はてなキーワード: 童貞とは
普通に生きてきたつもりだけどそういう存在ができそうかもと思う瞬間すら一度もなくここまで来てしまった。
家と職場とスーパーの往復だけが人生で人との接点なんかいまさら増えようがないし、かといって仕事で疲れ切っていてマッチングアプリだの婚活だのする元気もない、やったところで相手が見つかるほどの魅力が自分にあるとも到底思えない。30で童貞は魔法使いとかいうけどこっちからするとそういう人たちの方が自分に到底できないことをやってのける魔法使いに見える。みんなすごいよな〜
平等なことに不満があるやつって実際本当少ないと思うんだよ
女は当然立場弱いやつ多いしLGBTもそうだし男にも弱いやつが増えた
一方、女は強いやつが増えたしLGBTにも立場強いやつがいるし多くの男は当然いまだに力持ってる
立場の弱いやつを救うなら一体になって協力できるけど
男女で分けて男は強い、女は弱いって言われると俺も弱いけどってなる男がいるのは当然でむしろ強い女に虐げられてきた弱い男なんて腐るほどいる
女と接点なんて持てず生きてるのに女を虐げてると言われたらキレるしかない
こういう複雑な現状認識出来るひとってなんで少ないんだろ
俺は別に観てないけど、どっかの有名なVTuberがノーブラ衣装を披露したんだってさ。
その子の経緯を勝手に考えると、なんかエロ漫画にありがちじゃん、って思ったよね。
俺が知ってるその子の経緯は、最初は清楚系だったけど普通に素を出し始めて、下ネタとか連発し始めたりしたとか。
知らんけど。
「見られること=シコられることに興奮してさらなる刺激を求めていって次第に露出度が上がっていって最終的に度を越す」
みたいな、いかにも配信者モノのエロ漫画にありがちなアレだよね。
VTuberってエロ画像に結構寛容なところあるじゃん、知らんけど。
だからVTuber自身もある程度自分のエロ画像を見てきたりするんだよね。
まあここで言う「自分」っていう言葉はこの場合結構複雑だけど。
でも一応、この時点ではデジタルにおける唯一の身体のはずじゃん。
で、「自分でシコる人が多くいる」という事実に、気を良くする女性と気を良くしない女性の割合がどれだけかはやっぱ知らんけど、性質的にVTuberにおいては前者がかなり多いと思うんだね。
ついにそれだけじゃ我慢できなくなって、いよいよ直接的な表現にいくわけ。
VTuberにおけるエロ画像とは思えば不思議なもので、「中の人」は我々と同じ次元に存在する人間であるということを暗に了解しながら、「現実」というストーリーからイメージ=キャラクターのみを抜き出して、性的消費するっていう、これまでにはあまり見られなかったエロの在り方だった。
だから中の人にとっては、素の姿を晒して配信をするよりも幾分は乖離するけれども(VTuberの中の人の大半はもともと配信者だったと仮定して)、それでもたしかに「自分」がシコられてるっていう、なんか不思議な感覚にあったと思う。
ノーブラ衣装も、「中の人」自身がノーブラであるわけではない。でも「自分」としてノーブラなわけであって、たしかにその浮き出た乳首は視聴者にとっては意味のある乳首なんだね。シコれる身体は、シコり人にとって存在する身体だから。
ただ「見られて興奮する」が必ず成り立つとは限らないからね。純粋なファンサービスである可能性もある。ただどちらにせよ、「ファンにシコってもらう」ことは前提だから。
さてその衣装でファンがシコるとき、普通のエロ画像よりもシコリティが高かったんじゃないかなと思う。
それは、普段のエロ画像が極めて「フィクション」であることに対して、その衣装は「オフィシャル」であり、そして「リアル」な「ストーリー」と接続しているから。
つまり、自分がそのストーリーの登場人物の一人になっているという点が、強い感情移入を引き起こすんだろうなと。
最初に示した「見られて興奮した結果次第に過激になっていく」みたいなストーリーはあくまで仮想のもので、現実と一致するとは限らない。
それでも、そうしたエロ漫画的構造への酷似を、おそらくは視聴者側の大半も分かっているんだと思う。そう意識していなくても、これまでの経験が無意識にそのテンプレを喚起しているのかもしれない。
もちろんそれを知らない人(アダルト童貞)にとっちゃそれ以上の刺激だろうけど(リアル無知シチュって感じ)。
彼らはね、これまで見てきたエロ漫画の登場人物の一人になってるんだよ。
VTuberが絵であるがゆえに、エロ漫画性が余計に強く再現されているっぽいし。
現実という三次元身体は、デジタルデバイスを前にして、その視線のみを二次元的に変換する。つまりこの電脳空間上において、エロ漫画が成立しているといえる。
彼らは、コマの外から、そして同時にコマの中からシコることのできる、二重の視点を獲得した。
そりゃエロいよ。
それを聞いて最初に思ったのは、ああ、あれ「最後にやりたいことやった」くらいだったんかな、って。
美しかったわ。
エロ漫画風にいうと、性調教され尽くしたアイドルが、満員のファンに囲まれるステージ上で、突然全裸になって「今日でアイドル引退しましゅ!最後にありのままのえっちな○○を見てくだしゃいいい♡♡」って言いながらめっちゃ激しいオナニーし始めるみたいな、そんなラストシーンを連想した。
エロ漫画の中のファンは、うおおおおと言いながらその場でシコり始める。
そしてオーガズムと射精が同時に起こり、届くはずのない精液がアイドルに大量にぶっかかる。
みたいな。
知らんけど。
興味なくても耳に入るようなメジャーヒット曲って昔からそんなモノじゃない?
