はてなキーワード: トルエンとは
そんな経験は、私には残念ながら無い。
なぜなら、応援した、しているアイドルは今のところいないから。
アリータ バトルエンジェルが、公開される。公開延期になったけど。
感慨深いわぁ。20年前、ビジネスジャンプで連載中から、それだけを読んでいて、単行本集めて、打ち切りエンドで、ファ!?ってなったと思ったら、ウルトラジャンプで再開して、イブニングで新章始まったりして。その間には、銃夢HN事件もあったりして、ガッカリしたりして。
長い、長いなぁ。ガラスの仮面とかと比べたら、楽勝なんだろうけど。さらには、銃夢のマイナーさのため、一般人には話が通じない。
そんな漫画が、ジェームスキャメロンですよ。めっちゃ凄いやん。
もうね、例え中身がスカスカ、クソ映画だったとしても、映像化されただけで、大満足ですわ。
これを書こうと思ったきっかけは、人気記事にあがっていたこの記事
「会社で臭いと言われるのだがどうしていいかわからない」https://anond.hatelabo.jp/20180918135609
似たような症状で悩んでいる人がいることを少しでもわかって欲しい。
この症状の改善策を見つけたい。
この症状で一番辛いことは、生きているだけで他人に迷惑をかけることである。
あまりにも私の経験と一致するところがあり、何か情報を得られないかとこれを書いている。
私も全く似た症状で数年悩んでいる。
臭いと言われ、咳払いをされる。
臭いと言う人もいるし、臭くないと言う人もいる。
私と同じ空間にいる人は、喉にたんが絡みよく咳払いをする。
喉にたんが絡み咳払いするのなんて誰だってするよ、と思うだろうが、私の行く先行く先で異常と思うほどに反応される。
統合失調症ではないかと思われるかもしれないが、今まで普通に生きてきたので統合失調症ではないと思う。
よく分からないことは、
・私のことを臭いと言う人と臭くないと言う人が極端に分かれていること(臭いを感じる人と感じない人がいること)
・私がいるだけで周りの人に刺激(私の場合は、周囲の人への喉への違和感)を与えてしまうこと
この症状になった心当たりは、
・長期的な過度のストレスを感じていた
である。
臭くないと言う人は、病院の先生、健康診断の先生、今の親しい友人
臭いと言う人もいるし、臭くないと言う人もいる。臭いと言う人は本気で臭いと思っているし、臭くないと言ってくる人と話をしていても本当に臭いを感じていないように見える。
「会社で臭いと言われるのだがどうしていいかわからない」のコメント欄を見て思うことは、この症状を経験した人でないとこの症状をありえるはずがないと思ったり、会社からのパワハラだと言ってしまうのも無理がないところである。この症状を経験している私自身こんなことが本当にあるのかと思っているのだから。
ここで、PATMと呼ばれる症状を紹介したい。
「PATMとは、一緒にいる自分以外の人がくしゃみやのどの違和感を訴え、まるで自分がアレルゲン(アレルギー症状を引き起こす原因)のようになって周囲の人に影響を及ぼす症状です。つまり本人に異常は無いのに、周りの人がアレルギー症状のようなものを訴えるようになるのです。本人が自分の体臭に敏感になり発覚することもありますが、それ以外には自覚症状が出ないためなかなか気が付くこともありません。」(引用)
このPATMは、2018/3/6の世界仰天ニュースでも放送されている。
http://www.ntv.co.jp/gyoten/backnumber/article/20180306_03.html
私がこの日記を書こうと思うきっかけになった日記「会社で臭いと言われるのだがどうしていいかわからない」のコメント欄にもPATMではないかと指摘がなされている。
私はずっとこの症状に悩まされていて、このPATMと名付けられた症状が世の中の一部の人に起きていることを理解した時、この症状で悩んでいるのは私だけではないんだと気持ちが楽になったことを覚えている。それまでは、この症状は私だけのもので一生治るものではないし、一生他人には理解されることはないと思っていたから。
PATMは、今まで精神的なものだと思われることが多かったようだが、今年発表された論文
( 皮膚ガス測定および鼻腔内微生物検査に基づくPATMに関する考察 https://www.jstage.jst.go.jp/article/siej/21/1/21_19/_article/-char/ja )
