はてなキーワード: 表意文字とは
文字の発明は世界の数カ所でしか起きてない。南北アメリカとオーストリアでは発明できなかった。
しかし、車輪の発明は古代メソポタミアで起きたきりで、長い間ユーラシア大陸にしかなかった。
全ての車輪の源流は1つで、国家も法律も車輪の副産物といっても過言ではない。
「車輪の再発明をするな」という言葉は「君の発明は人類史上最もスゴい偉業になったかもしれないんだけどね、実はもうそれはあるんだ」
ネイティブアメリカンに文字を独力創り出した男がいる。
「よっしゃ俺も作ろう!」
と思い立ち、(白人に習うということなしに、作ってやろっかという発想が既に天才)まずはオリジナルの記号で店の帳簿をつけ始め(やはり天才)、その勢いで漢字のような表意文字を作り始めるも数千作って挫折し(それでも天才。いくつ文字があっても足りない漢字とかシステムとして欠陥だらけだろ)言葉は母音と子音の組み合わせで書けるということを発見して表音文字を発明。
使い勝手がよすぎてあっという間に部族に広まり、その部族の識字率は白人を超えた、という話。
アルファベットを発明した人の記録なんて当然残ってないが、文字の発明はこういう凄まじい天才の仕事。
そして、車輪はそれ以上。
勘違いをしている。
まずは、各国の言語で圧縮できる情報量は表音文字より表意文字のほうが大きい。
次に、君はもろびとこぞりてという一例のみを以て判断しているが、木を見て森を見ず、という過ちを犯している。また、聖歌であるため翻訳の問題がある。原曲を最大限尊重した上で歌曲のイメージを損ねない翻訳が求められる。そこらへんの困難さは、日本のアニソンを海外の人々が自国語に翻訳して同じリズムに乗せて歌ったときにどうなるか、というのを見てみればいい。
あと、RTAやTASやってる人にでも聞けばいいだろう。ゲームのテキスト量の差、それが即ち時間の差と直結している界隈だ。程度問題、各国語訳の差は生まれるため、傾向としか言えないが、彼らはまず「日本語でやったほうが早い」と答えるだろう(それが記録として承認されない――日本語のほうが早くても英語のみ記録として受け付ける等――ことがあった、今がどうかは知らん)
但し、誤解してほしくない点として、日本語を学習するのがコスパが悪いという結論には、強く同意する。箇条書きにするが、
はてなで英語の話題になると「またあとで読むタグつけて二度と読まない無言ブクマの山か」だの「英語なんかより中国語。相手を知って日中友好」だの「日本語もろくに使えていないのに英語なんか無理。日本語教育をもっとしろ」だの言う有象無象が湧いてくるが、そんな連中は無視して真剣に英語を学ぶべきだ。自分の国が衰退していき、何も残せず滅んでいくのが嫌なのであれば、英語を身に着け、英語で喋り、英語で書き、残すべき、伝えるべきものをしっかりと英語で伝えるべきだ。
羽奏という名前を、周囲の人が呼んでくれない、という釣り増田があった。
もともとの増田の漁業からは趣旨が外れるけれども、なぜ羽奏で「わかな」がダメなのか、忍者の里で暮らす私と一緒に考えてみよう。
羽と奏は、音以前に意味が繋がりにくいように思う。羽奏では、意味のつながりが連想・イメージしづらいのだ。
要するに、羽は音を奏でないだろってこと。
同じ「ワカナ」音を重視するなら「和奏」ならすっきりする。
和音とかで和ってのわ使われるし、和風だとかのニュアンスでも繋がりやすい。
羽奏でワカナのいいところは、ワカナって音にある。
それに当てた漢字の読み方がクソ気味だったのは、多く先人の指摘するところなのでここでは贅言せんぞ。
昔から「若菜」という言葉がある。だから、音は他の人が聞いて違和感が少ない。
今までのことをまとめると、<漢字がもつ音>と、<漢字がもつ意味>の両方を他の人に連想させやすくするのが名付けでは重要だ。
ここでの音というのは、あくまでまとまった時に聞こえが悪くないか、ということで、伝統的な読みにそぐうかどうか、ではない。
