はてなキーワード: 法則とは
サラリーマンは公務員と何ら変わらないと思っているような人で9:00-18:00で仕事が終わるのが常だと思っていたね。
それ以外にも色々あったけど。
真面目に誰かの命令に従っていれば成功するという人生の法則が崩れたことで、そしてそれに代わる成功の法則を見つけだせず固執し続けたことで、妻の心身は限界に来てしまったんじゃないかと思った。
妻がここ2年くらい鬱病なのだが、最近になってこれが嫌だ!あれが嫌だ!口に出せるようになってきた。そういうものはメモしていたのだが、なんとなく共通点があった。
最近では、GO TOで旅行してる人がいるのに自分だけ世間的なステイホームの言いつけを守って我慢しているのが嫌だ、ちゃんと社会人になって職場で上司の言われたとおりにしていたのに賃金が低かったのが嫌だ……みたいなのが多かった。
俺はなんとなく、勝手な想像だが、真面目に誰かの命令に従っていれば成功するという人生の法則が崩れたことで、そしてそれに代わる成功の法則を見つけだせず固執し続けたことで、妻の心身は限界に来てしまったんじゃないかと思った。
まあそれは事実かどうかわからないにせよ、弁慶の泣き所というのか、妻の精神が大きく乱れるツボであることは確かだ。命令を守っていい子にしているのに、報酬がない。命令を守ってない人が報酬を得ている。この状態。
もちろん人生は命令を聞いていれば成功するほど甘くない。妻はこの考えを脱却して一歩を踏み出さねばならないが、その前に心身を壊してしまった。先行きは暗い。
誰よりもめんどくさいオタクの自覚がある私だが、その最初のきっかけがクレヨンしんちゃんであるせいで、ぼくは「これ、オタク文化知らん人が読んだらどうなるかな?」「これ、性癖こじらせてない人が読んでもこの子好きになるかな?」みたいなのはすっごい考えるわけです。はい
結果として、エロマンガ読む時も「これオタクはわかるけど…」みたいなのを考えて読んでるし書いてるわけです。「オタクでもわからん」という分野を発見した時とかでもなんとか間口を広げて語ろうと頑張るわけです。…どれだけ伝わってるかは謎だけども、オタの間でさえ他分野はわからんからね
この件に限らず、そもそもが「16歳の俺が読んで面白いかな」みたいなのをそれこそワンピースの作者みたいに考えてるわけです。だから、ややこしいテーマでも語彙を難解にしたり、わかって当たり前みたいな書き方をしない。だからこそ、それができてない作品や感想にはちょっと眉唾なんだよなぁ
文系学問で「わかんない人置いてきぼりでいいや」をやるのあんま賛同できないんですよね…科学と違って正しさが証明できない時に煮詰まっていくのが目に見えてるから。科学はその点、高校生がわかる書き方しなくていいんです。正しさが証明できない科学は仮説ではあってもまだ法則でも定理でもないし私が哲学者好きじゃないのは哲学なんて数理的なもんで正しさを証明できないくせに、「高校生どころか大人でもわからん書き方したってわかんないやつが悪い」に陥るから好きじゃないんですよね。そんなもん、やる前から本人の間で煮詰まるか劣化してしか伝わらんの目に見えるやん…アホやなって
データや統計は参考になるけど、そんなモノは自分の中の「高校生」「異性」が正確な人にはデータも統計もなくてもバランスの取れた意見や伝えた方ってできるんです。
このメソッドで逆算すると「自分の中の上司像・おじさん像」がない人は世渡り下手だと思います。…まぁ、私はないですけどね
この辺も「自分のこの人物像が偏向してるな」とかそういうことは色々なケースを見てるうちに気づいたりするもんだけど…それ以前にそうやってバランスを取ろうとしない人や、取ろうにも思ってた答えの中に正解がなくてドツボにはまるケースがけっこうあるんだけど
なんでこの話ししたかって言うと、僕のことを「君の話はわかる人じゃないとわからない」みたいにいう人が過去にいたのをふと思い出したから。
その人の意見が正しいかどうかは別にしても、誰に話すかと誰に話してもわかるかはバランスとる必要あるよね。って思っただけ。知らんけど
わいもおなじツッコミしたい。
植物ってグルタミン酸多め(MSGもサトウキビ絞りカスから取れる)なんで、