によると、被験者の皮膚ガスからトルエンやキシレンなどの化学物質が基準値より極めて高い量検出されており、精神的なものではないことが明らかになっている。
また皮膚ガスを測定した人の中では基準値の100倍近い化学物質が検出された方がいるようだ。
私の今の現状は、この症状を治したくて病院へ行っても症状を認識してもらえないため、治療することが出来ていない。
自分でも、洗濯をより注意したり、歯磨きを注意してしたり、食生活を改善したり、睡眠を多くとったり、ストレスを貯めないように生きている。
なにより辛いことは、この症状を理解してもらえないことである。
同じ空間にいる人にアレルギー反応を起こさせてしまい、病院に行ってもあなたは普通だと言われ治したくても治せない状況にいる。
会社のようなストレスのかかるところにいると臭いを発し、ストレスがかからないところだと臭いを発さないのかもしれない。
なぜこんなにも臭いと言う人と臭くないと言う人が分かれるのか理解できない。
これだけ気を使っていても、私に対して臭いと平気で罵ってくる人がいる。
会社以外は外に出られなくなった。会社にすら行けなくなったらもうおしまいだと思っている。
休みの日は家にこもり、人混みをさけ、会社に行くときも交通機関を使うのをやめた。
こんな状況じゃ何もすることができない。
何か新しいことを始めたいと思ってもすべて足かせになる。
自分がいるだけで周りの人に辛い思いをさせているのかと思うと本当に辛い。
生活保護を受けようと思ったって、医者にすら理解されないのにどう説明したらいいのか。
今はいいけどこれがずっと続くと思うと長くは続かないと思う。
これを読んでこんなこと本当にあるのかと思う人も多いと思う。
何より、生きてるだけで他人に対して迷惑をかけてしまうのが本当に辛い。
何か発展があるのなら、身バレ覚悟で東京の代々木公園に時間を決めて座り、この日記を読んでもらった人に通りかかってもらって理解してもらえたらなと考えている。
追記 09/25 8:25
PATMについてダイヤモンドオンラインで紹介されていました。PATMについて化学的に研究されている先生の記事になります。
https://diamond.jp/articles/-/157697
「シックハウス症候群の時は15年以上かかった。皮膚ガスがアレルギー様症状を誘発するかどうかを精査する必要があり、皮膚表面に棲む常在菌の関係も調べたい。その後、仮説が正しければ、なぜ体内から化学物質が出てくるのかといった医学的な研究が要る。そのためにはまず、PATMに興味を持ってくれる研究者を集めるのが初めの一歩になる」(抜粋)
追記 09/25 16:03
私と逆の立場の人の投稿を見つけた。2014年の投稿。私は何らかの関連性があるのではないかと考えている。
http://q.hatena.ne.jp/1393263179
職場に化学物質過敏症の人が何名かいます。その人達だけは、ある特定の人が出社している間、咳やのどの痛み、目の痛みが発症し、その人が不在のときは症状が起こらない状況が続いています。状況からアレルゲンがその人であることは明らかなのですが、相関関係を立証できないため、会社に環境改善を訴えても取り合ってもらえません。立証できないのに注意をすることでモラハラだと訴訟を起こされるリスクを徹底して避けているようです。実際に医師からアレルギー症状や喘息と診断されている人がいるのにも拘らずです。このような場合は、今の医学や法律では、理解されることの少ない、化学物質過敏症の人が泣き寝入りするしかないのでしょうか。(投稿全体を抜粋)
追記 09/25 22:40
たくさんの方から読まれており、改めて調べ誤解されたくないことを書いておきたい。
PATMと臭いについて多く書いたが、PATM(People Allergic to me)は、名前の通り、周囲の人にまるで自分がアレルゲン(アレルギー症状を引き起こす原因)のようになって周囲の人に影響を及ぼす症状である。
PATM = 臭いと感じる人、感じない人がいる臭いを発する症状ではないこと、そしてPATM自体が臭いを伴うものではないことを書いておきたい。
実際に診療されている先生のサイトを見ると、PATMの人の中には、それとは別に異常な体臭を伴う場合もあるようだ。(出典 https://www.konishi-clinic.com/symptoms/patm.html)
私はこれなのかもしれない。