例えば「奏」で「かな」だとか、あとは最近の若い忍者も良く使うんだけれども「翔」で「と」と読むようなやり口。
もちろんこれは漢字の読みのうえでは間違いなんだけれど、私は名づけの上での省きはまぁいいんじゃないかと思うんだ。なんつーか流行ってるし。
部下の上忍の2人目の息子の名前が「拓路」くんで「たくみ」くんなんだけれど、いい名前じゃん。
路を拓く、という意味もいいし、音も「タクミ」は律令官制以来なじみ深い。
個人的には、ぶつ切りで読むのであっても、音と意味が整ってればいいじゃんってこと。
あと、意味を重視しないで音で当て字したいときのジョーカー的存在が万葉仮名だ。
これは、漢字の意味を捨てて、音だけを表すために用いられた漢字だ。
私の部下のくのいちに「利都」で「りつ」ってよむ女がいるんだが、いい名付けだなって思う。全身タイツスタイルの忍者なんだけど。
つまり万葉仮名は実質ひらがなみたいなもん。「あ」は「安」からきてるんだけど、「あ」は「安んずる」という意味はないでしょ。
森鴎外の子女たちが元祖キラキラネームといわれることがある。私はそうは思わない。
ルイとかオットーとか、すべて外国の人々の名前としては通用するもので、音は問題ない。
森鴎外のをキラキラネームとか言っちゃうのは、逆にお前の頭の中がキラキラしてるんだぞ、と思う。
忍者ってのは顧客ありきなんだから、例えば三菱の人とかに名簿(みょうぶ、って里では読む。古い読みだ)見られたときに悪印象を与えない名前にするのが重要なんだ。
佐助とかってのはダメだぞ。狙いすぎだ。かといって昨今のキラキラネームでもダメ。黄熊でぷうとか弱そうじゃん。かませ犬ですぐ死にそうじゃん。熊だけどさ。
だからさ、個人的には「翔」で「と」がオッケーな理由はこの辺りにあるんだよね。
翔ぶじゃん。忍者。だから忍者にピッタリな漢字なのよ。「遥翔」で「ハルト」って読むのが若い衆でいるんだけど、いいじゃん。
こうしてみると女子は古風な名前が付きがちなんだよな。こういうのももしかしたらジェンダー性があるのかもと思う。
「閑」で「しずか」とか、「青葉」で「あおば」とか。さっきの利都もそうか。ちなみに閑と青葉はミニスカタイプの装束のくのいちだぞ、諸君。
「生」は生物という意味もあれば、生き方という意味もある。「金」はゴールドという金属も指し示せば貨幣一般も指し示す。漢字は連想性を高め、発想力や想像力を強化する。
「停留所」ならたった3文字で「乗り物の乗降車する場所」を表現可能。表音文字なら「ていりゅうじょ」で7文字もかかる。
【可視性の大幅な向上】
漢字なしでずっとひらがなやローマ字が続く文章を読むことは苦痛である。漢字、ひらがな、カタカナの融合は可視性を大幅に高める。
【未知の概念に対する強さ】
表音文字のみで「ていりゅうじょ」と書いた場合、その単語の知識がないと音や語感、表音記号だけではさっぱり分からない。まるで暗号のようにしか見えない問題がある。
しかし、「停留所」なら「停まる」「留まる」「所」という漢字1文字1文字が持つ意味から類推が容易である。
これは新しい単語を理解する、記憶する際に大きなアドバンテージになる。
日常ではそんなに新しい概念と出会うことがないが、学問をする場合は常に新しい概念や知らない概念だらけである。
これが意味のない音の連なりばかり(外国語直輸入のまま)であれば理解や記憶が苦痛になる。
「パーソナルコンピュータ」や「ソーシャリズム」、「ニューロン」が分かりにくく覚えにくいのに対し、「電脳」や「社会主義」や「神経細胞」が理解も記憶もしやすいのは当然である。これは漢字という過去の財産から知識データベースを引っ張り援用できているということである。
これだけではまだ常識が邪魔をするので、「ハニベニ」という単語で考えてみよう。前後の文から想像するにしてもチンプンカンプンな単語だ(いま私が適当に考えたので当然だが)。