出しの「ちょっと違う由来の出し混ぜると旨味が掛け算になってものすごくふえる」法則のためには
肉のイノシン酸
貝のコハク酸
アラフィフおじさんだが台本付きチケット80枚の彼のnoteでの独白が他人事に思えない。
私はいわゆる「マジメ系クズ」「意識だけ高い系クズ」と言われる属性の人間だ。
彼と同じく承認欲求からの不安で、35歳から会社の外のネットワークづくりにハマり、さまざまなコミュニティに出入りした。
人と会ってる俺すごい!人脈すごい!自己承認爆上がり!みたいな感じになった。麻薬だった。ワークショップ中毒になった。
やってる感しか無い事実に気がつかず、全能感が上がり、すごい(ような気がする)周囲の人たちに囲まれている中で「俺すごい!自己承認満たされた!」と感じるも、オフ会後に自分は何もしていない・できない・単なるワナビーでモブキャラに過ぎないことを感じて落ち込んでいた。
彼とまったく同じだ。そして私と似たようなマジメ系クズ属性の人達も、たくさんいた。みな一様に自己評価が低く、去勢を張る勇気もないので意識高い系のコミュニティに属して自分の評価を高めよいともがいていたように思う。
そしてみんなコミュニティからいなくなった。というかマジメ系クズ属性の人間は自分でも周囲からも場違いを感じとり自己消滅していった。コミュニティジプシーになった挙句、お金の法則にも引きづられそうになった(入口で立ち止まって引き返したが)
私はどのコミュニティにも居続けることができずひとり孤独になった。
意識高い系クズとして挫折して、挫折し続けて約10年が経った。友人はいない。やりたいことも見つからない。いかなるコミュニティにも属していない。
仕事をなんとか誤魔化してやり過ごして、ご飯を食べてネット見て寝る。10年前の私でじゃは考えられない意識の低い生活。
アラフィフでコレだ。取り返しのつかないところに来てしまった。その一方で無理しない自分に心地良さを感じることもある。
マジメ系クズというと酷いゴミクソ人間のように思えるが、マジメ系クズだと思わなければ、普通の生活ではないか。
身の丈や置かれている環境に沿ってひっそりと生きるのも、否定も肯定もしなければ、生きてはいける。比較や競争、承認欲求から距離を置ければ、目をつむって生きることはできる。
続きまで含めて全部読んだ
何というか、やるせないな
もうそこには断絶があるんだと思う
時々、この社会には共通のプロトコル(つまり常識)が設定されていないんじゃないかと思う事がある
それぞれが別々の法則で動いていて、それを統一したりすることはできないんじゃないかなと
レヴィナスという人が「他者論」ということを考え、「他者」とは自分のあらゆる規範や想像力から外れたものであるとしたように
「他者」は常に、自分が捉えている世界とは常にまったく違う原理で動いているような気がしてならない
自分にとってまったく許容できないことが、「他者」のいる世界では起こる
逆に言えば、自分の世界では起き得ないことが「他者」のいる世界では起こる
それはそれで救いなのかもしれない
ある漫画で「心やからね。通じる事も繋がることもないけど。それでも、何か一つ伝われば、それで生きていかれるのかも知らへんね」というセリフがあったが、まさにそれで
東京都(新型コロナウイルス感染症対策本部)が、その日の感染者数等の発表の際に、参考値として3日前の検査実施件数を掲載していることから、しばしば、①陽性判明数÷3日前検査実施件数を「検査陽性率」と捉える人がいる。
そのような捉え方をした者からは、たとえば12/30は陽性判明数944人に対して3日前(12/27)検査実施件数が2084人だったことから、「検査陽性率」が45.3%であった、というようなコメントがなされる。
他方、これに対して、②東京都新型コロナウイルス感染症対策サイトの「モニタリング項目(4)検査の陽性率」を引き合いに、12/30の検査陽性率が10.1%であるなどと主張する者がいる。(2021-01-15追記:なお、モニタリング指標(4)の12/30の値は当記事投稿時である1/4更新時点では10.1%だったが、1/14更新時点では10.0%である。)
どちらも誤りである。