臭いに関して多く取り上げられているように感じるが、PATMの問題は周囲の人にアレルギー反応を起こさせてしまうところである。
この日記は私が経験したことを書いたものであり、PATMについては実際に研究されていてる先生の記事、診療されている先生が書かれているページを見ていただきたい。
臭い人に対してわざと咳払いをするなどのコメントがあるが、私の経験では、それとは違い我慢したくてもできないように咳き込むのである。
同じ空間にいる人に臭いと思われているか、思われてないかは口に出してもらわないと分からないが、咳き込み辛そうにしているのは分かる。
この日はすごい反応される、この日は全然反応されない、この日は普段と同じだ。
何が違うのだろうと考えたりするがよく分からない。
体調と同じで何かが関係しているのだろう。
私が一貫して言いたいことは、私がいると周囲にアレルギー反応を起こさせてしまうことである。
PATMの症状を訴える人の皮膚から皮膚ガスとしてシックハウス症候群(症状は、目がチカチカする、鼻水、のどの乾燥、吐き気、頭痛、湿疹など)の原因とされている物質が基準値より極めて高い量検出されており、それと同じ症状が周囲で起こっているのであれば、何もない訳がないというのが私の本心である。(出典 https://diamond.jp/articles/-/157697?page=2)
この原因を究明しようと研究されている方がいる。
私も検査などできることをやっていきたい。
だいたいが「香りのマナーに注意しましょう」「柔軟剤の量は守りましょう」で終わり。
ところが、すでに、韓国や日本国内のNPOがほんの数種類ではあるが、
・グルタルアルデヒド…頭痛、めまい、接触性皮膚炎、喘息などを引き起こしやすい。毒性が強い。
・イソシアネート…呼吸器や目の炎症の他、中枢神経を侵される危険性あり。毒性はトルエンの百万倍
香りばかりが重視されているが、こういった有毒成分にも着目しないと、
で、CMでうたっている「香りのマイクロカプセル」は香料をイソシアネートでくるんでいるわけだが、
洗濯してもなかなか落ちないほどの頑固さと、長期間香りを放出する特性を持っている。
これが、吸い込むと一部は肺の中に溜まっていく。
そして、肺は洗浄出来ない。
「塵肺症(じんぱいしょう)」という病気になる。
肺線維症を起こしたり、気管支炎を起こしたり、肺の弾力が失われて、
中国のPM2.5が以前騒がれていたが、国内でも似たような物が生活用品として
日々使われて生産されているわけです。
それから、化学物質についていろんな記事を読んできて思ったのだが、
柔軟剤の香りが好き過ぎて、スプレー容器に入れて部屋に撒いているという人がいるらしいが、
イソシアネートで脳の神経がやられているんじゃないかと考えています。
「この香りが死ぬほど好き」と言い、人から注意されると切れてわめく。
そういえば、最近いきなり切れて犯罪を犯す人が増えていることについて、
このあたり、医者や科学者も注目して、国に提言して欲しいところです。
たかが柔軟剤ごときで国民の健康や安全がおびやかされるなんて、
とんでもないことです。
参考URL
最近声高い男ボーカルが流行っているのか、数が多くて辟易している。
もっと男臭い、低い、泥臭いような声を出すバンドを知りたいから教えてくれ。
参考までに、増田はエレファントカシマシ、イエモン、amazarashiあたりが好きだ。
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■追記
現時点でブクマに挙げてもらったものをまとめてみた。(21:31時点/トラバは今まとめてる)
リンクとか追加するかも。
泉谷しげる with LOSER
SUPER BEAVER
https://www.youtube.com/watch?v=YXFSr_JFVj0
memento 森
忘れらんねえよ
OKAMOTO'S
甲本ヒロト(現:ザ・クロマニヨンズ、※増田注:個人的にはTHE HIGH-LOWS推したい)
OLEDICKFOGGY
Nothing but thieves
Catfish & the Bottlemen
Royal blood
Creedence Clearwater Revival
Silhouette From The Skylit
Joe Cocker
The National
Tom Jone
Warren Zevon
John Cougar(現:John Mellencamp)
Guns N' Roses
