリアルで流行りだしたり
最近の若者はオタク趣味?を恥ずかしがらないみたいな話が聞こえだして
時代も変われば変わるもんだなーなんて言いつつ
心のどこかではそんなうまい話があるのかなと疑問に思ってた。
だから昨今の「あの絵の乳がでかすぎる」とか「スカートのシワが卑猥だ」みたいなクレームは
思ったより遅かったけど、そりゃそうなるよね、という納得感はある。
ただエロいとか不快みたいな感覚的な基準での規制となると本当に難しくて
強い罰則つきの法で縛ったりしたら
あらゆる属性の人々が己が不快と思うものを報復的に破壊していった結果後に何も残らなかった
スロットは確かにテクニックにより変わってくるゲーム的なインタラクティブ性があって、パチンコよりは文化的かもしれないと思った。
でもゲームの本質が結局のところギャンブルでお金を稼ぐ幻想を見せることにある点で、文化風の虚無行為という印象までは覆せてないな。
まあ健全か否かは評価軸がブレるから置いとくとして、プレイヤーがそれを遊戯として誇れる、心から楽しめる、文化だと主張できるかどうかが一つのボーダーラインだと思うんだよね。
だから「いかにクソかを語る」んじゃなくて「いかに好きか」とか「どこで感動したか」みたいなポジティブな感情がないと、たんなる乱数が見せる射幸性に人間が操られているだけの文化未満のものになってしまうと思うわけ。
で俺は未だにパチンコやスロットに文化の萌芽が見られるかどうかについて、やっぱり懐疑的な印象を拭えていない。歴史はずっと長いけどさ。
ソシャゲについてはネットを見てるだけでもこう好きが溢れんばかりの怪文奇文を頻繁に目にするんだが、パチは確かに俺が実際触れてないせいもあるがパチがめちゃくちゃ楽しくて嬉しくて感動して仕方がない的な文章を目にしたことがない。俺のネット歴20年超をもってしてもだ。だからそういうジャグ?とかいう専門用語も初めて聞いたし、本当にパチンコプレーヤーがパチンコの遊戯性を愛しているなら、それについて増田とかで熱く語ってくれ。そうすれば俺も意識を改めるだろう。そういう機会がないままなら、やっぱりパチンコプレーヤーにはそうしたオタク的な深く掘り下げる楽しみ方をする文化と呼べる域の風潮は存在せず(もちろん個人レベルではいると思うが)、大勢としては「勝つ(=パチで儲ける)」ことを主眼に遊びそして遊ばれる泥沼の脱法賭博にすぎんという印象のままになる。パチンコが健全な文化であることを発信してくれ。頼むよ。
パチンコにゾンビのように集うおじさんはパチンコを愛しているのか?
違うだろう。大半はお金を愛しているだけだ。大当たりした体験に囚われ、そういう心理を植え付けるパチ屋に騙されているだけ。
けれどソシャゲに課金する若者は、ほとんどがコンテンツやキャラを愛し、開発運営を労いつつ期待をかけ、その世界の「次」を見たくてお布施している。
ガチャで爆死しちゃったとか自嘲するのは、だいたい照れ隠しだ。お布施にはなっているんだから、彼らはそれほど後悔も反省もしてない。
そして多くの人が遊んでいる作品では、それに報いるような素晴らしいアップデートを重ねてくれる。そうして愛着が深まる。そういう循環。
とはいえガチャ爆死は辛いから、それに耐えられん人は課金してガチャを回す前にグッズの類を買っている。