1/4更新時点のデータによれば、同日のPCR陽性798, 抗原検査陽性164, PCR陰性5262, 抗原検査陰性1062より、陽性962÷検査件数7286 = 13.2% であるから、検査陽性率は13.2%となる。
【2021-01-09追記】 1/8更新時点のデータによれば、同日のPCR陽性873, 抗原検査陽性177, PCR陰性5970, 抗原検査陰性1191より、陽性1050÷検査件数8211 = 12.9% である。(追記ここまで)
検査しても必ずしも当日中に結果が出るわけではない。3日前検査実施件数の注釈に※2 検査から結果が出るまでは3日程度要する。なお、この検査結果と本日の報告数が一致するものではない。(陰性確認を含む)
と書かれているとおりである。
もっとも、実は都の注釈にいう「検査から結果が出るまでは3日程度要する」という記載が、どうやらあまり正確ではないようだ。
この検査実施件数はPCR検査と抗原検査の件数の合計らしい。しかし、PCR検査は検査機関に検体を送る等の都合から結果が出るまで数日かかるのに対し、抗原検査は簡易検査キットがありその場で数十分程度で結果が出る。
そこで、3日前のPCR検査件数と当日の抗原検査件数の和を分母にすると、当日の陽性判明数を分子としたときに、もう少し現実的な値が出る。
たとえば12/30の陽性判明数944人に対し、(12/27のPCR検査2761)+(12/30の抗原検査1226人)=3987人を分母にすると、陽性率的なものは23.7%になる。なお、ここでの「12/27のPCR検査」や「12/30の抗原検査」の人数は、都のモニタリング項目(4)の「テーブルを表示」すると出てくる、12/27のPCR検査陽性者数326・同陰性者数2435、12/30抗原検査陽性者数164・同陰性者数1062をそれぞれ足した数である。
ただし、このような修正を加えてもなお、後日確定する検査陽性率とは乖離がある。
この乖離の原因は、「3日前の検査実施人数」が、発表時点までに報告された未確定の数であることにある。3日前だった日の検査実施件数は、後日、増える。
たとえば1/2の報道発表における「検査実施件数12月30日」は3816人だが、現在の都サイト(4)のテーブルにある12/30の(PCR|抗原)検査(陽性|陰性)者数の総和は、1/4更新時点で7286人である。おそらく1/3以降も検査報告が届いたためだろう。
検査が陽性だったものから優先的に報告されているのであろうか、検査数の伸びに比べると、陽性判明数の伸びは少し緩やかな傾向がある。そのため、ある日の検査陽性率は徐々に下がる傾向がある。
結局のところ、たとえ検査日と判明数の日付を対応させたとしても、速報値ベースでの陽性率的なものは、後日確定する真実の検査陽性率と比べると高いものとなる。
モニタリング項目(4)は7日移動平均であって、「その日の検査」における陽性率ではない。このことは、都のサイトに陽性率:陽性判明数(PCR・抗原)の移動平均/検査人数(=陽性判明数(PCR・抗原)+陰性判明数(PCR・抗原))の移動平均
と書かれているとおりである。
実際の12/30の検査陽性率は前述の通り13.2%であるから、移動平均を用いたモニタリング指標(4)の10.1%より高い値である。
たまに誤解している人がいるが、「検査陽性率」について移動平均を用いなければならないという決まりは無く、むしろ、統計を取る目的に応じて任意の期間について計算するものである。都が7日移動平均を用いているのは、「モニタリング」という目的に照らして、集団感染発生や曜日による数値のばらつきにより、日々の結果が変動するため、こうしたばらつきを平準化し全体の傾向を見る趣旨から、過去7日間の移動平均値をもとに算出
しているのである(via 都サイト)。
(したがって、「7日移動平均にしないと誤り」という意見は誤りである。)(さらに細かいことを言えば、「当日検査陽性率の7日分の平均」ではなく、「7日分の検査数に対する7日分の陽性数の割合」なので、「検査陽性率の7日移動平均」という言い方は不正確だろう。)