Phil Anselmo
Howard Andrew Williams
Clutch
Bunker Hill
Alabama Shakes
Motörhead
Kaleo
先日、「週刊金曜日」という雑誌に「ひろがる香害」という記事が掲載された。
やっと…という感じである。
イソシアネートの毒はトルエンの一万倍も酷いという。
他社ではあまり大きく取り上げられなかった。
というより、各新聞社が「取り上げない」のだ。
P&Gに至っては、行政機関から成分の質問をされても隠したくらいだ。
なんとも恐ろしい。
最初から「なんとなく体に悪そう」といって、全く使ってなかった。
彼女達の勘は素晴らしいと思う。
自分の健康も徐々にむしばまれていく…そんな生活用品を売る企業ってどうかと思う。
ちまたに売られていたら、安全だと普通の人は思ってしまうだろう。
身を守って欲しいと思う。
そして、拡散してほしい。
買えないこともないと思うけど、放火するならガソリンでいいのになんでトルエンなのか。それにトルエンはPETを侵すのでこの記事の方法で持ち運べるのかなあ。
まぁ、タイトルの「レガシープログラマ」とは私の事なんですけどね。
if( foo == TRUE ){
という判定文をよく見かける(fooはいろんなオブジェクトだと思ってほしい)。
個人的には、この書き方、嫌いなんだよね。
if( foo ){
か
if( foo != FALSE ){
と書いて欲しいわけよ。とにかく「TRUEか?」という判定にはして欲しくないわけです。
で、なんでこう書くの?と外注や若い連中に聞いたら、「TUREは1ですから」と必ず答える(断言する)。
あ、あれ???自分は「TRUEはFALSEでは無い。確定しているのはFALSE=0という事だけ」だとずっと思っていたんですわ。
古いC言語風に書けばこんな感じ。
#define FALSE 0 #define TRUE (!FALSE)
確かに、実際に値を表示させてみると、昔のVC6だと「1」という結果が出てくるし、VB6だと「-1」という結果が出てくる。これ、当時混乱の元だったんだよね。
新しいC++や規格ではBOOL型というのがきちんと定義されたと思うけど、製品寿命が20年とかいう私の職場では、DOSやC(K&R)、アセンブラは現役だし、プラットフォームもなにもWindowsに限らない。組み込みマイコンも使う(うちのところはVxWOKSだが)し、UNIXやLINUXも使う。
もちろん、マネージドC++(.netFramework)やC#、JAVA、Parlも私は使うし。でも、どのプラットフォームでどの言語になっても「TRUEか?」という判定文は使ってこなかった。
で、試しに、VC2008のincludeフォルダをgrepしてみたら、
#define TRUE 1
あ、ほんとに「1」だ。
typedef bool int
なんて見かけるから、やろうと思えば「5」でも何でも数字が入ってしまうわけですよ。そこで「== TRUE」なんてやられたら、絶対に成立しないわけで。バグの温床になるんじゃないかなー、と思ってかたくなに前述の姿勢を持っていたわけです。
今(最近の)言語はきちんと「BOOL」型(またはboolという名のクラス)を定義されていて、コンパイルエラーになるか、自動的に補正してもらえるのかもしれないけど、ちょっと気持ち悪い。
最近、ちょくちょく外注や若い連中と意見や話が合わず、「ああ、俺ってレガシープログラマなんだな」と思う事が多くなった今日この頃。ネットワークに平気でリトルエンディアンのデータを流すとか、勘弁して欲しい。LANアナライザでデータが見にくくてしょうが無い。
俺は「グリコ・森永事件」が起きた1984年に中学三年生の春を迎えた。
その年に俺の中学で起きた「ちょっとした事件」に直接関わっていたが、黙って暮らしてきた。「時効成立なので」という訳ではないが、小文をしたためさせてもらう。
俺の住んでいたところはグリコ・森永事件の現場(東は滋賀県、西は兵庫県西宮市)の両端の間に位置し、多感な時期であったこともあり、何か、事件の犯人は近くに住んでいるのではないかと感じていた(そういう噂も内々にもあった)。
俺の行っていた中学は行区内にいわゆる「文教地区」ではないところもある、関西では一般的な「柄が少し悪い」学校だった。