ラブソングに限らず、また音楽に限らず、広く大衆にヒットするコンテンツって刺さる人には刺さるっていうような尖ったモノより、誰でも共感できるような最大公約数的な内容のモノが多いし。
あとは、ラブをテーマにしたコンテンツで漫画やアニメだとリアリティがある恋愛ストーリーより萌え萌えした女の子やキュンキュンさせてくるイケメンとのラブコメみたいなのが流行ってるし、音楽もそれ同じで具体的な固有体験からくるリアリティよりも絵になる恋愛像みたいなモノの方が受けが良いっていうのもありそう。
思いついたのは歌詞の具体性だった
恋愛経験の無さが歌詞に固有体験を出せないことから浮き出てしまっている
童貞でもかける曲がラブソングとして出されてヒットしているのはどうなんだろうかと
具体的にいうと20代前半の男性で彼女に奥手で恋愛に不慣れで夢もなくて自分に自信がなくて振られたくないと怯えている
主人公としての男性像がどれも同じような感じで同じ人物のオムニバスを歌っているように思える
主人公A君の1度目の恋愛をA氏が、2度目の恋愛をB氏、3度目の恋愛をC氏が歌っている
ーーー
3ヶ月付き合った女とセックスした。
が、全く良くなかった。
今思えば、それほど相手のことが好きじゃなかったんだと思う。大学4年で童貞だというのがずっとコンプレックスだったので、ヤレるならヤってしまいたい、というのが本音だった。
実際こじらせすぎたコンプレックスから解放されたので、そこについては後悔していない。
でも行為自体があまりにも気持ちよくなくてショックだった。相手が下手だったのか、俺が勃ちにくかったのかは分からないけど、入れたというより「さし込んだ」って感じだった。
俺はエロい事に興味があったし(その時は)相手を好ましいと思っていたので、上手くいくだろうと甘くみていた。
いや、初めてでアンアン言ってたら俺に才能がありすぎてしまうんだけど、それにしてもキツかった。AVはファンタジーだと改めて実感した。
人生で「シーツのシミを数える」なんて経験をするとは思わなかったな。ちなみにホテルのシーツは綺麗でシミ一つなかった。
あと、ヤる流れになった瞬間の女ってなんであんなに鼻息キモくなるんだろう。マンコに手足生えたみたいで、正直ドン引いてしまった。
そう言えば高校の頃付き合った女の子もキスの瞬間は目ギラついててキモかったな。
女はみんなああなのか?教えてエロい人。
女とはそれっぽい理由をつけてすぐに別れたけど、最中に言われた「○○くんはちょっと勃ちにくいのかな…」って言葉がずっと引っ掛かってた。
俺の下半身に問題があるなら、そんな不名誉なことはないじゃん?あと絶対お前より私の方が手コキ上手い自信あるから。
思い立ったら即行動。俺は小さい頃から行動力だけは褒められてきたのだ。
Amazonでオナホを購入し、次の日には届いたので早速使ってみた。
AVでの流れを思い出しながら男性自身をオナホに入れるが特に気持ちよくはない。
やはり動画を観ただけでは再現できないらしい。何事も実践の前に理論を学ぶ必要があるよな、と思いネットで「オナニー 気持ちいい」と中学生もビックリな安直ワードで検索をかけて知識を得た。
ここまで「俺が一番俺を気持ちよくできるだろ!俺の体は機能不全じゃないって証明してやる!」と息巻いていたが、大きな壁にぶち当たることになる。
それは、どのサイトにも書かれている「妄想を膨らませて気分を高めましょう」という文言。
オナホも買って(初心者にはエネマグラがオススメだと書いてあったがチンコを入れるための練習だと思っていたのでオナホにした)、あとはメソッドに沿ってやるだけだと思っていた。物理的な刺激があれば体は自然と興奮状態になると勘違いしていた。