曜日によるばらつきについて実際に、(移動平均では無く)当日の検査数と陽性判明数検査数をもとに当日の検査陽性率を計算すると、日曜日のたびに検査陽性率が前後の日の1〜2割増の値となっている。おそらく、日曜日は検査数が少ないため、事前確率が高い患者(新型コロナ感染の疑いがより強い患者)を優先的に検査しているのであろう 。
都のモニタリング項目(4)は、7日間移動平均を用いているがゆえに変動がそれまでの動きで打ち消され遅行指標となる。
加えて、前述のとおり検査数・陽性判明数は数日かけて報告が上がるにつれて増えるため、近い日ほど小さな数となり、平均をとった際のウェイトが小さくなる。より古い日の検査結果に引き摺られる。
そして、計算期間内の陽性判明数・検査件数は未確定なので、同じ「1月3日」のモニタリング項目(4)の値であっても、1/4時点の値と1/10時点の値は異なる。
このように「当日の」モニタリング項目(4)の値は現実の検査陽性率の変化に対して数日遅れる鈍い指標なので、陽性判明数が急増した特定の日の当日にモニタリング項目(4)の値を持ってきて何かを語るのは、賢明とは言えない。
速報値と真の検査陽性率との乖離は概ね一定の法則に従って生じるため、速報値の変化は真の検査陽性率の変化を反映している。
また、検査陽性率は、水が溢れたり沸騰したりするのとは異なり、何か劇的な変化をもたらす閾値に関わるものではない。そのため0.1%単位の正確な数値は不要であるし、1日単位の変化も重要ではない。
したがって、7日間移動平均を用いた速報値をモニタリングすることで、真の検査陽性率や、感染の蔓延状況・検査体制の充足性の参考とすることができる。
神話とか故事の由来をみてると謎の動きした結果、痛い目みたりしてて、「いや、そんなことしたら そりゃそうなるでしょ……」って事例が多いなと思った。
以下みたいな謎の動きをしてしまったせいで失敗する話があればもっと知りたい。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%9D%E3%83%B3/]
崩れるに決まってるだろうに。。。
臼を積み上げる建築技術はあるのに、1番下の臼を抜いたら崩れるという物理法則を知らないのはなんなの?アホなの?
天空神であるオニャンコポンは、昔は人間たちに近い位置に居た。しかしあるとき、一人の老女がヤムイモを臼と杵で搗いていた拍子に、杵をオニャンコポンにぶつけてしまった。それ以来、オニャンコポンは遠く離れてしまったという[1][8](天地分離神話)。老女はオニャンコポンに到達しようと、多くの人に臼を集めさせ、高く積み上げさせた。しかしすべて積み上げても、一つ足りなかった。そこで老女は、積んだ臼の一番下の一つを抜いて上に積むように言った。そのようにしたところ、臼の塔は崩れ、多くの人が死んでしまったという
刻舟求剣(こくしゅうきゅうけん)の意味・使い方 - 四字熟語一覧 - goo辞書
見つかるわけないだろうに。。。
落とした瞬間はとても焦っていて舟に傷をつけて判断できると思ってしまったところまでは1億歩譲って理解しよう。だがなぜ向こう岸に着くまでにいったん一息付いてるはずなのに水中に入るの?アホなの?
「舟ふねに刻きざみて剣けんを求もとむ」と読み下す。中国春秋時代、楚その人が舟で川を渡ったとき、剣を水中に落としてしまった。そこで後で探すために剣が落ちたところの船べりに印を刻み、向こう岸に着いてから、その印を刻んだところから水中に入って剣を探したが、見つからなかったという説話から。
エジプトとかの壁画に書いてある太陽と今出てる太陽が同じものなのすごすぎる
昔のことイメージするのって難しくて、どうしても当時の絵とか写真にイメージが引っ張られてしまう 今と同じカラーリング・質感でイメージしにくい
でも月の光とか太陽なんかは間違いなく同じものでほとんど同じように見えてたんだよなと思うとすごい
狩猟採集生活やってた頃にも月は出ていた なんだったら昼間にボンヤリ見えるあの月なんかも出ていた 木があるなら木漏れ日も同じような感じだっただろうし、水辺で反射光がユラユラしてるのも目撃できただろうな
マジすげー 平安時代の大奥とかでもおんなじ物理法則のもと生きてたんだよな 十二単着た人も息吐いておっ白くなった!なんて思ってたんか すごすぎる