中三の時期、俺の学年は田中(仮名:以下略)がワルで仕切っていた。学年にもう一人、佐藤(仮名:以下略)という、中二からメキメキ、ワルさを極めを力をつけている奴がいた。当然、田中および取り巻き(俺も末端ながらその一人だった)は佐藤のことを「いちびってる」として「そのうち、締めよう」と考えていた。佐藤は仲間とつるむタイプではなく一人で田中グループの人間をシバきまわしたり、「カツアゲ」していた。俺も佐藤に小遣いをむしり取られたことがあった(ちなみに田中には「制度」として上納していた)。
グリコ・森永事件が広域事件として、社会を騒がせていた時期、俺の中学も小さい宇宙の中で、ちょっとした「抗争」が起きようとしいた。
案外、田中は早く動いた。中学の屋上に佐藤を夜に呼び出して、シバキ回して「ヤキをいれよう」ということになった。俺も参加するよう言われた。でも、何か怖くて、その晩はバックれた。後で田中の子分に「小心者」と罵られ暴力を受けることは覚悟していた。
Xデーは訪れた。翌朝、佐藤は中学の校舎の裏側のコンクリの上で、落下死体として発見された。田中の周辺からだいたいのところは聞いた。田中と佐藤で屋上で殴りあいをして、田中は佐藤を組み伏せた。田中側は複数だったかもしれない。
当時、俺の中学ではシンナー、トルエン遊びが流行っていた。田中たちは下になった佐藤に無理やりシンナー、トルエンの混合物を目茶苦茶に吸引させた。田中は容赦ない奴だったので、その前に佐藤の肋骨を数本、踵で体重をかけて、内臓にめり込むよう折っていたし、腕もへし折っていたようだ。
激高した田中とその取り巻きはぐったりした佐藤を校舎の屋上のフェンスから投げ落とした。現場に俺は居合わせてなかったが、田中の「肋骨折り」は以前も目撃したこともあり、怒り狂った田中の凶暴さは知っていたので、佐藤を「落下」させることくらいはやりかねないと思った。
佐藤の落下死体があったことから、朝から警察が来てものものしい雰囲気だった。田中らは逮捕されるだろうと思った。少年院とかに行くだろうし、本人たちもそういった人生を選択していると思った。佐藤が死んだことには、少し「ぞっと」したが、所謂「想定内」であった。
その日の夕刊に警察発表の記事が社会面に載った。一段扱い、小さな記事であった。
とひっそり、単独事故死ということで片付けられていた。
その後、田中とその側近たちは登校しなかったし、先生も佐藤の転落死などなかったように静かに中学義務教育を継続した。
俺は、怖かった。佐藤が殺されたことよりも、何百倍も「転落死」として処理されたことが今でも怖い。丁度、グリコ・森永事件の犯人が捕まらなかったのと同様、国家権力をもってして、外傷を受け複数の骨が折られた死体も「事故死」とする方が都合がいいこともあるのだと、中学三年生のときに知った。
よく殺人で捕まった犯人が累犯として他の犯行も認めたという報道もある。きっと真実もあれば、コントロールされた「事実」もあるのだろうとずっと思っている。
高校に行って、社会人になったが、静かに人生を送るように極力つとめるようにしている。まあ、それが、日本における市民の普通の生き方なのかもしれない。
田中および一番側近の村上(仮名)はその後、任侠の見習いをしているとも聞いたが18歳の時、死んだ。深夜、国道を田中のスピード運転でカーブを曲がり切れず対向車線にはみだして、タクシーと正面衝突。田中と村上、そしてタクシーの運転手さんまで即死だった。田中はアルコールを飲んで運転していた。
先日、実家が引っ越すので荷物を整理して、中学校の卒業アルバムを見つけた。佐藤はもちろん、田中、村上他の写真もなく、彼らは最初から存在していないようにアルバムされていた。
多言語化に必要な時間や労力と、言語の多様性の価値とは別モノだよ。
それから、コンピュータ世界における言語の表現方法を考えるなら、はじめから他言語サポートを目論んで制作されたのでなければ、海外サービス等で文字化けするくらいのことを特別視する必要性は無いんじゃないかな。日本語(というか、二バイト文字)対応っていうのは、英語圏では必要のない技術を使ってるわけだし、無頓着になっちゃうのも仕方無いと思うよ。喩えるなら、クロスプラットフォームなクラス作ろうとしてたのについついリトルエンディアンな処理系しか考慮していなかった、後から気付いたけど直すの面倒って場合だとか、クロスブラウザ目指していたのに、ついついグラフィカルブラウザのみ考慮していた、テキストブラウザや音声ブラウザの存在に後から気付いたけどテスト環境整えるのが面倒だし、そもそも少数派だし……ってくらいで、別に意地悪して切り捨ててたり、言語を強制する目論みではないと思う。