でもこれが「埴紅」ならある程度想像もつくのではないだろうか。埴輪に塗られた紅色とか、類推しやすくそう大きく間違っていない場合が多いはずだ。
(そもそも漢字には部首があるのでそれだけで大まかな属性の判断が容易だ。「さんずい」なら液体などに関連した漢字だと即わかる)。
さらに停留所のような具体的物質の場合はまだマシだが、表音記号だけだと抽象的言葉の場合の説明がこれがまた非常に困難だ。
「ソーシャリズム」を説明するために「生産手段の共有化や社会福祉制度でもって平等な社会を実現しようと言う思想、体制」と漢字のように簡単に解説しにくいからである。
表音記号だけだと「タイセイ」とはなんぞや? 「フクシ」とは? 知らない言葉だ、とまた解説が必要になってしまう(知らない難しい単語が現れると類推もできないのでまたそこでつまづく)。
漢字だと「社会主義」と言うだけでも社会に関する約束事の考え方なんだなとある程度、理解できる。
しかし表音記号の場合、子供でも知っているような簡単でなるべく具体的、物質的で同音異義語の少ない言葉でないと、複数回の解説が必要になってしまうのだ。
具体例として言うと、「みんなでたべものや、せいひんをうみだし、みんなのもちものにするかんがえかた、みんなでこまったひとを、たすけあうやりかた」といった、幼稚な表現が必要になってきてしまう。そしてもちろん、これでは社会主義を上手く表現できたとは言い難い。
文字種が多いから日本語ダメというが、文字種によって文法的な役割が大体推測できるので読むのが速くなるという利点がある。例えばカタカナならほとんど名詞だと推測できる。
さらに日本語は単語についている助詞によって語の役割が決まる(そのため語順は比較的自由になる)ため、タグである助詞を見つけるのがとても大切になる。かな漢字混じり文によって漢字やカタカナの間に助詞が浮び上がって見えるために助詞を見つけやすくなっている。
またfMRIで脳を観察してみると、表音文字と表意文字では処理する領域が分かれており、これらを併用することにって効率的に脳を使えている可能性がある。
一方で、音声に関していえば、日本語は音素が少ないので単位時間当たりの情報量は減る。結果として同音異義語が多くなり文脈を読む必要がある。
まとめると、日本語のかな漢字混じり文は視認性、情報密度に優れており、速く読むことができる。しかし話し言葉でいえば欧米の言語の方が情報密度が高く短時間で意味を伝えられる。
英語でProgressって書いてても,単語を知らないとなんの意味かわからないけど,日本語(漢字)で進捗って書いてあったら,読めなくてもなんとなく意味がわかる.これは英語が表音文字で,日本語が表意文字であるからだと,一般教養の授業で習った.たしかにそうだと思う.
話は飛ぶが,デザインに関して,アイコンにするか文字にするかみたいな話がある.アイコンはスタイリッシュでITに強い人には使いやすいけど,そうでない人には文字のほうがよかったりする.うアイコンだけのUIはもちろんかっこよく見えるけど,デザインによっては,何のボタンかわかりにくいことが多い.全てを絵にするのは難しい.
そこで漢字をアイコンみたいに使ったら,日本流のデザインでかっこいいんじゃないかと思う.
今日,車のワイパーの動く間隔を決めるダイアルに"INT"と書いてあって,これなんて意味だろうって考えてたら,Intermittentだって気づいた.わかりにくいなぁと思いながら,これをアイコンにするのも難しいなって思う.これ"緩"とか"急"って書いてたらわかりやすいんじゃないか.この例は良くないかもだけど.少なくとも文字にするなら英語は音を表すのだから,英語を使うのは理にかなっていない.車とか海外で共通の部品が使われるものはともかく,日本をターゲットにするなら,文字は意味を表す日本語(とりわけ漢字)にした方がわかりやすい気がする.
追記
ブコメありがとうございます.間違い訂正・例えを編集しました.