肝心なことをどうして忘れていたんだろう。セックスをするためには心理的興奮はマストではないか。
恥ずかしい話だけど、この時まで俺は一回もオナニーというものをしてこなかった。
AVやR18作品を観ることはあっても、その行為を自分事として考えたことがなかった。
そりゃあ勃つもんも勃たないわ、だって興奮してないんだもんな。
絶望的な気分だった。お気に入りのAV女優の動画を観たけど、やっぱり勃つことはなかった。お姉さん可愛いなぁとしか思わなかった。
これから先、俺はちゃんとセックス出来るようになるのだろうか。受験でも就活でも病んだ事はなかったけど、この時ばかりは自分の行く末が不安すぎてちょっと泣いた。
「初セックス全然良くなかった!」なんて言ってたけど、一番の被害者はドマグロの男に抱かれた相手だったのかもしれない。申し訳ないことをしてしまったなぁ。
オチも何もないけど、こういう「エロい事を自分事として捉えられない」人って俺以外にも少なからずいるんじゃないかなって思って書きました。仲間がいたら嬉しいです。
町で美人とすれ違うと悲しくなる。テレビで美人芸人を見ると悲しくなる。美人のコスプレ画像とか見ても悲しくなる。以前は目の保養だなとむしろ楽しめたのに。俺は童貞の22歳だが、これから一生美人と縁が無いのだと思うと悲しくなる。美人を見る度にこの悲しい現実を突きつけられて悲しくなる。もちろん、美人や彼女らを抱いているイケメンに非はないのは分かっている。俺はえり好みなんか出来る身分じゃないし、ブサイクでも彼女が出来たらありがたいと思わないと行けないのだろう。それでも悲しくて仕方ない。美醜の概念を知ったときから、テレビや町で美人を見る度に「いい~」なんて思ってきたのに、それと一切縁が無いまま一生を終えるって嫌じゃないか?美人を得ることが幸福の必須条件とは思わないし、俺は一人でものんびり楽しく生きていく覚悟をきめた。むしろ、そっちの方が性に合っているだろう。それでも、俺が指をくわえて美人を見ているだけなのに、どこかの誰かさんを美人をゲットして、毎日ヤッていると思うと気が狂いそうになる。それと俺が悩んでいるのは性欲ではない。そんなのシコっとけば解決だからな。俺が苦しんでいるのは劣等感だ。もし万が一の幸運がおきて、顔はイマイチだが、性格のいい彼女ができたらどうなるんだろうか。もう顔のことなんかどうでも良くなるんだろうか。それとも、「世の中にはあんな美人がいるのに、俺はこいつで妥協しないといけないのか。俺の人生は一体何だったんだ」なんて思いながら生き続けるんだろうか。そしたら、確実にそんなゲスな考えをしている自分を客観視して自己嫌悪に陥るんだろうな
ホモソーシャルとかミソジニーとかジェンダーロールとか……小難しいカタカナ語を振りかざして、
訳のわからないジェンダー論の対立が、今日もネットに憎悪を撒き散らしている。
しかし一方で、私のようなオタクの男性を救おうという動きは見当たらない。
もし私が女性なら、多少なりともネットで同情が得られる。 少なくとも「理解のある彼くん」の登場に期待できる。
また同性愛者なら、最近では理解が広がっており、異性愛者と同様にパートナーと結婚できるようにあった。
彼女いない歴=年齢=童貞歴だし、たまにバズる脱オタファッションは「豚に真珠」のようなものだ。
このままでは「キモくて金のないオッサン(KKO)」一直線だし、野良犬のように野垂れ死にするのが、オチだ。
なら、いっそのこと女性になった方がマシでは?